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私たちの憲法とは? [時事ニュースから]

 今年になって、書店でも、憲法を題材とした本、憲法を取り上げた雑誌の特集などが目につくようになりました。

 憲法について関心が集まるのは、ともかくも、安倍首相の御陰です。
 前の安倍政権の時も、今回ほどではありませんが、安倍首相が憲法について色々発言をするので、憲法について考えるきっかけが増えました。

 さて、その安倍首相が、憲法の中身を変える前に変えやすいようにしよう、ということで、先に、憲法改正要件の憲法96条を変えて、憲法改正国民投票の発議を、両議院の2/3の賛成ではなく両議院の過半数の賛成で行えるようにしよう、という主張を4月ころまでは熱心にしていました。

 これに対し、私の属する兵庫県弁護士会では、

憲法第96条の憲法改正発議要件緩和に反対する意見書http://www.hyogoben.or.jp/topics/iken/pdf/130620iken.pdf

を発表しています。この意見書の作成には私も関わりました。

 
 簡単に言えば、こうです。

 今の憲法96条の条件では、先の参議院選挙の結果を踏まえても、今、首相が憲法改正の発議をしようと思っても、自民・公明に加えて、みんなの党や日本維新の会などの協力を得なければ、憲法改正の発議はできません。

 ですが、これを変えて「両議院の過半数」で発議できるとすれば、どうでしょう。

 具体的に言えば、現状の議席に基づくと、自民・公明だけで発議できますし、また、仮に公明党が反対した場合に自民・維新という組み合わせでも発議できるようになります。
 また、民主党が政権をとったその瞬間であれば、民主党および社民・国民新党の賛成があれば過半数を超えますから、「民主党主導の憲法改正」も発議できた(しかも、そのときの民主党人気ならば国民投票でも賛成が得られた可能性は高い)、ということになります。

 憲法改正が発議されると国民投票を行うことなります。
 国民投票は、有効投票の過半数の賛成で憲法改正が出来ます。
 ですから、今回参院選のように投票率が50パーセント台ですと、3割の国民の賛成票で、憲法改正がなされます。
 時の過半数の党が賛成して発議した憲法改正案ですから、国民全員(正しくは有権者)の過半数ではなくて、有効投票の過半数なら、それほど難しくないでしょう。

 一般の法律ならば、現状に応じて、スピーディに法律を作ったり改正したりすることは必要です。
 これに対して、憲法は、もっと大きな理念や原則を定めたものですから、スピーディに改正する必要はないのです、国家の何十年の計です。コロコロ変える、ブレることはプラスになりません。変えてもいいのですが、変えるなら、今後何十年の計として変えるべきものです。

 そうであれば、一般の法律と違い、単なる時の多数で変えられるのではなく、特別の多数でなければ変えることのできないようなルールは合理的だと思います。

 なぜなら、憲法は、少数者の人権も含めて保障するものだからです。
 喩えて言えば、「あいつら少数者だから人権を制限しちゃえ」というような声に異論を言わない(言えない)人が5割いても、「さすがにそれはまずいのではないか」という人が1割いたら無茶な憲法改正を阻止できる、というような意味合いで、憲法96条は憲法改正に法律と違った特別の要件を課しています。

 
 タイトルの「私たちの憲法」という意味です。
 
 憲法改正国民投票に参加することで国民が自分の憲法だという実感ができる、という声があります。
 私は、これはそれ自体もっともだ、とも思います。
 きっとそうでしょう。
 
 でも。憲法改正国民投票は体験学習ではなく、その結果によって、本当に憲法の規定が変わるのですから、わたしたちの人権を保障している条文だって、本当に変わってしまう効果を持ちます。
 人権を保障する規定が悪く変えられたら、いくら腕が立つ弁護士が弁護団を組んでも、根拠となる憲法の規定がないのですから、人権侵害を防げなくなるかもしれません。

 だから、憲法改正国民投票にもっていきやすいようにする、ということはやはり危ないことです。

 確かに、憲法や法律を専門的に勉強した法律家でもなければ、一般の国民は、日本国憲法を「わたしたちの憲法」だという感覚で捉えられていない、と思います。

 だから、安倍首相が憲法について積極的に発言することそのものは、私は、ある意味では、(皮肉とかそういう意味ではなく、本当に)、大事な論点を国民に示してくれていると思っています。
 そういうことをきっかけに、「新しい憲法のはなし」ならぬ「わたしたちの憲法のはなし」「これからの憲法のはなし」をあちこちですればよいのです。
 
