私の司法試験1回目受験記④~最終章 [司法試験]
私が初めて司法試験を受けた受験記。今回で完結します。
「序章」はこちら http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2017-02-22
「短答試験」はこちら http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2017-02-23
「論述試験へ」はこちら http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2017-02-26
5月の短答式合格までは憲法・民法・刑法の勉強しかしたことがなかった。
そこから、私は「突貫工事」で商法・刑事訴訟法・国際私法の勉強をして、7月の論述式試験に臨んだ。
「前号」で民法・刑法以外は「何とかなる」と書いたが、それはあくまで気合い上「何とかなる」という心持ちだったという話で、実際には、その科目の内容の定着度を真面目に考えると大いに不安がある状態だった。
でも、そんなことは考えないようにした、という話である。
今はもう、試験科目がどんな順番だったかも覚えていない。
順不同で各科目を振り返ろう。
「憲法」
これは、勉強を始めた当初から、私は相性の良い科目だと思った。
憲法の定める大きな理念から考えて、各種の問題について「合憲」「違憲」の判断をする、というものだ。
細かな知識を問う、というよりは、理念からどう考えるか?という種目だ。
憲法については、ある程度メジャーなテーマの論述問題ならば、少なくとも、骨太な意味での論述の筋道において、他の受験生にそうそう劣らない答案が書けると思っていた。
この年の憲法の論述問題は、2問とも、各予備校も出題を予想していたメジャーなテーマだったと思う。
私も準備していたし、その準備していた内容は理解してもいた。
今の自分にしてはバッチリ書けた。
まあ易しいといえば易しいので他の受験生も書けたであろうが、ともかくこの科目で「失点」していない、勝負になるのだからそれでよしとすべきた。
「民法」
やはり難しい。
基本科目だけに、かえって、論述式の問題は難易度が高いように思う。
比較的長文の「事例」について、民法の各条文を使ってどのように解決するかを問う問題だ。
私は、私なりの答えを書く。
論述試験のとき「試験用六法」は配布されるから、法律に書いてあることはその場で見て、そこから考えることができる。
だが、一般的な受験生が知っている解釈論や判例について、私がほとんど知らない点もある。
そういう部分は試験中に、私としては気づかないうちに「書くべきことを書かないままに終わる」危険が常にある。
確か、2問のうちの1問、自分が書きやすい論述の流れにするために、やや不自然な感じで、勉強したことのある学説を引用して論じた。
そうしなければ、今の自分の実力ではちゃんとした論述の形にならなかったからそうしたのだが、やや強引なことをしてしまった、という感じが残った。
高評価でなくていい。
失点が最小であることを願う、という出来映えだと思った。
「刑法」
このとき私は腹痛に襲われる。
腹痛に襲われなくても、刑法について不安は大きかった。
刑法の論述問題というのは、事例があって、そこに出てくる人が「無罪」か「何罪で有罪か」を論じるというものだ。
結論は自分なりに出せるのだが、その結論を出すにあたって検討しなければならない問題点が必ずある。
その問題点を余さず論じなければならない。
上の「民法」と同じで、他の受験生にとっての「常識」が私にとっては「常識」でないので、論じるべき「問題点」を落としてしまう恐れがある。
それでも論理の筋道だけはしっかりした答案を、という考えで書き進めていた。
と、そんなとき、うち1問は、ある予備校の「直前答練」で出題されたものとほとんど同じ問題だということに気がついた。
気がついたが、実は、その問題について自力ではちゃんと理解できていなかったものの、その予備校「直前答練」の模範解答は頭に残っていた。
ただ、ここで問題が発覚。
確かこの問題の「模範解答」については、私自身が勉強中に「解答」の論述を読んでも意味が理解できなかった。
というより、この「模範解答」論述は、論理的な文章になっていないのではないか、という疑念を抱いていたのだった。
