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「限りある時間の使い方」(オリバー・バークマン著) [読書するなり!]





 今年の夏の読書感想文はこれ!という一冊でした。

 私は、

time is moneyではなく、time is life

時間は交換価値ではなく、命、人生そのもの

と思っています。

 この本は、いわゆるタイムマネジメントや時間節約術の話ではありません。
 むしろ、時間をコントロールしようと思うと、時間のなさにいっそうストレスを感じる。これを、「制約のパラドックス」と表現して、この発想から自由になることを説いています。

 先日から、私は、人が「スマホに気を取られること」が幸せを味わうことの邪魔になること、そこから自由になることについて、

「繋がらない権利」
https://h-m-d.blog.ss-blog.jp/2022-08-04
https://h-m-d.blog.ss-blog.jp/2022-08-05

「デジタル・ミニマリスト」
https://h-m-d.blog.ss-blog.jp/2022-08-09

と題して記事を書いていますが、この本もそれに関係します。

 スマホだけではありませんが、何かに意識を乗っ取られながら時間を過ごすと、「意味のある体験」ができない。
 つまり、限られた時間をよく生きることができない、ことが述べられています。
 この本は、「ミシュラン星付きレストランでの最高の食事も、心がどこか別の場所にあれば、インスタントラーメンと変わらない。」としていますが、大変分かりやすいたとえです。
 さらにいえば、無意識レベルから集中した状態で味わえば、ミシュラン星付きでなくても、日常の食事でも美味しくなるはずだ、と私は思います。

 先日紹介した「デジタル・ミニマリスト」(カル・ニューポート著)は、SNSサービス業者の「注意を乗っ取る」仕掛けに主な原因があるという点に重点を置いていますが、この本は少し違う切り口から論じています。

 この本曰くは、

「敵は内部にいる。
 人の心のなかには、SNSに限らず、気を紛らわせてくれる何かを求める傾向があるようだ。」

として、それぞれの個人の心の傾向にスポットを当てています。

 自分自身が、「気を紛らわせてくれる何か」を求めるのではなくて、今この瞬間に注意を集中させるためにはどうすればよいのか?その心持の在り方に迫っています。

 この本は、いかなる時間も、何か「本番」のための「準備時間」ではなくて、その瞬間こそが「本番」であるべきだ、という考え方に立っています。

 私の解釈が入りますが、次のようなことです。 

 楽しいことでも成長につながることでも、やりたいことをいつかやろう、『でも今は何かの準備時間』という意識で過ごしていては、いつまでも『本番前の準備時間』が続くのみ。
 今日、今この瞬間こそが、『本番』。それが、受験勉強中とか部活の練習日であっても、それはそれで『本番』の時間であるべきだ。
 これは心の持ちようのことですが、「どうせ今は準備時間だ。」と考えて、真剣に、時間に向き合わないのは勿体ない、真正面からその時間に向き合えば在り方が変わってくるはず、ということだと思います。

 スマホ自体に、スクリーンを見ている時間を管理する機能も備えられるようになりました。
 テクニック的に、スマホ依存をやめる方法というのも大切です。
 が、それとともに、

心の「内側」がどうあろうとするのか
本心は、どのような時間の過ごし方をしたいのか

というこの点を、もう一度見つめなおすということが根本的に大切、というのはその通りだと思います。

 
 命そのもの、人生そのものというべき、何より大切な時間を、心から大切にする、そのための心持ち、勇気をくれる本です。
 誰に遠慮することなく、自分が本当に「大切にしている」と思う時間の過ごし方をしていいんだよ、と背中を押してくれる感じがします。

 そして、多くの人にとって、この本を読む『時間』がとても良い時間になるだろう、と思えます。

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「デジタル・ミニマリスト」(早川書房 カル・ニューポート) [読書するなり!]

 このところ、「繋がらない権利」について記事を書いていますが、これに通じる話です。



デジタル・ミニマリスト スマホに依存しない生き方 (ハヤカワ文庫NF)

デジタル・ミニマリスト スマホに依存しない生き方 (ハヤカワ文庫NF)

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2021/04/01
  • メディア: Kindle版



 
 気づけば、一日中スマホばっかりみている、ということが多くないでしょうか?

