関西福祉科学大学で講義しました [だから,今日より明日(教育)]
神戸むらかみ事務所コラム 「大学講義 ~事故被害者の生活再建(リカバリー)支援について~」
https://kobem-law.com/news/488/
以前から、私は、交通事故などによる高次脳機能障害、頸髄損傷案件について、医療職など他の専門家と協同して、訴訟などに取り組んでいます。
その話を大学で講義でしてきました。
学生さん、熱心に聞いて下さり、頼もしい感想もいただきました。
依頼者(患者さん)の助けになるように、異業種が連携して、キーマンである裁判官に届く『説得の表現』をどう創っていくか、そうすることが必要であることをお伝えしました。
喧嘩より対話、説得の技法を工夫することが大切。
相手の立場への想像が鍵です、と。
これは、日々、私自身が自分に言い聞かせていることです(カッとならんように、とも)。
上のコラムにて、もう少し詳しくご紹介していますので、興味ある方はご一読いただければ幸いです。
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灘校土曜講座「インターネット社会の法秩序~君のtweetは大丈夫?」 [だから,今日より明日(教育)]
6月19日に、母校の総合学習の講師に行ってきました。
タイトルの通りの内容で90分お話をしてきました。
今回のテーマは、先生が生徒にアンケートをして希望が多かったものを選んだものです。
1 YouTubeなどの著作権の話
2 インターネット上の誹謗中傷
3 法が現実にあわない度合いが拡大していること
の話をしました。
1 著作権の話
まず、今はメジャーデビューしているUruさんの昔の動画を題材に考えました。
作詞作曲中島みゆきさんの「糸」を歌った人気動画ですが、コレはそもそもOKなのか。
なぜOKなのか。
Uruは中島みゆきに電話をかけて「歌わしてもらっていいですかね?」と断りを入れたのか。
もちろん中高生でもこんなことは良く知っている人も多くいて、
・ アーチストがJASRACに著作権の管理委託をしている。
・ YouTubeがJASRACと包括して契約して、JASRAC管理の楽曲を使用できるようにしている。
というわけなのですが、「著作権」が存在して、それがどのようにして利用許諾されているのか、一つ一つにはちゃんとした根拠づけがあるということから話しました。
それから、
・ 許される「引用」の話
・ 二次創作の話
をして、著作物の利用についてグレーな部分も多いが、大切なことは、著作者へのリスペクトと関係する人々への想像力ということを。
2 インターネット上の誹謗中傷
木村花さんの事件、伊藤詩織さんの裁判の話を導入にしました。
伊藤詩織さんが受けた誹謗中傷については、伊藤さんの記者会見で語られたことを紹介し、ネット上の誹謗中傷はネット上にとどまらずリアルに生活を脅かしてくることを感じてもらうようにしました。
表現の自由の価値について、やや時間をとって深めます。
表現の自由には「自己実現」と「自己統治」の価値があり、これは民主主義社会にとっての礎であり、それがゆえに、最大限の保障が必要。
個人の幸福追求としての「自己実現」。
これは自由な校風で育つ灘校生にとって最も得意とするところ。
私が訪問したとき、ちょうど、生徒会役員選挙のポスターが貼りだされていました。
国政選挙などのポスター風にアレンジしながら、見事に個性豊かな面白いポスターばかりありました。
これに言及すると、もう説明不要でした。
「自己統治」の意味合いは、
・ 戦争を止めるにも
・ 災害時に命を守る情報を伝達するにも
・ 新型コロナについての知見を行き渡らせるにも
何をするにも言論の自由(表現の自由)がすべての前提になる、ということ。
さて、そんな中でも、人を極限まで追い詰めるネット上の誹謗中傷やヘイトスピーチをどう考えるか。
「自己実現」「自己統治」の価値に照らしてどうか?
価値を生み出す言葉ではなく、「石を投げる」暴力行為と変わらないのではないか?
またその「線引き」は?
この分析と問題提起をして、考えていくきっかけとしてもらうようにしました。
タイトルの「インターネット社会の法秩序~君のtweetは大丈夫?」については、
・インターネット社会でのルールは、実は「リアル」社会でのルールと全て同じ
権利侵害はダメ(著作権、プライバシー権、名誉、生命・身体 すべて同じ)
・ ただ、破壊的な伝播力 「世界中に発信している」こと に特徴がある
・ 「渋谷スクランブル交差点のど真ん中で、実名をあげて、コレを叫んでいる、プラカードを上げている」
それでもオッケーか? を自分に問えば、アウトかセーフか分かるはず。
とまとめました。
ほかにも小ネタをはさみ色んな話をさせていただきましたが、これをきっかけに中高生のみなさんが、ネットの向こうに居る人の「権利」さらには「心」を意識することの助けになり、ネット上の活動も通じて、より活き活きとワクワクするような活動ができるように、と願っています。
法のルールを知ることは窮屈になるということではなく、法の考え方から理解することにより、より自由にリラックスして活動できるようになります。
そういうことが次世代の灘校生に上手く伝わっていればよいな、と思いました。
そんな感じの母校訪問でしたが、ついでに、文化祭でバンドのライブをやった「大講堂」にも行き、またそのころの友人にも久しぶりに再会するなどして、自分が高校生のとき何を感じて生きていたのかも色々思い出しました。
記憶というものは色々塗り替わるもので、忘れていたことも多かった。
やはり、高校生のときは、色んな事に敏感で、感性は豊かで、豊かすぎてしんどいことも多かった。
社会のルールと大人の在り方との矛盾にもすぐ反応するし、社会を支配している思想の矛盾なども。
やっていることと自分の感性との違和感も、それがあれば身体が痛いくらいに感じていた。
ただ、それだけ豊かな感覚を表現する、活かすチャンスを持っている時代でもある。
学べば身につくスピードも物凄いし、自分の脳も心もいかようにも作っていける。
大人はその環境をしっかり作り、応援するのみ。
灘校生に限らずですが、次世代がまた新しい感性で世界を創造していってくれる。
その希望に私たちは賭けていく、それが花開くように、上の世代がもっているものを提供していく。
「教育」という熟語のイメージが合っているのかよくわかりませんが、世代間でできるものを提供しあって、助け合う、そして一緒に生きる時代を作っていく。
そういう気持ちになり、私のエネルギーもまたチャージされた感じがしました。
タイトルの通りの内容で90分お話をしてきました。
今回のテーマは、先生が生徒にアンケートをして希望が多かったものを選んだものです。
1 YouTubeなどの著作権の話
2 インターネット上の誹謗中傷
3 法が現実にあわない度合いが拡大していること
の話をしました。
1 著作権の話
まず、今はメジャーデビューしているUruさんの昔の動画を題材に考えました。
作詞作曲中島みゆきさんの「糸」を歌った人気動画ですが、コレはそもそもOKなのか。
なぜOKなのか。
Uruは中島みゆきに電話をかけて「歌わしてもらっていいですかね?」と断りを入れたのか。
もちろん中高生でもこんなことは良く知っている人も多くいて、
・ アーチストがJASRACに著作権の管理委託をしている。
・ YouTubeがJASRACと包括して契約して、JASRAC管理の楽曲を使用できるようにしている。
というわけなのですが、「著作権」が存在して、それがどのようにして利用許諾されているのか、一つ一つにはちゃんとした根拠づけがあるということから話しました。
それから、
・ 許される「引用」の話
・ 二次創作の話
をして、著作物の利用についてグレーな部分も多いが、大切なことは、著作者へのリスペクトと関係する人々への想像力ということを。
2 インターネット上の誹謗中傷
木村花さんの事件、伊藤詩織さんの裁判の話を導入にしました。
伊藤詩織さんが受けた誹謗中傷については、伊藤さんの記者会見で語られたことを紹介し、ネット上の誹謗中傷はネット上にとどまらずリアルに生活を脅かしてくることを感じてもらうようにしました。
表現の自由の価値について、やや時間をとって深めます。
表現の自由には「自己実現」と「自己統治」の価値があり、これは民主主義社会にとっての礎であり、それがゆえに、最大限の保障が必要。
個人の幸福追求としての「自己実現」。
これは自由な校風で育つ灘校生にとって最も得意とするところ。
私が訪問したとき、ちょうど、生徒会役員選挙のポスターが貼りだされていました。
国政選挙などのポスター風にアレンジしながら、見事に個性豊かな面白いポスターばかりありました。
これに言及すると、もう説明不要でした。
「自己統治」の意味合いは、
・ 戦争を止めるにも
・ 災害時に命を守る情報を伝達するにも
・ 新型コロナについての知見を行き渡らせるにも
何をするにも言論の自由(表現の自由)がすべての前提になる、ということ。
さて、そんな中でも、人を極限まで追い詰めるネット上の誹謗中傷やヘイトスピーチをどう考えるか。
「自己実現」「自己統治」の価値に照らしてどうか?
価値を生み出す言葉ではなく、「石を投げる」暴力行為と変わらないのではないか?
またその「線引き」は?
この分析と問題提起をして、考えていくきっかけとしてもらうようにしました。
タイトルの「インターネット社会の法秩序~君のtweetは大丈夫?」については、
・インターネット社会でのルールは、実は「リアル」社会でのルールと全て同じ
権利侵害はダメ(著作権、プライバシー権、名誉、生命・身体 すべて同じ)
・ ただ、破壊的な伝播力 「世界中に発信している」こと に特徴がある
・ 「渋谷スクランブル交差点のど真ん中で、実名をあげて、コレを叫んでいる、プラカードを上げている」
それでもオッケーか? を自分に問えば、アウトかセーフか分かるはず。
とまとめました。
ほかにも小ネタをはさみ色んな話をさせていただきましたが、これをきっかけに中高生のみなさんが、ネットの向こうに居る人の「権利」さらには「心」を意識することの助けになり、ネット上の活動も通じて、より活き活きとワクワクするような活動ができるように、と願っています。
法のルールを知ることは窮屈になるということではなく、法の考え方から理解することにより、より自由にリラックスして活動できるようになります。
そういうことが次世代の灘校生に上手く伝わっていればよいな、と思いました。
そんな感じの母校訪問でしたが、ついでに、文化祭でバンドのライブをやった「大講堂」にも行き、またそのころの友人にも久しぶりに再会するなどして、自分が高校生のとき何を感じて生きていたのかも色々思い出しました。
記憶というものは色々塗り替わるもので、忘れていたことも多かった。
やはり、高校生のときは、色んな事に敏感で、感性は豊かで、豊かすぎてしんどいことも多かった。
社会のルールと大人の在り方との矛盾にもすぐ反応するし、社会を支配している思想の矛盾なども。
やっていることと自分の感性との違和感も、それがあれば身体が痛いくらいに感じていた。
ただ、それだけ豊かな感覚を表現する、活かすチャンスを持っている時代でもある。
学べば身につくスピードも物凄いし、自分の脳も心もいかようにも作っていける。
大人はその環境をしっかり作り、応援するのみ。
灘校生に限らずですが、次世代がまた新しい感性で世界を創造していってくれる。
その希望に私たちは賭けていく、それが花開くように、上の世代がもっているものを提供していく。
「教育」という熟語のイメージが合っているのかよくわかりませんが、世代間でできるものを提供しあって、助け合う、そして一緒に生きる時代を作っていく。
そういう気持ちになり、私のエネルギーもまたチャージされた感じがしました。
コロナ下での司法修習の工夫(弁護修習) [だから,今日より明日(教育)]
司法修習生は、弁護士や、裁判官、検察官など法曹になるまえの1年間の研修期間です。
緊急事態宣言が出て、弁護士事務所に来ていた司法修習生は自宅学習になりました。
私のところにも今日から司法修習生がきて学んでもらうはずでした。
ですが、5月13日までは自宅学習が決まっています。
普通ならば、弁護士と一緒に依頼者との打ち合わせに入り、事件の方針を一緒に話し合い、裁判に必要な書面(訴状、答弁書、準備書面)を実際に書いてもらい、裁判にも同行してもらいます。
しかし、その一切が普通にはできなくなりました。
自宅学習・テレワークといっても、依頼者の秘密ですから、実際の事件の記録は自宅に持って帰れません。
なので、「白表紙」と呼ばれる演習問題や、民法改正について検討する課題などが与えられています。
この状態のまま、何の工夫もしなければ、「実地での研修」を受けずに弁護士になるしかない、という事態が危惧されます。
そこで、付け焼刃ですが、私が思いついた工夫を書いてみます。
1 事件の修習は、「判例」+実際に担当した弁護士との対話 で。
上のとおり、ネックなのは顧客の秘密、個人情報なのです。
その一方、裁判は公開のもので、判決そのものは公のものです。
ただ、そこに掲載されている個人情報がプライバシーです。
なので、「判例タイムズ」「判例時報」などの雑誌や、「判例秘書」「ウエストロー」などの判例検索システムなどには、個人名を「甲」や「X」など記号に変えた判例が解説と共に載っています。
これを利用します。
たとえば、私の場合でも、
医療過誤
商品先物取引トラブル
交通事故の重度後遺障害事案(高次脳機能障害)
について、雑誌に載った判決があります。
これは「秘密漏洩」の心配なく自宅で勉強してもらえます。
そして検討レポートをつくってもらったあと、私とライン、zoom、スカイプなどで対話します。
そこで、雑誌には書いていない事件のリアルを話します。
裁判そのもの以外の苦労。
実は、最初は依頼者は「こうしてください」と強く希望していたこと。
依頼者と方針を合わせるために何時間も話し合ったこと。
弁護団の中でも方針が割れて、解体寸前になったけれども一致してやったこと。
勝訴しているけれども、最初は全く裁判所に理解してもらえなかったこと。
地裁で負けたときの気持ち。
自分の中でも、「どうしようか」と悩んだ末、雑誌に載っている方針を選択したこと。
など。
これを、修習生と「君ならどうする?」という対話をするのです。
もちろん質問も受けます。
そして、私もそうであるように、自分自身の公刊の「判例」には限りがあります。
だから、神戸の修習なら、神戸の修習担当弁護士同士でこれを共有するのです。
面白い公刊「判例」リストをつくって、自分が担当する修習生以外もその「判例」の事件を学べるようにする。
複数の修習生対弁護士でzoomなど遠隔セッションをするのです。
2 修習生が「会いたい」弁護士とオンラインでつなぐサポート
また、普段指導担当以外の弁護士にも協力してもらえばよいと思います。
神戸には、
甲山事件
尼崎公害事件
震災後の諸々の事件(火災保険金をめぐる事件その他)
最近は全国ニュースになった刑事事件
など色んな事件がありました。
その経験弁護士と修習生をオンラインでつなぐことも、弁護士の少しのサポートでできることです。
私が、修習時代ものすごく印象に残っているのは、夜の弁護士との飲み会です。
その二次会で、
当時中堅(30歳代)だった弁護士同士が、「弁護士の将来像」を熱く語っていた
場にいたときのことです。
今から20年以上まえのことです。