であれば、正しくは、イマイチな「模範解答」を覚えることはやめて、自分で、基本書や他の資料をあたって、試験対策用の「予定の答案」を作らなければならない。
だが、それができなかった。時間がなかった。
本番中、論理がイマイチと思われるような「模範解答」の引き写しを書くくらいなら、自分で頭をひねって納得いく答案を作ることを考えようか、という気持ちも少しは湧いた。
けれども、やはりその時点で、マスターしていない分野で、自分の実力で自分なりに書くものでは一発で不合格になりかねないと思った。
それで、仕方なく論理が不十分と思われる「模範解答」の引き写しのような答案を書いて提出した。
不本意だけれど、他の受験生もこれに類する答案を書いているとしたら、大きな失点は避けられるのではないか、と。
ただ、刑法が終わったときは、正直どよーん、だった。
「商法」
これが意外と書けた。
急いでざーっと各分野一回ししただけなので定着度が疑問だったが、細かい知識がない分余計に、答案を書くのが楽だった。
もちろん、抜け落ちていることもあるだろうが、スッキリ読みやすくまとまった答案が書けたのではないか、と思った。
「刑事訴訟法」
この科目も、直前期に力を入れてやっていただけあって、なかなか書けたと思う。
出題された問題も変わった問題ではなく、どこの基本書でも触れられているメジャーな問題だったと思う。
刑事訴訟法も、意外と憲法と似たところがあって、「無罪推定の原則」などから始まって、刑事訴訟法を貫く「理念」がある。
その「理念」からどう考えるかという論述をすることが多いので相性が良かった。
「国際私法」
直前期2週間しか勉強していないが、意外とこの科目が私の中で「エース」だった。
当時の阪神タイガースに例えて「藪」と私の中で呼んでいた(当時低迷していた阪神タイガースで、報われないことが多いも、いつも好投していた大エースは「藪」投手)。
私の論述は、2週間の「ぺーぺー」の答案とは思えない、「えらそうな」論述だった。
何故か自信もあった。
さて、この論述試験は、体力的にもかつてなくタフだった。
もうこの季節(7月20日頃)の京都はすごく暑い。
試験会場は、京大ではなくクーラーの効いた綺麗な校舎の同志社大。
朝食は同志社大の近くのマクドナルドで食べたが、緊張やら疲労やら、朝マックが脂っこかったことやらで、たびたびお腹を壊しながらの試験になった。
短答式試験よりも、更に、周りの受験生たちの雰囲気が独特だった。もう平成だが、この試験だけは昭和の雰囲気だった。
試験は3日あったと思う。
最後の力を振り絞って毎日追い込みのための勉強をしていたが、体力もどんどん奪われていった。
今でも私はかなり細身だが、当時の私はもっと細かった。
試験2日目、腹を壊しながらの受験になり終わって昼間に家に帰ると、かつてない疲労感に襲われた。
最終日に向けて必死の追い込みをしたい、最後の最後まで、知識も時間も圧倒的に足りない私にとっては、終わる瞬間まで1分1秒も惜しい。
なのに、もう、このときばかりはテキストを開いても何もできなかった。
目に入る文字も全く頭に入らない。
そればかりか、テキストの次のページを開こうにも握力もない。
何もできない、とはこのことかと思った。初めての経験をした。
5月短答試験の前日は試験前日なのに体力を持てあまして寝られず北白川バッティングセンターまで自転車を飛ばしていた。細くても体力・根性には自信のあった私、むしろ持てあましがちなエネルギーをいかに制御するかを課題にしてた私が、勉強する時間もあり、目の前に教材もあるのに「何もできない」、こんなことは想像もつかなかった。
確かにこの論述試験は苦戦していることは否めない。
だが試験の点数がどうなるか現時点では誰にも分からないのだから、最後まで全力を尽くすかどうかが合否をギリギリ分けることだってあるだろうに。
なのに、ここで「何もできない」なんて。
ここまで自分は全力を尽くしたのに最後の最後で、「戦い切れない」「やり切ることさえできない」なんて、こんなオチかよ…
なんとも間抜けだなあ…
…私の目から自然と涙がこぼれた…となりそうな文章だが、もう、「涙をこぼす」だけの力もなかったのだろう。
そのままベッドに横になって寝た。
目が覚めると辺りがやや暗くなっていて、時刻はだいたい6時過ぎだったか。
おや?
