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他者と働く~「わかりあえなさ」から始める組織論(宇田川元一著) [読書するなり!]


他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論 (NewsPicksパブリッシング)

他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論 (NewsPicksパブリッシング)

  • 作者: 宇田川元一
  • 出版社/メーカー: ニューズピックス
  • 発売日: 2019/10/02
  • メディア: Kindle版



 良い本でした。

 いろんな場面で「対話」をすることがとても大切、と私はいつも思っています。
 
 その「対話」とは何か?
 どうすれば「対話」できるのか?

の最も大切な点を丁寧に教えてくれる本です。

 人と人には、

 上司   と 部下
 患者   と 医師
 相談者  と 弁護士
 市民   と 市役所の職員
 先生   と 生徒
 法務部門 と 営業部門

など、色んな関係性がありますが、相手が「分かってない」「何でそんなこと言うのか?」と感じるときにどうする?

 そこに「ナラティブ・アプローチ」という考え方を取り入れていくことが必要と筆者は言います。

 「ナラティブ」とは、誰しもが持っているもの。
 
 「ナラティブ」とは

   物語、つまりその語りを生み出す「解釈の枠組み」のこと

です。

 たとえば、医師と患者の関係性でいえば、

 医師の立場では、

   人命を預かった上で、患者を診断する対象としてのナラティブ で解釈する

 患者の立場では

   医師を、自分自身の身体の問題を正しく治療してくれる「先生」として解釈する

というものです。

 
 そして、よく起こるのが、

   自分側のナラティブに立って相手を見ていると「相手が間違ってみえる」

   相手側のナラティブに立って自分を見ると「(こちらが)間違って見える」

という現象。

 私が弁護士として、依頼者に対して、「感情は感情として、こっちの方が得策ですよ」と言っても、依頼者としては「それじゃ腹の虫が収まらないんだ!」と思っている、という状態もこれに近いわけです。

 「対話」というのは、

 自分のナラティブ と 相手のナラティブ との間に 溝がある

ときに

 その溝を見つけて

 溝に橋を架けていくこと

なのだ、ということです。

 
 一言でいえば「相手への想像力」ということなのですが、そういうときの「想像」の仕方です。

 相手の立場では、どのように感じているか? なども「想像」ですが、その洞察として、
 

 相手は、相手自身のどういう「ナラティブ」物語の中で生きているのか、物を考えているのか


に思いを致すことが有効、ということです。

 
 この「ナラティブ・アプローチ」において、重要なことは、「観察する」ことだと著者は言います。

 「観察する」のだけれども、この本を読んで「ナラティブ・アプローチ」とは何かを知って、そういう考えを頭に置けば、人を「観察する」ことも、解像度がぐっと上がりそうです。

 
 さて、政治の場面などでは、「劇場型」で、「●●を排除する」というような形で、相手のナラティブを敢えて無視するようなものの言い方をする、というのも一つの手法として用いられています。
 しかし、私は、「劇場型」は人々の注目を引く手法だとしても、それだけでは上手くいかず、やっぱり丁寧な「対話」が必要だと思います。
 そのためには、色んな利害関係者それぞれの「ナラティブ」を理解して、それを尊重して、丁寧に「橋を架けていく」ことができてこそ、多くの人の納得いく変革が可能だ、と改めてこの本を読んで感じました。

 この本を読むと、

実社会で 「この人は何でこんなことを言うのか?」 ということや

SNSでも 「この人のこういう投稿はいけ好かないなあ」 ということ

にまつわるストレスも軽減されます。
 この人のナラティブはこういうことなんだな、という理解ができ、「自分には違和感があるけど、悪いわけででも、理解できないわけでもない」という領域が広がり、人に優しくもなれます。

 冒頭にも言いましたが、とても良い本です。

 おすすめです。
 

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「成瀬は天下を取りに行く」宮島未奈さん [読書するなり!]


成瀬は天下を取りにいく 「成瀬」シリーズ

成瀬は天下を取りにいく 「成瀬」シリーズ

  • 作者: 宮島未奈
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2023/03/17
  • メディア: Kindle版



成瀬は信じた道をいく 「成瀬」シリーズ

成瀬は信じた道をいく 「成瀬」シリーズ

  • 作者: 宮島未奈
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2024/01/24
  • メディア: Kindle版



 
 本屋大賞受賞作「成瀬は天下を取りに行く」とその続編。
 一気に読んでしまいました。
 素晴らしい作品に出会いました。

 主人公は「成瀬あかり」 中学生~大学生 の時代が、「成瀬」の周りの友人、親そのほか様々な人の視点で描かれています。

 「成瀬」はかなり個性的であり、
・ 西武大津店の閉店前に、「夏休みを西武に捧げる」
・ M1予選に出る
を皮切りに、「自分がなすべきと思うこと」に真正面から取り組みます。
 周囲は、えっ!?と思うことも、本人としては至って当然のことのように行います。

 なぜか、自主的に「パトロール」を行って、地域の治安維持にも貢献していたりします。

 自分の好奇心からくる行動もあり、また、地域(大津)のためという使命感からくると思われる行動もあり。

 続編のタイトル、まさに「信じた道を行く」のとおりの人物で、読むうちにどんどんファンになっていきます。

 このブログでも、「他人との比較は幸福の毒」ということも書いたことがあります。
 他人との優劣を競うのではなく、「自分軸」で生きることこそが幸福・ウェルビーイングへの道だと思い、自分も他人もできるだけそうなれるようにと思って日々過ごしている私からみて、「成瀬」の在り方は「まさに」です。

