SSブログ

「不寛容論」~アメリカが生んだ「共存」の哲学 新潮新書・森本あんり氏 [読書するなり!]


不寛容論―アメリカが生んだ「共存」の哲学―(新潮選書)

不寛容論―アメリカが生んだ「共存」の哲学―(新潮選書)

  • 作者: 森本あんり
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/12/16
  • メディア: Kindle版



 私は、リアルでも、ネット上でも「攻撃的な言葉」を見たくない気持ちが強い。
 価値観は人それぞれだし、違う考えの人を人格攻撃するかのように攻撃するようなことは決してしてはならないと思う。
 価値の多様性こそ、民主主義の前提である。
 大抵のことは「攻撃せず」「怒らず」に、「見解の相違ですね」と紳士的に対応したい。
 とはいえ、私でも、「これは許せん!」という風に思うこともあるし、また、もう一つ難しい問題が、「『価値観の多様性』を認めない考え方に対してはどうするか?」。
 それも、考え方の違いとして、相手の立場を尊重できるか?
 
 「寛容」ということについても、色々パラドックスがある。

 たとえば、他人の不寛容を非難して、『寛容になれ』という。
 しかし、これは、寛容を強制する、という不寛容になる。

などなど、考えれば考えるほど「寛容」は深いテーマ。
 ということで、読んでみました。以下、読後の感想。

 『寛容』というのが、漢字の雰囲気のように、大らかで気持ちいい、というものでは、実際にはなかった、という新大陸開拓時代の話でした。
 ロジャー・ウィリアムズという、あらゆる宗教への寛容、先住民との共存を唱え実践した人の話が中心。
 しかし、先住民の宗教、キリスト教の中でも他の宗派も否定せず、その在り方に介入しないというのは、すごく進歩的な在り方だ。
 ところが実際それは全然心地よいものではなく、ウィリアムズ自身にとっても「ブチ切れ案件」が続出するし、市民社会秩序とぶつかり合いまくることになった。

 やっぱ、人間相手なので、ムツゴロウさんみたいにあらゆる生き物と笑い合える感じには到底ならない。

 こういう歴史も踏まえて、この本が分析するには、『寛容』とは、みんな違ってみんないい、みたいな単にいい感じのものでなくて、『最低限の礼節』がそのエッセンスである、と。

 不愉快な隣人の行う不愉快な儀式があったとして、それを決して邪魔しない、その点において尊重する。
 そういう忍耐を伴う『最低限の礼節』だという。

 さて、現代において。
 多様性、ダイバーシティの尊重は、本当の意味では『きれいごと』ではない。やっぱり、忍耐、不愉快との戦い、自分との戦い、自分がバージョンアップできるかの修行だ。

 私も、正直言って、感性が9割くらいあう人とだけ時間を過ごす方が心地よいし、それで一生終わって何が悪いか、とも思う。

 が、社会で生きるのは、現実、そうもいかない。
 不愉快な隣人を排除し続けるのにも色々支障が生じる。
 例えば、ビジネスなどは、どうしても嫌な人とだって付き合う必要があるのが常だ。

 もともと人は『不寛容』なもので、『最低限の礼節』という意味での『寛容』は、色んな考え、立場の人がいる社会で『生きやすく』あるためのスキル、と理解しよう。

 以上のようなことが実感とともに学べる本で、「社会で生きる」あらゆる人におすすめできる本です。
nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。