疲れはあるが、手もしっかり握れるし、目も普通にしゃきっとした感じ。
おおお、これは、また勉強ができる?
コンビニで弁当を買って夕食を食べて、最終日に向けて勉強をするためテキストを開く。
普通に勉強できる!
このときのほうが泣きそうな気持ちだった。
昼寝してしまった数時間はかえってこないが、無駄じゃない。
私が最後に追い込むためのパワーを得るために必要な時間だった。
最終日に備え、夜中まで最後の勉強をした。
このときほど「今勉強できること」に感謝したことは無かったと思う。
そして翌日、最終日の試験を受け終えた。
さて、こうして、私は3日間の試験を終えた。
上のような感触で、民法・刑法は特に「こんなんでいいのかな」という感触で、これで合格ラインに届くかといえば正直厳しいだろうなあ、と思っていた。
司法試験論述式の合格発表は確か10月上旬だ。
それまでの間は、合格でも不合格でも役に立つように、論述試験までの短期間ではできなかった「じっくりした」勉強をした。
予備校のまとめテキストではなく、学者が書いた「基本書」を通読した。
弱点だった民法・刑法についても「論述式」レベルの本格的な勉強を開始した(論述式試験が終わった後だが…)。
そして、10月、合格発表。
短答と同じ場所、京都地検の掲示板。
「もしかして」と思って見に行った。
が、私の名前はなかった。
これは落胆、というより、これが現実だろう、そりゃそうだよな、と思って帰った。
当時の司法試験では、不合格者に対して成績の通知があった。
この成績通知を見て、びっくりすることになる。
私の試験結果
総合成績 B(1000~1500位)
憲法 B
民法 D
刑法 E
商法 C
刑訴法 AかBかC
国際司法 A
(AからGの7段階だったと思う)
だった。
受験者・合格者の状況はだいたい次の通り。
受験者 5000人くらい
合格者 500位以内なら無条件で合格
+200人は受験回数3回以内の受験生のみ合格
(総受験者の順位に直すと、3回以内受験生なら「1200位」程度まで合格といわれていた)
こんな状況だ。
私の順位は1000~1500位。
もちろん私は「受験回数3回以内」の枠の適用がある立場だから、ギリギリ合格する人と同じ「B」の範囲にいた。
感触では、こんなに好成績だったとは正直思っていなかった。
だが…ならばこそ、惜しい、という気持ちが湧いてきた。
あともう少し、どこかで、何かができなかったか…
合格に手がかかっていた瞬間がもしかしてあったのではないか…
思い返すと、やはり民法と刑法。
力不足、準備不足といえばその通り。
ただ、私が唯一悔やむのは、刑法で、私自身が良いと信じていない答案を書いたこと。
知識のない経験のない若者が、それでも、先輩受験生に挑んで勝とうとするなら、真摯に問題を考えて、自分で正しいと思った論理を、明快な文章で、読み手である試験委員に伝わるように真心を込めて答案を書くしかなかった。
そしてそれを心掛けた。
刑法の一問を除いては。
あの一問だけ、自分でも論理がきっちり通っていると思わないような答案を提出した。
そして、不合格の要因になったのは間違いなく刑法の「E」評価だ。
つまり、やっぱり、司法試験委員の目をごまかすことはできなかった、というわけだ。
そんなことなら、知識が足りなくても、自分なりに、そのとき持っている材料で、懸命に考えて、拙くとも、自分は確かにこう考えた、という答案を出したら良かった。
それで合格したかは分からない。
やっぱり無理だった可能性も高いだろうが、それなら何の後悔もなかった。
私がこの受験記②冒頭で書いた、私の「コンセプト」。
これを貫けず、最後のギリギリで「邪道」に走った、その結果が不合格だ、と思った。
次は4回生に受験する。
もう二度と同じような後悔はしないよう、また、「邪道」に走らずとも、どの科目で、想定されるどんなテーマが出ても、「ちゃんとした理解」で答案が書けるだけの準備をしよう。
「刑法」の試験中に困ってしまった、あんな瞬間が来ないように…