「弁護士はこのままでいいと思うか?」
「時代は変わっていくぞ。これからは…」
という話の場に居て刺激を受けていたら、こっちに矢が飛んできて、
「村上君はどう思う。司法修習で色んな弁護士を見て。」
「良い印象でも、そうでなくても、思うことはないか?」
「正直に言うてみい。」
という場面も。
この時語っていた当時中堅弁護士は、それぞれに、20年経った今は、神戸で今の修習生もよく名を知る弁護士事務所の代表など、屋台骨を支える立場になられています。
でも、今の私よりも若い方々だった、というのが今振り返る修習の印象です。
こういうのが、記録を読んで勉強する以外の「弁護修習」なのです。
同じように、今の修習生が「会いたい」弁護士がいるはずです。
また、私たち弁護士から見て、修習生に「会ってもらいたい」弁護士がいます。
法律の世界で有名な本の著者の弁護士
最先端の分野を研究している弁護士
重い刑事事件をたくさん経験している弁護士
弁護士の世界がどうなるか、そのことをずっと考え続けている弁護士
災害復興に力を注いできた弁護士
とにかく面白い弁護士
わたしには具体的な弁護士の顔が浮かびます。
指導担当それぞれに、修習生に「会ってもらいたい」弁護士がいるでしょう。
これをzoom会議などでつなぐ機会を、指導担当弁護士がちょっとずつの労力を出し合って作ります。
指導担当弁護士一人が全部しなくてもよいのです。
機会提供のために、ちょっとずつ労力を出し合えばよい。
3 あとは、依頼者との打ち合わせに参加できるか(ハードル高)
ここはどうしてもハードルが高いです。
考えられるのは、修習生側に徹底的に環境を整えてもらって(通信の状況から、家も含め他人に決してもれないようにしてもらって)、そのうえで、司法修習にも抵抗なく協力していただける依頼者について、スカイプ会議などにオンラインで傍聴参加してもらう、ということ。
ですが、もともと、依頼者としては弁護士と、密室(この「密」がコロナには…ですが)だからこそ相談できるのです。
オープンエアー状態かもしれないと思うと相談できませんね。
ここはどうしても難しいところです。
やはり、弁護士が経験談をリアルに修習生に語る、ということで代替でしょうか。
以上、今思いついたことを書きました。
弁護士の方読んでいただけたら、弁護士同士で同じ思いがある方は協力しあいませんか。
もしかしたら、すでに各地の弁護士会、司法修習委員会ですでに取り組まれていることもあるかもしれませんが。
修習生の方にも声を届けて欲しいですが、きっかけは弁護士が作らなければなかなか遠慮があって、修習生から言い出せないでしょうね。
とにかく、なんとかして、今の修習生の方が仕事につくまでに少しでも役に立つ経験を得てもらえれば、と思っています。
緊急事態宣言が出て、弁護士事務所に来ていた司法修習生は自宅学習になりました。
私のところにも今日から司法修習生がきて学んでもらうはずでした。
ですが、5月13日までは自宅学習が決まっています。
普通ならば、弁護士と一緒に依頼者との打ち合わせに入り、事件の方針を一緒に話し合い、裁判に必要な書面(訴状、答弁書、準備書面)を実際に書いてもらい、裁判にも同行してもらいます。
しかし、その一切が普通にはできなくなりました。
自宅学習・テレワークといっても、依頼者の秘密ですから、実際の事件の記録は自宅に持って帰れません。
なので、「白表紙」と呼ばれる演習問題や、民法改正について検討する課題などが与えられています。
この状態のまま、何の工夫もしなければ、「実地での研修」を受けずに弁護士になるしかない、という事態が危惧されます。
そこで、付け焼刃ですが、私が思いついた工夫を書いてみます。
1 事件の修習は、「判例」+実際に担当した弁護士との対話 で。
上のとおり、ネックなのは顧客の秘密、個人情報なのです。
その一方、裁判は公開のもので、判決そのものは公のものです。
ただ、そこに掲載されている個人情報がプライバシーです。
なので、「判例タイムズ」「判例時報」などの雑誌や、「判例秘書」「ウエストロー」などの判例検索システムなどには、個人名を「甲」や「X」など記号に変えた判例が解説と共に載っています。
これを利用します。
たとえば、私の場合でも、
医療過誤
商品先物取引トラブル
交通事故の重度後遺障害事案(高次脳機能障害)
について、雑誌に載った判決があります。
これは「秘密漏洩」の心配なく自宅で勉強してもらえます。
そして検討レポートをつくってもらったあと、私とライン、zoom、スカイプなどで対話します。
そこで、雑誌には書いていない事件のリアルを話します。
裁判そのもの以外の苦労。
実は、最初は依頼者は「こうしてください」と強く希望していたこと。
依頼者と方針を合わせるために何時間も話し合ったこと。
弁護団の中でも方針が割れて、解体寸前になったけれども一致してやったこと。
勝訴しているけれども、最初は全く裁判所に理解してもらえなかったこと。
地裁で負けたときの気持ち。
自分の中でも、「どうしようか」と悩んだ末、雑誌に載っている方針を選択したこと。
など。
これを、修習生と「君ならどうする?」という対話をするのです。
もちろん質問も受けます。
そして、私もそうであるように、自分自身の公刊の「判例」には限りがあります。
だから、神戸の修習なら、神戸の修習担当弁護士同士でこれを共有するのです。
面白い公刊「判例」リストをつくって、自分が担当する修習生以外もその「判例」の事件を学べるようにする。
複数の修習生対弁護士でzoomなど遠隔セッションをするのです。
2 修習生が「会いたい」弁護士とオンラインでつなぐサポート
また、普段指導担当以外の弁護士にも協力してもらえばよいと思います。
神戸には、
甲山事件
尼崎公害事件
震災後の諸々の事件(火災保険金をめぐる事件その他)
最近は全国ニュースになった刑事事件
など色んな事件がありました。
その経験弁護士と修習生をオンラインでつなぐことも、弁護士の少しのサポートでできることです。
私が、修習時代ものすごく印象に残っているのは、夜の弁護士との飲み会です。
その二次会で、
当時中堅(30歳代)だった弁護士同士が、「弁護士の将来像」を熱く語っていた
場にいたときのことです。
今から20年以上まえのことです。
「弁護士はこのままでいいと思うか?」
「時代は変わっていくぞ。これからは…」
という話の場に居て刺激を受けていたら、こっちに矢が飛んできて、
「村上君はどう思う。司法修習で色んな弁護士を見て。」
「良い印象でも、そうでなくても、思うことはないか?」
「正直に言うてみい。」
という場面も。
この時語っていた当時中堅弁護士は、それぞれに、20年経った今は、神戸で今の修習生もよく名を知る弁護士事務所の代表など、屋台骨を支える立場になられています。
でも、今の私よりも若い方々だった、というのが今振り返る修習の印象です。
こういうのが、記録を読んで勉強する以外の「弁護修習」なのです。
同じように、今の修習生が「会いたい」弁護士がいるはずです。
また、私たち弁護士から見て、修習生に「会ってもらいたい」弁護士がいます。
法律の世界で有名な本の著者の弁護士
最先端の分野を研究している弁護士
重い刑事事件をたくさん経験している弁護士
弁護士の世界がどうなるか、そのことをずっと考え続けている弁護士
災害復興に力を注いできた弁護士
とにかく面白い弁護士
わたしには具体的な弁護士の顔が浮かびます。
指導担当それぞれに、修習生に「会ってもらいたい」弁護士がいるでしょう。
これをzoom会議などでつなぐ機会を、指導担当弁護士がちょっとずつの労力を出し合って作ります。
指導担当弁護士一人が全部しなくてもよいのです。
機会提供のために、ちょっとずつ労力を出し合えばよい。
3 あとは、依頼者との打ち合わせに参加できるか(ハードル高)
ここはどうしてもハードルが高いです。
考えられるのは、修習生側に徹底的に環境を整えてもらって(通信の状況から、家も含め他人に決してもれないようにしてもらって)、そのうえで、司法修習にも抵抗なく協力していただける依頼者について、スカイプ会議などにオンラインで傍聴参加してもらう、ということ。
ですが、もともと、依頼者としては弁護士と、密室(この「密」がコロナには…ですが)だからこそ相談できるのです。
オープンエアー状態かもしれないと思うと相談できませんね。
ここはどうしても難しいところです。
やはり、弁護士が経験談をリアルに修習生に語る、ということで代替でしょうか。
以上、今思いついたことを書きました。
弁護士の方読んでいただけたら、弁護士同士で同じ思いがある方は協力しあいませんか。
もしかしたら、すでに各地の弁護士会、司法修習委員会ですでに取り組まれていることもあるかもしれませんが。
修習生の方にも声を届けて欲しいですが、きっかけは弁護士が作らなければなかなか遠慮があって、修習生から言い出せないでしょうね。
とにかく、なんとかして、今の修習生の方が仕事につくまでに少しでも役に立つ経験を得てもらえれば、と思っています。
大学入試改革考~国立大は数学の文理別をやめよ [だから,今日より明日(教育)]
今日は受験「数学」の話です。
「数学大っ嫌い!!」という方には,この記事よりも前に以前の記事
きっと元気になる!「微分」の魔法~新・高校生の皆さんへ
https://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2017-03-13
を読んでいただければ,「数学」は数字や式ばかりの無機質なものではなく,愛と夢あふれる物語をつくるものだとおわかり頂けるでしょう。
さて,その上で本題に入ります。
私の所属する「弁護士」の世界では,昔と違って,進路志望としての「弁護士」人気が下がっている,と言われて10年以上になります。
一方で,私の出身校である灘高校でも,昔と比べて,「文系」志望の割合が低下している,と言われています。
前者の「弁護士」人気低下の原因には,確かに,2000年以降司法試験合格者が急激に増えて,司法試験には合格しやすくなったけれども,資格を取っても「食える」とは限らない状態になったということが大きいのは間違いありません。
ただし,「弁護士」にはこのような特殊事情があるとはいえ,「弁護士」だけではなく「文系」全体の志望割合も低下していることも確かです。
この傾向は良くないと私は思っています。
端的に言えば,高校の時点で「勉強ができる」という人がみな医師を目指してしまう,ということはやはり社会全体としてみてもったいないように思います。
もちろん,私は,医師になった同級生たちを頼もしく思っていて(実際色んな事を相談したりしています),彼らが医師になってくれていて良かった,それは私のために良かったというだけでなく,人々の助けになると思っています。
が,けれども,昔以上に「勉強ができる」人がこぞって医師になるのは行き過ぎで,他の分野にも広がったほうが良いと思っています。
※ ここで「勉強ができる」といえば若干抵抗のある人もいると思いますが,要するに,「頭が切れてやる気もある」若者が,医師だけで無く他の分野,また,「文系」職業にも広く行き渡ってほしい,ということです。
今,昔ほど「文系」の職業に魅力がないというのですが,弁護士の仕事そのものには「やりがい」はあります。
ただ,昔ほど,弁護士であれば誰でも高収入になるというわけではない,というだけです。
経済的な安定でいえば医師の方が強い,と一般にはいわれています。
さて,私の今日の提案は,大学入試の「数学」についてです。
「数学」の入試について,文系・理系の区別を廃止すべし 特に,国立大(東大・京大など)は廃止すべし
もちろん,そもそも入試科目に「数学」がない場合は別ですし,AO入試のようなものは全く別の話です。
が,国立大レベルで「数学」があるなら,文理の区別はいらない,というのが私の意見です。
大人になってからは余り関係のない話になるのですが,受験生のときは,やはり他人との比較を気にする人が多いです。
「偏差値」などは最たる例です。
高校生のときに,私は,「皆が医者になるなら,私は別の道を」という天邪鬼な選択を敢えてしました。それは,つい他人と違うことをしたがる私の性格からです。でもこんな進路選択をする人は少数派です。
ただ,実際そんな私でも,文系選択をして,3年生で明確にコースが分かれた後は,特に「数学」についてはある種の「怖さ」を感じるようになりました。
どういう「怖さ」かといえば,自分をスポイルする怖さ,です。
余力は十分にあるのに,微分積分の進んだ単元などは「やらなくて良い」ことになり,今で言えば,「数学Ⅲ」は無しで,「数学Ⅱ・B」の範囲までだけの入試ということになったときに,「楽でよい」というだけではなくて,「なんで文系は『楽』をするのか?」と疑問に思いました。
もちろん,入試に出ないにしても,灘など進学校の多くでは,文系の生徒もある程度「理系数学」の単元をやります。ただ,やっぱり3年の受験期になれば,もう試験範囲外の勉強はやらなくなってしまいます。
ここで,「理系数学」「文系数学」が分かれることによって,
理系は厳しい,文系は楽
という図式が出来てしまいます。
そうすると,向学心がある人ほど,「文系にいくのは勿体ない」と思ってしまうのです。
そこで,私の提案は,
東大・京大など国立大は入試の「数学」を文理共通,一本にする
ということです。
そうすれば,進学校の生徒にとって,
文系を目指したとしても,「数学」は医学部生と同じ土俵で勝負することになる
ということになります。
それでも合格ラインは法学部より医学部の方が高いでしょうが,試験を単品でみれば,
東大の数学(今でいう「理系数学」)で8割,10割正解〔なら,医学部も極めて合格濃厚でしょう〕の法学部生
というのも誕生するのです。
そんな人がいてもよい,いや,そういう人が文系に来てほしい,また,文系にいく人も「理系数学」を学んで高校生のうちに頭の訓練をしたほうがいい,という風に思います。
正直「文系数学」の場合は「理系数学」に比べて格段に易しいので,スキージャンプに例えれば,ゲート位置が高すぎてすぐにヒルサイズ(ジャンプ台のこれ以上飛べないという距離)に達してしまう,という現象が起こります。
文系の学部でも,数学は一番差がつきやすいので,「理系」科目が得意な生徒が「文系」学部を受験した場合は,他の科目がダメでも楽々合格してしまう,ということが起こります。
ですが,それはその生徒にとっては余りに余力を残し過ぎで,タメにはならないように思います。
最近,灘高校の先生2名ほどに別々の機会に私の「(東大京大だけでも)大学入試数学の文理区別をやめるべし」案を話してみたところ、理想としてはそれがいいという反応でした(もちろん私と違って現場におられるので、すぐにそうせよとまでの意見ではないでしょうが)。
また、先生方も「文系志望者も増えてほしい」という気持ちを持っておられました。
「近頃の若いもんは」といわれますが,現代の生徒は,私たちのとき以上に真面目で,向学心もあります。
灘や開成はじめとする進学校の生徒なら特に「根は」真面目ですから,進路選択のときに「文系」という「イージーモード」(もちろん異論はあるでしょうが,現状,高校生・受験生の立場を考えると理系との比較上イージーモードです)を選ぶことそのものに抵抗がある,という人は多いのです。
だから。
「文系」入試を「イージーモード」にしない受験改革 が必要だと思います。
そもそも,
東大や京大を受験するレベルの人たちに対して,文系だからと言って,「数学」を易しくする必要がありますか?