 私自身は、日本国憲法に問題点もあるし、今私が憲法を書けと言われたら違った規定にするだろう、という点があると思っていますが、この憲法がベースにする根本的な価値観には殆ど賛成ですし、そういう憲法が今存在することは本当に有り難い、と思っています。(なので、「護憲派ブロガー」という位置づけになるようです。) 
 憲法がベースにする根本的な価値観を維持発展させた、個人の尊厳をよりがっちり丁寧に守ろうとする、自由と人権の基礎法の進化形(21世紀形)の「憲法改正案」があるなら、私は改憲に賛成です。
 ということで、私は「改憲派」でもあります。

 憲法は、100ちょっとの条文で、抽象的で骨太なものです。一般法のように細かいことは書いていません。
 なので、「これからの憲法」を考えるときに、

・ 条文の言葉を変える

だけではなく

・ 既に書かれていること、例えば、「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するとする憲法25条の中身を、具体的にはどう実現するのかを、国民みんなでよく考え、工夫して充実させていく

ということが大切なのです。
 憲法の条文は既にあるのですが、その中身の実現方法を改良しよいものを作っていくことは、「これからの憲法」を作ること、なのです。

 なので、

「憲法を守ろう」

というスローガンでは、ただの現状維持、保守、なのでつまらないし、それでは「私たちの憲法」ではなく「古い憲法」がそこにあるだけになるのですが、

より創造的に憲法を活かすこと(それを多くの人が関心を持って議論すること)

は、「これからの憲法」「私たちの憲法」を国民が持つことになるのだ、と私は思っています。

 憲法を「守る」のではなくて、憲法にもっと「命を吹き込む」ことによって、「私たちの憲法」にするのです。


 96条改正を言う論者の中にも、私がこの記事で述べるのと根っこでは共通した願いを持った人がいるのではないか、と思っています。
 「憲法に国民が関心を持って、勉強して、議論して、考えて欲しい」と。
 
 その方法論についての問題ですが、しかし、「改正ルールの緩和」というのは私は筋違いだと思っています。

 確かに、投票行動をきっかけに、というのは有力な手段とは思いますが、であるなら、例えば、直ちに憲法改正という効果をもたらすわけではないが、国会が施策の「参考」にするための、別の制度での「国民投票」というものを行う方法もあるかもしれません。

  
 ともかく、96条改正には反対ですが、みんなで「私たちの憲法」を考える、というのは大事なことだと思っていますので、私もできるかぎり、その為に良いことを考えてやっていきたい、と思っています。

                                     村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所
 

学校と生徒との関係はいつはじまるのか [時事ニュースから]

 
 橋下市長の体育系「入試中止」に賛否 大阪市教委に電話殺到

 http://sankei.jp.msn.com/life/news/130116/edc13011614070004-n1.htm


体罰が違法であること、今回の件に関して橋下市長が体罰が違法であり良くないことであるという認識の元に行動していることは当然であることを前回の記事に書きました。

 さて、今、センター試験も真っ最中です。
 また、京阪神では私立中学校の入試の真っ最中だということです。

 小さいうちから受験勉強というのが良いことかどうかには色んな考えがあるでしょうが、京阪神の私立中学校には、たとえば小4から志望校を決めて、志望校に入学することを思い描いて勉強をしている子どももたくさんいます。
 親が一方的にそうさせているだけとも限りません。例えば、あちこちの中学校の文化祭を観に行くところからはじまり、そうする中で、子ども自身がモチベーションを高く持って頑張っている姿というのもあるのです。

 前々回、福嶋さんの著書「国語が子どもをダメにする」に関する記事でも書きましたが、入試問題は、その学校がその年度だけではなく、将来、何年か後にその学校を受験するであろう人に向けても、「こういう部分を大事にした勉強をしてきて欲しい」というメッセージを込めたものであるはずだ、と思います。

 そうしてみると、新設校の場合などは例外として、通常は、

学校と生徒との関係は、入学よりもずっと以前から始まっている

と言えます。

 それは、進学を主体とした学校にしても、スポーツを主体にした学校にしても同じことでしょう。

 入試の定員の変更はもちろん、試験スタイルの変更などについても、学校は、受験生の混乱を防ぐため、決まったらできるだけ早く告知します。今度の入試から科目数が増えるなどというのを、年度途中に発表することはまずないでしょう。「再来年からこうします」という発表の仕方が普通だと思います。
 それが将来の生徒への当然の配慮ですから。