これが、今年(3回生時)の総括、来年への抱負。
こうして、私の挑戦は終わった。
その後、4回生時の受験に向け、秋から、予備校の「答案練習会」などで調整をしていく。
「来年は絶対」という決意の私は、秋からの「答練」は好成績でスタートする。
そして結果は4回生時に合格しているから、その後順調に力を伸ばしてスイスイと合格したか、と思われるかも知れないが、それはそう甘くはなかった。
試験勉強が2年目に入ると気力を継続させることのしんどさも感じた。
「合格点にあと少し」と「合格」とは紙一重に見えて、実は天と地ほどの差に相当する「何か」があるということも体感することがあった。
また、人間関係的な迷走(ほぼ自業自得としか言えない迷走)も多く、試験前には親不知が腫れ上がるなどのアクシデントもあり(これさえも、なぜか友人からは「罰が当たった」などと言われる始末)、4回生のとき、実にヨレヨレだった。だが、祇園祭に行けて、合格もできたことは前年の経験のお陰か。幸運だった。
さて、3回生のときの司法試験の経験は、結局「敗れた」経験だ。
そして、「最後の最後で、自分を信じ切れなかったこと」が敗因、あるいは悔やまれる点だ。
今も心に残っている。
私が、自分のできる範囲を今より広げよう、として活動することは、大学卒業後今までもあったし、これからもある。
あり続ける。
そんなとき、
「借り物」の力ではなく、やっぱり最後の最後土壇場では「自分の力」で勝負したい、そうでないと悔いが残る
この感覚がこの受験で私が得た最大のものだと思う。
きっと、野球やバレーボールなどのスポーツや、マインドスポーツでは囲碁・将棋などに青春を賭けた人たちは経験の中で、(私が言うのと)似たようなことに気づいた、という人が多いのではないかと思う。
「あの一本を打ち切れなかったのが悔やまれる」というアレだ。
結局、私の場合、司法試験でも良かったが、巡り合わせによっては、スポーツでも音楽でも何でも良かった。
20歳の自分が全力で何かに挑めるものであれば。
たまたま、私にとって上がりやすい舞台が「司法試験」だっただけ。
特別なことではない。
誰でも、20歳か何歳か分からないが、「自分が全力をぶつけてみたい」ときがあると思う。
もう20歳の倍を超えてしまったが、やっぱりいつまでたっても挑戦だろう、と思う。
20歳のときと違うことは、今は、学生ではないのだから、私個人の力を伸ばすだけでは意味がなく、他人と一緒に世の中全体をより幸福なものにしていく、ということ。
初心忘るべからず。
あの頃の真剣な思いを忘れず、されど、今の自分の役割を十分に意識して、出会う人々とともに、私が思う良い社会、愛、感謝、他人への敬意・想像力が活きる社会を作るため日々精進していこうと思っている。
私は、自分の個性が強いので、余計に、20歳の受験時も、それまでも、その後も、今も、周りの人々の限りない愛に支えられてきたことを強く感じている。感謝。
この長い体験記を読んで下さった読者の皆様にも、ありがとうございます、これからも良い世の中を作るため日々頑張ります、の気持ちをお伝えして本稿を終えたいと思う。
完
神戸シーサイド法律事務所 弁護士 村上英樹
「序章」はこちら http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2017-02-22
「短答試験」はこちら http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2017-02-23
「論述試験へ」はこちら http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2017-02-26
5月の短答式合格までは憲法・民法・刑法の勉強しかしたことがなかった。
そこから、私は「突貫工事」で商法・刑事訴訟法・国際私法の勉強をして、7月の論述式試験に臨んだ。