「数学」を文系・理系に分ける合理性がありますか? ということは大いに疑問です。
確かに,私(弁護士)の仕事では,数学の高度な計算は普段使いません。
ですが,医師だとしても,日頃,微分積分や大学で学ぶ数学を使って仕事をしていますか?大多数はそうではないでしょう。
結局,大学入試における「数学」というのは一種の「思考訓練」なので,「文系」だから範囲を減らして良い,という合理性は全くないのです。
頭も身体も若いときに(伸びやすいときに)できるだけ伸ばしておく,ということがベストであることに変わりはありません。
つまり,私の意見の趣旨は,
(大学受験の場面における)「医学部」上位,「理系」上位という図式をなくそう
というところにあって,そのカギの一つが,
「数学」の文理区別を無くす
ではないか,ということにあります。
高校生,受験生に対して,
「偏差値」「難易度」「(世間で言う)序列」を気にするなんてつまらない
「行きたいところ(学部)」に行けばいいじゃないか
というのは確かに「正論」です。
ですが,人みんなが「誰がどう見ようと,『これが私の生きる道』」と進める人ばかりではありません。普通は人目や,親の目が気になるものです。
「文系」選択したら,「数学」「理科」ができない奴と思われそう
ということを気にして,「文系」選択をやめてしまう生徒は意外と多いと思います。
さて,話はそれますが,以前,出張講座の関係で灘校を訪問したときのこと。
下級生が「俺数学苦手なんすよ,文系頭なんで」と言っているのに対して,上級生が「自分で文系頭・理系頭という言い方はやめたほうがいいよ」とアドバイスしていました。
それを聞いて,「本当に素晴らしい先輩だ」と思いましたし,こういうことを先輩が後輩に言える文化が灘にはずっとあるんだなあ,と思って感動しました。
日常何気ない場面で「自分の可能性を決めつけるな」と先輩がアドバイスする。さすが,夢と愛あふれる学校だと思います。こういう先輩の一言によって,下級生のその後の学びも違ったものになっている可能性も大いにあると思います。
「理系」数学であっても「文系」数学であっても,そもそも数学など,四則演算(+-×÷)と論理則の積み重ね,進学校の生徒が「取り組みさえすれば」誰でもできるのです。
逆もまた真なりであって,「理系」だから「小説の読解が苦手」というものではありません(人によります)。
学校で出てくる「科目」など数学,物理であっても,国語,英語,日本史であっても結局「およそ人の業」であって,「理系」頭も「文系」頭も初めから関係ありません!
結局,
学部の区別は意味があるけれど,「理系」「文系」の区別は雑すぎて意味が無い
と思います。
そんなわけで,私は,
センター試験に「記述式」を入れること
よりも
数学の「文系」「理系」区別をやめる
大学入試改革を提案します。
これで,
進学する生徒の高校での学びがより豊かになる
「文系」職業(司法界含む)を希望する人たちが増える
(頭が切れてやる気溢れる若者が今よりも沢山来てくれる)
ことに繋がると思います。
また,数学の先生方に今こそ立ち上がって,「『理系』数学は一部の人のためのものではないよ」と伝えて欲しい,とも思います。
「数学大っ嫌い!!」という方には,この記事よりも前に以前の記事
きっと元気になる!「微分」の魔法~新・高校生の皆さんへ
https://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2017-03-13
を読んでいただければ,「数学」は数字や式ばかりの無機質なものではなく,愛と夢あふれる物語をつくるものだとおわかり頂けるでしょう。
さて,その上で本題に入ります。
私の所属する「弁護士」の世界では,昔と違って,進路志望としての「弁護士」人気が下がっている,と言われて10年以上になります。
一方で,私の出身校である灘高校でも,昔と比べて,「文系」志望の割合が低下している,と言われています。
前者の「弁護士」人気低下の原因には,確かに,2000年以降司法試験合格者が急激に増えて,司法試験には合格しやすくなったけれども,資格を取っても「食える」とは限らない状態になったということが大きいのは間違いありません。
ただし,「弁護士」にはこのような特殊事情があるとはいえ,「弁護士」だけではなく「文系」全体の志望割合も低下していることも確かです。
この傾向は良くないと私は思っています。
端的に言えば,高校の時点で「勉強ができる」という人がみな医師を目指してしまう,ということはやはり社会全体としてみてもったいないように思います。
もちろん,私は,医師になった同級生たちを頼もしく思っていて(実際色んな事を相談したりしています),彼らが医師になってくれていて良かった,それは私のために良かったというだけでなく,人々の助けになると思っています。
が,けれども,昔以上に「勉強ができる」人がこぞって医師になるのは行き過ぎで,他の分野にも広がったほうが良いと思っています。
※ ここで「勉強ができる」といえば若干抵抗のある人もいると思いますが,要するに,「頭が切れてやる気もある」若者が,医師だけで無く他の分野,また,「文系」職業にも広く行き渡ってほしい,ということです。
今,昔ほど「文系」の職業に魅力がないというのですが,弁護士の仕事そのものには「やりがい」はあります。
ただ,昔ほど,弁護士であれば誰でも高収入になるというわけではない,というだけです。
経済的な安定でいえば医師の方が強い,と一般にはいわれています。
さて,私の今日の提案は,大学入試の「数学」についてです。
「数学」の入試について,文系・理系の区別を廃止すべし 特に,国立大(東大・京大など)は廃止すべし
もちろん,そもそも入試科目に「数学」がない場合は別ですし,AO入試のようなものは全く別の話です。
が,国立大レベルで「数学」があるなら,文理の区別はいらない,というのが私の意見です。
大人になってからは余り関係のない話になるのですが,受験生のときは,やはり他人との比較を気にする人が多いです。
「偏差値」などは最たる例です。
高校生のときに,私は,「皆が医者になるなら,私は別の道を」という天邪鬼な選択を敢えてしました。それは,つい他人と違うことをしたがる私の性格からです。でもこんな進路選択をする人は少数派です。
ただ,実際そんな私でも,文系選択をして,3年生で明確にコースが分かれた後は,特に「数学」についてはある種の「怖さ」を感じるようになりました。
どういう「怖さ」かといえば,自分をスポイルする怖さ,です。
余力は十分にあるのに,微分積分の進んだ単元などは「やらなくて良い」ことになり,今で言えば,「数学Ⅲ」は無しで,「数学Ⅱ・B」の範囲までだけの入試ということになったときに,「楽でよい」というだけではなくて,「なんで文系は『楽』をするのか?」と疑問に思いました。
もちろん,入試に出ないにしても,灘など進学校の多くでは,文系の生徒もある程度「理系数学」の単元をやります。ただ,やっぱり3年の受験期になれば,もう試験範囲外の勉強はやらなくなってしまいます。
ここで,「理系数学」「文系数学」が分かれることによって,
理系は厳しい,文系は楽
という図式が出来てしまいます。
そうすると,向学心がある人ほど,「文系にいくのは勿体ない」と思ってしまうのです。
そこで,私の提案は,
東大・京大など国立大は入試の「数学」を文理共通,一本にする
ということです。
そうすれば,進学校の生徒にとって,
文系を目指したとしても,「数学」は医学部生と同じ土俵で勝負することになる
ということになります。
それでも合格ラインは法学部より医学部の方が高いでしょうが,試験を単品でみれば,
東大の数学(今でいう「理系数学」)で8割,10割正解〔なら,医学部も極めて合格濃厚でしょう〕の法学部生
というのも誕生するのです。
そんな人がいてもよい,いや,そういう人が文系に来てほしい,また,文系にいく人も「理系数学」を学んで高校生のうちに頭の訓練をしたほうがいい,という風に思います。
正直「文系数学」の場合は「理系数学」に比べて格段に易しいので,スキージャンプに例えれば,ゲート位置が高すぎてすぐにヒルサイズ(ジャンプ台のこれ以上飛べないという距離)に達してしまう,という現象が起こります。
文系の学部でも,数学は一番差がつきやすいので,「理系」科目が得意な生徒が「文系」学部を受験した場合は,他の科目がダメでも楽々合格してしまう,ということが起こります。
ですが,それはその生徒にとっては余りに余力を残し過ぎで,タメにはならないように思います。
最近,灘高校の先生2名ほどに別々の機会に私の「(東大京大だけでも)大学入試数学の文理区別をやめるべし」案を話してみたところ、理想としてはそれがいいという反応でした(もちろん私と違って現場におられるので、すぐにそうせよとまでの意見ではないでしょうが)。
また、先生方も「文系志望者も増えてほしい」という気持ちを持っておられました。
「近頃の若いもんは」といわれますが,現代の生徒は,私たちのとき以上に真面目で,向学心もあります。
灘や開成はじめとする進学校の生徒なら特に「根は」真面目ですから,進路選択のときに「文系」という「イージーモード」(もちろん異論はあるでしょうが,現状,高校生・受験生の立場を考えると理系との比較上イージーモードです)を選ぶことそのものに抵抗がある,という人は多いのです。
だから。
「文系」入試を「イージーモード」にしない受験改革 が必要だと思います。
そもそも,
東大や京大を受験するレベルの人たちに対して,文系だからと言って,「数学」を易しくする必要がありますか?
「数学」を文系・理系に分ける合理性がありますか? ということは大いに疑問です。
確かに,私(弁護士)の仕事では,数学の高度な計算は普段使いません。
ですが,医師だとしても,日頃,微分積分や大学で学ぶ数学を使って仕事をしていますか?大多数はそうではないでしょう。
結局,大学入試における「数学」というのは一種の「思考訓練」なので,「文系」だから範囲を減らして良い,という合理性は全くないのです。
頭も身体も若いときに(伸びやすいときに)できるだけ伸ばしておく,ということがベストであることに変わりはありません。
つまり,私の意見の趣旨は,
(大学受験の場面における)「医学部」上位,「理系」上位という図式をなくそう
というところにあって,そのカギの一つが,
「数学」の文理区別を無くす
ではないか,ということにあります。
高校生,受験生に対して,
「偏差値」「難易度」「(世間で言う)序列」を気にするなんてつまらない
「行きたいところ(学部)」に行けばいいじゃないか
というのは確かに「正論」です。
ですが,人みんなが「誰がどう見ようと,『これが私の生きる道』」と進める人ばかりではありません。普通は人目や,親の目が気になるものです。
「文系」選択したら,「数学」「理科」ができない奴と思われそう
ということを気にして,「文系」選択をやめてしまう生徒は意外と多いと思います。
さて,話はそれますが,以前,出張講座の関係で灘校を訪問したときのこと。
下級生が「俺数学苦手なんすよ,文系頭なんで」と言っているのに対して,上級生が「自分で文系頭・理系頭という言い方はやめたほうがいいよ」とアドバイスしていました。
それを聞いて,「本当に素晴らしい先輩だ」と思いましたし,こういうことを先輩が後輩に言える文化が灘にはずっとあるんだなあ,と思って感動しました。
日常何気ない場面で「自分の可能性を決めつけるな」と先輩がアドバイスする。さすが,夢と愛あふれる学校だと思います。こういう先輩の一言によって,下級生のその後の学びも違ったものになっている可能性も大いにあると思います。
「理系」数学であっても「文系」数学であっても,そもそも数学など,四則演算(+-×÷)と論理則の積み重ね,進学校の生徒が「取り組みさえすれば」誰でもできるのです。
逆もまた真なりであって,「理系」だから「小説の読解が苦手」というものではありません(人によります)。
学校で出てくる「科目」など数学,物理であっても,国語,英語,日本史であっても結局「およそ人の業」であって,「理系」頭も「文系」頭も初めから関係ありません!