 きっと、ここまで「自分軸」で生きられることへの憧れが、この作品がヒットした大きな要因でもあると思います。

 とにかく、爽快ですし、「成瀬」の歩みが気になって仕方なくなりますので、この本はどなたにもおススメです。

 
 また、文章表現の一つ一つが絶妙に面白く、作者の感性が私には「ツボ」である部分がたくさんありました。
 ネタバレにならず、読んだ人にはわかる範囲でいえば、
 「ぐるりんワイドの限界を感じた」
 「祝ってへんのか」
 「『はい、その気になれば、話せます』」
あたりです。

 最高のエンターテインメントであり、また、「好きに信じたままに生きていいんだよ」というメッセージもあり、元気が出る1冊(いや2冊)。

 未だの方は、是非、です。
 

 


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人こそ「宝物」だ~2023紅白

 謹賀新年。

 今年は1月1日に能登で大地震が発生し、明けましておめでとうとも言い難い、年明けになりました。
 被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。
 
 また、東日本大震災のときに私も色々思いましたが、直接の被害に遭っていなくても、心に影響を受ける人が多くいます。
 大変な思いをしている方がおられるのに、普通に暮らしていることに、罪の意識を持つ人もいます。
 でも!
 直接現地に行ってボランティア活動をする等でなくても、世界は繋がっているので、自分のいる場所で普段通りの役割を果たすことは世の中全体の余力を生み、被災された方への支援、復興支援になります。
 そう思って私も毎日を生きていきたい、という心境です。
 
 さて、毎年書いている紅白歌合戦の感想ですが、私の印象に残ったのは、Adoさんでした。

 年末は歌番組が多く、いくつかAdoさんの出演は見ましたが、紅白はまた格別だったように思います。

 MISIAさんはいつも感動させられる(今回もそうだった!)のですが、まだ世代も近く、「馴染みある感じの凄い人」という存在に思っています。

 一方で、Adoさんはまた違う。
 上手なのも間違いないですが、とにかく「超絶」「別次元」という感じがします。
 野球のピッチャーにたとえると、175㎞くらいのストレートと、8種類くらいのキレキレの変化球を投げる、人間離れした存在に思えます。 
 しかし、AIでもなんでもなく、まごうことなく「人間」であって、テレビに映る影や声から感じるものも、「ひとりの人間」ということを強く感じさせられます。
 ここまでパフォーマンスを高めるというのも、並大抵ではなく、また、恐らく、本人も身を削るような思いなのではないか、と思え、「宝物」、とにかく、大切に大切にしたい「宝物」という感じがしました。

 一言で言うと、才あふれる若い人を見る48歳の思い、ということです。
 「私も負けんように頑張ろう」みたいな感想よりも、「とにかくこの才を大切に」また「芸もともかく、この人がとにかく幸せでありますように」という思いを抱きました。

 音楽の世界では、ボーカロイドや、歌唱動画などから世に出ることが可能になったことから、沢山の才能が花開いて、「異次元」の世界、ワクワクする世界が到来しています。
 日本人の持つ「強み」も活きてきて、ワールドワイドに活躍できる時代、喜ばしいことです。

 そのことからすれば、たとえば、政治、経済、社会活動であっても、日本から、アーティストでいえばAdoさんやYOASOBIのような存在が出てきても不思議ではないはず。
 そういう「才」が芽吹く条件は、やはり、「自由」だろうと思います。
 政治もビジネスも「自由」やん、といっても、本当の意味での「自由」、「才」が芽吹き、開花するのが一切妨げられないといえるほどの「自由」が日本にあるかどうか、だと思います。
 この場合の「自由」というのは、自然状態で放っておくということではなく、その実現には、力を持っている者がまだ力を持たない者を押さえつけることなどが起こらなくなるようにするような環境整備も必要なことです(その意味では「公正なルール」が、真の意味での「自由」の前提となります)。

 昨年の紅白は低視聴率で、NHKが掲げたテーマ「ボーダレス」がいまいちだった、という評もありますが、「才」が芽吹く社会という方向性からは、私は、このテーマは間違っていないと思います。

 もちろん自分もしっかり頑張ろう、と思いますが、「我が我が」というだけではなく、自分も、他の人も一番「活きる」あり方を考えていきたい、と思った年末年始でした。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 
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2023年もお世話になりました。 [弁護士業について]

 今日が27日、当事務所の執務もあと2日になりました。

 今年も沢山の方々にお世話になり、貴重な関り、やりがいのある仕事を沢山させていただきました。
 本当に感謝申し上げます。


 神戸むらかみ法律事務所は、2年目となり、当事務所のスタイルも確立されてきつつあります。

 
 この2年でも、仕事の幅は広がりました。

 ビジネスをサポートする法務では、クライアントの業種も様々で、一般的な企業の他、学校や病院、また、産学連携のスタートアップなど、それぞれに大事にする価値や、法的な面、権利の面で気を付けるべき点があり、充実しています。

 個人をサポートする法務では、案件としては、相続、交通事故、離婚、不動産関係など、以前から取り組んできたものと変わりませんが、これも内容が重厚な案件の割合が増えてきました。
 基本的に、自分に縁のある方の案件を中心にしているので、困りごとの大小問わず、出来ることをさせていただいています。
 自分の年齢も上がり、そうすると、日ごろお付き合いさせていただいている方も私に近いか、やや上の年齢の方になります。
 そういう年齢の人に起こりやすい人生のイベントとなると、たとえば、親御さんの相続であったり、やはり、一生の一大事になることが多いですから、やはり、重みを感じる案件の割合が増えるわけです。

 
 こういったリーガルサポート(法的な支援)を、弁護士としては私一人で行っていますから、隅々まで自分が責任を持ってみることができる、というメリットがある反面、「量」としてはもちろん限界があります。

 従って、現在の「神戸むらかみ法律事務所」は、インターネットで積極的に広告をして、沢山の方の案件を受ける、というスタイルは取れません。
 といって、門戸を閉じているわけではなく、私と面識のない方でも、webサイトから問い合わせていただければ、できることはさせていただきますが、ほとんどは、元依頼者、知人からの紹介など縁のある方の案件で、