「前号」で民法・刑法以外は「何とかなる」と書いたが、それはあくまで気合い上「何とかなる」という心持ちだったという話で、実際には、その科目の内容の定着度を真面目に考えると大いに不安がある状態だった。
でも、そんなことは考えないようにした、という話である。
今はもう、試験科目がどんな順番だったかも覚えていない。
順不同で各科目を振り返ろう。
「憲法」
これは、勉強を始めた当初から、私は相性の良い科目だと思った。
憲法の定める大きな理念から考えて、各種の問題について「合憲」「違憲」の判断をする、というものだ。
細かな知識を問う、というよりは、理念からどう考えるか?という種目だ。
憲法については、ある程度メジャーなテーマの論述問題ならば、少なくとも、骨太な意味での論述の筋道において、他の受験生にそうそう劣らない答案が書けると思っていた。
この年の憲法の論述問題は、2問とも、各予備校も出題を予想していたメジャーなテーマだったと思う。
私も準備していたし、その準備していた内容は理解してもいた。
今の自分にしてはバッチリ書けた。
まあ易しいといえば易しいので他の受験生も書けたであろうが、ともかくこの科目で「失点」していない、勝負になるのだからそれでよしとすべきた。
「民法」
やはり難しい。
基本科目だけに、かえって、論述式の問題は難易度が高いように思う。
比較的長文の「事例」について、民法の各条文を使ってどのように解決するかを問う問題だ。
私は、私なりの答えを書く。
論述試験のとき「試験用六法」は配布されるから、法律に書いてあることはその場で見て、そこから考えることができる。
だが、一般的な受験生が知っている解釈論や判例について、私がほとんど知らない点もある。
そういう部分は試験中に、私としては気づかないうちに「書くべきことを書かないままに終わる」危険が常にある。
確か、2問のうちの1問、自分が書きやすい論述の流れにするために、やや不自然な感じで、勉強したことのある学説を引用して論じた。
そうしなければ、今の自分の実力ではちゃんとした論述の形にならなかったからそうしたのだが、やや強引なことをしてしまった、という感じが残った。
高評価でなくていい。
失点が最小であることを願う、という出来映えだと思った。
「刑法」
このとき私は腹痛に襲われる。
腹痛に襲われなくても、刑法について不安は大きかった。
刑法の論述問題というのは、事例があって、そこに出てくる人が「無罪」か「何罪で有罪か」を論じるというものだ。
結論は自分なりに出せるのだが、その結論を出すにあたって検討しなければならない問題点が必ずある。
その問題点を余さず論じなければならない。
上の「民法」と同じで、他の受験生にとっての「常識」が私にとっては「常識」でないので、論じるべき「問題点」を落としてしまう恐れがある。
それでも論理の筋道だけはしっかりした答案を、という考えで書き進めていた。
と、そんなとき、うち1問は、ある予備校の「直前答練」で出題されたものとほとんど同じ問題だということに気がついた。
気がついたが、実は、その問題について自力ではちゃんと理解できていなかったものの、その予備校「直前答練」の模範解答は頭に残っていた。
ただ、ここで問題が発覚。
確かこの問題の「模範解答」については、私自身が勉強中に「解答」の論述を読んでも意味が理解できなかった。
というより、この「模範解答」論述は、論理的な文章になっていないのではないか、という疑念を抱いていたのだった。
であれば、正しくは、イマイチな「模範解答」を覚えることはやめて、自分で、基本書や他の資料をあたって、試験対策用の「予定の答案」を作らなければならない。
だが、それができなかった。時間がなかった。
本番中、論理がイマイチと思われるような「模範解答」の引き写しを書くくらいなら、自分で頭をひねって納得いく答案を作ることを考えようか、という気持ちも少しは湧いた。
けれども、やはりその時点で、マスターしていない分野で、自分の実力で自分なりに書くものでは一発で不合格になりかねないと思った。