結局,
学部の区別は意味があるけれど,「理系」「文系」の区別は雑すぎて意味が無い
と思います。
そんなわけで,私は,
センター試験に「記述式」を入れること
よりも
数学の「文系」「理系」区別をやめる
大学入試改革を提案します。
これで,
進学する生徒の高校での学びがより豊かになる
「文系」職業(司法界含む)を希望する人たちが増える
(頭が切れてやる気溢れる若者が今よりも沢山来てくれる)
ことに繋がると思います。
また,数学の先生方に今こそ立ち上がって,「『理系』数学は一部の人のためのものではないよ」と伝えて欲しい,とも思います。
「親も子もハッピーになる最強の子育て」(小川大介さん著) [だから,今日より明日(教育)]
私の大学時代の先輩である小川大介さんの著書を読みました。
先輩というのは,京大法学部の先輩でありますが,私にとっては,私がアルバイトしていた阪神間の大手進学塾の講師の先輩としての意味が強い,そういう「先輩」です。
昔と違って,夫婦共働きの家庭が増えました。
専業主婦のように子どもにべったりと時間をかけられない中で,それでも,「子育て」はやらなければならないことが多い。
そこにどう向き合うか?というテーマは,多くの人に共通のものでしょう。
この本の発想は,
「父も母も忙しく,子どものことに関わる時間が足りない」
ことをマイナスと捉えるのでは無く,むしろ,「子どもの自立を促すチャンス」と捉えよう,という前向きなものです。
「子どもの自立を促す」とは具体的にどうやって?
ここが詳しく「実際にこうやる」というところまで,つまり,家庭のリビングで父母子がどのような行動をするか?という絵が見えるところまで丁寧に書かれていました。
私も子育ての経験がありますが,やはり,
「子ども自身が自立して,自分で課題を選んで勉強をする」
「生活そのものについて,遊び,勉強,他の活動,それを自分で計画立てて行う」
ことができるように,ということが大目標です。
ただ,言うは易く。
色んなことについてやはり「大人がやってあげたほうが早い」ので,「自分でできるようになる」ための見守り・声かけ・バックアップは,根気がいることで,また,ある程度親の方が覚悟を決めて「やりきる」(実際には,大人が代わりに「やらない」ことを貫徹すべきことが多いのですが)必要があります。
「やりきる」といっても,人はパーフェクトではないので,仕事で忙しかったりするとつい難しくなります。
また「やりきる」ためには,具体的に何をすべきか?どうやったら子どもを自立に導けるのか?について,自信が無いと難しくなります。
ここが,この本です。
私の印象に残った点を3つ。
1 「時間の感覚」
子ども自身の「時間の感覚」を育てる,ということ。
その日の小さな計画(勉強でも,遊びでも,テレビでもいい。「何時から何を」)を「自分で決めて実行する」から一歩一歩やれば,だれでもできるようになる,とのことです。
当たり前のようですが,中高生でも大人でも気づけば「時間に流されている」「他人に流されている」ことがありますね。
「自分の時間を決めて,悔いなく過ごす」ことの充実感,幸福感を子どものうちからしっかりかみしめて育ってくれれば,かけがえのない命(=自分の時間)を充実したものにできると思います。
もちろん,「学業成績をアップさせる」という意味でも,自分の「時間の感覚」がある子は滅茶苦茶に強いです。これは,私が学生時代,小川さんと一緒の塾で働いていたときに子どもたちを沢山みるなかでの確信です。
2 「体の動き」を教える
たとえば,学校から帰ったらすぐ宿題をしなさい,と言っても,何度言っても「やらない」「できない」は親共通の悩みでしょう。
小川さんのメソッドによれば,ここは「口で何度もいう」のでなくて
玄関,リビング,勉強机での体の動き
を細かく(おそらく大人も一緒になってやってみて),子どもに「こうすればできる」を伝える,のだ,ということです。
実際に本の中には,学校から帰る~宿題終わりまでの手順を12項目に細かく分解して図解されています。
本質は,「子どもの視点まで一回おりてみる」ということ,そうであって初めて伝わる,ということのように思います。
私の経験でも「言っても言ってもやらない」はよくわかります。
そのときは親の時間もかかるが,一度「一つ一つの動きまで」レベルで向き合って,一旦,子ども自身の良い習慣がつけば,親として「後がとても楽」というのも経験上知っています。
この本で「やり方」を知れば,多くの人が,親としてそれを「やりきる」自信がつくと思います。
3 「叱る」の原則
親子とというのは感情コントロールが難しいですね。
実際,私の子どもに対する経験でも「叱る」「おこる」,自分が一体何をどうしているのか,よくわからないまま子どもに向き合っていることがありました。
この本では,「叱る」は6秒数えてから,と書かれています。
その心は次の通りで,「叱る」ときにまず一番大切なことは,
親が自分の感情を理解する
ということ,そのうえで,「何を言うか」というステップにいくべき,とのこと。
私もこの点は色んな本で勉強しました。(ビジネスシーンなどでの)怒りのコントール,スポーツ中のメンタルコントロール,マインドフルネスなどで共通することで,
怒りの感情など,わいてくる感情そのものは消せないし,仕方ない
のですが
自分の中にある感情に気づいているかどうか
で,色んなことが大きく異なってきます。
簡単に言うと「怒りの感情に気づく」時点で,既に,感情の渦の真ん中からは脱しています。
感情にまかせてバーンとやって,あとで後悔する,というパターンから抜け出すチャンスを得ています。
さらに,小川さんは,「叱る」にも,うまくいく叱り方がある,そのコツを本の中で紹介してくださっています。
その他にも,子育ての中で重要なターニングポイントとなる時期,例えば「小4の壁」をどう乗り越えるか,など,現代の親が知りたい内容が盛りだくさんです。
この本は,多くの親御さんの助けになる。親子の愛が良い形で未来につながっている助けになると思います。
特に共働き夫婦,ということですが,そうでなくても(専業主婦の家庭でも),あらゆる子育て家庭にお勧めの本です。
先輩というのは,京大法学部の先輩でありますが,私にとっては,私がアルバイトしていた阪神間の大手進学塾の講師の先輩としての意味が強い,そういう「先輩」です。
昔と違って,夫婦共働きの家庭が増えました。
専業主婦のように子どもにべったりと時間をかけられない中で,それでも,「子育て」はやらなければならないことが多い。
そこにどう向き合うか?というテーマは,多くの人に共通のものでしょう。
この本の発想は,
「父も母も忙しく,子どものことに関わる時間が足りない」
ことをマイナスと捉えるのでは無く,むしろ,「子どもの自立を促すチャンス」と捉えよう,という前向きなものです。
「子どもの自立を促す」とは具体的にどうやって?
ここが詳しく「実際にこうやる」というところまで,つまり,家庭のリビングで父母子がどのような行動をするか?という絵が見えるところまで丁寧に書かれていました。
私も子育ての経験がありますが,やはり,
「子ども自身が自立して,自分で課題を選んで勉強をする」
「生活そのものについて,遊び,勉強,他の活動,それを自分で計画立てて行う」
ことができるように,ということが大目標です。
ただ,言うは易く。
色んなことについてやはり「大人がやってあげたほうが早い」ので,「自分でできるようになる」ための見守り・声かけ・バックアップは,根気がいることで,また,ある程度親の方が覚悟を決めて「やりきる」(実際には,大人が代わりに「やらない」ことを貫徹すべきことが多いのですが)必要があります。
「やりきる」といっても,人はパーフェクトではないので,仕事で忙しかったりするとつい難しくなります。
また「やりきる」ためには,具体的に何をすべきか?どうやったら子どもを自立に導けるのか?について,自信が無いと難しくなります。
ここが,この本です。
私の印象に残った点を3つ。
1 「時間の感覚」
子ども自身の「時間の感覚」を育てる,ということ。
その日の小さな計画(勉強でも,遊びでも,テレビでもいい。「何時から何を」)を「自分で決めて実行する」から一歩一歩やれば,だれでもできるようになる,とのことです。
当たり前のようですが,中高生でも大人でも気づけば「時間に流されている」「他人に流されている」ことがありますね。
「自分の時間を決めて,悔いなく過ごす」ことの充実感,幸福感を子どものうちからしっかりかみしめて育ってくれれば,かけがえのない命(=自分の時間)を充実したものにできると思います。
もちろん,「学業成績をアップさせる」という意味でも,自分の「時間の感覚」がある子は滅茶苦茶に強いです。これは,私が学生時代,小川さんと一緒の塾で働いていたときに子どもたちを沢山みるなかでの確信です。
2 「体の動き」を教える
たとえば,学校から帰ったらすぐ宿題をしなさい,と言っても,何度言っても「やらない」「できない」は親共通の悩みでしょう。
小川さんのメソッドによれば,ここは「口で何度もいう」のでなくて
玄関,リビング,勉強机での体の動き
を細かく(おそらく大人も一緒になってやってみて),子どもに「こうすればできる」を伝える,のだ,ということです。
実際に本の中には,学校から帰る~宿題終わりまでの手順を12項目に細かく分解して図解されています。
本質は,「子どもの視点まで一回おりてみる」ということ,そうであって初めて伝わる,ということのように思います。
私の経験でも「言っても言ってもやらない」はよくわかります。
そのときは親の時間もかかるが,一度「一つ一つの動きまで」レベルで向き合って,一旦,子ども自身の良い習慣がつけば,親として「後がとても楽」というのも経験上知っています。
この本で「やり方」を知れば,多くの人が,親としてそれを「やりきる」自信がつくと思います。
3 「叱る」の原則
親子とというのは感情コントロールが難しいですね。
実際,私の子どもに対する経験でも「叱る」「おこる」,自分が一体何をどうしているのか,よくわからないまま子どもに向き合っていることがありました。
この本では,「叱る」は6秒数えてから,と書かれています。
その心は次の通りで,「叱る」ときにまず一番大切なことは,
親が自分の感情を理解する
ということ,そのうえで,「何を言うか」というステップにいくべき,とのこと。
私もこの点は色んな本で勉強しました。(ビジネスシーンなどでの)怒りのコントール,スポーツ中のメンタルコントロール,マインドフルネスなどで共通することで,
怒りの感情など,わいてくる感情そのものは消せないし,仕方ない
のですが
自分の中にある感情に気づいているかどうか
で,色んなことが大きく異なってきます。
簡単に言うと「怒りの感情に気づく」時点で,既に,感情の渦の真ん中からは脱しています。
感情にまかせてバーンとやって,あとで後悔する,というパターンから抜け出すチャンスを得ています。
さらに,小川さんは,「叱る」にも,うまくいく叱り方がある,そのコツを本の中で紹介してくださっています。
その他にも,子育ての中で重要なターニングポイントとなる時期,例えば「小4の壁」をどう乗り越えるか,など,現代の親が知りたい内容が盛りだくさんです。
この本は,多くの親御さんの助けになる。親子の愛が良い形で未来につながっている助けになると思います。
特に共働き夫婦,ということですが,そうでなくても(専業主婦の家庭でも),あらゆる子育て家庭にお勧めの本です。
灘校土曜講座(有権者教育)行ってきました [だから,今日より明日(教育)]

6月3日(土)に,私の母校である灘校(中学,高校あわせて灘「校」と呼びます)に,
有権者教育 タイトル「有権者となる灘校生の歩き方」
として90分授業に行ってきました。
兵庫県弁護士会の憲法出前講座です。
昨年は,神戸鈴蘭台高校で全校生徒900人対象の有権者教育の講座を行いました。
そのときの記事→ http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2016-12-16
今回,灘校では,受講希望者約30名に対する講座ということなので,全校生対象だった神戸鈴蘭台高校のときとは,また違ったコンセプトでやってきました。
その模様を紹介したいと思います。
1 18歳になって初めての選挙には「行く」が8割
【5完】高校への出前授業「18歳選挙権」行ってきました~その5 [だから,今日より明日(教育)]
※ このシリーズ中に「スマホで読みにくい」という指摘を受け、レイアウト変更しました。
スマホでも読みやすくなりました(横幅が一画面におさまってくれました)。
出前授業続きです。
この記事でレポ終わりです。
「主権者教育」は始まったばかり。まだ、試行錯誤の段階です。
これから、弁護士会も私も「主権者教育」をやっていくだろうし、もっともっといいやり方がないかを探求していくと思います。また、学校の先生も「主権者教育」の研究・準備を始められていると思います。
今回の私の経験が、私自身の、また、「主権者教育」に関わるどなたかにとって、何らかの役に立てばうれしいと思って書きました。
また、中高生、大学生、10代、20代の方がこのレポ記事を見つけて、「選挙について、同年代の人たちはこんなことを考えているのか。自分だったらこうだな・・・」という風に読み進めてもらえたら、最上の喜びです。
(ここまで)
その1 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2016-12-16
その2 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2016-12-16-1
その3 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2016-12-17
その4 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2016-12-17-1
最初の選挙どうする?の話、民主主義と少数意見の話などをしてきました。
最後は、実際の政治テーマ2つについて考えてもらいました。
政治テーマ その1 大学授業料を無償にする政策
Q1 シンプルに、「大学授業料を無償にする政策」に賛成か反対か?
を最初にききました。
賛成が大多数。
大学進学を予定している生徒さんが多いこともあるし、これ自体は良いことに違いありませんね。
しかし、問いを次のように変えてみると・・・
Q2 「大学授業料を無償にする」+「消費税を8%→12%に上げる」
今度は、反対のほうが多数派になりました。
賛成の方も一定数いました。
訊いてみると・・・
反対意見
「大学進学するので自分はありがたいけど、進学しない人にとっては損では」
「自分でお金を払っているからこそちゃんと勉強しようと思う」
賛成意見
「大学教育を受けられる人が多くなることは社会のためになると思う」
どれも、それぞれに理由のある意見。
政治問題というのは、絶対の正解があるわけではなく、どちらにも理由がある、というものだとわかります。
その中で、「自分は何を重要視したいか」を考えて、自分の意見を言う、というものです。
政治問題を考えることは、自分の価値観と向き合うことでもあります。
政治に参加する人(主権者)としては、次の2つがどちらも必要です。
自分と違う考え、価値観があることを認める(反対の意見も尊重する)。
自分の意見を言う。
補足すると、「どれだけ高い税金を取るか」と「教育、福祉にどれくらい国がお金を出してくれるか(自己負担が減るか)」はかなりリンクしています。
北欧(フィンランド、スウェーデンなど)のように「税金は高いが教育・医療はほとんどタダ」という国
アメリカのように「税金は安いが教育・医療は自己負担」という国
という「国のデザインの仕方の違い」に関係します。北欧、アメリカの中間のデザインの国が多いのですが、その中でもどっちの色合いが濃いか、国によって様々です。
この大学授業料の話も、深く考えると、日本が「国のデザインの仕方」としてどういう国を目指すのがいいのか、という大きなテーマに関係してきます。
政治テーマ その2 カジノ解禁?