 何年か先でも、
 
自分の年度においても、その前後と変わりなく、入試が実施され、入学するチャンスがある

ということは基本的に信頼していい、というのが社会の了解事となっているはずです。


 ここで1つたとえ話。
 法律の話ですが、私人同士の法律関係は、基本的に「私的自治の原則」に支配されるといわれます。
 この原則をドライに貫けば、「契約関係に入ったら約束を守らなければならないけれども、契約関係に入りさえしなければ、人の期待を裏切ろうと何しようと勝手です。」となるのではないか?と思われるかも知れません。
 しかし、実はそうと言い切れません。

「契約締結段階の過失」

という論点があって、正式の契約に入る前にも、当事者同士には守るべき「信義誠実」というものがあって、それを裏切り損害を与えた場合には、場合によって損害賠償しなければならないことがあります。

 また、公的な要素がほとんどない商売の契約であれば、「いやなら買わなくて結構」でいいわけですが、公教育である学校というのは、最低限守られるべき信頼、という要素が極めて重要です。

 
 
 今回の事件があったことを受けて「桜宮高校では体罰は決して行われない、学校教育法等の法規に則った指導を行う」という事項を確認し、今年も入学試験を実施する、ということになるのが当然である、と私は思います。

 入試をどうしても中止しなければならない、とは思えません。他のより迷惑の少ない手段で学校を正常化させることは可能だと思われますから、そうである以上、その学校の志望者を裏切る「入試中止」という手段を採るべきではない、というのが私の考えです。

 
 もっとも、橋下市長は、受験生などが大混乱をすることも承知の上で、

「体罰を容認するようなことをすれば『入試さえできないかも知れない』『学校は存続さえできなかも知れない』ということを、関係者や、他の学校、教育者にも、心の底から分かってもらいたい。」

と考え、それをインパクトをもって分かってもらうのが目的で、敢えて、この時期に、悪者になって、乱暴とみえる「入試中止」を叫んでいるのであり、結局は、私が上に書いたように、「桜宮高校では体罰は決してしない」と確認したうえで入試を実施する、ということに落ち着けるつもりである(初めからそのつもり)、ということなのかもしれません。
(↑他人の内心のことは分かりませんので、私なりに好意的に解釈すればこうだ、というところです。)

 そうだったとしても、今の時点まででも、入学希望者を大混乱に陥れたことは、基本的な社会の公的仕組みに対する信頼を損ねた、という意味で、この件に関して首長として問題のある対応だったと私は思います。

 今日結論が出るのでしょうか。
 理性的な結論となることを期待します。


                           村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所

 


 
 
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体罰と法~体罰による自殺のニュースを見て [時事ニュースから]

 部活の顧問から受けた体罰がきっかけとなった高校生の自殺のニュース。この件に関連する報道では、橋下市長は、体罰は許容されることではないとの前提で発言をされているようです。当然の態度だと思います。
 最近でも体罰許容論を言う「識者」などもいましたが、暴力が人を誘う力は恐ろしいもので、やっぱり、きちっとした線引きをして、教師らの活動において、暴力への誘惑を断ち切る必要性を私は改めて感じました。
 
 先生でも、子どもと接しておれば、色んな場面がありますから、子どもの態度によっては、ときに、「殴れるものなら殴りたい」と思うことも必ずあると思います。それが「暴力への誘惑」で、誰にも存在するものだけに、体罰禁止の法の趣旨は大切なことだと思います。
 
 今年の神戸学院大学講義でも少し取り上げました。そのときに調べたことを元に、参考までに、「体罰と法」について簡略なまとめをしますので、興味のある方はご覧下さい。

 体罰は違法であることについては、多くの方が、おそらくそうだろうと思っておられると思います。

 では、少し詳しくして、

「教育において、生徒に、口頭注意だけではなく、実力を行使することは違法か?
 程度や目的等によって差があるのか。」

というとどうでしょうか。
 法の規定などを確認しながら少し解説します。

① 基本となる法律の規定

 学校教育法 第11条

 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。 

 
 これが法律です。
 懲戒=懲らしめること は必要に応じて許容されています。
 でも、体罰はこの条文から違法であることが明らかです。
 では、「懲戒」とはどの範囲で、どこからが「体罰」(違法)なのか?ということが問題になってきます。
 この区別の基準になるのが次の文科省通知です。