 「繋がらない権利」は、職場との関係でオフの時間を確保するという権利、自由の話です。
 
 しかし、職場との関係はオフでも、そのオフ時間をスマホばっかりみて暮らすことにならないか?
 放っておくと多くの人はそうなってしまいます。
 それは別に、個人の心がけが悪いからではありません。
 「アテンション・エコノミー」(注意経済)と言って、画面上で、どんどん人の注意を惹きつける仕掛け、それによって儲かるサービスに支配されているからです。
 私も使っている、Facebook、Twitterが代表例として本では挙げられています。

 ポイントは、「時間の使い方」で、自分が本当に幸せを感じられる時間の使い方は何だろう?ということ。
 もし、「スマホを一日中見ていたけれども、それが本当にやりたいことで、充実感、幸福感がある」のなら何の問題もないのです。
 が、スマホがなかった時代に比べて、「やりたいことが進まず、結局スマホをみて大半の時間を過ごしたけれども、空虚な感じだ」ということが増えているのではないか?
 それは、本当に自分がスマホやデジタルサービスを使うか使わないかを「選択している」のではなくて、「依存」させられているだけではないか?
 それにより結局、全体として人生の充実度が下がり、幸福感が低下していないか?
 こういうテーマです。

 「デジタル・デトックス」は、たとえば、まる一日など、一時的にスマホ等から離れることです。
 「デジタル・ミニマリスト」とは、常の暮らし方として、デジタルの利用をミニマムにするあり方のことです。

 Facebookに書き込んだら、「いいね」が増えていないかをチェックしてしまう、というような依存習慣をどうやったらやめられるか。
 方法論もいくつも紹介されています。Facebook、Messenger、LINEなどのサービスを仕事でも使っている人が、それをやめるわけにもいかないので、サービスの「よいところだけ」を活用するにはいかにすればよいか、を考える手助けになります。

 この本の一節に、
「デジタル・ミニマリズムの有効性を支えているのは、利用するツール類を意識的に選択する行為そのものが幸福感につながるという事実だ」
とあります。

 そうなんです。
 本当に、自分が最善と思ったものを「意識的に選択」できていれば、自己肯定感も上がるし、実際に悔いのない時間を過ごせる。
 これは、デジタルに限らず、仕事、勉強、趣味なんでもそうです。
 人に決められたわけでも、何かに流されたわけでもない。
 (できるだけ純粋に)自分でしたいと思って意識的に決めたことができているなら、それは幸せですよね。

 私は、このブログもそうですし、事務所HPやFacebook、Twitterでの発信が多い方だと思います。
 なので、デジタルツールのヘビーユーザーだと思います。
 
 考えてみると、
・ 記事などを書いている時間
・ そのために情報を収集している時間
は画面を見ていても、「有意義な時間」です。

 が、
・ いいね、やコメントが増えたかな と思って何度もチェックする時間
・ 単に暇つぶしのようにFacebookのニュースフィールドをスクロールする時間
・ 何かをしている最中に、スマホの通知が目に入ってしまい、意識をもっていかれる時間
は「良くないなあ」と思いながらも、ついついそうなりがちでした。

 後者の方を「自分でコントロールする」工夫が必要、ということです。

 この本を読みながらいくつか実践したことがあります。

1 ランチタイムに、スマホを持たずに外出する。
2 食事中はスマホをみえる位置に置かない。
3 外出中、移動中も、「電車に乗ったらスマホ」「タクシーに乗ったらスマホ」、「歩きながらでもスマホ」という癖になっていることに気づいた。
 → その癖をやめる。
   「スマホチェック」したくなったとき、意識的に「チェックしない」ようにする。
4 逆に「スマホチェック」する時間帯を決める。
  午前9時とか、昼食後とか、帰宅後すぐ、とか。
5 Facebook等の投稿をしても、次の「スマホチェック」時間まで「いいね」「コメント」を確認しようとしない。
 → 最初、反応を確かめたい気持ちがあるが、抑える。
   次の「スマホチェック」時間まで放置。
6 (屋内の活動として)スマホではなく、紙の本、テレビ画面で見るものを増やす。
  時間ができたら、体を動かして行うこと(片付けなど)をする。

 1週間くらいでこの本を読んでいましたから、この本のエッセンスを意識しながら、実際に上記のことにちょっとずつ取り組んでいます。
 
 ちょっとしたことなのですが、心も体も楽になり、頭がよく働くようになることに気づきます。
 一人で考えること、風やにおいを味わうこと、その場に集中することが人間にとっていかに大切かがわかります。 