正直言って、この出前授業の企画をはじめたころ(11月初旬)には、私は「カジノ法案」が今国会で成立するということを全く考えていませんでした。
ところが、何と、この出前授業を行った15日未明に「カジノ法案」(カジノを中心とした統合型リゾート施設(IR)整備を推進する法案)が国会で成立した、というすごいタイミングになりました。
質問 今まで「賭博」として違法とされていたカジノを合法化する政策に賛成ですか?
会場の答えは賛否分かれました。
生徒さんは反対のほうが多かったでしょうか。
壇上の人に聞いてみました。
反対意見
「治安が悪くなる。ギャンブル依存症が心配。」
賛成意見
「うまくいけば経済活性化につながる。ギャンブル依存症対策をしっかりやれば大丈夫だと思う。」
これは、今回の国会での賛成意見・反対意見とも同じです。大人とそん色ない議論。
ここで「議論の切り口」「頭の整理の仕方」のテクニックを2つ紹介しました。
切り口1 「目的と手段」
これを意識して議論する。
カジノ反対意見の生徒さんに、この切り口で意見を述べてもらいました。
「経済振興、外国人客を呼び込みたい、という目的は分かる。
しかし、その手段として、何もカジノのような危険なものでなくてもよいのではないか。
日本の『おもてなし精神』をさらに活かす、観光資源を活かすなどの方法で目的を達成できると思う。」
こうなると普通レベルの大人の意見よりも洗練された感じがします。
切り口2 「必要性と許容性」
これは、どちらかいえば、賛成派とか、何か政策などを提案する人向けかも知れません。
カジノ賛成、推進意見として、
「今、経済活性化の起爆剤が必要だ」 ・・・ 必要性
「治安の悪化、ギャンブル依存症が心配されるが、それにはこういう対策があるから大丈夫」 ・・・ 許容性
という論じ方をする、ということです。
上の賛成意見の生徒さんは、議論の組み立て方として、初めからこの「必要性と許容性」に触れてくれています。組み立てがしっかりできる、というのは論理力があるということですから、とても頼もしいです。
今回は討論してくれた生徒さん全員の発言のレベルの高さには本当に感心しました。高校生にはこれだけの論理力・表現能力が備わっているのだな、と改めて感じました。
また、「必要性と許容性」は「説得」のテクニックというよりも、何かの政策をやろうとする人のチェックポイントという意味もあります。
何らかのアイデア(ここではカジノ)があったとして、「必要性」があるか、「許容性」があるかを両方ともしっかり検討して提案するかどうかを決める、というチェックポイントです。
このチェックが甘いと、提案しても、みんなに賛成してもらえなかったり、痛いところを突かれるとボロボロになってしまったりします。
上のように政治テーマ2つを考えてもらいました。本当はもっとじっくりやりたかったですが、時間が押していたので短時間になってしまいました。
最後に、
質問 友達同士で政治の話をしますか?
これは、ほとんど「しない」という人(ブルーの札)が圧倒的多数でした。
これは今の大人も近い状況なのだと思います。
しかし、今回の授業、討論でやったように、政治について
「しゃべることは、考えること」
です。
確かに、政治の話は価値観の話でもあるので、自分の正直な価値観をそのまま出すのは抵抗がある場面もあります。
将来、母親になって、子供同士が幼稚園で一緒のいわゆる「ママ友」同士の付き合いの中で、
何党を支持しているのか
などの話題は避ける人が多いでしょう。
できれば、政治に対する考えは違っても親友は親友、という付き合いが理想です。私には、親友でありながら、政治に対する発想は正反対で、2人で飲んだらつい議論してしまう、という人もいます。
ただ、そういう付き合いができる人ばかりでもないし、集団によって「多数派」が違ったりして、どうしても政治の話題は避けたほうがいい、と考えることも実際ありますね。
学校で、政治テーマについての議論(ディスカッション)をするとき、「自分の政治思想を明らかにすることに抵抗がある」場合には、次のような方法があります。
例えば、「憲法9条を改正して、軍隊を保持することを明記することに賛成か、反対か」というくらい主義主張が分かれるテーマについて、
教室の右半分 賛成派
教室の左半分 反対派
と役割を決めて、(自分も元々の考えは別として)その役割になりきって議論する、というやり方です。
外国の学校ではこういうディスカッション形式の学びをたくさんやっているそうです。
自分の意見を言うトレーニング
理屈を考えるトレーニング
反対側の意見の理由、発想を想像するトレーニング
何が対立点か見極めるトレーニング
になると思います。
今、高校では、「主権者教育」(生徒が政治の担い手になれるようにする教育)をしなければならないと言われていますが、同時に教育は「政治的中立」であるようにも求められています。
先生が一方の意見を押し付けてはならない、ということですが、政治のテーマを深く掘り下げるならば、どうしても何らかの価値観が出てくるし、ときに現状の政治の批判になることもあると思います。
ここが、現場の先生方を悩ませることではないか、と思います。
そんな中でも、上に紹介したような、役割を決めての「ディスカッション」という方法は、高校などの教育現場で取り入れやすい方法ではないでしょうか(すでに取り入れられている先生方も多くおられるでしょう)。
生徒はどちら側の意見も自由に言いやすいし、先生もコメントしやすいと思います。
とにかく、政治テーマについて(他の何ごとも本質は同じですが)、
しゃべることは考えること
です、ということをお伝えして時間になりました。
(このレポート記事結び)
神戸鈴蘭台高校
90分 全校生徒 1000人 体育館
の弁護士会からの出前授業「18歳選挙権」は以上のとおりでした。
このレポート記事のうち【4】【5】は、実際にしゃべったことに、文章での解説をかなり足しています。
今回の出前授業までの準備(講師である私に関するもの)は次の通りでした。
10月ころに企画が決まる。
11月下旬 高校での打ち合わせ 私と先生、(当日壇上で討論する)生徒さん 1時間半くらい
この打ち合わせに基づいて、当日の計画、テーマ設定を決める。
12月5日ころ 私の作成した「事前課題」プリントを全校生に配布してもらう。
「事前課題」は、 2016参院選での投票率(18,19歳、そのほかの世代)調査など。
12月13日ころ 当日のテーマに関する登壇予定の生徒さんたちの意見を、担当の先生から伝えてもらう。 表にまとめて、私にメール送付していただきました。
これは、構想を練るうえで、非常にありがたかったです。
12月15日 出前授業実施
以上から分かるとおり、私の準備に対応して、学校側、先生、生徒さんに精力的な準備をしていただけたからこそ、90分でこのレポート記事(その1~その5)のような多数のテーマを扱うことができました。
この授業の様子を録音、録画したものを見返しました。
生徒さんの発言、先生の発言などが、授業全体の流れをうまく形作っています。
一方で、今思うと、私のトークについて、「ここでこういう風に話したほうが良かった(盛り上がった)なあ」などと気づくこともたくさんあります。
とにかく、18歳選挙権も、高校での主権者教育も、今始まったばかりなので、私のレポートした試みのほか、同じように、全国で行われているであろういろんな試みの情報が集まって、よりよい授業、学びのあり方が産まれるよう願っています。
今回の出張授業は私にとって非常に貴重な経験(普段の弁護士業務とはまた違った経験)であり、こんな機会を与えて下さった神戸鈴蘭台高校に大変感謝しています。
これで、レポート記事は終わりです。
この長い記事を読んでくださった読者の皆さん、ありがとうございました。
神戸シーサイド法律事務所 弁護士 村上英樹
スマホでも読みやすくなりました(横幅が一画面におさまってくれました)。
出前授業続きです。
この記事でレポ終わりです。
「主権者教育」は始まったばかり。まだ、試行錯誤の段階です。
これから、弁護士会も私も「主権者教育」をやっていくだろうし、もっともっといいやり方がないかを探求していくと思います。また、学校の先生も「主権者教育」の研究・準備を始められていると思います。
今回の私の経験が、私自身の、また、「主権者教育」に関わるどなたかにとって、何らかの役に立てばうれしいと思って書きました。
また、中高生、大学生、10代、20代の方がこのレポ記事を見つけて、「選挙について、同年代の人たちはこんなことを考えているのか。自分だったらこうだな・・・」という風に読み進めてもらえたら、最上の喜びです。
(ここまで)
その1 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2016-12-16
その2 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2016-12-16-1
その3 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2016-12-17
その4 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2016-12-17-1
最初の選挙どうする?の話、民主主義と少数意見の話などをしてきました。
最後は、実際の政治テーマ2つについて考えてもらいました。
政治テーマ その1 大学授業料を無償にする政策
Q1 シンプルに、「大学授業料を無償にする政策」に賛成か反対か?
を最初にききました。
賛成が大多数。
大学進学を予定している生徒さんが多いこともあるし、これ自体は良いことに違いありませんね。
しかし、問いを次のように変えてみると・・・
Q2 「大学授業料を無償にする」+「消費税を8%→12%に上げる」
今度は、反対のほうが多数派になりました。
賛成の方も一定数いました。
訊いてみると・・・
反対意見
「大学進学するので自分はありがたいけど、進学しない人にとっては損では」
「自分でお金を払っているからこそちゃんと勉強しようと思う」
賛成意見
「大学教育を受けられる人が多くなることは社会のためになると思う」
どれも、それぞれに理由のある意見。
政治問題というのは、絶対の正解があるわけではなく、どちらにも理由がある、というものだとわかります。
その中で、「自分は何を重要視したいか」を考えて、自分の意見を言う、というものです。
政治問題を考えることは、自分の価値観と向き合うことでもあります。
政治に参加する人(主権者)としては、次の2つがどちらも必要です。
自分と違う考え、価値観があることを認める(反対の意見も尊重する)。
自分の意見を言う。
補足すると、「どれだけ高い税金を取るか」と「教育、福祉にどれくらい国がお金を出してくれるか(自己負担が減るか)」はかなりリンクしています。
北欧(フィンランド、スウェーデンなど)のように「税金は高いが教育・医療はほとんどタダ」という国
アメリカのように「税金は安いが教育・医療は自己負担」という国
という「国のデザインの仕方の違い」に関係します。北欧、アメリカの中間のデザインの国が多いのですが、その中でもどっちの色合いが濃いか、国によって様々です。
この大学授業料の話も、深く考えると、日本が「国のデザインの仕方」としてどういう国を目指すのがいいのか、という大きなテーマに関係してきます。
政治テーマ その2 カジノ解禁?
正直言って、この出前授業の企画をはじめたころ(11月初旬)には、私は「カジノ法案」が今国会で成立するということを全く考えていませんでした。
ところが、何と、この出前授業を行った15日未明に「カジノ法案」(カジノを中心とした統合型リゾート施設(IR)整備を推進する法案)が国会で成立した、というすごいタイミングになりました。
質問 今まで「賭博」として違法とされていたカジノを合法化する政策に賛成ですか?
会場の答えは賛否分かれました。
生徒さんは反対のほうが多かったでしょうか。
壇上の人に聞いてみました。
反対意見
「治安が悪くなる。ギャンブル依存症が心配。」
賛成意見
「うまくいけば経済活性化につながる。ギャンブル依存症対策をしっかりやれば大丈夫だと思う。」
これは、今回の国会での賛成意見・反対意見とも同じです。大人とそん色ない議論。
ここで「議論の切り口」「頭の整理の仕方」のテクニックを2つ紹介しました。
切り口1 「目的と手段」
これを意識して議論する。
カジノ反対意見の生徒さんに、この切り口で意見を述べてもらいました。
「経済振興、外国人客を呼び込みたい、という目的は分かる。
しかし、その手段として、何もカジノのような危険なものでなくてもよいのではないか。
日本の『おもてなし精神』をさらに活かす、観光資源を活かすなどの方法で目的を達成できると思う。」
こうなると普通レベルの大人の意見よりも洗練された感じがします。
切り口2 「必要性と許容性」
これは、どちらかいえば、賛成派とか、何か政策などを提案する人向けかも知れません。
カジノ賛成、推進意見として、
「今、経済活性化の起爆剤が必要だ」 ・・・ 必要性
「治安の悪化、ギャンブル依存症が心配されるが、それにはこういう対策があるから大丈夫」 ・・・ 許容性
という論じ方をする、ということです。
上の賛成意見の生徒さんは、議論の組み立て方として、初めからこの「必要性と許容性」に触れてくれています。組み立てがしっかりできる、というのは論理力があるということですから、とても頼もしいです。
今回は討論してくれた生徒さん全員の発言のレベルの高さには本当に感心しました。高校生にはこれだけの論理力・表現能力が備わっているのだな、と改めて感じました。
また、「必要性と許容性」は「説得」のテクニックというよりも、何かの政策をやろうとする人のチェックポイントという意味もあります。
何らかのアイデア(ここではカジノ)があったとして、「必要性」があるか、「許容性」があるかを両方ともしっかり検討して提案するかどうかを決める、というチェックポイントです。
このチェックが甘いと、提案しても、みんなに賛成してもらえなかったり、痛いところを突かれるとボロボロになってしまったりします。
上のように政治テーマ2つを考えてもらいました。本当はもっとじっくりやりたかったですが、時間が押していたので短時間になってしまいました。
最後に、
質問 友達同士で政治の話をしますか?
