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マレーシア日記~その3(完結) [海外のこと]

 マレーシア3日目(11月18日)です。
 
 午前中は,マレー系の実業家(高齢の社長?と50代くらいの専務?)とカフェでお話ししました。
 高齢の社長はタンスリという称号を持っていました。
 マレーシアには連邦政府や州から与えられる「称号」があって,そのうち,民間人に付与される最高位の称号をタンスリ(Tan Sri)といいます。
 マレーシア証券取引所に上場しているような大企業を一代で築いたオーナーなどがその典型といわれています。
 外国人にも(日本人にも)タンスリはいます。
 出会ったタンスリの社長はもの凄い風格でした。

 午後は,現地で仕事をする日本人の弁護士と出会いました。
 日本の大事務所のアジア圏への進出状況や,マレーシアにおける法律事務所運営,日本企業の海外進出の実情・その場合の法務など,知りたいこと全般を聞くことができました。

 夜は,前日イベントに参加させてもらったロータリークラブとはまた別のロータリークラブ(ロータリークラブは日本でもマレーシアでも地域毎に沢山のクラブがあります)である,Bandar Utama ロータリークラブのメンバーとの会食でした。
 TTDIという駅の中華料理店で,かなり美味でした。
 色んな職種の経営者と話をしました。
 特に,建設ラッシュの国の不動産開発などは勢いがすごく,日本にもこんな時代があったのだなあ(それは私が生まれる以前でしょうか)ということを感じます。
 私も仕事のことを聞かれるのですが,英語で説明するのに相当苦労しました。
 私の場合色んな種類の仕事をやっていますよ,という話なので,「inheritance(相続)」だとか,「Compensation for damages(損害賠償,交通事故などの)」だとか,スマホで単語を調べたり,合っているかどうか分からない言い換えを駆使して話しました。
 やればどうにかちょっとはしゃべれるというものの,英語で仕事のことについて「突っ込んだ話」ができるのでなければとてももどかしい,と感じました。
 今更ながら,海外留学などの機会はものすごく貴重なものだ,と思います。
 次世代にはそれを伝えたいと思いますし,一方で,英語にしても何にしても何歳になってもやるのに手遅れということもそうそうないと思うので,「次」へのモチベーションになります。

 この会食では我々日本人に対して,ものすごいホスピタリティでもてなして頂きました。
 日本語勉強中の女性「Aさん」はこの旅の中で何度か出会い,私たちにとても親切に色々案内して下さったのですが,このとき,私に「マレーシア土産のキットカット」を下さり,これは家族が大喜びするお土産になりました。

 そして,11月19日はマレーシア最終日になります。
 朝は,マレーシア中小企業庁主催の起業支援のシンポジウム会場へ。
 ここだけはスーツの人も多く冷房がガンガンにかかっていて,半袖クールビズ姿の私には相当寒かった。
 シンポの講演などはさすがに殆ど何を言っているかわかりません。
 シンポでは,例えば事業融資に力を入れている銀行などがブースを出しており,案内をもらったり,少し話をしたり(日本人が銀行預金口座を作るのは基本ビザが要る,または,一定額預金すれば簡単に作れるところもあるという話など)しました。

 その後,ランチ会があり,ここで朝カフェで会って連絡を取るようになった「Sさん」(30歳代,男性。カンパニーセクレタリー,会計,経理などの仕事)と再会します。
 一昨日の朝カフェの際に,Sさんから今回のマレーシア訪問の目的を尋ねられ「マレーシアに進出しようとする日本企業,日本人のサポートをするための情報収集にきた」と答えていたところ,Sさんはこれを覚えていて,マレーシアにおける会社設立の仕方を日本語と英語で説明したテキストを持ってきてくれました。
 日本と法人設立の制度がかなり異なるので,私はとても興味を持って読みました。写メも撮らせてもらいました。
 また,このテキストはSさんの日本語の勉強を兼ねており,「和文」には単語の意味,用法などを調べてSさんが書き込んだ跡がビッシリ。この勤勉さに触れたことも,大いに刺激になりました。
 