 気づけば、日常の仕事、私の場合は訴訟等の案件の書面を書くこと、契約書を作ることなどもはかどり、「溜まっている仕事」がゼロになっています。
 ほんの1週間~10日の取り組みでの変化です。

 とはいえ、癖になっていることは簡単にはなくならず、気づけば、メールソフトの送受信ボタンを何度も押している、とか、そういうこともあります。
 まだまだ、改善の余地はあります。
 
 デジタル・ミニマムであること、本当に大切なことに集中すること。
 これは、今、多くの人にとって見つめなおすべき最重要なことです。
 自由業である私だから「デジタル・ミニマム」化しやすい、と思われるかもしれませんが、会社員や公務員、その他組織に属する人でも、その立場における「デジタル・ミニマム」を考えることは同様に可能です。
 「自分でツールを使うかどうかを選んでいる」ことが幸福であるというエッセンスは全く同じです。

 もし、職場などで、「人の集中を妨げる」「オフの時間を乱す」ツールの使い方が横行する環境になっているならば、今一度、「個人個人が、必要なことに集中できる」という価値に重点を置いた環境づくりを考えてみるべきだと思います。
 その価値と共通するのが、「繋がらない権利」(時間外の連絡を受けないという労働者の自由)の考え方です。
 「オン」の時間内の集中が非常に大切です。
 それには、「オン」の時間内に、できるだけスマホやPCから発せられる色んな通知に必要以上にさらされない(もちろん、リアルの人の声かけも同じですが)ことと、「オフ」の確保・真の充実によって「オン」の時間の集中力を高めることの両方が必要。

 私が今、関心があり、取り組みたいことの一つが、この「すべての人が、本当に大切なことに集中できる」環境づくりです。

 ともかく、この本は、この本に書いてあるとおりにするかどうかは別として、「本当に大切なこと」と「デジタルとの付き合い方」を考えるヒントになりますので、大変おススメです。
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「不寛容論」~アメリカが生んだ「共存」の哲学 新潮新書・森本あんり氏 [読書するなり!]


不寛容論―アメリカが生んだ「共存」の哲学―(新潮選書)

不寛容論―アメリカが生んだ「共存」の哲学―(新潮選書)

  • 作者: 森本あんり
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/12/16
  • メディア: Kindle版



 私は、リアルでも、ネット上でも「攻撃的な言葉」を見たくない気持ちが強い。
 価値観は人それぞれだし、違う考えの人を人格攻撃するかのように攻撃するようなことは決してしてはならないと思う。
 価値の多様性こそ、民主主義の前提である。
 大抵のことは「攻撃せず」「怒らず」に、「見解の相違ですね」と紳士的に対応したい。
 とはいえ、私でも、「これは許せん!」という風に思うこともあるし、また、もう一つ難しい問題が、「『価値観の多様性』を認めない考え方に対してはどうするか?」。
 それも、考え方の違いとして、相手の立場を尊重できるか?
 
 「寛容」ということについても、色々パラドックスがある。

 たとえば、他人の不寛容を非難して、『寛容になれ』という。
 しかし、これは、寛容を強制する、という不寛容になる。

などなど、考えれば考えるほど「寛容」は深いテーマ。
 ということで、読んでみました。以下、読後の感想。

 『寛容』というのが、漢字の雰囲気のように、大らかで気持ちいい、というものでは、実際にはなかった、という新大陸開拓時代の話でした。
 ロジャー・ウィリアムズという、あらゆる宗教への寛容、先住民との共存を唱え実践した人の話が中心。
 しかし、先住民の宗教、キリスト教の中でも他の宗派も否定せず、その在り方に介入しないというのは、すごく進歩的な在り方だ。
 ところが実際それは全然心地よいものではなく、ウィリアムズ自身にとっても「ブチ切れ案件」が続出するし、市民社会秩序とぶつかり合いまくることになった。

 やっぱ、人間相手なので、ムツゴロウさんみたいにあらゆる生き物と笑い合える感じには到底ならない。

 こういう歴史も踏まえて、この本が分析するには、『寛容』とは、みんな違ってみんないい、みたいな単にいい感じのものでなくて、『最低限の礼節』がそのエッセンスである、と。