② 文科省通知(平成19年2月5日)
 「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について(通知)」
 別紙「学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方」
(抜粋)
1  体罰について
(1)  児童生徒への指導に当たり、学校教育法第11条ただし書にいう体罰は、いかなる場合においても行ってはならない。教員等が児童生徒に対して行った懲戒の行為が体罰に当たるかどうかは、当該児童生徒の年齢、健康、心身の発達状況、当該行為が行われた場所的及び時間的環境、懲戒の態様等の諸条件を総合的に考え、個々の事案ごとに判断する必要がある。
(2)  (1)により、その懲戒の内容が身体的性質のもの、すなわち、身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る、蹴る等)、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒(正座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等)に当たると判断された場合は、体罰に該当する
(3)  個々の懲戒が体罰に当たるか否かは、単に、懲戒を受けた児童生徒や保護者の主観的な言動により判断されるのではなく、上記(1)の諸条件を客観的に考慮して判断されるべきであり、特に児童生徒一人一人の状況に配慮を尽くした行為であったかどうか等の観点が重要である。
(以下、省略。抜粋終り。)

 さらに文科省の通知には具体的な例示等があるのですが、ここでは省略します。
 身体に対する侵害を内容としたり、肉体的苦痛を与えることを内容とする懲戒は基本的に体罰に当たるというわけです。今回のニュースの件は言うまでもありません。
 

③ 裁判例

 裁判例を調べ上げたわけではありませんが、最高裁の判例があるので抜粋して紹介します。
  
《平成21年4月28日最高裁判決》
 (抜粋)
前記事実関係によれば,被上告人は,休み時間に,だだをこねる他の児童をなだめていたAの背中に覆いかぶさるようにしてその肩をもむなどしていたが,通り掛かった女子数人を他の男子と共に蹴るという悪ふざけをした上,これを注意して職員室に向かおうとしたAのでん部付近を2回にわたって蹴って逃げ出した。そこで,Aは,被上告人を追い掛けて捕まえ,その胸元を右手でつかんで壁に押し当て,大声で「もう,すんなよ。」と叱った(本件行為)というのである。そうすると,Aの本件行為は,児童の身体に対する有形力の行使ではあるが,他人を蹴るという被上告人の一連の悪ふざけについて,これからはそのような悪ふざけをしないように被上告人を指導するために行われたものであり,悪ふざけの罰として被上告人に肉体的苦痛を与えるために行われたものではないことが明らかである。Aは,自分自身も被上告人による悪ふざけの対象となったことに立腹して本件行為を行っており,本件行為にやや穏当を欠くところがなかったとはいえないとしても,本件行為は,その目的,態様,継続時間等から判断して,教員が児童に対して行うことが許される教育的指導の範囲を逸脱するものではなく,学校教育法11条ただし書にいう体罰に該当するものではないというべきである。したがって,Aのした本件行為に違法性は認められない。
                                                    (抜粋終り)

 下線を引いた行為が教師の行為です。
 生徒の胸元を右手でつかんで壁に押し当てた、これは確かに「実力行使」です。
 しかし、これは「実力行使」ではあるものの、肉体的苦痛を与えるために行われたものではないと最高裁判所は認め、体罰に当たらない、とされたものです。
 
 ただし、この裁判でも最高裁以前、1審、2審はこれを「体罰」としていました。そうすると、このケースはどの程度の有形力の行使が「体罰」に該当するかの限界事例に近いといえます。

 はっきり言って、この最高裁の事例などのような場合は、教師が、瞬時の判断の中で、おそらくは色々なジレンマの中で取った行動であり、実力行使の程度からしても、最高裁の判断が妥当なのだと思います。
 
 ですが、もしハナから「体罰はアリ」という考え方の下で教師が行動するなら、話は全く違ってきます。この事例でも実力行使の程度が全く違ってきていたことでしょう。
 
 学校現場の規律を守る必要はあり、教師がある程度強い指導力を発揮する必要もあるとは思いますが、教師は知性・理性で生徒を導く存在ですから、「体罰禁止」という縛りはあって当然です。
 
 それでも、生徒が教師に危害を加える場合や、生徒が他の生徒に危害を加える場合に対する対応は、「正当防衛」や「緊急避難」として、法律的にも実力行使は許されます。

 つまり、「体罰を容認するか」という問題は、

生徒を導く手段として、「わざと肉体的苦痛を与える」という手段を許容するか

という問題です。

 それは許容しないのが学校教育法の趣旨であり、私はこの法の趣旨は正しいと考えています。
 この法の趣旨が貫徹され、今回のニュースのようなことが二度と起こらないように心から望みます。