「自分が責任をもって引き受けられる案件を丁寧に」

をモットーにさせていただいています。

 これから、当事務所も、私以外の弁護士に加入してもらい体制を強化したいという展望はありますが、「急拡大」は考えておらず、「丁寧に」「緩やかに」拡大することに重きを置くつもりです。

 
 弁護士1人といっても、当事務所では、パラリーガル(弁護士秘書)常勤は2名のサポートを私は受けており、とことん、私が「実質的なことだけ」に集中できる状態になっています。
 これは、私個人にとって何よりもありがたいことで、また、依頼者に対するサービスの質を最良にするためにも最も良いことです。
 当事務所の最大の強みの一つです。

 
 弁護士業務以外では、今年は、神戸モーニングロータリークラブの会長を務めています。
https://h-m-d.blog.ss-blog.jp/2023-07-14 (就任時のブログ記事)
 毎週木曜日の朝7時から、比較的若い経営者中心とした奉仕団体の活動です。
 様々な業種の方々のお話を伺ったり、世界の動きに触れることも、大変刺激的です。


 スポーツクラブに週3,4日通っているのと、弁護士会の野球チームの活動、ゴルフも沢山できました。身体を動かすことは本当に気持ちがいい。

 また、この数年私が関心を寄せていることは、

スマホ、ネット社会の中で、人が集中力を失って、生きている喜びを得にくくなっていないか?

そのなかで、生きている実感を取り戻す方法とは?

というテーマです。

 スマホ用の「タイムロックコンテナ」というものを最近購入しました。
 これは、スマホを箱に入れて、例えば「8時間」などのタイマーをかけてロックしてしまう、というものです。
 夜間8時間はスマホとおさらばできる、という代物ですが、これがとても良いです。
 SNSの動きや、他人からのLINEの有無を全く気にすることのない、つまり、スマホ出現以前の静かな夜が戻ってきました。

 今読んでいる本は、「静寂の技法」(ジャスティン・ゾルン著)です。


静寂の技法―最良の人生を導く「静けさ」の力

静寂の技法―最良の人生を導く「静けさ」の力

  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2023/09/06
  • メディア: Kindle版



 現代社会の中で、「静寂」とか「間」というものを大切にすることの重要性が書かれています。
 この本の中で、次のようなガンジーの言葉が紹介されています。
「幸せとは、考えることと言うこととやることが調和しているときを指す」という言葉。
 スマホを一日中見ていると、これらはバラバラになります。「歩きスマホ」など典型です。
 
 いみじくも、私が、新事務所を立ち上げる準備をしていた2022年の正月のブログでこんなことを書いていました。
 
 https://h-m-d.blog.ss-blog.jp/2022-01-07
(引用)
今回の紅白のアーティスト、司会のみなさんの姿をみて、改めて、「心」「体」「言葉」が一致する状態こそが人のベストパフォーマンスを産む、また幸せな状態である、と感じています。
 自分自身がこの一致状態にあり、また、自分だけでなく多くの人がそんな良い状態でおられる世の中を作る、そんな場を作ることを今年はテーマに励んでいきたいと思います。
                                 (引用終わり)


 自分も色んな経験を経て、

「心」「体」「言葉」が一致する

ということの大切さを感じるに至り、そのことが、今の自分の在り方、事務所の在り方に繋がっています。
 今日まで知らなかったのですが、上のガンジーの言葉も同じ意味だと理解しています。


 ここで「言葉」に関して。
 10月から新たなチャレンジをしています。
 kaeka というスピーチトレーニングのオンライン講習(半年コース)を受講中です。
https://kaeka.jp/

 元・浜学園(学習塾)講師であり、学生・生徒の時代から「口から生まれてきた」(実際逆子だったので、それに近い)と言われてきた私なので、「しゃべり」は得意分野と思ってきました。
 
 が、私でも、やはり人生経験を重ねるにつれ、自分のしゃべりが「まどろっこしい」と感じるときが出現してきました。
 また、自分のしゃべりは「自己流」であるし、「勢いで誤魔化す」癖や、「強弱」の「弱」の表現が乏しいということも、一度ちゃんとしたトレーニングを受けたら変わるのでは?と思ったきっかけです。
 さらに、「えーっと」「まあ」「あのー」とか、「~がですね、~ですね」といった、意味のない発語(フィラーといいます)などを減らすこと訓練したかったのです。

 そんなわけで、月2回3時間のクラストレーニング、月2回1時間のパーソナルトレーニングを受けているのですが、これが新鮮で、「言葉」の研ぎ澄まし方が分かります。
話す時の「間」の取り方など、今まで意識したことのなかったことにもトライしています(まだ試行錯誤もしているので、かえってぎこちなくなっているときもありますが、ご容赦ください)。
 「心」と「身体」と一体になった「言葉」にしていく、そういう心構えのようなものができてくると、「言いたいこと」が明確になります。
 こういうトレーニングを通しても、自分の中で色んなものが繋がってきて、本当にいい一年だったなあ、と思っています。

 来年も、こうした自分を充実させることと、それを社会に出会う人の役に立てることを実現していきたいと思っています。

 とにかく、今このような心境でおれることについて、家族、事務所の皆さん、依頼者の方々、友達、知人、弁護士仲間、ロータリークラブほか各種団体でご一緒させていただいている皆さんのお陰に他ならず、ただただ感謝です。

 今後ともどうぞよろしくお願いします。
  
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予言書!? ジェフ・ホーキンスら「考える脳 考えるコンピューター」2005年 [読書するなり!]