 不愉快な隣人の行う不愉快な儀式があったとして、それを決して邪魔しない、その点において尊重する。
 そういう忍耐を伴う『最低限の礼節』だという。

 さて、現代において。
 多様性、ダイバーシティの尊重は、本当の意味では『きれいごと』ではない。やっぱり、忍耐、不愉快との戦い、自分との戦い、自分がバージョンアップできるかの修行だ。

 私も、正直言って、感性が9割くらいあう人とだけ時間を過ごす方が心地よいし、それで一生終わって何が悪いか、とも思う。

 が、社会で生きるのは、現実、そうもいかない。
 不愉快な隣人を排除し続けるのにも色々支障が生じる。
 例えば、ビジネスなどは、どうしても嫌な人とだって付き合う必要があるのが常だ。

 もともと人は『不寛容』なもので、『最低限の礼節』という意味での『寛容』は、色んな考え、立場の人がいる社会で『生きやすく』あるためのスキル、と理解しよう。

 以上のようなことが実感とともに学べる本で、「社会で生きる」あらゆる人におすすめできる本です。
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『実力も運のうち 能力主義は正義か?』マイケル・サンデル [読書するなり!]





 久しぶりの夏の読書感想文、今年はこの一冊。

 私の子どもの頃、祖父はいつも「能ある豚はヘソを隠す」の格言を口にしていました。
 もちろん、「能ある鷹は爪を隠す」のもじりですが、いつも何か「ひねらなければ」気が済まない祖父は、好んで「能ある豚」と言っていました。
 当時は、この格言(ことわざ?)、「謙虚」というのが生きる知恵、「出る杭は打たれる」を反対から言っているということと理解していました。
 しかし、この本を読んだ今、「能ある豚はヘソを隠す」のは、自分が謙虚なることが生存戦略であるだけではなく、世の中を本当に良くする知恵ではないか、と思えてきました。

 さて、「能力主義」の何がいけないのでしょうか?
 コネなどではなく、人種差別、性差別でもなく、「能力」で成功がきまる社会は公平そのものでは?

 日本国憲法にはこんな条文があります。

憲法26条

すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

 「ひとしく教育を受ける権利」の前に、「その能力に応じて」とあるのです。
 憲法も「能力主義」を認めているではありませんか?

 しかし、

「能力ある者」  ⇔ 社会的地位が高い、稼ぎが多い
「能力のない者」 ⇔ 社会的地位が低い、稼ぎが少ない

という図式はどうでしょうか。
 こうなると、違和感か、反感か、余りプラスではない感情を抱く人が多いのでは?
 
 そもそも社会に出て職業に就くというときにいう「能力」とは何でしょう?
 プロ野球選手とかよほど一芸に特化した職種を除けば、「学業成績」一辺倒で判断されがち。
 本来の人間の能力はそんな単純なものではないはずですが。

 マイケル・サンデルは、アメリカ社会の中で
・ 大卒者
・ 非大卒者
が完全に「分断」されており、いわゆる「ブルーカラー」(肉体労働などの現業を中心とした労働者)が社会的に軽んじられていると感じていることを強調します。

 そして、強者と弱者の格差を是正する政策を掲げるはずの「リベラル派」「中道左派」こそが、実際には「エリート」支配の考え方に支配されている、そのために「ブルーカラー」の票はそこに集まらず、ポピュリズムが隆盛する、と指摘します。

 確かに、日本でもそういう違和感を感じることが常にあります。
 格差是正を訴える野党の幹部は、ほとんどが名門大卒の「エリート」で占められています。
 そのこと自体が別に悪いことではありませんが、「偏差値輪切り型」の物の考え方から抜け出せない人の割合が高いことは、物事の発想を狭めているのではないか?という感もあります。
 
 もっと深刻なのは、日本でもアメリカでも、格差是正を訴えているはずの「リベラル」政治家が、言葉の端々にエリートくさい「能力主義」を出してしまうことで、多くの労働者から本当の味方と信じてもらえないことでしょう。


 この本は、能力主義は「労働の尊厳をむしばむ」と指摘します。

 これはよくわかります。
 私が大学生の頃、塾講師をしていたころ、母親が子供に
「しっかり勉強すれば、○○先生のように○○のような職業に就けるのよ。そうしなければ、○○か、せいぜい○○にしかなれへんのよ。」
と、本当に言っているのを目の当たりにして驚いたことがあります。
 それも何回も。
 こういう母親に悪気はありません。
 しっかり努力した、能力を磨いた証が「○○先生の○○の職業」だから尊い、と励ましているのです。
 でも、「そうしなければ○○」の「労働の尊厳」は?
 そんな「身分社会」みたいな発想は悲しくないか?
 