それで、仕方なく論理が不十分と思われる「模範解答」の引き写しのような答案を書いて提出した。
不本意だけれど、他の受験生もこれに類する答案を書いているとしたら、大きな失点は避けられるのではないか、と。
ただ、刑法が終わったときは、正直どよーん、だった。
「商法」
これが意外と書けた。
急いでざーっと各分野一回ししただけなので定着度が疑問だったが、細かい知識がない分余計に、答案を書くのが楽だった。
もちろん、抜け落ちていることもあるだろうが、スッキリ読みやすくまとまった答案が書けたのではないか、と思った。
「刑事訴訟法」
この科目も、直前期に力を入れてやっていただけあって、なかなか書けたと思う。
出題された問題も変わった問題ではなく、どこの基本書でも触れられているメジャーな問題だったと思う。
刑事訴訟法も、意外と憲法と似たところがあって、「無罪推定の原則」などから始まって、刑事訴訟法を貫く「理念」がある。
その「理念」からどう考えるかという論述をすることが多いので相性が良かった。
「国際私法」
直前期2週間しか勉強していないが、意外とこの科目が私の中で「エース」だった。
当時の阪神タイガースに例えて「藪」と私の中で呼んでいた(当時低迷していた阪神タイガースで、報われないことが多いも、いつも好投していた大エースは「藪」投手)。
私の論述は、2週間の「ぺーぺー」の答案とは思えない、「えらそうな」論述だった。
何故か自信もあった。
さて、この論述試験は、体力的にもかつてなくタフだった。
もうこの季節(7月20日頃)の京都はすごく暑い。
試験会場は、京大ではなくクーラーの効いた綺麗な校舎の同志社大。
朝食は同志社大の近くのマクドナルドで食べたが、緊張やら疲労やら、朝マックが脂っこかったことやらで、たびたびお腹を壊しながらの試験になった。
短答式試験よりも、更に、周りの受験生たちの雰囲気が独特だった。もう平成だが、この試験だけは昭和の雰囲気だった。
試験は3日あったと思う。
最後の力を振り絞って毎日追い込みのための勉強をしていたが、体力もどんどん奪われていった。
今でも私はかなり細身だが、当時の私はもっと細かった。
試験2日目、腹を壊しながらの受験になり終わって昼間に家に帰ると、かつてない疲労感に襲われた。
最終日に向けて必死の追い込みをしたい、最後の最後まで、知識も時間も圧倒的に足りない私にとっては、終わる瞬間まで1分1秒も惜しい。
なのに、もう、このときばかりはテキストを開いても何もできなかった。
目に入る文字も全く頭に入らない。
そればかりか、テキストの次のページを開こうにも握力もない。
何もできない、とはこのことかと思った。初めての経験をした。
5月短答試験の前日は試験前日なのに体力を持てあまして寝られず北白川バッティングセンターまで自転車を飛ばしていた。細くても体力・根性には自信のあった私、むしろ持てあましがちなエネルギーをいかに制御するかを課題にしてた私が、勉強する時間もあり、目の前に教材もあるのに「何もできない」、こんなことは想像もつかなかった。
確かにこの論述試験は苦戦していることは否めない。
だが試験の点数がどうなるか現時点では誰にも分からないのだから、最後まで全力を尽くすかどうかが合否をギリギリ分けることだってあるだろうに。
なのに、ここで「何もできない」なんて。
ここまで自分は全力を尽くしたのに最後の最後で、「戦い切れない」「やり切ることさえできない」なんて、こんなオチかよ…
なんとも間抜けだなあ…
…私の目から自然と涙がこぼれた…となりそうな文章だが、もう、「涙をこぼす」だけの力もなかったのだろう。
そのままベッドに横になって寝た。
目が覚めると辺りがやや暗くなっていて、時刻はだいたい6時過ぎだったか。
おや?
疲れはあるが、手もしっかり握れるし、目も普通にしゃきっとした感じ。
おおお、これは、また勉強ができる?
コンビニで弁当を買って夕食を食べて、最終日に向けて勉強をするためテキストを開く。
普通に勉強できる!