                              村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所

“投機”が人々の生活を破壊する 商品相場高騰が慢性化 [時事ニュースから]

 
 額に汗して働くたくさんの人の生活を、割合からすれば一握りの人の「投機」、いいかえれば一種のギャンブルが苦しめていることを指摘した記事です。↓
 産経ニュースです。
 
 各種取引の「市場」なるものも、投機家のためではなく、「生身で生きる」大多数の人の暮らしを良くするのに役立つことを第一の理念にする一種の「意識改革」が必要だと思います。



                              村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所


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南海トラフ巨大地震の被害予測から [時事ニュースから]

 先日ニュースで、最大で死者32万人、堤防や水門が地震で壊れたりして機能しない場合には、大阪梅田のど真ん中も浸水する可能性がある、ということが報じられました。

 そして、みなさんよくご存じの通り、巨大地震は繰り返されている、とのこと。

 東日本大震災について、想定外の大災害、と言っていたのですが、歴史的に見れば、また、地震学からみれば、現代の科学の水準からすれば、いつ起こるかなどは特定できないですが、やはり、想定外ではなく、基本的には想定はしておかなければならないことだった、ということが改めて明らかになっているように思います。

 地震は自然現象なので、それを防ぐことは出来ないのだと思いますが、地震に伴い予想される危険で、人がコントロールできる範囲のものについて対策が不充分だったら、そのために起こった被害は天災ではなくて人災

 ましてや、自然界には普通には存在せず、人がわざわざつくった施設などで、特に危険なものを扱う施設ということになればなおさら。
 歴史から見て、「前の」巨大地震のときには、存在しなかった危険な施設がたくさんあるのですから、それが、今後予想される大災害、最悪の場合は想定すべき先日のニュースのような巨大地震被害、そう言う場合に、普通の自然界では起こりえなかったような更に酷い被害をもたらさないように、ということを第一に考えなくてはならない、と思います。

 大きな津波などが予想される地域では、従来は車での避難は禁止されていたものの、高齢者や障がい者が離れた場所にある高台に避難する必要がある場合には車の使用も解禁することが検討されている、とのニュースもありました。
 「大地震の被害予測」は暗い方向の情報にも映るかもしれませんが、こういう情報が広く伝わることによって、いままではそこまで気が回らなかったところ、特に、弱い立場にある人の状況に合わせた対策を事前に考えておけるようになる、というところからすれば、本当に有益な情報であると思いました。

                               村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所

維新「家庭教育支援条例案」撤回 [時事ニュースから]

 
 橋下氏も、この条例案には問題があると述べ、この条例案は撤回になりました。

 この条例案を作った人だって、その人なりの信念では良かれと思って作ったのだろうと思います。
 しかし、その信念にある「思い込み」が激しすぎて、非科学的な記述がそのまま入っていまい、しかも、少なくない人を傷つける内容になってしまった。

 条例案を作った人の「良かれ」という点をいえば、

親が子に対して十分な愛情を注げる世の中になるように

ということであろうと思います。その意図は私も共有します。

 ただ、その目的のための手段として、

上から目線で、親に「こうあるべき」像を規定する

かのようなやり方では成功しないと思います。
 

 もちろん条例には、「上から」とは書いていませんが、私は、この条例騒動については、作成者に(自覚してか、無自覚かわかりませんが)「上から目線」の要素があり、それが思わぬ発想の「横着」を招き、大きなミスを招いたのだと思います。