これは、ほとんど「しない」という人(ブルーの札)が圧倒的多数でした。
これは今の大人も近い状況なのだと思います。
しかし、今回の授業、討論でやったように、政治について
「しゃべることは、考えること」
です。
確かに、政治の話は価値観の話でもあるので、自分の正直な価値観をそのまま出すのは抵抗がある場面もあります。
将来、母親になって、子供同士が幼稚園で一緒のいわゆる「ママ友」同士の付き合いの中で、
何党を支持しているのか
などの話題は避ける人が多いでしょう。
できれば、政治に対する考えは違っても親友は親友、という付き合いが理想です。私には、親友でありながら、政治に対する発想は正反対で、2人で飲んだらつい議論してしまう、という人もいます。
ただ、そういう付き合いができる人ばかりでもないし、集団によって「多数派」が違ったりして、どうしても政治の話題は避けたほうがいい、と考えることも実際ありますね。
学校で、政治テーマについての議論(ディスカッション)をするとき、「自分の政治思想を明らかにすることに抵抗がある」場合には、次のような方法があります。
例えば、「憲法9条を改正して、軍隊を保持することを明記することに賛成か、反対か」というくらい主義主張が分かれるテーマについて、
教室の右半分 賛成派
教室の左半分 反対派
と役割を決めて、(自分も元々の考えは別として)その役割になりきって議論する、というやり方です。
外国の学校ではこういうディスカッション形式の学びをたくさんやっているそうです。
自分の意見を言うトレーニング
理屈を考えるトレーニング
反対側の意見の理由、発想を想像するトレーニング
何が対立点か見極めるトレーニング
になると思います。
今、高校では、「主権者教育」(生徒が政治の担い手になれるようにする教育)をしなければならないと言われていますが、同時に教育は「政治的中立」であるようにも求められています。
先生が一方の意見を押し付けてはならない、ということですが、政治のテーマを深く掘り下げるならば、どうしても何らかの価値観が出てくるし、ときに現状の政治の批判になることもあると思います。
ここが、現場の先生方を悩ませることではないか、と思います。
そんな中でも、上に紹介したような、役割を決めての「ディスカッション」という方法は、高校などの教育現場で取り入れやすい方法ではないでしょうか(すでに取り入れられている先生方も多くおられるでしょう)。
生徒はどちら側の意見も自由に言いやすいし、先生もコメントしやすいと思います。
とにかく、政治テーマについて(他の何ごとも本質は同じですが)、
しゃべることは考えること
です、ということをお伝えして時間になりました。
(このレポート記事結び)
神戸鈴蘭台高校
90分 全校生徒 1000人 体育館
の弁護士会からの出前授業「18歳選挙権」は以上のとおりでした。
このレポート記事のうち【4】【5】は、実際にしゃべったことに、文章での解説をかなり足しています。
今回の出前授業までの準備(講師である私に関するもの)は次の通りでした。
10月ころに企画が決まる。
11月下旬 高校での打ち合わせ 私と先生、(当日壇上で討論する)生徒さん 1時間半くらい
この打ち合わせに基づいて、当日の計画、テーマ設定を決める。
12月5日ころ 私の作成した「事前課題」プリントを全校生に配布してもらう。
「事前課題」は、 2016参院選での投票率(18,19歳、そのほかの世代)調査など。
12月13日ころ 当日のテーマに関する登壇予定の生徒さんたちの意見を、担当の先生から伝えてもらう。 表にまとめて、私にメール送付していただきました。
これは、構想を練るうえで、非常にありがたかったです。
12月15日 出前授業実施
以上から分かるとおり、私の準備に対応して、学校側、先生、生徒さんに精力的な準備をしていただけたからこそ、90分でこのレポート記事(その1~その5)のような多数のテーマを扱うことができました。
この授業の様子を録音、録画したものを見返しました。
生徒さんの発言、先生の発言などが、授業全体の流れをうまく形作っています。
一方で、今思うと、私のトークについて、「ここでこういう風に話したほうが良かった(盛り上がった)なあ」などと気づくこともたくさんあります。
とにかく、18歳選挙権も、高校での主権者教育も、今始まったばかりなので、私のレポートした試みのほか、同じように、全国で行われているであろういろんな試みの情報が集まって、よりよい授業、学びのあり方が産まれるよう願っています。
今回の出張授業は私にとって非常に貴重な経験(普段の弁護士業務とはまた違った経験)であり、こんな機会を与えて下さった神戸鈴蘭台高校に大変感謝しています。
これで、レポート記事は終わりです。
この長い記事を読んでくださった読者の皆さん、ありがとうございました。
神戸シーサイド法律事務所 弁護士 村上英樹
【4】高校への出前授業「18歳選挙権」行ってきました~その4 [だから,今日より明日(教育)]
出前授業続きです。
その1 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2016-12-16
その2 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2016-12-16-1
その3 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2016-12-17
選挙に行くとはどういうことか?という話を、生徒さんや先生と討論しながら進めてきました。
そして、
テーマ4 表現の自由 少数意見は大切か?
に入ります。このコーナーは、私が特に伝えたかったことです。
表現の自由は憲法21条で保障されています。
憲法の保障する人権や自由の中で、一番と言ってもいいくらい重要な地位にあります。
表現の自由の持つ、大切な意味、役割は2つ。
「自己実現」と「自己統治」。このキーワードを覚えて帰って下さい、と。
「自己実現」
これは分かりやすい。
ミュージシャンが、自分の感覚などを音楽で表現するなど。
西野カナには西野カナの世界、サザンにはサザンの世界がありますよね。
自分を自分らしく活かしていく、ということです。
では、もうひとつの「自己統治」という意味、役割はなんでしょう。これが、今回の「選挙権」に関係するのです。
「自己統治」
国民が自由にモノが言えることが、民主主義に必要だということです。
自由にものがいえるからこそ、国民が国を動かしている(自分で国を統治している)といえるのです。
ここまで。
憲法の教科書に載っていることです。
ですが、実際に教科書通りに行くか? が、皆さんに尋ねてみたいことでした。
選挙というのは、要するに多数決です。
多数の票を取った人が必ず正しいのでしょうか。
少数しか集まらない意見はどうなる?
Q1 「100人中90人が賛成することに、反対する人に対して、あなたはどんな印象を持ちますか?」
討論に参加していただく生徒さんには、10日くらい前にこの質問をしておき、事前に考えてきてもらいました。
「表現の自由は大切です」と教科書通りにはだれでも言えます。
しかし、現実に何かを決めようとしているとき、「流れ」が決まっていて、9割賛成の「空気」ができあがっていて、そんなときに、
流れぶった切って、「ちょっと待ってください」という人
に対して、
うざい、面倒くさい、空気読めない
という印象を持つことがありませんか、という問いです。
「うざい」までは思わないかもしれませんが、「えー、何なのよ、もう?」くらい思うのはごく自然なことです。
私も、例えば、学生のとき生徒会にいたとき、弁護士会で役員をしていたときとかにはそう思いました。
会議で、質問とか反対意見とかできるだけ出ずに、提案した議案がスーッと通ったらいいなあ、というのは正直な気持ちです。(だって、みんな色々忙しいですから。)
さて、この「100人中90人が賛成することに、反対する人に対して、あなたはどんな印象を持ちますか?」
に対して、私がとても感心した生徒さんの意見。
「実は大切な人ではないかと思う」
「少数だと意見を言うのに抵抗があるかもしれないのに敢えて言える人」
「その意見を聴いて、90人の人の中にも違った考えができるかもしれない」
私が感心したのは、最初の「「実は大切な人」という表現がすごくピッタリだったことです。
なんてセンスのいい表現のできる生徒さんだろう、と。
事前に考えてもらっているから即席ではありませんが、この出前授業のために自分の頭でここまで考えてこられた(予習ですね)、素晴らしいと思いました。
討論に参加された他の生徒さんも、意味としては同じことを考えてきてくださっていました。
もう私からの解説は不要なくらいでした。
一つだけ付け加えるとすれば、憲法の「表現の自由」の意味は、少数意見でも自由に言えるようにするという意味だ、ということです。(なぜなら、多数意見や社会の空気に合う意見はもともと言いやすい、たとえ憲法で保障されなくても言えなくなることは滅多にないだろうから。)
さて、少数意見は大切。
ですが、まだまだこれでは「きれいごと」かも知れません。
もっと深く考えたい。
Q2 「選挙に出ても大差で敗れる人をあなたはどう思う?」
これを問うてみました。
どこかの市長選挙で
福山はるまさ 10万票 当
山田太郎 1万票 落
だったとしたら、山田太郎さんに対してどう思いますか?
もし自分のお父さんだったらどんな気持ちですか?
という、ちょっとキツイ問いです。
やっぱり数字で出て「負け」ですから、ちょっと辛いのではないでしょうか。
私は阪神タイガースのファンですが、巨人に10-1で負けたときのような辛さを感じないと言ったらうそになるでしょう。
さっき少数意見は大切という話をしました。
多数派でないのに立候補した山田太郎さんは「実は大切な人」の可能性があります。
事前にきいていた生徒さんの意見では
「こういう人が選択肢をつくってくれる。だから意味がある。」
というものがありました。確かにそうです。
さらに、次の生徒さんからのコメントも大切なことを含んでいました。
「(落選した人は)なぜあかんかったのか、よく考える必要があるのじゃないか」
一見厳しいですが、これは、私はとても大切だと思います。
政治というのは、自分が正しいと思っているだけではどうにもならないのです。
これも伝えたかったので、上の生徒さんの発言に注目しました。
たとえ「正しい」と思っていたとしても、そのことを多くの人に分かってもらって、支持してもらう人を増やして初めて、自分の考えが実現できます。世界を良くできます。
「伝える力」が必要です。
山田太郎さんは、勇気をもって出馬したことは貴重です。
ただ、これで終わってはいけない、まだやるべきことがある、もっと努力すべきことがある(「もっと人に伝える、支持を広げる努力をすべき」)、という状態の人かもしれませんね。
このあたり、かなり難しい内容かなと思いますが、ここからちょっと話題を変えて・・・
「映画、マンガ、少し前に現実にあった出来事」と配布資料に書いたお話を。
まず映画、マンガの話。
大ヒット映画「君の名は」(私も観てきました。家族はみんなもう観たというから、一人HAT神戸で http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2016-11-04)
のことを考えてみます。
まだ上映中ですから、あまりネタバレできません。
考えてみれば、この出前授業では少しネタバレが過ぎたか、と反省しています。
このブログは文章で残ってしまうから、さらに慎重に書きます。
「君の名は」の中では、接近する「彗星」に秘められた「あること」があって、それを知ってしまった人が・・・(☆書けません)というシーンがあります。
例えば、過去へタイムスリップする映画、ドラマ(「仁-JIN」など)では、
そのあと起こる出来事(悲劇)を知っている主人公が、懸命にその「バッドエンド」を避けようとする
ということがよくあります。
また、SF物などでも、
「私だけが知ってしまった。」 「このままでは世界が滅んでしまう。」 「みんなに知らせなきゃ!!」
というストーリーのものがあります。
これって、最初の状態は、
圧倒的に少数意見
です。
こういう話は、当然ですが次のような展開になります。
「聞いてください。このままでは○○なことが起こる。だから、それを避けるために・・・」
「はあ?お前何言っているんだ。おかしくなったんじゃないか」(と言って取り合ってもらえない)
だから、
世界(社会)を救う意見は少数意見から始まることがある
ということは、みんな、映画でも、マンガでも沢山観てきたはずなのだ、という話。
「いやいやいや、そんな安直な、弁護士さん。それはあくまで映画やマンガの世界でしょ。」
と発言した方はおられませんでしたが、こんな風に思う人はいるかもしれません。
が、現実の世界でもこれと同じことはあるのです。
少し前に現実に起こった出来事 福島第一原発事故(2011 東日本大震災のとき)
のことをお話ししました。
この事故は、地震で電源が落ちたため核燃料を冷却することができず、また、そういう事態に備えたはずの予備用の電源も津波のために使えなかったために、核燃料が過熱し水素爆発に至った事故です。
原子力発電所の事故の危険について警告する声は、2011年以前にもありましたが少数の声でした。
さらにいえば、具体的に、「地震と津波によって主の電源、予備の電源ともに失われ事故に至る危険がある」ことを指摘していた人もいた、というのです。
ですが、多数の人(私も含めて)は、
日本の原発でまさか大きな事故は起こらないだろう
と思っていました。
私は、「地震と津波によって主の電源、予備の電源ともに失われ事故に至る危険がある」などと言っている人の存在も知りませんでした。もしかしたら、どこかで聞く、見るチャンスがあったかも知れませんが、関心を持っていませんでしたら、そういう声を一回聴いても「まさか」と思っていたことでしょう。
この話は、事故の具体的な危険性を指摘していた人が偉い、という話ではありません。
危険を指摘していた人は、原発事故が起こったときどういう気持ちだったでしょうか。
「ほらみろ、俺の言った通りだろう」と威張る気持ちになれるでしょうか。
決してそうはなれないだろう、と思います。
むしろ、
「自分は分かっていたのに、止められなかった」
「もしかすると、多くの人がふるさとから避難しなければならない事態を避けられたかも知れないのに」
と、「分かっていた」「知っていた」だけに辛かったのではないでしょうか。
自分が、それを止めるのに必要な人にもっと上手く伝えられていたら、と思わずにはおられなかったのではないか、と思います。
一方、原子力発電所を管理する側の国や電力会社の人たちとしても、「なぜ、危険を指摘する声をもっと重視して対策を打たなかったのだろう。そうすれば今のような事態を避けられたのに」と思っているでしょう。
私のような多数の人(原発事故の危険をあまり深く考えたことがなかった人)としても、
「考えてみれば、地震列島の日本で原発は危険だった。もっと安全を重視して対策をさせる方向で声を上げるべきだったのではないか」
「危険を指摘する声に自分はなぜ真剣に耳を傾けなかったか」
という後悔が残ります。
結局、社会のことは一人だけではどうにも動かせないのです。
「みんなに伝えるべきこと」「社会を(世界を)救えるかもしれない意見」を自分は持っていたとして、それを多くの人、または、政治を動かせる立場にある人に伝え、分かってもらい、行動に移してもらわなければなりません。
高校の先生は、
「それにはコミュニケーション力が必要ですね」
とコメントされていました。その通りだと思います。
少数派、少数意見から始まって、多くの人に理解してもらおうと思うならば、間違っても、自分の意見に反対の人を「バカ」呼ばわりしてはいけません。そんなことをしたら絶対に叶いません。
自分と反対の意見を持つ人がなぜそう考えるのかも想像しながら、分かるように伝える努力が必要です。
そうしたら、今は少数意見でも、いずれは多数意見、あるいは常識になっているかもしれません。
少数意見から始まる こともある
ということだと思います。
また、例えば、たとえば国の政治でも、野党が言っていることでも「これは大事なことだ」と思えば、政府・与党がそれをパクることは「全然アリ」です。
多数派の人が、少数意見に耳を傾け「それももっともだ、もう一度考えてみよう」となること。
素晴らしいことだと思います。
社会を良くするためのアイデア・知恵に著作権はありません。みんなが自由に使える財産です。
だから、若い皆さんには、自分の支持政党を考えることもいいことだと思いますが、いつでも柔軟に、何党が言っているかに関わらず自分の頭で考えて良いことかどうか判断してもらえるといいと思います。
(未来、良いことが)少数意見から始まることもある
実現するには、伝える力が重要
多数派の側にいても「少数意見にも耳を傾ける」ほうが、みんなが幸せになれる可能性が高くなる
ということが私の伝えたい話でした。
ここは、討論よりも主に私から皆さんに話をするコーナーでした。
出前授業で話したことに文章をだいぶ補足して解説し、この記事にしました。
さて、この授業も最終盤。
時間も押してきましたが、実際の政治テーマを2つ討論してもらいました。
「大学授業無償化」
「カジノ解禁?」
の2つです。これはいろんな意見が出ました。(つづく)
神戸シーサイド法律事務所 弁護士 村上英樹
その1 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2016-12-16
その2 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2016-12-16-1
その3 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2016-12-17
選挙に行くとはどういうことか?という話を、生徒さんや先生と討論しながら進めてきました。
そして、
テーマ4 表現の自由 少数意見は大切か?