考える脳 考えるコンピューター〔新版〕 (ハヤカワ文庫NF)

考える脳 考えるコンピューター〔新版〕 (ハヤカワ文庫NF)

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2023/07/22
  • メディア: Kindle版




 著者のジェフ・ホーキンス氏は神経科学とAIの研究を行う会社の共同創業者です。
 2022年に出された「脳は世界をどう見ているのか」という本も、眠れないくらいに面白い本です。

 さて、この本はまたすごい。
 2005年に出された本ですが、今日まで約20年の人工知能の発展をそのときに予言したかのような内容です。

 そのとき「まだなかった」ChatGPTの技術や画像認識などについて、これこれこういう仕組みで処理できるようになる「はず」ということが書かれています。

 人間の情報処理を司る大脳新皮質の働きについて、「知能の本質は予測である」という観点から、詳しく述べられています。
 
 これを読むと、人間の脳が行っている情報処理は、自分の持っている世界のモデルのなかで、また、自分の経験に照らして、絶えず、「次に何が起こるか」を「予測」し、「予測」と「現実」のずれを調整し続けるというものです。
 五感(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚)を通して得られる情報をもとに、そこから「パターン」を読み取って「予測」を行う、という、説明を読むと、改めて「人間の脳ってすごいなあ」と思います。

 なので、人間の脳が行っている情報処理を、コンピューターで代替するのは簡単なことではなく、また、できたとしてもとんでもないエネルギーを使うことだ、という感想になります。

 が、しかし、ホーキンス氏は、それでも人工知能技術の発展は「自分の予想も裏切る」めざましさがあるので、いずれ、人間の脳が行っていることのかなりの部分がAIによっても実現されるだろう、と予測しています。

 なので、やはり、「AI侮るなかれ」なのです。
 
 最近は「AIに仕事を奪われる?」ということが話題になりますが、その場合、「では『AIに奪われる』仕事とは何だろう?」を考えることになります。
 この文脈においても、この本を読むことは大いに参考になります。

 この本の解説は、「あの」東京大学大学院教授 松尾豊氏 です。
 
 松尾氏は「この本は私の人工知能研究者としてのキャリアとともにある本である」と書かれています。
 そして、解説の末尾でこのように述べています。
 「端的に言えば、新皮質は予測のための器官であり、AIによって実現し得る。」
 「一方で、本能や感情を司る旧脳、身体やさまざまな感覚は人間に特有のもので、コンピュータで実現することは不可能か、あるいは無意味だ。」

 
 この解説部分もとてもインパクトがありました。
 日本を代表する人工知能研究者の松尾氏は、人間存在を不要とするロボットを作ろうとしているのでは決してなく、むしろ、そんなことは「不可能か、あるいは無意味だ」と言い切っているのです。

 最先端の研究をする学者のモチベーションが、ただただ技術を高めて「人間存在を不要とする」ことを目指すことにあるのではなく、あくまで、「人間がより活きる」ためのツールの開発の研究にあることが分かります。

 
 先日、記号接地問題、今井むつみ氏ら著「言語の本質」について書いた感想と同じで、やはり、「人間に特有」のものの味わいを深くすることがますます重要だということになります。

 「AIに奪われる」部分は、「近現代に、人間が機械のようになろうと(涙ぐましい努力をして?)こなしていた」部分でしょう。
 とすれば、人間が、機械のようになることを余儀なくされるのではなく、より人間らしくある、そのためのツールとしてのAI技術の進化を喜ぶべし、と考えます。

 
 


 
 
  


 


 


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「接地」の重要性(3完)~AI時代に、人間がより人間らしく  [読書するなり!]

 夏の読書感想文を兼ねた、

「接地」の重要性(1)~AIでない人間の学習について
「接地」の重要性(2)~「強い接地」の必要性

の続きです。



8 「接地」の喜び、充実

 AIの課題として、「記号接地『問題』」といわれるけれども、人間にとってこれは「問題」というより、人間としての存在意義のようなものを示していると思う。

 「記号」である言葉が表す「意味」を、認識し、味わうことができるのは人間だけだ。

 もちろん、AIも視覚や聴覚を持つロボット、空間の3Dモデルを実装すれば、地球上に存在する物の形などと言葉を結び付けていくことができる。
 しかし、それは人間が、言葉の指す物を味わっているのと同じにはならない。

 散りゆく花びらに「もののあはれ」を感じる、これをAIが本当の意味で「接地」することは考えにくい。

 もしあるとすれば、AI自身が、自分自身の存在が時間的に限られたものである、すなわちいつか滅ぶものであることを感じ、そのことに痛みを覚えている、というSF的世界になっている(カズオ・イシグロ「クララとお日さま」では、そのような感情を持つアンドロイドが登場する)。
 そのようなAIを作ること自体が絶対不可能ではないにしても、生物である人間が機械でできたAIにそのような性質を付与する動機は自然には考えられない。
 人間にAIが融合するとき、感情についても働きを補うため、ということを考えても、それはもはや、人間の主体性がどこに残っているのか怪しい。このあたりは、AI開発と倫理の問題になってくる。
 
 また、少し話が逸れたが、つまり、こういうことだ。
 今、ChatGPTが持っていない「記号接地」という部分こそが、人の生きる上での実感であり、知的活動の喜び、醍醐味である。
 
 そもそも、言葉や数字、音符などの「記号」を生み出し、概念を他者と共有しようとした、この営みが、人間の知的活動の中でも重要な部分である。
 
 そして、他人がその「記号」の本当に意味するところを知り(すなわち「接地」し)、「記号」を活用することと、自分の実感をあわせて行い、生きていることを感じる、これができるのが人間である。

