本年もありがとうございました。 [弁護士業について]
早いもので本日で今年の仕事納めになります。
何といっても今年は「神戸むらかみ法律事務所」を開所し、新しい出発に、皆様の暖かい励ましの声など頂きました。
弁護士歴23年目ですから、新事務所開設と言っても、「フレッシュ感」があるのかないのか分からないような気が自分でしていましたが、想像以上に、この新事務所開設を多くの方が喜んで下さり、また、その機会に、久しぶりの方にもお目にかかれたことが大変感慨深かったです。
仕事の内容は、企業法務から、個人の実生活に密着した案件まで、ますます総合的になりました。
「総合的」ですが、「薄く広く」という感じではありません。
ここ数年間は、意識的に企業法務の案件の割合を増やしてきましたが、それでより明確に見えてきたのは、企業法務にも個人の案件にも共通するものでした。
弁護士業というのは、アクロバティックな技を披露するような種類のことではなく、「誰にでも分かるはずの道理」を一つ一つ積み重ねて、あるべき解決に着実に道筋をつける仕事です。
「この分野に経験がある」と言っても、一件一件違いますから、やはり、常に文献や裁判例に当たって調べながら事件にあたります。
企業にしても、個人にしても、その案件のことだけではなく、ご自身がどのような生き方をしていきたいかということを踏まえて、最適な解決方法を一緒に考えていくということに尽きます。
そして、そのために必要なポイントについて、法律知識、判例、学説などを調べたうえで、その企業・個人にとって価値のある解決につながりやすい道を探っていきます。
また、企業法務といっても、動かしているのは「人」ですので、代表者や担当者の方と色んなやり取りを通じて「心を通わす」ことが何より大切。
やはり、すごく「人間味のある」仕事です。
以上は抽象的な話ですが、仕事の具体内容として今年力を入れた分野を2つピックアップすると次の通りです。
1 不動産の「共有」状態の解消
相続が絡む場合など、土地や建物が他人と「共有」になっているために起こっている問題が非常に多いです。
「財産があるのに使えていない」というケースも多く見受けられます。
そんな不動産を使える状態にしたり、または、売却して金銭に代えて、生活その他をしやすくする手助けをする案件が多くありました。
理屈だけではなく、関係する人それぞれの情がからみますので、依頼者・相手方それぞれの立場をよく慮って、丁寧に対応することが大切だと感じています。
事務所コラムでも「共有」について書きました。
「不動産の共有解消がしやすく~2021年民法改正」
https://kobem-law.com/news/column/347/
2 企業の顧問業務(顧問弁護士)
たとえば、契約書整備などについて、ネット上で見つけられる「ひな型」で形は整います。
しかし、自社が事業をするうえでの本当のポイントを押さえたものに「カスタマイズ」できている企業は、特に中小企業では少数です。
また、契約書を整備したりチェックしたりするプロセスで、代表者や担当者の方と、契約書の文言の理解を共通のものにしていくこと。これも大変大切です。
企業経営の中で、訴訟案件ではないのですが、クレームを受けたり、社内でトラブルがあったり、そういった場合の対応も必要になってきます。
そういう場合「事を大きくしたくない」というのは当然なのですが、「どういう考え方で臨むか」がハッキリしていないと判断に迷うことになります。
このような場合の企業の相談相手となって、法を踏まえたうえで、企業自身の大切にしたい価値を実現できるような「指針」を確認する、ということをお手伝いしています。
穏当に早く解決できるものはそうすべきことがほとんどですし、その案件は解決するとしても、それだけではなく、根本的な方針を確認する、必要あれば見直す、ということもあります。
以上のように、仕事については大変充実した内容で、来年も引き続き皆様のお役に立てるよう励んでいきます。
幸いにして、今年、自分自身が弁護士として最も力を発揮できる環境を整えることができましたので、それを活かして、多くの皆様の幸せに還元できるように努めたいと思います。
仕事以外の生活も大変充実していました。
コロナによる制約のストレスはありますが、できないことを数えるのではなくて、できることを精いっぱいやろうといつも思っています。
趣味の草野球もほぼ毎週土曜日できましたし、2日に1回くらいの割合でスポーツジムでのトレーニングもしています。
トレーニングも、ストイックにやっているという感じではなくて、それ自体が仕事の疲れをいやしてくれます。
本もたくさん読むことができ、2か月に1回開かれる地元での読書会にも参加しています。
私が所属する「神戸モーニングロータリークラブ」の活動も大変楽しく、他の業種の方と勉強したり、奉仕活動をしたりしています。
毎週木曜日 午前7時から と早いですが、起きてしまえば「三文の得」です。
来年は同クラブの会長になることが決まっており、業種を超えて、社会のため、人のためになることを一緒に考えることをますます楽しみたいと思っています。
ともかく、今年一年は、今までにも増して、多くの方々に助けられました。
家族、事務所メンバーという最も身近な存在から、弁護士仲間、仕事の関係で協同する人たち、他業種で交流のあった方。
濃淡はあれど、関わらせていただいた全ての方に感謝申し上げます。
また、来年もどうぞよろしくお願いいたします。
何といっても今年は「神戸むらかみ法律事務所」を開所し、新しい出発に、皆様の暖かい励ましの声など頂きました。
弁護士歴23年目ですから、新事務所開設と言っても、「フレッシュ感」があるのかないのか分からないような気が自分でしていましたが、想像以上に、この新事務所開設を多くの方が喜んで下さり、また、その機会に、久しぶりの方にもお目にかかれたことが大変感慨深かったです。
仕事の内容は、企業法務から、個人の実生活に密着した案件まで、ますます総合的になりました。