 能力を一直線で、偏差値のようなもので輪切りにする発想ではなく、それぞれが持ち味を発揮して助け合えばよいのではないのか。
 「能力」というのも、学業成績だけでなく、対人能力だけでなく、もっと広く捉えて、持ち味を尊重して活かすべきではないか。
 いわゆる多様性(ダイバーシティ)というのは、一辺倒な感じの「能力主義」を打ち破ることではないか、と思えます。
  
 アメリカは日本よりもさらに苛烈な「能力主義」社会のようです。
 日本には、「能ある豚」ならぬ「能ある鷹」のようなことわざもあり、謙虚は美徳であるという伝統もあり事情は違うかもしれません。
 ただ、20,30年前と違って、「試験の順位、点数」が良ければプロフィールに書かなければならない(書かなければ損)という時代になってきたように思います。
 昔は、余りそういうことを書くのは「品がない」という感覚がありましたが。
 一直線型の「能力主義」は、昔より顕著になっていると感じます。

 次世代の子に対してどういうメッセージを発するかはデリケートです。
 力が伸びる若いうちに、勉強して吸収できることはしっかりやってほしい。
 成績が上がるのも、目標の学校に入れるのも、励みになるから、結構なことだ。
 そこまではいい。
 続けて、「『序列』はない。成績が良いとき人を見下すことは決してしてはならないし、良くないとき卑屈になることも必要ない」と言いたいが、そのメッセージは「嘘くさく」なってしまわないか。その懸念はある。
 だが、懸念はあれど、「嘘くさく」聞こえようが、大切なメッセージは臆せず伝えることこそが大人の役割のように思います。

 それにしても「偏差値」分布表の罪は大きいですね。
 あれを見ると、そりゃ「東大理Ⅲ」が日本人の頂点、金メダル、一番偉い人に見えますから。
 そんなの関係ねえ(古すぎる)、と心から思える人は一握り。
 確かに、進路選択のツールとして偏差値を参考にしなければ受験生にとって基準がなくて怖いのですが。
 ツールだっただけのものが「順位表」になってしまって久しい世の中で、一直線型「能力主義」を脱して、社会全体の中で、互いが互いの労働の尊厳を心から認め、「優劣」「序列」でなく「持ち味の違い」で助け合える世になるようにするには、教育機関も、経済界も、国や自治体も、大人のすべてが考え方を変えていく、たとえば、ちょっとずつ日ごろの言葉遣いから変えていくしかないように思います。
 その「道しるべ」を示してくれる内容の濃い一冊です。
 
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「Die革命~医療完成時代の生き方」(奥真也さん著 大和書房) [読書するなり!]


Die革命~医療完成時代の生き方

Die革命~医療完成時代の生き方

  • 作者: 奥 真也
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2019/02/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



 2月発売で,現在,紀伊國屋やジュンク堂その他書店で平積みされているベストセラーです。
 
 タイトルのとおりで,医療の進歩はめざましく,この本によればもう医療の完成は「9合目」まで来ているとのことです。
 その結果,私たちは,高齢になっても病気になっても最新の医療によりなかなか死に至ることはなく,超・長寿になっていく,その中でいかに,長い命を楽しんで暮らせるかというテーマの本です。

 とても興味深いテーマです。

 この本では,再生医療など最新の医療テクノロジーについて幅広く紹介され,また,命が長くなる時代に,どういう心持ちで生きていくのが適しているか,について掘り下げられています。

 基本的に「この世に生を受けたからには全力疾走で!」という発想で過ごしてきた私からすれば,「目から鱗」の視点がたくさんありました。

 たとえば,「人生多毛作」という考え方。
 つまり,これまでのように60歳で定年を迎えあとは余生というのではなく,もっとずっと長く働ける人生を考えれば,社会人になってからも,「一つの道」だけではなく,いろんな方面の経験を積み,それを複合させて自分のキャリアを作っていくという在り方の可能性が広がっている,ということ。
 だから,キャリアの途中での「学び直し」も長い人生を考えれば有益だ,というのも納得できる気がしました。