 このことは社会的動物である人間の幸福にとって、極めて重要な要素であることは疑いないと思う。 


9 AIとの共生の中で、人間が求めていきたい「強い接地」

 今までは、「多数の論文を読み、テーマに沿って、適切にまとめること」などそれ自体が、知的職業の重要な位置を占めていた。
 しかし、そのような情報の集約、要約などで対応できる部分は、最後の責任は人間がとるとしても、少なくとも膨大な時間がかかる「下準備」をAIがしてくれるようになる。
 実際、言葉を扱うというだけ、すなわち、文章としてのアウトプットを人が見ても問題ないレベルに行うだけであれば、「記号接地」していないAIが、あたかも「記号接地」しているのと同じように遂行するということはどんどん精度を増してゆくだろう。

 そうすると、人間の領域として残っていくことは「記号接地」そのものになる。
 
 たとえば、「火の効能と危険性」について問えば、ChatGPTは瞬時に正解をアウトプットする。
 このとき人間がAI(ChatGPT)を協同しようとするならば、AIのできないことを人間が担当することになる。
 それが「記号接地」だ。
 
 そのとき、「火」というものを何となく知っているだけでは「弱い接地」に過ぎない。
 それにとどまらず、たとえば、電気もない真っ暗闇の中で松明だけをたよりに歩を進める体験をする、冬の厳しい寒さの中でたき火の熱を感じる、このような人間の原始的に近い経験を取り戻すことによって、AIにはない人間の領域(「接地」)を強化できる。
 
 もっといえば、「火」を自分で起こし、保存し、扱えるようにすること自体が、動物の行うこととして奇跡的なことであることの実感があればさらに「強い接地」になる。
 
 これからAI時代の子どもの学びの中で、「いかにAIを活用するか」の学習が必要といわれるが、AI活用そのものの技術習得は2次的なものであって、あくまで、人間として言葉や数字などの「記号」を本来の意味と「接地」させて身に着けていくこと自体をもっと重視し、「根っこ」からの知性を強化する方向性にあるべき、と思う。
 
 先ほど、「火」の例を出した。
 誤解してほしくないのは、言葉を操ることをAIに任せて、人間の子どもは原始時代のような体験ばかりすればよい、と言っているわけではない。
 人間として原始的ともいうべき「体験」を追求しつつも、やはり、それを実際に使う「言葉」と結び付けて、「強い接地」のある「言葉」を用いて、豊かな文化的活動ができることを目指したい。
 
 AIに淘汰「される」人「されない」人という、勝ち組・負け組みたいな表現を私は好きではないが、AI時代において人がより意味のある活動ができるための力は、その人の用いる「言葉」一つ一つが持つ意味について「強い接地」を持ち合わせていることだと思う。


10 これから「来る」もの

 今回の記事の締めである。
 これから「来る」、つまり、人が価値を感じる、サービスとしても成り立つ、人間が向かっていく先は、「言葉」の表される「意味」の体験そのものだ。
 あるいは、もう「来つつある」。

 日常生活を送る私たちは、そのままにしていたら、主にスマホ上に流れている大量の言葉や動画による情報の中で漂うだけになってしまう。

 言葉、情報の中で漂い、たとえ、それを最善、最速で処理できたとして、AIに及ばない。虚しい。
 だから、スマホ上で目にする一つの「言葉」、一枚の「写真」について、深く体験すること、その表す意味を本当の意味で知ること、「接地」することを、人々は強く強く求めるはずである。
 そんな暇はない、といっても、本当は心の底で求めるはずである。

 「AIのような仕事」はAIに任せればよい。

 記号接地問題の解決への研究は研究者に委ねてよいが、人間にとっては別に「問題」ではない。

 人間が生きていることを実感できる「記号接地」を深める、体験を深める、また、他者への共感を深める、こういう人本来の活動を取り戻す。

 近代、現代となり、人間が、生活のうち長い時間を機械のような活動に費やさざるを得なくなっていたのだとすれば、その部分をAIに任せればよい。
 
 そして、人間は、人間本来の体験、人間しか味わえない知的活動の喜びを感じられるようにしていくのがよい。
 AIの進化により、人間がより人間本来の在り方にあれるように進んで行ければ、人間の幸福のためのテクノロジーになるだろう。

 私がこのような記事を書こうと思ったのは、やはり、ChatGPTの「脅威」を感じたからだ。
 「間違いだらけだから取るに足りない」などとは全く思わない。
 色んなことが変容する脅威を感じたから、では、人間が人間たる所以とは?ということに改めて関心が強くなった。

 今回、取り上げた「言語の本質」(今井ら著)は、「人間が言語を用いること」「AIが言語を用いること」を深く考える入口として、私にとっては、今年出会った本の中で一番印象に乗った。
 読者の皆さんにも同じ興味があれば、同書を読まれることを是非お勧めしたい。

 そして、現時点での私の考えでは、AIが進化する中で、人間だけに与えられた特権(記号接地、ものごとを味わうこと)をもっと大切にする、遠慮なく享受することによって、人間が「知性」に対する誇りを失うことはないし、人間の幸福度は向上する、と思っている。

                                         完
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「接地」の重要性(2)~「強い接地」の必要性 [読書するなり!]

 夏の読書感想文を兼ねた前回記事

 「接地」の重要性(1)~AIでない人間の学習について

の続きです。
 

5 「接地」の強さが鍵

 小学校、中学校、高校、大学と通い、コースや学部が同じならば誰でもほぼ同じカリキュラムを履修することになる。
 だが、履修する科目、使った教材は同じでも、学習成果は人によって全然違う。
 目に見えるところでいえば、試験の成績に差が出るということでもあるが、学んだ事柄について応用が効く形で身についているか?ということに差が出てくる。

 この差を生むのは、「接地」の「強さ」である。

 高校で数学の勉強をするとき、たとえば、三角関数の分野を勉強するとして、色々なバリエーションの練習問題を行う。
 沢山の練習問題を行う本来の目的は、問題のバリエーションを全て覚えることではない。
 基本原理の理解の仕方、どのように活用するのか、ということについて、「身体で覚える」ための練習をしているのである。そして、見たことのない未知の問題に対しても、基本原理を応用して取り組めるようにトレーニングをしているのである。
 すなわち、ここでは「強い接地」を得る目的で、問題演習を行っているのである。
 