 もっと、子供たち、それと共に生きる親たちに丁寧に寄り添うバックアップの仕方があると思います。
 
「こうあるべき」をいうのではなく、人間本来の自然の愛情を発揮しやすい状況を整えていく

そういう環境整備を行っていく

これが子育て支援の政治の役割であることを確認して欲しいと願います。
 
 そうすれば、今回の条例提案者の「良かれ」の願い(きっと、=「親が子に対して十分な愛情を注げる世の中になるように」)が実現に近づくはずです。

村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所


http://news.so-net.ne.jp/article/detail/700824/

(引用開始)
維新市議団、条例案を白紙撤回…保護者ら反発で
2012年 05月07日 21時35分 提供元:読売新聞  大阪維新の会(代表・橋下徹大阪市長)大阪市議団が市議会に提案予定だった「家庭教育支援条例案」に、子どもの発達障害の原因を親の愛情不足とする記述があり、保護者でつくる13団体が7日、「偏見を助長する」と、同市議団に提案見送りを要請した。
 市議団は同日、条例案の白紙撤回を決めた。
 同条例案は児童虐待が後を絶たない中で、家庭教育支援や親に保護者としての自覚を促すことなどが目的で、市議団が1日、記者団に公表。その中で児童虐待を発達障害と関連づけて、「愛情不足が症状を誘発する大きな要因」と指摘し、「わが国の伝統的子育てで予防・防止できる」と記述していた。
 これに対し、「大阪自閉症協会」(大阪市)などが問題視。この日、同市議団など5会派に条例案の提案見送りと、専門家を交えた勉強会開催を求める要望書を提出した。
 市議団の美延映夫(みのべてるお)幹事長は「手違いがあった」と団体側に謝罪し、条例案撤回を約束。橋下市長も同日、記者団に「発達障害を抱える子を持つ母が愛情欠如(している)というのは違う」と述べた。
 発達障害に詳しい山崎晃資・臨床児童精神医学研究所所長は「医学的に発達障害は中枢神経系の機能障害とされている。愛情不足とは関係がなく、条例が成立すれば親がいわれのない差別を受ける」と話している。
(引用終わり)

どうすれば、クルマと人とが共存していけるのか [時事ニュースから]

 先日の京都・祇園での事故に続き、また、ひどい事故が起こってしまいました。

「集団登校の列に車、児童3人重体」

http://news.so-net.ne.jp/article/detail/696300/?nv=c_article_related_text

関連ニュース
http://news.so-net.ne.jp/article/detail/696403/

 
 私は、弁護士になる前はクルマが好きでした。改造なんかしませんが、クルマで飛ばすのは気持ちいい、と思っていました。

 そして、弁護士になって12年間、すっかり、クルマが好きでなくなってしまいました。

 交通事故による被害案件を扱っているうちに、クルマのせいで取り返しのつかないことが起こったということに直面し続けているからです。

 自分の生活でも、「必ずしもクルマで行かなくてもよい」ときは、クルマは利用しなくなりました。

 今は、正直言って、

クルマは必要悪

だと思っています。

 こういう酷い事故が起こったときに、交通事故加害者への厳罰化などが求められることがあります。

 確かにそれも必要かも知れません。

 でも、私は、厳罰化だけではなく、人とクルマのつきあい方そのものについて、もう一度、できれば「一から」考えてゆくべきだと思います。
 それはまた、国が、政策として、「どれだけクルマの販売や利用を優遇するか」という問題とつながってきます。

 だって、思いませんか?
 今回の事故で、被害に遭った子どもや保護者のことを思うと、

クルマなんてなければいいのに

と。

 もちろん、原発ゼロにはなっても、クルマゼロにはならないでしょう。

 それでも、一度、クルマだって「ゼロベース」の視点を持って、人がどうクルマと付き合っていくのか、というのを考え直すことこそが今必要だと思います。

 そうしていけば、色んな視点が出てくると思います。

・ クルマの台数が多いことが、本当に、人の幸せに繋がるのか?
・ 公共交通機関の利用を促進することによって、走るクルマを減らすことができるのでは?
・ 「乗り合い」を推奨することによって、走るクルマを減らすことができるのでは?
・ クルマの利用がやむを得ない人と、そうでもない人について、扱いが同じでよいのか。(田舎の人と都会の人が同じでよいか。乳幼児や高齢者がいる家庭の人と、若者ばかりの人が同じでよいか。税金など。)

など。

 こういう視点を共有していただける方が増えてゆけば良いな、と思います。 

村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所

ライブドア最高裁判決のニュース~金融商品取引法21条の2 第2項「推定規定」 [時事ニュースから]

 ライブドア事件の最高裁判決が出たそうです。


(yahooニュースより引用)

 ライブドアへの賠償命令確定=「推定規定」で初判断―最高裁
時事通信 3月13日(火)18時30分配信

 ライブドア(現LDH)の粉飾決算事件で株価が暴落し損害を被ったとして、株主だった日本生命と信託銀行5行がLDHに計約108億円の損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷(大谷剛彦裁判長)は13日、二審判決を一部変更して賠償額を約1200万円減額し、LDHに総額約98億8400万円の支払いを命じた。賠償命令が確定した。
 金融商品取引法は、虚偽記載の公表前後それぞれ1カ月の平均株価の差額を損害額とみなす「推定規定」を設けており、「公表」の時期や、賠償額の算定方法が主な争点だった。推定規定の解釈をめぐる最高裁の判断は初めてで、同種訴訟に影響を与えそうだ。