 このランチ会では,他に,日本に毎年旅行するという若いビジネスウーマンもいて,日本がマレーシアから心理的に近い国であることをうれしく感じました。やはり,ここでも,「もっとしゃべれたら」ということを強く感じました。
 話し相手も感じの良い人ばかりなので,こちらの英語のスピーキング力を把握すると「心地よい」範囲で合わせてくれます。が,それはやっぱりコミュニケーションとして物足りないことで,「突っ込んだ話」ができたらなあ,と思いました。
 こういう感覚になると,じゃあ,そういう障害のない日本語のコミュニケーションならば「言ったらいいだけ」「聞いてみたらいいだけ」という風に思います。
 帰国子女の人が「ずけずけ言う」ように思われがちなことも分かりました。
 それゆえに,帰国子女の人が,日本育ちの人ばかりの間で「みんなつい言えないこと」をちゃんと言ってくれる貴重な存在であることが多いのもよく分かります。

 ランチ会の後,ホテルに戻り荷造り。
 旅の主宰者の中西さんとタクシーで空港へ。空港で飛行機搭乗までに色んなお話をしました。
 「海外の実際に触れてみなければ分からない感覚」と旅の前に中西さんが言っておられたこと,私は本当にそう感じたということと感謝を伝えました。

 海外に出たらすぐに事業が拡大するとか収益が上がるとかそんなことは全くない。
 むしろ,海外に礎を作ることには時間も労力ももの凄くかかる。
 だが,そうやって活躍の場所を広げている人たちは確かに居る。
 出てみることでしか知り得ないこと,感じることができないことは沢山ある。
 日本での行動も変わる。

 そんな話を飛行機を待つラウンジ(これも中西さんにゲストとして入れてもらいました)で話しました。
 
 11月19日夜10時の飛行機でクアラルンプールから関空へ。
 20日早朝に関空に着き,自宅へ,そして事務所へ。ほんの少しマレーシアに行っていただけですがものすごく懐かしい気がしました。
 
 見聞を広める機会というと「情報」のことのように思います。
 しかし,「情報」だけでなく,やはり知らない世界にいくと「感覚」が変わる,ということが大きく,本当に毎日,働ける時間,学べる時間をいかに使うか,そして自分の居る場所で自分が世のため人のために働ける力を最大化するにはどうしたら良いか,を考える心境になります。
 
 仕事の時間をやりくりして,直接,普段の業務と違うことで海外を見に行く,というのは,日頃真面目に仕事をしている人ならみんな普通は大変です。
 私も,土日を費やし,平日も2日これに費やす(もちろん旅行費もかかる)のは,行く前は大変だなあと思いましたが,まあ何とかなり,やっぱり行くものだなあ,と思いました。

 これで得たものは,今後私が,出会う皆様にとってより頼りになる「力」になることで還元したいと思っています。

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マレーシア日記~その2 [海外のこと]

 「マレーシア日記~その1」の続きです。

 11月17日(日)

 昨晩から,通訳の水池さんと合流しています。
 水池さんは学習塾を主宰されていて,留学経験もあり英語が堪能,この旅中でのコミュニケーションにおいて私は幾度も助けて頂きました。

 住宅街のショッピングモールで催された「朝カフェ」に参加しました。

 クアラルンプール中心部から山手の方に「グラブ」で手配したタクシーで移動。
 山手の方の住環境はとても良いです。
 建物も綺麗ですし,自然も適度にあり,陽当たりも良好。

 「朝カフェ」には13人くらい集まっていました。
 日本ゆかりの人,日本に興味がある人の集いです。
 日本人とマレーシア人半々くらいでした。
 30代くらいの若い日本人駐在の人や,マレーシア人の若い起業家の人,現地で学校を経営しているナイスミドルのマレーシア人など多種多様な顔ぶれでした。
 