 また,「多病息災」という言葉も出てきます。
 私たちに馴染みがあるのは「無病息災」。
 ですが,これからは(完治できない)病気そのものはいくつも持っていても,医療によって(薬などで)適切にコントロールしながら付き合って生きていく,それでいいのだ,という考え方。
 そもそも,今でも,医者ではない私からすれば自分が「病気を持っている」状態自体を不愉快に思うのですが,お医者さんは「コントロールできて死に至る恐れがないなら問題ない」という考えで事にあたっている,
 とのこと。なるほど,それはそう考えた方がずっと気が楽です。

 私は草野球が趣味ですが、確かに今は、かつてでは考えられない年齢の現役プレーヤーが活躍しています。60代後半は身近な人だけで2人いますし、75歳でも快速球を投げる人がいます。
 長寿選手のプレースタイルは命を削るような在り方ではなく、無駄に体を消耗させないことを意識したものです。「Die革命~医療完成時代」(超・長寿時代)に早くも適応している人という感じがします。
 今でさえこんなですから、将来は益々、でしょう。草野球なら100歳プレーヤーが珍しくなくなる日が本当に来るのではないか,とさえ思います。

 この本の最終章は,「『利己的な自分』からの解放」というタイトルです。
 超・長寿時代になれば,人の在り方にも変化があるだろう,ということについて著者の考察が書かれています。
 より利他的な生き方が自然になっていくのではないか,と。

 「どうせ死ぬから」と思うのと「長く生きなければならないと考えると」と思うのと,確かに,心の持ちように変化があるのは自然な気がします。 

 私の自分の経験でも、「利己的」に生きるに適しているのはやはり見た目も若く体力的にも無理が効く20代だったと思います。
 若さも長持ちする時代なので、利己的なあり方を高齢まで引っ張ることはやろうと思えば可能なのですが、やはり「利己的な行動だけをする」としたら20代のときより疲れますし、達成感も薄いものになります。
 おそらく、超・長寿社会のなかでの自分の喜びを求めていくなら、やはり、社会の中にある存在としての自己実現、つまり他人と幸せを分かつことで喜びを得る方向にいくほうが,自然で幸せになれそうな気がします。

 そうなると,これから来る「医療完成時代」にはもちろん色んな新しい問題も沢山出てくるでしょうが,より他者への想像力やリスペクトの気持ちに満ちた「成熟社会」に近づく,という明るい希望を抱くことができる気がします。

 これからの時代の生き方を考えるにあたって,とてもタメになり,よいきっかけになる本ですので,あらゆる人にオススメします。


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「NEW ELITE ニューエリート」(ピョートル・フェリクス・グジバチ) [読書するなり!]

 ブログをなかなか更新できない日々が続きました。

 さて,サッカーワールドカップが開幕し,日本は見事なスタートを切りました。
 私もにわかにサッカーファンです。

 昼からコロンビアコーヒーを飲んで観戦に臨んだ第1戦は,見事に勝利。
 セネガル戦は2回のビハインドを執念で追いつきドロー。
 1勝1分の勝ち点4は素晴らしいの一言です。

 さて,次は第3戦ポーランド戦。決勝トーナメント進出の期待が高まります。

 というポーランド戦に備えて,ポーランド出身のピョートルさん著の本を読みました。


ニューエリート グーグル流・新しい価値を生み出し世界を変える人たち

ニューエリート グーグル流・新しい価値を生み出し世界を変える人たち

  • 作者: ピョートル・フェリクス・グジバチ
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2018/02/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



 グーグルでは,昔ながらの日本の会社勤めとは随分違った働き方で,個々の能力をフルに活かす,今までに無かったものを創造する,という仕事の世界がつくられているようです。

 有名大学を出て,有名企業に入って,長時間労働・長い会議…これを何年もやりこなして出世するというのが「昔ながらの日本の会社勤め」イメージでしょうか。
 私は,こういう在り方で「しっかり頑張れる」人自体は決して嫌いではないです。ある種の頼もしさは確かにあります。

 しかし,この本を読んで,いわば「グーグル流」に近い視点からすれば,「昔ながらの日本の会社勤め」流の弱点は,

とにかくしんどいのに耐えてがんばっているから,それでいいんだ

という一種の「甘え」に繋がりやすい,というところだと思います。

 つまり,

・ 仕事をする一日,何時間をかけて,自分は何を産み出したのか?
・ 仕事の大きな目的のために,従来のやり方(長時間会議に全員が出るなど)は合っているのか?
・ もっと早く動けるのではないか?
・ より創造的な在り方の可能性があるのではないか?