このときのほうが泣きそうな気持ちだった。
昼寝してしまった数時間はかえってこないが、無駄じゃない。
私が最後に追い込むためのパワーを得るために必要な時間だった。
最終日に備え、夜中まで最後の勉強をした。
このときほど「今勉強できること」に感謝したことは無かったと思う。
そして翌日、最終日の試験を受け終えた。
さて、こうして、私は3日間の試験を終えた。
上のような感触で、民法・刑法は特に「こんなんでいいのかな」という感触で、これで合格ラインに届くかといえば正直厳しいだろうなあ、と思っていた。
司法試験論述式の合格発表は確か10月上旬だ。
それまでの間は、合格でも不合格でも役に立つように、論述試験までの短期間ではできなかった「じっくりした」勉強をした。
予備校のまとめテキストではなく、学者が書いた「基本書」を通読した。
弱点だった民法・刑法についても「論述式」レベルの本格的な勉強を開始した(論述式試験が終わった後だが…)。
そして、10月、合格発表。
短答と同じ場所、京都地検の掲示板。
「もしかして」と思って見に行った。
が、私の名前はなかった。
これは落胆、というより、これが現実だろう、そりゃそうだよな、と思って帰った。
当時の司法試験では、不合格者に対して成績の通知があった。
この成績通知を見て、びっくりすることになる。
私の試験結果
総合成績 B(1000~1500位)
憲法 B
民法 D
刑法 E
商法 C
刑訴法 AかBかC
国際司法 A
(AからGの7段階だったと思う)
だった。
受験者・合格者の状況はだいたい次の通り。
受験者 5000人くらい
合格者 500位以内なら無条件で合格
+200人は受験回数3回以内の受験生のみ合格
(総受験者の順位に直すと、3回以内受験生なら「1200位」程度まで合格といわれていた)
こんな状況だ。
私の順位は1000~1500位。
もちろん私は「受験回数3回以内」の枠の適用がある立場だから、ギリギリ合格する人と同じ「B」の範囲にいた。
感触では、こんなに好成績だったとは正直思っていなかった。
だが…ならばこそ、惜しい、という気持ちが湧いてきた。
あともう少し、どこかで、何かができなかったか…
合格に手がかかっていた瞬間がもしかしてあったのではないか…
思い返すと、やはり民法と刑法。
力不足、準備不足といえばその通り。
ただ、私が唯一悔やむのは、刑法で、私自身が良いと信じていない答案を書いたこと。
知識のない経験のない若者が、それでも、先輩受験生に挑んで勝とうとするなら、真摯に問題を考えて、自分で正しいと思った論理を、明快な文章で、読み手である試験委員に伝わるように真心を込めて答案を書くしかなかった。
そしてそれを心掛けた。
刑法の一問を除いては。
あの一問だけ、自分でも論理がきっちり通っていると思わないような答案を提出した。
そして、不合格の要因になったのは間違いなく刑法の「E」評価だ。
つまり、やっぱり、司法試験委員の目をごまかすことはできなかった、というわけだ。
そんなことなら、知識が足りなくても、自分なりに、そのとき持っている材料で、懸命に考えて、拙くとも、自分は確かにこう考えた、という答案を出したら良かった。
それで合格したかは分からない。
やっぱり無理だった可能性も高いだろうが、それなら何の後悔もなかった。
私がこの受験記②冒頭で書いた、私の「コンセプト」。
これを貫けず、最後のギリギリで「邪道」に走った、その結果が不合格だ、と思った。
次は4回生に受験する。
もう二度と同じような後悔はしないよう、また、「邪道」に走らずとも、どの科目で、想定されるどんなテーマが出ても、「ちゃんとした理解」で答案が書けるだけの準備をしよう。
「刑法」の試験中に困ってしまった、あんな瞬間が来ないように…
これが、今年(3回生時)の総括、来年への抱負。
こうして、私の挑戦は終わった。
その後、4回生時の受験に向け、秋から、予備校の「答案練習会」などで調整をしていく。
「来年は絶対」という決意の私は、秋からの「答練」は好成績でスタートする。