 勉強するときに、この目的 - 「強い接地」を得ること - を常に意識していることが何より大切である。
 つまり、「問題集を今日中に何ページまで終わらせる」こと、とか、「宿題を提出して先生に怒られない」ことなどを「目的」と思っては学習効果はあがらない。
 問題をこなすスピードも人それぞれでよいから、とにかく、集中して、勉強するべきことがらについて「強い接地」を得ることを意識することが大切だ。
 
 難しい数学の問題を解ける人というのは、「沢山の問題や解き方を知っている」のではなく、どの教科書にでも載っている基本原理について「強い接地」を得て、応用が効く状態になっている人である。
 
 数学が一番分かりやすいので例に挙げたが、基本的にどの科目も同じことである。
 
 「強い接地」、いいかえると「腹に落ちる」感覚がなく、表面的に「覚えるだけ」という暗記で対応しようとすると、覚えることが多すぎてとても対応しきれない。
 「強い接地」を増やすことで「表面的な暗記」(言い換えると、最も「弱い接地」)の必要を減らすことができれば、「勉強」では最も成果があがる。

 そして、何より「強い接地」をしながらする勉強は楽しい。
 何も、数学、英語だけではない。
 誰でも、「強い接地」ができる分野があるのではないか。
 音楽やスポーツであったり、または、趣味であったり。
 ポケモンのモンスターの種類、属性、得意技について、単に「暗記」しているだけでなく、十分に味わった上でばっちり頭に入っている状態があるのなら、それは「強い接地」をしている。


6 人間は良くも悪くも「接地」がなければ前に進めない

 ChatGPTに話を戻すと、ChatGPTは記号接地していなくても、どこまでも、ある言葉の次に続く可能性が高い言葉をデータから選んで文章を作っていくことができる。
 そして、言葉が意味するものを理解していなくても、ほぼ正解と言ってよい回答を作ることができる。本物の「わらびもち」を知らずして、正しい「わらびもち」の説明ができる。

 ChatGPTは記号接地していない状態で、無限に進んで行けるという、人間には決して真似できない特徴を持っている。記号接地問題はChatGPT、AIの今のところの限界としてとらえることもできるが、むしろ記号接地せずとも「どこまでも進める」ことが強さでもある。
 
 対して、人間は、記号接地しなければほとんど前に進めない。
 すなわち、「意味を理解していない言葉」を続けて文章を作れ、と言われたとき、1文、2文を頑張って書いたとしても、とても書き続ける気力を維持できるものではなく、普通は400字も書けずに挫折するだろう。
 実際の「わらびもち」を食べたことも見たこともない人が、「わらびもち」の説明を400字書くのは、よほど珍しい環境(「わらびもち」を入手できないが、「わらびもち」に対する強いあこがれだけがある状態)にでもない限りありえない。
 
 これは、「学び」でも一緒である。
 先ほどの分数の例を出すとこうだ。
 小学校時代に分数を学んだ。一応分からないわけではないが、「接地」が弱かった。要するに、あまり「腹落ち」していないが、分数という記号を扱うことは辛うじてできる状態だった。
 中学生になって、分数だけでなく、小数だけでなく、負の数も出てきて、方程式、不等式など扱うものが増えた。
 そうすると、もともと「接地」が弱かった分数の概念について、他に考えないといけないことが増えたせいで、ますます理解があやふやになり、正確に使えなくなった。
 そうなってくると、まだまだ新しい概念、平方根(ルート)や虚数などがでてきても、「強い接地」どころか、「接地」を得る余裕はない。すなわち、数学を学ぶ気力が失せてしまう。
 
 少し、脱線するが、ピアノなど楽器を習っている子は「分数」の概念について、「強い接地」を得るチャンスに恵まれている。
 基本的に、楽譜の1小節は4分の1、8分の1、16分の1に分割される(もちろん、これに限らない。いわゆる「3拍子」は3分の1に分割されるし、5分、7分されるものもある)。
 楽器演奏は、1小節という共通時間を、異なるプレーヤーによって共有する必要があるので、「その中で何拍」という「分数」の考え方を採用する必要がある。
 手足を動かして楽器を演奏し、自分や他人が奏でる音を耳で確認しながら、「分数」の考え方で分けられた時間のどこに自分がいるのかを常に意識することになる。
 音符を読むときも、常に、「4分音符が3つあれば、あと4分音符が一つ分」という意識を持ちながら読むことになる。
 目、耳、手足とを一緒に動かしながら、「分数」を感じ取るトレーニングをしていると言い換えることもできる。
 もっとも、目的は「分数」の習得ではなく、「音楽を奏でる」というより楽しいことであることがさらに良い。
 ということで、「東大生のやっていた習い事」などという記事があると、大抵「英語」よりも「ピアノ」の方が上に来るのは、全く不思議のないことだ。子どもにとって「強い接地」をしながら、分数のことも音にまつわる色々、記号の解釈、処理そのほかを学べる習い事だからだ。
 
 さて、話を戻そう。
 算数、数学が、学年が進むにつれ、わけがわからなくなり、全く面白くなくなるのは、「強い接地」が得られなくなり、「弱い接地」さえできなくなり、「記号」の表面をなぞることが精いっぱいになったときである。
 なので、挫折気味になったら、学年のことを気にせず、自分にとって「強い接地」が得られるところまで一旦戻るしかない。これが心情的になかなかできないことであるが、しかし、もしそこまで一旦戻って「強い接地」で学ぶ感覚を取り戻せば、結局はその先にも速く進んで行けるようになる。