など,神経を研ぎ澄ますべきことを,「鈍感力」でスルーしてしまう傾向に陥りやすい弱点があると思います。
 もちろん「旧来の日本」流でバリバリ働きながらこれらのことをちゃんと考えて色んなものを創造するビジネスマンもたくさんいますが。

 この本は私が仕事をする上で,その姿勢という意味でとても勉強になりました。

 第2章は「つねに学び,自分をアップデートする」方法が具体的に書かれています。

 第4章「会議・チーム作りはアウトプットから逆算する」では,固定メンバー・全員参加型の会議方法にこだわらず,
「アウトプットに不要なメンバーは会議に呼ばない!」
「会議は1回で全てを終わらせる!」
という実際的なチーム運びや,
「『質の高い質問』から雑談を始めてメンバーの価値観を知る」
という,やや「深い」関係の作り方などが書かれています。

 自分を高める,人と協同する,の両方について,とても視野を広げてくれる本でした。

 幅広く,ビジネスマン,学生さんにお勧めの1冊です。






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「SHOE DOG」(フィル・ナイト) [読書するなり!]


SHOE DOG(シュードッグ)

SHOE DOG(シュードッグ)

  • 作者: フィル・ナイト
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2017/10/27
  • メディア: 単行本



 靴の「NIKE」創業者の話です。
 読み応えあります。

 ナイキのシューズ,格好いいですね。

 ランニング,ゴルフ,野球,バスケ… どれでもクールで格好いい(といいつつ,私の野球スパイクはミズノですが)。

 私は,大学卒業してからずっと弁護士なので,他の自営業をやったことがありません。

 「ちゃんと商売になるかならないか分からない」という状態から事業を起こし,今の「ナイキ」を作るまでの,山あり谷ありのお話,とても興味深く読んでいます。

 失敗もあり,しんどい時期もあり… 
 リスクがあってもやりたいことがあるから前に進んだ著者の物語は,本当に引き込まれます。

 私も,「心地よいところにとどまる」マインドではなく,もっと良いこと,もっと人の役に立てることをどんどんやっていこう,という気持ちがさらに強くなりました。

 とにかく読み物として面白いので,特にビジネスマンや若い方,学生さんなどにオススメです。


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「マンガでやさしくわかるCSR」(足立辰雄著) [読書するなり!]


マンガでやさしくわかるCSR

マンガでやさしくわかるCSR

  • 作者: 足立 辰雄
  • 出版社/メーカー: 日本能率協会マネジメントセンター
  • 発売日: 2017/11/30
  • メディア: 単行本



 CSRとは,企業のマネジメント手法の一種です。
 言葉の意味は,
 
 C Corporate      企業の
 S Social         社会的     
 R Responsibility 責任

です。
 
 「企業の社会的責任」がマネジメントの手法!?と思うわけですが,

自然環境や社会環境へのダメージ(温室効果ガスや有害物質の排出,リサイクルされない使い捨て材料の大量使用,長時間労働による健康への悪影響など)を少なくして社会から信頼される会社を作るための持続可能なマネジメントの手法

のことを「CSR」と呼ぶのだそうです。

 簡単に言えば,短期的な金儲け主義に走り社会的信用を失う,という在り方とは反対のモラルのある(信頼される)会社を目指すマネジメントというイメージだと思います。

 最近,「コンプライアンス(法令遵守)」に関するニュースが多く取り上げられ,製鋼所の「データ数値改ざん」などが報じられています。

 「CSR」は,「コンプライアンス(法令遵守)」はもちろん,法令に反しなくても,地球や人に優しい会社の在り方を目指すものです。

 それは会社の発展(利益も上げなければならない)と両立するの!?という疑問も当然ですが,そこは,この本の

マンガ 今治のタオル会社を継いだ娘さんの物語

 +

解説

を読んで,どのように両立,というより,「CSR」を会社のマネジメントとして具体化しながら,それも活かして会社を発展させていくか?というところを読んでいただければ,という内容です。

 私も「CSR」の話をよく聴くようになったものの,基本的な知識や,具体的なイメージがなかったので,この本を読んでとてもためになりました。

 弁護士などは特に,自分が儲けるために人の間をこじらして「事件」にするなどはもってのほかであり,結局,関わる人(依頼者相談者)がより活き活きとして生きるためにはどうすればいいかを最優先に考えて手助けする,ということが大切です。
 してみると,「CSR」のコンセプトは,私が司法修習生や新人弁護士だったころからずっと先輩法律家に教えてもらった理念とすごく通じるものがある,と感じます。
 
 自分の仕事もそうであるし,また,「CSR」を取り入れた会社経営,事業経営をしたいという方の手助けもしたい,とこの本を読んで感じています。


 
 


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カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」 [読書するなり!]


わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

  • 作者: カズオ・イシグロ
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2008/08/22
  • メディア: 文庫



 ノーベル文学賞のカズオ・イシグロ氏。
 すごい小説です。

 特殊な運命の中にある主人公たちの,子どもから大人へ,自分たちを取り巻く環境が徐々に見えてくる様,その中での心情を精緻に描いた,ものすごい作品です。
 
 精緻といっても設定自体が特殊なものなので,そのなかでの心情描写,人間同士の交わりの描き方を私が読んで「精緻」と感じるのは,作者の人間存在への洞察が非常に深いからだ,と思います。

 難しい言い方になりましたが,とにかく,人間を見る目,描く力のすごさに感じ入りました。

 最初から一定の刺激があるというタイプの小説ではありません。

 しかし,じっくり読んでいると,ある章あたりからギュイーンと引き込まれて,電車が目的駅に到着するのも忘れてしまうくらい。
 真に力のある小説とはこういうものか,と思いました。

 まだの方,是非読んでみられることをお勧めします。

 小説の力,文章の力を感じることが出来ます。



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【読書】2050年の技術 英『エコノミスト』誌は予測する [読書するなり!]


2050年の技術 英『エコノミスト』誌は予測する

2050年の技術 英『エコノミスト』誌は予測する

  • 作者: 英『エコノミスト』編集部
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2017/04/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



 ノストラダムスの予言しかり,○年にはこうなる式の予言・予測にはなかなか勇気が要りますね。
 
 私自身も,間違いを恐れるので,将来については「○○になっている可能性もある」などという「不正解」にならない言い方をついしてしまいます。
 しかし,未来のことなど誰にも分からない,という開き直りに立って,「私はこう思う」とハッキリ言うのがいいように最近は思っています。

 さてさて話が逸れましたが,この本は,未来の私たちをとりまく世界について,現在分かっていることをもとにかなり精度の高そうな予言をしてくれています。

 たとえば,次のようなことです。


スマホを手に持つ などという状態は近い将来なくなり

AR(拡張現実)メガネを多くの人が着用するようになり

それが,コンタクトになり,さらには,眼球にAR機能が埋め込まれるようになる。

 つまり,何も装着しなくても,ネットを介して世界と,ビッグデータと繋がっている状態になる。

 すごく便利になるが,それは,プライバシーの大部分と引き換え。

 逆に,プライバシーは富裕層だけの贅沢品になる。


 帯によれば,この本は,「AI,自動車,バイオ,農業,医療,エネルギー,軍事,VR,拡張現実など20の分野を徹底予測」とあるとおり,上記はほんの一例で,2050年の世界の予測を多方面で書いている本です。

 予測には外れも当たりもあるでしょうが,これから世界が進んでいく道のイメージが湧きました。
 読んでいて「それっていいこと?」という疑問は色んな箇所で湧きましたが,それはそれとして。

 私自身の未来予測としては,技術の爆発的進歩の中で,究極的には,技術の進歩 と 人の本当の望み,幸せ とがいかにマッチするか(しないか,させられるか),という課題がより鮮明に人類に突きつけられるのだろう,という気がしています。
 私は,技術の進歩の価値に懐疑的というわけでもなくて,例えば,人の愛情の対象も技術の進歩によって変わっていくのかなあ(人間以外の存在にも人間相手同様の愛情を抱く,など。愛情,自然の情の問題なので良いも悪いもないですね),それはそれで新たなジャンルの小説が産まれるのかもなあ,などと思ったりしています。

 弁護士の仕事も激変するだろうけれども,逆に変わらない本質(トラブルに見舞われた人のしんどい状況を改善し,より明るい方向に繋げていく)も明確になるだろう。
 私の思う大切な価値を実現する,ということは変わらず仕事をしていきたいと思います。

 

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