 ここで,今回の旅の中で一番仲良くなった「新たな友人」(「Sさん」と呼びます)と出会いました。
 中国系マレーシア人,30歳代男性で,「カンパニーセクレタリー」や会計,経理などの仕事をしている人です。
 カンパニーセクレタリー(会社秘書役)は日本にはない制度ですが,海外の国々では会社の重要な機関として一般的です。
 会社設立には必ず必要な存在で,法定の報告の届出,定款変更や登記変更に関する手続き,株主総会や取締役会の議事録作成,保管などがその仕事です。
 Sさんは,日本に来たことはないが日本に強い興味があり,演歌も好きで,日本語練習中です。
 フェイスブックで友達になったとき,「日本語を送って良いですか?」「質問も送って良いですか?」と訊かれたので,「Of course.」と答えたところ,別れた瞬間に,会話の中で聞き漏らしたこと,日本における法制度のこと,日本語のことなど沢山質問が来るという勉強熱心ぶりでした。
 この「Sさん」とは旅の中で後にまた出会うことになります。

 朝カフェでは,マレーシアでビジネスを成功させた有名な日本人(食品パッケージ製造会社の鈴木一郎さん,車のビジネスの永井美香さんなど)の話が出ました。

 お昼からは,場所を移動して,マレーシアのロータリークラブのチャリティ絵画オークションに参加してきました。
 車で案内してくれたのは中国系マレーシア人の弁護士。仕事内容は企業法務,契約書チェックなどで法廷にはほとんど行かない,とのこと。
 
 HELPインターナショナルスクール http://his.edu.my/ という学校で行われた難病支援のイベントでした。
 ロータリークラブ名は Utara Subang Jaya(略してUSJ)ロータリークラブ。
 http://www.rotaryusj.org/index.php/en/

 大学・アーチスト協会,有名な英国系オークションハウスがコラボをして,絵画をオークションして,その売上げをチャリティにする,というものでした。
 絵画は 1800RM(マレーシアリンギット 1RM=26円くらい)~3000RMの値段のものが売れていました。3000RMといえば8万円くらいするので,オークションの札が上がると会場はかなり盛り上がっていました。
 オークションに出された絵画には100万円近い値が設定されていたものもありましたが,それはさすがに落札者は居ませんでした。
 
 このチャリティイベントでも,やはりマレーシアでこその活気を感じました。
 ロータリークラブといえば,日本ではどうしても会社でいえば「会長」クラスが多く,高齢化とよく言われます。
 マレーシアでは「社長」クラスが多く,しかも,「がんばって活動している」というよりは,ビジネスが盛り上がる上で溢れ出るエネルギーをみんなで持ち寄って活動自体を楽しんでやっている,という感じがありました。
 
 夜は,中心街 mujiam negara 駅(日本で言う東京駅みたいなターミナル)に移動して,なんと「お寿司屋さん」で会食。
 マレーシアの大企業(不動産デベロッパーなど)の要職の方を交えての会食でした。
 感じたのは,ともかくビジネスの話はスピードが速い。
 自分は何を求めているか,何を提供できるか,などストレートに話が進んでいきます。
 海外ビジネスでは特に(もちろん国内でも本質は一緒ですが),自分が何がしたいか,そのために何を求めているか,何ができるか,をしっかり見つめて定めたうえで「場」に臨むのでなければ成果が得られない。
 逆に,それらが定まっていれば適時に言葉が出てきてチャンスが大きく広がる。
 「とりあえず今回は顔合わせだけ」というような文化ではないのが新鮮でした。
 日本の「奥ゆかしさ」を私は決して嫌いではありませんが,また違った世界を見る,感じる,これは日本に帰ってからの色んな場面での自分の行動や考えに変化をもたらすだろうな,と思いました。

 ホテルに帰って,アプリ「ワッツアップ」をiPhoneにインストールしました。
 これは,「LINE」によく似たメッセージ交換のアプリです。
 朝カフェで,マレーシアではほとんど「ワッツアップ」で「LINE」は余り使われていない,との話をきいて試しに。
 すると,私の連絡先で「友達」に繋がった(つまり相手も「ワッツアップ」利用者)のが2人。
 1人は,海外に頻繁に出張し,商品を輸入販売しているビジネスパーソン。
 もう1人は,日本の弁護士ですが,英文契約書の仕事などを精力的にやっている人でした。
 こんなところでも,「海外から見る日本」で新たな発見がある,と思いました。

 「その3」に続きます。


 
 
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マレーシア日記~その1 [海外のこと]