7 「接地」という比喩は優れている

 「接地」、「強い接地」という言葉を使ってきたが、この比喩表現は本当に優れている。
 それこそ、私の頭の中では、「強い接地」が得られる表現に感じる。
 
 スポーツで一流の選手がプレーする様子を想像してみよう。
 野球の大谷翔平選手、テニスの大坂なおみ選手、卓球の伊藤美誠選手 … 
 例を挙げればきりがないが、皆、文字通り、「強い接地」をしながらプレーしている。
 
 野球、テニスも卓球も全て球技であり、直接には、「手」で球を投げるか、「手」で持つ「道具」を使って球を打つ。
 なのに、大谷選手たちのプレーの姿、全身の姿を想像すると、しっかりと地面を踏みしめている姿が目に浮かぶ。
 
 その種目に詳しくなくても、私たちは、「強い接地」をしながらプレーするアスリートの姿を想像できる。

 これと比較すると、例えば、ほのぼのした草野球の光景では、プレイヤーの下半身が地面を捉える度合いは大谷選手とは比べようもなく弱い。
 そこに立ってはいるが、強い「接地」をしているわけではない。
 むしろ、この頼りなさが、素人の野球の「ほのぼの」した感じを醸し出しているともいえる。
 この様子も、野球の素人でも簡単に想像できる。
 
 「記号接地問題」というのは、AIについて語られるとき「接地」しているか否かの問題として語られるのが普通であるが、人間については「接地」の有無だけではなく、「程度(強弱)」あるいは「内容」が重要になってくる。
 そして、「強い接地」が得られることが、人間にとって知的な喜びにとって重要な要素だと思う。
 

つづき
 「接地」の重要性(3)~AI時代に、人間がより人間らしく 
 

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「接地」の重要性(1)~AIでない人間の学習について [読書するなり!]

 このブログでは毎年ではありませんが、「夏の読書感想文」というのが恒例になっています。

 今や、ChatGPTが「読書感想文」を書いてくれる、それをそのまま学校に出したら?という時代。

 今年はまさに、それがテーマ。

 AIと、人間が使う言語とを掘り下げた本。


言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか (中公新書)

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  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2023/05/24
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 この読書感想文という意味と、私が、ChatGPTなど生成AIの発達のなかで、人間の知的活動について考えたことを書いてみたいと思います。

1 はじめに

 今、ChatGPTが注目されている。
 私も、試しにChatGPTを使ってみて驚いた。
 「弁護士事務所のBCP(事業継続計画)について必要なことを教えてください」と打ち込めば、数秒で、4項目にわたって、災害や疫病による非常事態に備えてリモートワークの体制を作っておくことその他の対策が整理した文章で回答されてきた。
 このようにChatGPTに、様々な質問を投げかけると、「まず間違いではない」と思われる回答が、一瞬で返ってくる。
 そして、ChatGPTなどAI自体もまだまだ発展の入口に居る状態だから、今後バージョンアップすれば、回答の精度もどんどん上がっていく。

 そんな現在、未来に、「知能を使う動物」である人間は、どうやって生きていけばよいのか。
 教育現場でも、ChatGPTをどう活用するか、は世界中で議論の対象になっており、文科省も先日「小中学校向け生成AIガイドライン」を公開した。
 子どもたちの学びにおいて、ChatGPTなどの生成AIを用いれば一瞬で課題が終わってしまう。それを禁止するのか、または、そもそもそのような課題に子どもが取り組む意味がないと考えるのか、計算機と同じで一定条件で「使用可」とするのが正解か?
 多くの人が、もやもやを抱えながら迷っているのが現状であると思う。

2 私の直感したこととこの本「言語の本質」

 一方で、私は、ChatGPTを試しに使ってみたとき、次のようなことを感じた。
 現時点では、ChatGPTは、アイデア出しや要約などには活用できるが、責任を伴う事柄について正確性を期さなければならない部分などにおいては、まだまだ使い物にはならない。
 法律の分野では、ありもしない裁判例をさも存在するかのように回答するなどの報道がなされている。
「ハルシネーション」(幻覚)と呼ばれる現象だ。
 確かに、ChatGPTに質問をしたとき、種類によっては「明らかに間違っている回答」が断定的になされることがある。
 私は「ピタゴラスの定理の証明」をChatGPT(このときはGPT-3.5)に問うたが、全く証明になっていない、意味不明の回答が返ってきた。
証明になっていないことを指摘しても、それに対してChatGPTから返ってくる答えも答えになっていなかった。

 もちろん、正確性の部分でも、生成AIの精度は上がっていく。
 たとえば、「数学の証明」が何たるかのルールを学習させた生成AIを作れば、この「ピタゴラスの定理」などはちゃんと回答できるようになるだろう。
 
 しかし、それでも、全く間違いがないと言い切ることはできない。
A Iが出した回答が正しいとして採用する責任そのものは、ほとんどの場合人間が負わなければならない(これは、それを用いる場面における「契約」の問題である。AIの回答をそのまま採用することで当事者がよしとするならそれはOKである。とはいえ、当面、生命身体や重要な財産に関わる問題について、「人間が正誤の点について責任を負わない」ことに同意する人は少数と思われる)。 
 
 そうしたとき、AIに何らかの作業をさせるとして、作業を「させる」という主体は人間であるから、最終的には、人間自身が「厳密さ」を実現できる知能を実現できる範囲、言い換えれば、人間がAIの成果物を正しく評価できる範囲でしか、AIを活用できないのではないか。
 
 逆に、本当の意味で、AIが人知を超えて動く場合には、もう人間は「主体」でなくなっている。この場合、その事柄にかかわる人間の運命は(極端の場合、生死さえ)人間のコントロール下にはなくAIに委ねられるのであるから、その「諦め」が必要となる。
 