                                                         (引用終わり)


 このニュースでいう金融商品取引法の「推定規定」とは次のものです。

(以下、法律条文)

(虚偽記載等のある書類の提出者の賠償責任)
第二十一条の二  (中略)

2  前項本文の場合において、当該書類の虚偽記載等の事実の公表がされたときは、当該虚偽記載等の事実の公表がされた日(以下この項において「公表日」という。)前一年以内に当該有価証券を取得し、当該公表日において引き続き当該有価証券を所有する者は、当該公表日前一月間の当該有価証券の市場価額(市場価額がないときは、処分推定価額。以下この項において同じ。)の平均額から当該公表日後一月間の当該有価証券の市場価額の平均額を控除した額を、当該書類の虚偽記載等により生じた損害の額とすることができる。
(略)

5  前項の場合を除くほか、第二項の場合において、その請求権者が受けた損害の全部又は一部が、当該書類の虚偽記載等によつて生ずべき当該有価証券の値下り以外の事情により生じたことが認められ、かつ、当該事情により生じた損害の性質上その額を証明することが極めて困難であるときは、裁判所は、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づき、賠償の責めに任じない損害の額として相当な額の認定をすることができる。


 
                                                (法律条文終わり)

 法律の条文は大変読みにくいです。

 それで、要するに何のことかと言えば、次のようなことです。

 「株主の損害額が何円か」を考えるに当たって、

続きを読む


いいね!~「ONE PIECE」で人権教育  [時事ニュースから]

「ONE PIECE」で人権教育 生徒の心に大ヒットhttp://www.asahi.com/showbiz/manga/OSK201203050019.html


 人権教育といっても、命の教育、心の教育…といっても、扱う本質は抽象的なので、いかに活き活きとした具体的な題材を選び、料理するか、そして、子どもに馴染みのある題材の中にある、ちゃんとした「視点」を先生が提示出来るか、というところにかかっています。

 そんなわけで、こういう取り組みはいいね!と思います。

 人気アニメが、話題の「つかみ」だけではなく、「本質」の理解にバッチリ結びつけられれば!!


 私も、          

「北斗の拳」で憲法(拳法ではなく)を学ぶ!!

にトライしてみようと思います(冗談のような、半分本気の話です)。

神戸新聞記事になりました (兵庫県弁護士会 秘密保全法に反対する会長声明) [時事ニュースから]

 前回記事「『運命の人』と秘密保全法制」で話題にした、兵庫県弁護士会の会長声明に関する記事が、神戸新聞で報道されました。

 こういう声明を出したときには、通例として、弁護士会から、神戸の司法記者クラブ(裁判所の近くにある)に、「記者レク」として、説明と「是非、記事にしてください」というお話しをしにいくことになっていて、今回は、昨日、先輩弁護士と一緒に私が行って「みんなに知ってもらうために、記事にして下さいね!」とお願いしていたところです。

 早速報道して下さった前川記者、神戸新聞さん、ありがとうございます!!

 最終的に賛成、反対は色々あると思いますが、まずは、こういう問題点があるということを、出来るだけ多くの人に知ってもらうべきだ!と思います。

(↓神戸新聞ニュースより引用)
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004836978.shtml

 兵庫県弁護士会(笹野哲郎会長)は23日、政府が今国会提出に向けて法案化
作業を 進めている秘密保全法について、「取材・報道の自由や市民の知る権利
が侵害される」として、制定に反対する会長声明を発表した。 同法への反対声
明は日弁連が既に発表しているが、関西の弁護士会では初めて。

 声明は「国政の重要情報は本来、国民に帰属すべき」と指摘。「現在でも情報
公開が不十分な状況。立法化されれば時の権力者にとって 都合が悪い情報だけ
秘匿されることになりかねず、民主主義の根幹を揺るがす」と批判した。

 また、規制される「特別秘密」の範囲が曖昧で、民間事業者や大学が持つ情報
にまで 広範囲に及ぶことや、報道機関の取材行為も処罰対象になる可能性があ
ることについても懸念を示した。

(前川茂之)


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