に入ります。このコーナーは、私が特に伝えたかったことです。
表現の自由は憲法21条で保障されています。
憲法の保障する人権や自由の中で、一番と言ってもいいくらい重要な地位にあります。
表現の自由の持つ、大切な意味、役割は2つ。
「自己実現」と「自己統治」。このキーワードを覚えて帰って下さい、と。
「自己実現」
これは分かりやすい。
ミュージシャンが、自分の感覚などを音楽で表現するなど。
西野カナには西野カナの世界、サザンにはサザンの世界がありますよね。
自分を自分らしく活かしていく、ということです。
では、もうひとつの「自己統治」という意味、役割はなんでしょう。これが、今回の「選挙権」に関係するのです。
「自己統治」
国民が自由にモノが言えることが、民主主義に必要だということです。
自由にものがいえるからこそ、国民が国を動かしている(自分で国を統治している)といえるのです。
ここまで。
憲法の教科書に載っていることです。
ですが、実際に教科書通りに行くか? が、皆さんに尋ねてみたいことでした。
選挙というのは、要するに多数決です。
多数の票を取った人が必ず正しいのでしょうか。
少数しか集まらない意見はどうなる?
Q1 「100人中90人が賛成することに、反対する人に対して、あなたはどんな印象を持ちますか?」
討論に参加していただく生徒さんには、10日くらい前にこの質問をしておき、事前に考えてきてもらいました。
「表現の自由は大切です」と教科書通りにはだれでも言えます。
しかし、現実に何かを決めようとしているとき、「流れ」が決まっていて、9割賛成の「空気」ができあがっていて、そんなときに、
流れぶった切って、「ちょっと待ってください」という人
に対して、
うざい、面倒くさい、空気読めない
という印象を持つことがありませんか、という問いです。
「うざい」までは思わないかもしれませんが、「えー、何なのよ、もう?」くらい思うのはごく自然なことです。
私も、例えば、学生のとき生徒会にいたとき、弁護士会で役員をしていたときとかにはそう思いました。
会議で、質問とか反対意見とかできるだけ出ずに、提案した議案がスーッと通ったらいいなあ、というのは正直な気持ちです。(だって、みんな色々忙しいですから。)
さて、この「100人中90人が賛成することに、反対する人に対して、あなたはどんな印象を持ちますか?」
に対して、私がとても感心した生徒さんの意見。
「実は大切な人ではないかと思う」
「少数だと意見を言うのに抵抗があるかもしれないのに敢えて言える人」
「その意見を聴いて、90人の人の中にも違った考えができるかもしれない」
私が感心したのは、最初の「「実は大切な人」という表現がすごくピッタリだったことです。
なんてセンスのいい表現のできる生徒さんだろう、と。
事前に考えてもらっているから即席ではありませんが、この出前授業のために自分の頭でここまで考えてこられた(予習ですね)、素晴らしいと思いました。
討論に参加された他の生徒さんも、意味としては同じことを考えてきてくださっていました。
もう私からの解説は不要なくらいでした。
一つだけ付け加えるとすれば、憲法の「表現の自由」の意味は、少数意見でも自由に言えるようにするという意味だ、ということです。(なぜなら、多数意見や社会の空気に合う意見はもともと言いやすい、たとえ憲法で保障されなくても言えなくなることは滅多にないだろうから。)
さて、少数意見は大切。
ですが、まだまだこれでは「きれいごと」かも知れません。
もっと深く考えたい。
Q2 「選挙に出ても大差で敗れる人をあなたはどう思う?」
これを問うてみました。
どこかの市長選挙で
福山はるまさ 10万票 当
山田太郎 1万票 落
だったとしたら、山田太郎さんに対してどう思いますか?
もし自分のお父さんだったらどんな気持ちですか?
という、ちょっとキツイ問いです。
やっぱり数字で出て「負け」ですから、ちょっと辛いのではないでしょうか。
私は阪神タイガースのファンですが、巨人に10-1で負けたときのような辛さを感じないと言ったらうそになるでしょう。
さっき少数意見は大切という話をしました。
多数派でないのに立候補した山田太郎さんは「実は大切な人」の可能性があります。
事前にきいていた生徒さんの意見では
「こういう人が選択肢をつくってくれる。だから意味がある。」
というものがありました。確かにそうです。
さらに、次の生徒さんからのコメントも大切なことを含んでいました。
「(落選した人は)なぜあかんかったのか、よく考える必要があるのじゃないか」
一見厳しいですが、これは、私はとても大切だと思います。
政治というのは、自分が正しいと思っているだけではどうにもならないのです。
これも伝えたかったので、上の生徒さんの発言に注目しました。
たとえ「正しい」と思っていたとしても、そのことを多くの人に分かってもらって、支持してもらう人を増やして初めて、自分の考えが実現できます。世界を良くできます。
「伝える力」が必要です。
山田太郎さんは、勇気をもって出馬したことは貴重です。
ただ、これで終わってはいけない、まだやるべきことがある、もっと努力すべきことがある(「もっと人に伝える、支持を広げる努力をすべき」)、という状態の人かもしれませんね。
このあたり、かなり難しい内容かなと思いますが、ここからちょっと話題を変えて・・・
「映画、マンガ、少し前に現実にあった出来事」と配布資料に書いたお話を。
まず映画、マンガの話。
大ヒット映画「君の名は」(私も観てきました。家族はみんなもう観たというから、一人HAT神戸で http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2016-11-04)
のことを考えてみます。
まだ上映中ですから、あまりネタバレできません。
考えてみれば、この出前授業では少しネタバレが過ぎたか、と反省しています。
このブログは文章で残ってしまうから、さらに慎重に書きます。
「君の名は」の中では、接近する「彗星」に秘められた「あること」があって、それを知ってしまった人が・・・(☆書けません)というシーンがあります。
例えば、過去へタイムスリップする映画、ドラマ(「仁-JIN」など)では、
そのあと起こる出来事(悲劇)を知っている主人公が、懸命にその「バッドエンド」を避けようとする
ということがよくあります。
また、SF物などでも、
「私だけが知ってしまった。」 「このままでは世界が滅んでしまう。」 「みんなに知らせなきゃ!!」
というストーリーのものがあります。
これって、最初の状態は、
圧倒的に少数意見
です。
こういう話は、当然ですが次のような展開になります。
「聞いてください。このままでは○○なことが起こる。だから、それを避けるために・・・」
「はあ?お前何言っているんだ。おかしくなったんじゃないか」(と言って取り合ってもらえない)
だから、
世界(社会)を救う意見は少数意見から始まることがある
ということは、みんな、映画でも、マンガでも沢山観てきたはずなのだ、という話。
「いやいやいや、そんな安直な、弁護士さん。それはあくまで映画やマンガの世界でしょ。」
と発言した方はおられませんでしたが、こんな風に思う人はいるかもしれません。
が、現実の世界でもこれと同じことはあるのです。
少し前に現実に起こった出来事 福島第一原発事故(2011 東日本大震災のとき)
のことをお話ししました。
この事故は、地震で電源が落ちたため核燃料を冷却することができず、また、そういう事態に備えたはずの予備用の電源も津波のために使えなかったために、核燃料が過熱し水素爆発に至った事故です。
原子力発電所の事故の危険について警告する声は、2011年以前にもありましたが少数の声でした。
さらにいえば、具体的に、「地震と津波によって主の電源、予備の電源ともに失われ事故に至る危険がある」ことを指摘していた人もいた、というのです。
ですが、多数の人(私も含めて)は、
日本の原発でまさか大きな事故は起こらないだろう
と思っていました。
私は、「地震と津波によって主の電源、予備の電源ともに失われ事故に至る危険がある」などと言っている人の存在も知りませんでした。もしかしたら、どこかで聞く、見るチャンスがあったかも知れませんが、関心を持っていませんでしたら、そういう声を一回聴いても「まさか」と思っていたことでしょう。
この話は、事故の具体的な危険性を指摘していた人が偉い、という話ではありません。
危険を指摘していた人は、原発事故が起こったときどういう気持ちだったでしょうか。
「ほらみろ、俺の言った通りだろう」と威張る気持ちになれるでしょうか。
決してそうはなれないだろう、と思います。
むしろ、
「自分は分かっていたのに、止められなかった」
「もしかすると、多くの人がふるさとから避難しなければならない事態を避けられたかも知れないのに」
と、「分かっていた」「知っていた」だけに辛かったのではないでしょうか。
自分が、それを止めるのに必要な人にもっと上手く伝えられていたら、と思わずにはおられなかったのではないか、と思います。
一方、原子力発電所を管理する側の国や電力会社の人たちとしても、「なぜ、危険を指摘する声をもっと重視して対策を打たなかったのだろう。そうすれば今のような事態を避けられたのに」と思っているでしょう。
私のような多数の人(原発事故の危険をあまり深く考えたことがなかった人)としても、
「考えてみれば、地震列島の日本で原発は危険だった。もっと安全を重視して対策をさせる方向で声を上げるべきだったのではないか」
「危険を指摘する声に自分はなぜ真剣に耳を傾けなかったか」
という後悔が残ります。
結局、社会のことは一人だけではどうにも動かせないのです。
「みんなに伝えるべきこと」「社会を(世界を)救えるかもしれない意見」を自分は持っていたとして、それを多くの人、または、政治を動かせる立場にある人に伝え、分かってもらい、行動に移してもらわなければなりません。
高校の先生は、
「それにはコミュニケーション力が必要ですね」
とコメントされていました。その通りだと思います。
少数派、少数意見から始まって、多くの人に理解してもらおうと思うならば、間違っても、自分の意見に反対の人を「バカ」呼ばわりしてはいけません。そんなことをしたら絶対に叶いません。
自分と反対の意見を持つ人がなぜそう考えるのかも想像しながら、分かるように伝える努力が必要です。
そうしたら、今は少数意見でも、いずれは多数意見、あるいは常識になっているかもしれません。
少数意見から始まる こともある
ということだと思います。
また、例えば、たとえば国の政治でも、野党が言っていることでも「これは大事なことだ」と思えば、政府・与党がそれをパクることは「全然アリ」です。
多数派の人が、少数意見に耳を傾け「それももっともだ、もう一度考えてみよう」となること。
素晴らしいことだと思います。
社会を良くするためのアイデア・知恵に著作権はありません。みんなが自由に使える財産です。
だから、若い皆さんには、自分の支持政党を考えることもいいことだと思いますが、いつでも柔軟に、何党が言っているかに関わらず自分の頭で考えて良いことかどうか判断してもらえるといいと思います。
(未来、良いことが)少数意見から始まることもある
実現するには、伝える力が重要
多数派の側にいても「少数意見にも耳を傾ける」ほうが、みんなが幸せになれる可能性が高くなる
ということが私の伝えたい話でした。
ここは、討論よりも主に私から皆さんに話をするコーナーでした。
出前授業で話したことに文章をだいぶ補足して解説し、この記事にしました。
さて、この授業も最終盤。
時間も押してきましたが、実際の政治テーマを2つ討論してもらいました。
「大学授業無償化」
「カジノ解禁?」
の2つです。これはいろんな意見が出ました。(つづく)
神戸シーサイド法律事務所 弁護士 村上英樹
【3】高校への出前授業「18歳選挙権」行ってきました~その3 [だから,今日より明日(教育)]
その1 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2016-12-16
その2 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2016-12-16-1
神戸鈴蘭台高校での出前授業、続きです。
この出前授業中は、学校と放送部との協力によりある演出をしていただきました。
例えば、
「あなたは大学授業料無償化に賛成!」
みたいな質問に対し、会場では、
賛成の生徒 ピンクの札
反対の生徒 ブルーの札
を上げてもらいます。
そのピンクとブルーの札の上がり具合を、前から撮った画像(全体像)がそのまま前の大スクリーンに映してもらっています。
選挙では、一人一人は一票。
その集合が、選挙区の、国の、そのときの何らかの答えになる。
それと同じようなイメージをこの出前授業でも作れたら、というコンセプトで、学校側に工夫していただいたのがこの演出。
前向きで、エネルギッシュな先生、生徒さんたちの工夫に、素晴らしいなあ、と思いました。
さて、授業のテーマは
テーマ3 選挙に行ったら何が変わる?(「人生が変わる?」)
に進みます。
ここは、いちはやく今年の選挙に行った3年生の2人から、「経験談」をきいてみます。
「大人になった感じがした」 → この「感じ」、感覚はとても大事なものだと思います!