 さて、これからの時代に、AIを利用する、あるいはAIとともに活動する人間は、どのように学びを進めて行くべきだろうか。
 私は、これからの時代こそ、鉛筆で紙に文字や数字や図を書きながら、そんな身体の実感を伴いながら頭を動かす学びこそが重要になると直感した
 AI時代であるからパソコン、タブレットを利用する機会が増えるだろう、だから、敢えてそこにない要素である「身体性」が重要、というような感覚で。

 そういう直感をした後に、「言語の本質」(今井むつみら著 中公新書)を読んだ。
 この本を読み、またAIや人間の頭脳に関する本や記事を読み、考えるなかで、これは「接地」の問題なのだと思った。


3 記号接地問題
 AI(人工知能)の限界といわれる課題として、「記号接地問題」がある。
 たとえば、私たち人間が「わらびもち」という言葉を聞けば、透明のゼリー状のかたまりであり、崩れてしまいそうで崩れないくっつき具合、箸や爪楊枝でこれを扱おうとするときに少し器用さの必要な感じや、口に入れたときのとろんとした感触、甘さがあるが清涼感のある味わいなどをたちまち想起する。
 このように人間であれば、「わらびもち」という単語が身体感覚とつながって理解される、このことを「記号」である言葉が身体感覚や経験を伴う意味と「接地」しているという。
 そして、人間ではないAIでは「記号接地」ができないという「問題」があるとされる。
 ChatGPTは、実物の「わらびもち」を知らぬままに、「わらびもち」という言葉を扱っているし、「わらびもち」の説明もほかの言葉を用いて行う(そして、その説明はおそらく正しい。けれども、やはり、ChatGPTは「わらびもち」本体を知らない。「記号接地」していない。)


4 「接地」をしながら進んで行けるかどうか

 AIではない人間の「学び」の鍵は、そのプロセス、プロセスにおける「接地」である。

 前掲書「言語の本質」では、1/2 + 1/3に最も近い整数を0、1、2、5のうちから選べという問いに対して、中学生の正解率が38.5%だったという調査結果が紹介されている。

 日本の子どもの学力低下、がテーマではない。
 小学校で分数の単元を履修していて、中学校に行ってからも当然分数を扱っていても、分数の意味の「接地」ができていない子どもの割合は意外と大きいということである。
 「分数」のように小学校で履修する概念が「接地」できていない場合には、当然、中学校、高校に行って、より複雑な演算や方程式の方法を習っても、十分に使いこなすことは難しくなる。

 算数、数学の学びにとってまず重要なことは、例えば私立中学校の入試問題にあるような難問を解けるようになることではなくて、「分数」の意味などの基礎概念を、ちゃんと「接地」しながら学びを進めて行くことである。
 私は、算数、数学に苦手意識を持たない子は、学校のカリキュラムより「1学年だけ」先取りで勉強を進めていくくらいがちょうどよいと思っている。よほど得意な子はそれ以上先取りするのも悪くはないが、「1学年だけ」先というのがより多くの子どもにとって無理なく、確実な「接地」を得ながら学びやすいという気がする。 
 もちろん先取りしなくてもよい。その学年の勉強を確実に「接地」しながら進んでいけば本来十分である。

 AIも学習する。しかし、人間のように、「記号」である言葉の真の意味と「接地」しなければならないわけではない。
 これに対して、人間の学習は、学ぶ概念を本当の意味に「接地」しなければ前に進んで行けない。


つづき
 「接地」の重要性(2)~「強い接地」の必要性
 

 
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神戸モーニングロータリークラブ会長に就任しました [その他]

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 この7月から、神戸モーニングロータリークラブ 2023-2024年度 会長になりました。
 
 ロータリークラブは奉仕団体ですが、我がクラブは特色があり、

木曜日朝 仕事前の時間に開催

会費は月1万円未満

という時間的にも経済的にも低負担のクラブで、


 メンバーは

20代から70代まで

経営者、会社員、フリーランス、アーティストなどなど 幅広い。


 そして、

無理せず自然体 サステナブル

かつ 

明るく 前向き 積極的

な雰囲気で、楽しく活動しています。

 個人主義傾向の強い私でも、大変居心地よく所属しておられるクラブで、こんなロータリークラブってあるの?と入会して7年、いまだに思います。

 
 弁護士業務そのものが時間がかるのに、奉仕団体の活動なんてできるの? と思われるかもしれません。

 そこが、このモーニングロータリークラブなら、朝7時~8時という時間なので、ありがたいというところです。

 また、弁護士業務で日ごろ行っていること、トラブルの解決や、契約書のチェックなどと違った活動をするということは、気分転換にもなり、精神衛生上もとてもよいことです。

 幅広い職種の方や、それぞれの考え方に触れることも、エネルギーチャージになります。


 今年はせっかく会長に就任したので、弁護士業務とはまた違った形で、社会貢献ができるように励んでみたいと考えています。
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関西福祉科学大学で講義しました [だから,今日より明日(教育)]


神戸むらかみ事務所コラム 「大学講義 ~事故被害者の生活再建(リカバリー)支援について~」

https://kobem-law.com/news/488/


 以前から、私は、交通事故などによる高次脳機能障害、頸髄損傷案件について、医療職など他の専門家と協同して、訴訟などに取り組んでいます。
 その話を大学で講義でしてきました。
 学生さん、熱心に聞いて下さり、頼もしい感想もいただきました。
 依頼者(患者さん)の助けになるように、異業種が連携して、キーマンである裁判官に届く『説得の表現』をどう創っていくか、そうすることが必要であることをお伝えしました。
 喧嘩より対話、説得の技法を工夫することが大切。
 相手の立場への想像が鍵です、と。
 これは、日々、私自身が自分に言い聞かせていることです(カッとならんように、とも)。

 上のコラムにて、もう少し詳しくご紹介していますので、興味ある方はご一読いただければ幸いです。

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