  
マハティール・チルドレンの国 マレーシア

マハティール・チルドレンの国 マレーシア

  • 作者: 菅原 明子
  • 出版社/メーカー: 成甲書房
  • 発売日: 2017/09/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


 
 11月16日から19日までマレーシアに行ってきました。
 観光旅行ではなく,あちこちでビジネスに関する情報収集・交換をしてきました。
 実に刺激が多く,勉強になることが多かったので忘れないうちに書き記したいと思います。
 上のリンクは,旅行前に「予習」で読んだ本。

 11月16日(土)
 マレーシア航空で,関空からクアラルンプールに移動しました。
 
 空港からクアラルンプール都心にあるホテルまでタクシーで1人移動しました。
 旅行を企画してくださった知り合いの中西さんに教えてもらったとおり,タクシーチケットを買って移動しました。
 中西さんは自動車販売の会社を経営されていますが,それに加えて,ここ最近はマレーシアでの事業展開のために精力的な活動をされている方です。
 
 マレー系のタクシー運転手さんと英語で世間話をしました。
 お互い母国語ではないので通じたり通じなかったりですが,

運転手さんは日本に20回以上来たことがある。
主に名古屋。
旭化成などの日系企業で過去働いていた。

とのことで,早速,マレーシアと日本との距離の近さを感じました。

 ホテルに向かう道中も都心に近づくにつれて,建設中の道路や高層建物が目立つようになり,「建設ラッシュ」の国,まさに発展中の国であることがリアルに感じられました。

 泊まったのは「Park Royal」ホテル,5ツ星。
 
 その後,官庁に務めるいわゆる「駐在」の日本人の方と会食しました。
 会食で,聴いた話は,

マレーシア人のキャリアについて

です。

「優秀なマレーシア人の就職先といえば日系企業か」

といえば,

「そうとはいえない」

そうなのです。

 日系企業は「駐在の人が2,3年で交代してしまうために,それほど活気がないことがある」「出世システム,稟議システムなどに無駄を感じる」等のことから,本当に優秀な人が行かないケースがあるそうです。

 これはショックな話でした。
 マレーシアといえば「ルックイースト政策」日本に学べ,でやってきたと本でも読んでいたので。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E6%94%BF%E7%AD%96

 もちろん日系企業が安定した優良な就職先だろうとは思うのですが,マレーシアで,もっと向上心の強い人からすれば「物足りない」のかな,と思うと,このままでは,という危機感を持ちます。

 また,マレーシア人は,マレー系,中国系,インド系などからなりますが,中国系マレーシア人には勉強,仕事に勤勉で向上心の強い人がかなり多く,外国の大学・就職先に出て行く傾向があるとのことでした。
 そういう人の場合は「マレー語,中国語,英語」の3カ国語は当たり前で,ことによれば+「日本語」などの4カ国語を使いこなす人もそう珍しくはない,と。

 こういう話を聴いていると,「日本の空気と全然違う」と感じられ,日本を取り巻く国の人がこんな意識で動いている中で,日本人はいったいどうなるんだろう?という気持ちになりました。

 さて,会食の後は,Jalan Alor という屋台街に行きました。
 マレーシアは,食は日本人が食べやすいもの(中華,和食もあります)が揃っています。
 街には独特の活気があり,異国に来た,という感じがしました。

 旅行主宰者の中西さんと私はともに日本のロータリークラブ(所属クラブは違いますが)のメンバーなので,翌日以降,現地のロータリークラブメンバーとの交流の計画が次々組まれました。

 以上が旅行初日ですが,この一日だけでも色んなことを感じました。

 やはり発展中の国なので「頑張ったら頑張っただけ」というのが明確です。
 ですので,人の向上心やその顕れがストレートで,それが相乗効果を生み出している感じがしました。
 対して,日本社会はそう単純で無く「上だけ向く」ような空気にありませんが,やはり,勉学にしてもビジネスにしても一つ一つの積み重ねなので,マレーシアとやることは違っても,日々,時間時間をいかに大切に使っていくか,こういうことを感じるのが「旅」ですね。
 
 「その2」に続きます。

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