そして結果は4回生時に合格しているから、その後順調に力を伸ばしてスイスイと合格したか、と思われるかも知れないが、それはそう甘くはなかった。
試験勉強が2年目に入ると気力を継続させることのしんどさも感じた。
「合格点にあと少し」と「合格」とは紙一重に見えて、実は天と地ほどの差に相当する「何か」があるということも体感することがあった。
また、人間関係的な迷走(ほぼ自業自得としか言えない迷走)も多く、試験前には親不知が腫れ上がるなどのアクシデントもあり(これさえも、なぜか友人からは「罰が当たった」などと言われる始末)、4回生のとき、実にヨレヨレだった。だが、祇園祭に行けて、合格もできたことは前年の経験のお陰か。幸運だった。
さて、3回生のときの司法試験の経験は、結局「敗れた」経験だ。
そして、「最後の最後で、自分を信じ切れなかったこと」が敗因、あるいは悔やまれる点だ。
今も心に残っている。
私が、自分のできる範囲を今より広げよう、として活動することは、大学卒業後今までもあったし、これからもある。
あり続ける。
そんなとき、
「借り物」の力ではなく、やっぱり最後の最後土壇場では「自分の力」で勝負したい、そうでないと悔いが残る
この感覚がこの受験で私が得た最大のものだと思う。
きっと、野球やバレーボールなどのスポーツや、マインドスポーツでは囲碁・将棋などに青春を賭けた人たちは経験の中で、(私が言うのと)似たようなことに気づいた、という人が多いのではないかと思う。
「あの一本を打ち切れなかったのが悔やまれる」というアレだ。
結局、私の場合、司法試験でも良かったが、巡り合わせによっては、スポーツでも音楽でも何でも良かった。
20歳の自分が全力で何かに挑めるものであれば。
たまたま、私にとって上がりやすい舞台が「司法試験」だっただけ。
特別なことではない。
誰でも、20歳か何歳か分からないが、「自分が全力をぶつけてみたい」ときがあると思う。
もう20歳の倍を超えてしまったが、やっぱりいつまでたっても挑戦だろう、と思う。
20歳のときと違うことは、今は、学生ではないのだから、私個人の力を伸ばすだけでは意味がなく、他人と一緒に世の中全体をより幸福なものにしていく、ということ。
初心忘るべからず。
あの頃の真剣な思いを忘れず、されど、今の自分の役割を十分に意識して、出会う人々とともに、私が思う良い社会、愛、感謝、他人への敬意・想像力が活きる社会を作るため日々精進していこうと思っている。
私は、自分の個性が強いので、余計に、20歳の受験時も、それまでも、その後も、今も、周りの人々の限りない愛に支えられてきたことを強く感じている。感謝。
この長い体験記を読んで下さった読者の皆様にも、ありがとうございます、これからも良い世の中を作るため日々頑張ります、の気持ちをお伝えして本稿を終えたいと思う。
完
神戸シーサイド法律事務所 弁護士 村上英樹
2017-03-01 17:26
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法律てほんと大変そうですね。
勉強している人でさえ知らないものがあるらしいですから。
ゲストハウスで手伝えば宿泊費がただという制度は違法とされ逮捕されたオーナーと宿泊者の記事が出ていました。
知らなかったらしいです。でいきなり逮捕され逮捕歴がつくことに(多分)
次々できる法律・改正されていく法律。
監視強化厳罰化・取り締まり強化。
うちの日記に書いていますが膨大な法律を理解し知るのはとても無理です。
どんどん不安が膨らみます。
by ayu15 (2017-04-24 22:38)
こんにちは。初めてコメントさせていただきます。
灘中入試と弁護士試験の話を拝見させていただきました。
実は自分H学園で先生に実際に教えていただいていた者で
ちょうど司法試験を受けている時に教え子でこのブログを見つけて驚いております。
あの時、こう考えて行動されていたのだなと思い、コメントさせていただきました。
もう20年以上前の話ですが。
これからも応援しておりますので、宜しくお願いします。
by KC (2022-09-09 19:00)