SSブログ

「接地」の重要性(3完)~AI時代に、人間がより人間らしく  [読書するなり!]

 夏の読書感想文を兼ねた、

「接地」の重要性(1)~AIでない人間の学習について
「接地」の重要性(2)~「強い接地」の必要性

の続きです。



8 「接地」の喜び、充実

 AIの課題として、「記号接地『問題』」といわれるけれども、人間にとってこれは「問題」というより、人間としての存在意義のようなものを示していると思う。

 「記号」である言葉が表す「意味」を、認識し、味わうことができるのは人間だけだ。

 もちろん、AIも視覚や聴覚を持つロボット、空間の3Dモデルを実装すれば、地球上に存在する物の形などと言葉を結び付けていくことができる。
 しかし、それは人間が、言葉の指す物を味わっているのと同じにはならない。

 散りゆく花びらに「もののあはれ」を感じる、これをAIが本当の意味で「接地」することは考えにくい。

 もしあるとすれば、AI自身が、自分自身の存在が時間的に限られたものである、すなわちいつか滅ぶものであることを感じ、そのことに痛みを覚えている、というSF的世界になっている(カズオ・イシグロ「クララとお日さま」では、そのような感情を持つアンドロイドが登場する)。
 そのようなAIを作ること自体が絶対不可能ではないにしても、生物である人間が機械でできたAIにそのような性質を付与する動機は自然には考えられない。
 人間にAIが融合するとき、感情についても働きを補うため、ということを考えても、それはもはや、人間の主体性がどこに残っているのか怪しい。このあたりは、AI開発と倫理の問題になってくる。
 
 また、少し話が逸れたが、つまり、こういうことだ。
 今、ChatGPTが持っていない「記号接地」という部分こそが、人の生きる上での実感であり、知的活動の喜び、醍醐味である。
 
 そもそも、言葉や数字、音符などの「記号」を生み出し、概念を他者と共有しようとした、この営みが、人間の知的活動の中でも重要な部分である。
 
 そして、他人がその「記号」の本当に意味するところを知り(すなわち「接地」し)、「記号」を活用することと、自分の実感をあわせて行い、生きていることを感じる、これができるのが人間である。

 このことは社会的動物である人間の幸福にとって、極めて重要な要素であることは疑いないと思う。 


9 AIとの共生の中で、人間が求めていきたい「強い接地」

 今までは、「多数の論文を読み、テーマに沿って、適切にまとめること」などそれ自体が、知的職業の重要な位置を占めていた。
 しかし、そのような情報の集約、要約などで対応できる部分は、最後の責任は人間がとるとしても、少なくとも膨大な時間がかかる「下準備」をAIがしてくれるようになる。
 実際、言葉を扱うというだけ、すなわち、文章としてのアウトプットを人が見ても問題ないレベルに行うだけであれば、「記号接地」していないAIが、あたかも「記号接地」しているのと同じように遂行するということはどんどん精度を増してゆくだろう。

 そうすると、人間の領域として残っていくことは「記号接地」そのものになる。
 
 たとえば、「火の効能と危険性」について問えば、ChatGPTは瞬時に正解をアウトプットする。
 このとき人間がAI(ChatGPT)を協同しようとするならば、AIのできないことを人間が担当することになる。
 それが「記号接地」だ。
 
 そのとき、「火」というものを何となく知っているだけでは「弱い接地」に過ぎない。
 それにとどまらず、たとえば、電気もない真っ暗闇の中で松明だけをたよりに歩を進める体験をする、冬の厳しい寒さの中でたき火の熱を感じる、このような人間の原始的に近い経験を取り戻すことによって、AIにはない人間の領域(「接地」)を強化できる。
 
 もっといえば、「火」を自分で起こし、保存し、扱えるようにすること自体が、動物の行うこととして奇跡的なことであることの実感があればさらに「強い接地」になる。
 
 これからAI時代の子どもの学びの中で、「いかにAIを活用するか」の学習が必要といわれるが、AI活用そのものの技術習得は2次的なものであって、あくまで、人間として言葉や数字などの「記号」を本来の意味と「接地」させて身に着けていくこと自体をもっと重視し、「根っこ」からの知性を強化する方向性にあるべき、と思う。
 
 先ほど、「火」の例を出した。
 誤解してほしくないのは、言葉を操ることをAIに任せて、人間の子どもは原始時代のような体験ばかりすればよい、と言っているわけではない。
 人間として原始的ともいうべき「体験」を追求しつつも、やはり、それを実際に使う「言葉」と結び付けて、「強い接地」のある「言葉」を用いて、豊かな文化的活動ができることを目指したい。
 
 AIに淘汰「される」人「されない」人という、勝ち組・負け組みたいな表現を私は好きではないが、AI時代において人がより意味のある活動ができるための力は、その人の用いる「言葉」一つ一つが持つ意味について「強い接地」を持ち合わせていることだと思う。


10 これから「来る」もの

 今回の記事の締めである。
 これから「来る」、つまり、人が価値を感じる、サービスとしても成り立つ、人間が向かっていく先は、「言葉」の表される「意味」の体験そのものだ。
 あるいは、もう「来つつある」。

 日常生活を送る私たちは、そのままにしていたら、主にスマホ上に流れている大量の言葉や動画による情報の中で漂うだけになってしまう。

 言葉、情報の中で漂い、たとえ、それを最善、最速で処理できたとして、AIに及ばない。虚しい。
 だから、スマホ上で目にする一つの「言葉」、一枚の「写真」について、深く体験すること、その表す意味を本当の意味で知ること、「接地」することを、人々は強く強く求めるはずである。
 そんな暇はない、といっても、本当は心の底で求めるはずである。

 「AIのような仕事」はAIに任せればよい。

 記号接地問題の解決への研究は研究者に委ねてよいが、人間にとっては別に「問題」ではない。

 人間が生きていることを実感できる「記号接地」を深める、体験を深める、また、他者への共感を深める、こういう人本来の活動を取り戻す。

 近代、現代となり、人間が、生活のうち長い時間を機械のような活動に費やさざるを得なくなっていたのだとすれば、その部分をAIに任せればよい。
 
 そして、人間は、人間本来の体験、人間しか味わえない知的活動の喜びを感じられるようにしていくのがよい。
 AIの進化により、人間がより人間本来の在り方にあれるように進んで行ければ、人間の幸福のためのテクノロジーになるだろう。

 私がこのような記事を書こうと思ったのは、やはり、ChatGPTの「脅威」を感じたからだ。
 「間違いだらけだから取るに足りない」などとは全く思わない。
 色んなことが変容する脅威を感じたから、では、人間が人間たる所以とは?ということに改めて関心が強くなった。

 今回、取り上げた「言語の本質」(今井ら著)は、「人間が言語を用いること」「AIが言語を用いること」を深く考える入口として、私にとっては、今年出会った本の中で一番印象に乗った。
 読者の皆さんにも同じ興味があれば、同書を読まれることを是非お勧めしたい。

 そして、現時点での私の考えでは、AIが進化する中で、人間だけに与えられた特権(記号接地、ものごとを味わうこと)をもっと大切にする、遠慮なく享受することによって、人間が「知性」に対する誇りを失うことはないし、人間の幸福度は向上する、と思っている。

                                         完
nice!(3)  コメント(0) 

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。