社会の一員という感覚で生きる、というのが大人ですもんね。
「投票したことで、(政治)ニュースに関心が増した」 「投票した相手に関係するニュースは、『耳に入ってくる』」
→ 私も、初めて投票した後は、それを感じました。
これは大きいと思います。
今までスルーしていたニュースが、投票すると「自分の投票した○○党」のニュースになります。
そうすると、
「ああ、○○党に投票してよかったな。いいことしてくれているな。」
ということもあれば、
「○○さん、何してくれてんの!?私が一票を入れたのに(怒)」
とか。
これが一種の「大人のニュース感覚」です。
自分にとって「関心あるニュース」「面白いニュース」の割合が増えるので、大げさに言えば、人生少し楽しくエキサイティングになります。
さて、そうすると、投票した結果が自分にとって「失敗」ということもありえるわけで、それなら投票に行くのも怖いことじゃないか、と思う人もいるかもしれないが・・・という話もあるのですが、そこは、
「(衆議院なら遅くとも)4年後にまた選挙がある」
「次の選挙で、もっとよく考えて投票するための材料、経験にするのがいい」
との先生からのアドバイス。
そうです。
間違った、失敗したとしても、オリンピックのごとく「4年後がある」。
政治、選挙は、絶対の正解がない世界。
試行錯誤、トライアンドエラー、あって当然。
「何党がいいのか、だれがいいのか、自分が絶対正しいという自信がない」のは18歳も、41歳(私)も、70歳も同じです。
それでも、
そのときの自分の考え、感覚に近い投票をしてみる
というのが選挙を通じての政治参加です。
それでいいよ、という話でした。
あと、先生から、選挙権の意味について大事な指摘をしていただきました。
私が、これは説得力あるなあ、と思った話。
「税金は投票に行かなくても納めなければならない。
では、その税金の使い道について、意見を言わずに、国に政治家にお任せでいいですか?」
「お金だけ渡してどうぞ自由に使って、で本当にいいですか?」
というメッセージ。
「渡したお金(税金)は、できるだけこういうことに(例えば、教育、子育て、地元産業の振興など)使ってよ」という意思表示をする貴重な機会が、選挙での一票です。
この問いかけ方は、今後も私が同じような出前授業や講演をするときは使わせてもらおう、と思いました。
90分の授業。
全校生徒ともなると、どうしても体育館で床に座る形です。
これは長丁場なので、足腰にくる・・・
60分経過のところで、一息入れてストレッチをしていただき、後半戦へ。
私が大切だと思っている話を次に。
テーマ4 表現の自由~少数意見は大切?
(あの大ヒット映画の一場面も関係ある!?)
へと(つづく)
神戸シーサイド法律事務所 弁護士 村上英樹
その2 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2016-12-16-1
神戸鈴蘭台高校での出前授業、続きです。
この出前授業中は、学校と放送部との協力によりある演出をしていただきました。
例えば、
「あなたは大学授業料無償化に賛成!」
みたいな質問に対し、会場では、
賛成の生徒 ピンクの札
反対の生徒 ブルーの札
を上げてもらいます。
そのピンクとブルーの札の上がり具合を、前から撮った画像(全体像)がそのまま前の大スクリーンに映してもらっています。
選挙では、一人一人は一票。
その集合が、選挙区の、国の、そのときの何らかの答えになる。
それと同じようなイメージをこの出前授業でも作れたら、というコンセプトで、学校側に工夫していただいたのがこの演出。
前向きで、エネルギッシュな先生、生徒さんたちの工夫に、素晴らしいなあ、と思いました。
さて、授業のテーマは
テーマ3 選挙に行ったら何が変わる?(「人生が変わる?」)
に進みます。
ここは、いちはやく今年の選挙に行った3年生の2人から、「経験談」をきいてみます。
「大人になった感じがした」 → この「感じ」、感覚はとても大事なものだと思います!
社会の一員という感覚で生きる、というのが大人ですもんね。
「投票したことで、(政治)ニュースに関心が増した」 「投票した相手に関係するニュースは、『耳に入ってくる』」
→ 私も、初めて投票した後は、それを感じました。
これは大きいと思います。
今までスルーしていたニュースが、投票すると「自分の投票した○○党」のニュースになります。
そうすると、
「ああ、○○党に投票してよかったな。いいことしてくれているな。」
ということもあれば、
「○○さん、何してくれてんの!?私が一票を入れたのに(怒)」
とか。
これが一種の「大人のニュース感覚」です。
自分にとって「関心あるニュース」「面白いニュース」の割合が増えるので、大げさに言えば、人生少し楽しくエキサイティングになります。
さて、そうすると、投票した結果が自分にとって「失敗」ということもありえるわけで、それなら投票に行くのも怖いことじゃないか、と思う人もいるかもしれないが・・・という話もあるのですが、そこは、
「(衆議院なら遅くとも)4年後にまた選挙がある」
「次の選挙で、もっとよく考えて投票するための材料、経験にするのがいい」
との先生からのアドバイス。
そうです。
間違った、失敗したとしても、オリンピックのごとく「4年後がある」。
政治、選挙は、絶対の正解がない世界。
試行錯誤、トライアンドエラー、あって当然。
「何党がいいのか、だれがいいのか、自分が絶対正しいという自信がない」のは18歳も、41歳(私)も、70歳も同じです。
それでも、
そのときの自分の考え、感覚に近い投票をしてみる
というのが選挙を通じての政治参加です。
それでいいよ、という話でした。
あと、先生から、選挙権の意味について大事な指摘をしていただきました。
私が、これは説得力あるなあ、と思った話。
「税金は投票に行かなくても納めなければならない。
では、その税金の使い道について、意見を言わずに、国に政治家にお任せでいいですか?」
「お金だけ渡してどうぞ自由に使って、で本当にいいですか?」
というメッセージ。
「渡したお金(税金)は、できるだけこういうことに(例えば、教育、子育て、地元産業の振興など)使ってよ」という意思表示をする貴重な機会が、選挙での一票です。
この問いかけ方は、今後も私が同じような出前授業や講演をするときは使わせてもらおう、と思いました。
90分の授業。
全校生徒ともなると、どうしても体育館で床に座る形です。
これは長丁場なので、足腰にくる・・・
60分経過のところで、一息入れてストレッチをしていただき、後半戦へ。
私が大切だと思っている話を次に。
テーマ4 表現の自由~少数意見は大切?
(あの大ヒット映画の一場面も関係ある!?)
へと(つづく)
神戸シーサイド法律事務所 弁護士 村上英樹
【2】高校への出前授業「18歳選挙権」行ってきました~その2 [だから,今日より明日(教育)]
その1はこちら http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2016-12-16
テーマのその2は「選挙に行くための情報をどうやって入手するか?」です。
生徒さんに聴いてみました。思いつく限り…
テレビ
新聞
街頭演説
政党や政治家のホームページ
フェイスブック
ツイッター
などなど
で、入りやすそうなテレビの「討論番組」などはどう?と聴いたら、一番よく観られているのは、
「そこまで言って委員会」
でした。(私なんかは、今もつい「たかじんの」を入れてしまいます。)
「討論番組は面白いか?」に対する生徒さんの意見は、「YES」「NO」に綺麗に分かれました。少し「NO」の方が多かったか。
何が面白いか?訊いてみました。
「大人が真剣に怒っている姿が」 → なるほど!
「自分と反対の人の意見を知ることが出来る」 → これは大事ですね。
討論番組に対する高校生からの素直な感想。
「大人なのに『喧嘩』みたいになっているのは恥ずかしいのでは?」 → はい(大人より)。
本当は、政治の話は「どうやったら世の中良く出来るか」という知恵を出し合う話。
ですから勝ち負けを決める「口げんか」ではありません。
ということは、冷静に、「紳士淑女」で議論できるはずですよね。
…でも、真剣に考えれば考えるほど人は「熱く」なります。
そうすると、ついつい「喧嘩みたい」になってしまうことがあります。
これ、歳関係ないんです…いくつになっても、つい「熱く」なってしまうものなのです…
人間だもの…ですね。
さて、選挙に参加しやすくするためのインターネットを使った新しいツールがありますよ、という話をしました。
ボートマッチ
と呼ばれるものです。
ウィキペディアの説明 は ↓のような感じです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%81
例えば、毎日新聞えらぼーと 2016参院選 http://vote.mainichi.jp/24san/ など。
幾つかの質問に選択肢で答えていったら、各政党のマニフェスト・公約と照らし合わせて、
「○○党とあなたの相性 52%」
という風に診断してくれる、というサービスです。
演壇に上がって討論して頂いた生徒さんには全員事前にやってもらっていました。
全校生徒の中でも、(この出前授業の予習として)試してみた、という方がいました。
生徒さんの意見は、
「こういうインターネットサービスは面白い。」
「手軽で楽しい。」
「政党や候補者を知るきっかけになる。」
というものでしたが、
「(相性の良い政党ということだが)知らないマイナーな政党が出てきてどうしたらよいか分からない」
という状態になったという人もいました。
さて、スマホでも手軽に試せる「ボートマッチ」などで「相性の良い政党」が出てきたら、
もう、まっすぐ、その政党にすぐ投票しますか?
という問いを発してみました。
さすがに、「そうします」という人はゼロ。
「『ボートマッチ』で『オススメ政党』と出てきても、実際には考えの合わないこともあり得るから、『政党』や『候補者』のホームページなどをよくチェックしてからでないと投票できない」
との生徒さんの意見。
そうですよね。さすが、しっかりしておられます!
「ボートマッチ」いわば、「あなたにオススメ(あなたの好みのタイプ)の結婚相手は例えばこんな人」というのを紹介してくれる、までのサービスです。
では、それを紹介してもらったとして、
即、婚姻届を出しますか?結婚式を挙げますか?
という話。それはやめたほうがいいですよね。
直接その人と会って話して、お付き合いして、どんな人か確かめないと…。
また、「ボートマッチ」はインターネットサービスですが、どういう仕組みで結果が出てくるかはブラックボックスみたいなところがありますから、「鵜呑み」にしてはいけませんね。
なので、手軽な「ボートマッチ」などをきっかけとして、
政党や政治家のホームページ、ブログ、ツイッター
関係するニュース
などに入っていくのがいい。
こうすると、政治の情報、選挙に必要な情報に入っていきやすいかな、と思い紹介しました。
という話をして、次は
テーマ3 投票に行ったら何が変わるか?(人生が変わる?)
という話に入っていきます。
(つづく)
神戸シーサイド法律事務所 弁護士 村上英樹
テーマのその2は「選挙に行くための情報をどうやって入手するか?」です。
生徒さんに聴いてみました。思いつく限り…
テレビ
新聞
街頭演説
政党や政治家のホームページ
フェイスブック
ツイッター
などなど
で、入りやすそうなテレビの「討論番組」などはどう?と聴いたら、一番よく観られているのは、
「そこまで言って委員会」
でした。(私なんかは、今もつい「たかじんの」を入れてしまいます。)
「討論番組は面白いか?」に対する生徒さんの意見は、「YES」「NO」に綺麗に分かれました。少し「NO」の方が多かったか。
何が面白いか?訊いてみました。
「大人が真剣に怒っている姿が」 → なるほど!
「自分と反対の人の意見を知ることが出来る」 → これは大事ですね。
討論番組に対する高校生からの素直な感想。
「大人なのに『喧嘩』みたいになっているのは恥ずかしいのでは?」 → はい(大人より)。
本当は、政治の話は「どうやったら世の中良く出来るか」という知恵を出し合う話。
ですから勝ち負けを決める「口げんか」ではありません。
ということは、冷静に、「紳士淑女」で議論できるはずですよね。
…でも、真剣に考えれば考えるほど人は「熱く」なります。
そうすると、ついつい「喧嘩みたい」になってしまうことがあります。
これ、歳関係ないんです…いくつになっても、つい「熱く」なってしまうものなのです…
人間だもの…ですね。
さて、選挙に参加しやすくするためのインターネットを使った新しいツールがありますよ、という話をしました。
ボートマッチ
と呼ばれるものです。
ウィキペディアの説明 は ↓のような感じです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%81
例えば、毎日新聞えらぼーと 2016参院選 http://vote.mainichi.jp/24san/ など。
幾つかの質問に選択肢で答えていったら、各政党のマニフェスト・公約と照らし合わせて、
「○○党とあなたの相性 52%」
という風に診断してくれる、というサービスです。
演壇に上がって討論して頂いた生徒さんには全員事前にやってもらっていました。
全校生徒の中でも、(この出前授業の予習として)試してみた、という方がいました。
生徒さんの意見は、
「こういうインターネットサービスは面白い。」
「手軽で楽しい。」
「政党や候補者を知るきっかけになる。」
というものでしたが、
「(相性の良い政党ということだが)知らないマイナーな政党が出てきてどうしたらよいか分からない」
という状態になったという人もいました。
さて、スマホでも手軽に試せる「ボートマッチ」などで「相性の良い政党」が出てきたら、
もう、まっすぐ、その政党にすぐ投票しますか?
という問いを発してみました。
さすがに、「そうします」という人はゼロ。
「『ボートマッチ』で『オススメ政党』と出てきても、実際には考えの合わないこともあり得るから、『政党』や『候補者』のホームページなどをよくチェックしてからでないと投票できない」
との生徒さんの意見。
そうですよね。さすが、しっかりしておられます!
「ボートマッチ」いわば、「あなたにオススメ(あなたの好みのタイプ)の結婚相手は例えばこんな人」というのを紹介してくれる、までのサービスです。
では、それを紹介してもらったとして、
即、婚姻届を出しますか?結婚式を挙げますか?
という話。それはやめたほうがいいですよね。
直接その人と会って話して、お付き合いして、どんな人か確かめないと…。
また、「ボートマッチ」はインターネットサービスですが、どういう仕組みで結果が出てくるかはブラックボックスみたいなところがありますから、「鵜呑み」にしてはいけませんね。
なので、手軽な「ボートマッチ」などをきっかけとして、
政党や政治家のホームページ、ブログ、ツイッター
関係するニュース
などに入っていくのがいい。
こうすると、政治の情報、選挙に必要な情報に入っていきやすいかな、と思い紹介しました。
という話をして、次は
テーマ3 投票に行ったら何が変わるか?(人生が変わる?)
という話に入っていきます。
(つづく)
神戸シーサイド法律事務所 弁護士 村上英樹