「総合的」ですが、「薄く広く」という感じではありません。
ここ数年間は、意識的に企業法務の案件の割合を増やしてきましたが、それでより明確に見えてきたのは、企業法務にも個人の案件にも共通するものでした。
弁護士業というのは、アクロバティックな技を披露するような種類のことではなく、「誰にでも分かるはずの道理」を一つ一つ積み重ねて、あるべき解決に着実に道筋をつける仕事です。
「この分野に経験がある」と言っても、一件一件違いますから、やはり、常に文献や裁判例に当たって調べながら事件にあたります。
企業にしても、個人にしても、その案件のことだけではなく、ご自身がどのような生き方をしていきたいかということを踏まえて、最適な解決方法を一緒に考えていくということに尽きます。
そして、そのために必要なポイントについて、法律知識、判例、学説などを調べたうえで、その企業・個人にとって価値のある解決につながりやすい道を探っていきます。
また、企業法務といっても、動かしているのは「人」ですので、代表者や担当者の方と色んなやり取りを通じて「心を通わす」ことが何より大切。
やはり、すごく「人間味のある」仕事です。
以上は抽象的な話ですが、仕事の具体内容として今年力を入れた分野を2つピックアップすると次の通りです。
1 不動産の「共有」状態の解消
相続が絡む場合など、土地や建物が他人と「共有」になっているために起こっている問題が非常に多いです。
「財産があるのに使えていない」というケースも多く見受けられます。
そんな不動産を使える状態にしたり、または、売却して金銭に代えて、生活その他をしやすくする手助けをする案件が多くありました。
理屈だけではなく、関係する人それぞれの情がからみますので、依頼者・相手方それぞれの立場をよく慮って、丁寧に対応することが大切だと感じています。
事務所コラムでも「共有」について書きました。
「不動産の共有解消がしやすく~2021年民法改正」
https://kobem-law.com/news/column/347/
2 企業の顧問業務(顧問弁護士)
たとえば、契約書整備などについて、ネット上で見つけられる「ひな型」で形は整います。
しかし、自社が事業をするうえでの本当のポイントを押さえたものに「カスタマイズ」できている企業は、特に中小企業では少数です。
また、契約書を整備したりチェックしたりするプロセスで、代表者や担当者の方と、契約書の文言の理解を共通のものにしていくこと。これも大変大切です。
企業経営の中で、訴訟案件ではないのですが、クレームを受けたり、社内でトラブルがあったり、そういった場合の対応も必要になってきます。
そういう場合「事を大きくしたくない」というのは当然なのですが、「どういう考え方で臨むか」がハッキリしていないと判断に迷うことになります。
このような場合の企業の相談相手となって、法を踏まえたうえで、企業自身の大切にしたい価値を実現できるような「指針」を確認する、ということをお手伝いしています。
穏当に早く解決できるものはそうすべきことがほとんどですし、その案件は解決するとしても、それだけではなく、根本的な方針を確認する、必要あれば見直す、ということもあります。
以上のように、仕事については大変充実した内容で、来年も引き続き皆様のお役に立てるよう励んでいきます。
幸いにして、今年、自分自身が弁護士として最も力を発揮できる環境を整えることができましたので、それを活かして、多くの皆様の幸せに還元できるように努めたいと思います。
仕事以外の生活も大変充実していました。
コロナによる制約のストレスはありますが、できないことを数えるのではなくて、できることを精いっぱいやろうといつも思っています。
趣味の草野球もほぼ毎週土曜日できましたし、2日に1回くらいの割合でスポーツジムでのトレーニングもしています。
トレーニングも、ストイックにやっているという感じではなくて、それ自体が仕事の疲れをいやしてくれます。
本もたくさん読むことができ、2か月に1回開かれる地元での読書会にも参加しています。
私が所属する「神戸モーニングロータリークラブ」の活動も大変楽しく、他の業種の方と勉強したり、奉仕活動をしたりしています。
毎週木曜日 午前7時から と早いですが、起きてしまえば「三文の得」です。
来年は同クラブの会長になることが決まっており、業種を超えて、社会のため、人のためになることを一緒に考えることをますます楽しみたいと思っています。
ともかく、今年一年は、今までにも増して、多くの方々に助けられました。
家族、事務所メンバーという最も身近な存在から、弁護士仲間、仕事の関係で協同する人たち、他業種で交流のあった方。
濃淡はあれど、関わらせていただいた全ての方に感謝申し上げます。
また、来年もどうぞよろしくお願いいたします。
無理なくSDGs [その他]
経営者の集まりに出席すると、今は、
SDGs
ESG消費、ESG投資
等の話が必ず出ます。
「環境にやさしい」
「人にやさしい」
「多様性を認める」
ということが企業に求められていて、
そうでなければ、
お客さんから商品、サービスを買ってもらえない
取引先からも仕事がもらえない
と言われます。
SDGsそのものは、「人間ひとりひとりを大切にしよう」というものですから、私は大賛成です。
憲法の守ろうとする最高価値である「個人の尊厳」というのと全く同じです。
これがビジネスでも要求されるのだ、ということは正しいことです。
ただし、「今までと違ったルールへの対応が要求される」ということは、格差を生む恐れがあります。
大企業は、「環境保護」のための事業や、設備投資、人の教育にもお金をかけられます。
一方、余裕の少ない中小企業はそれが困難です。
そういう中、
「SDGsと言ってもそれは大企業のもの」
「ウチでそんなこと言っても一円にもならない。むしろマイナス」
という率直な声も聞かれます。
私が思うのは、SDGsにしても、「働き方改革」にしても、「賃金アップ」にしても、全て良いことなのですが、
「すぐに対応しなければ、ゲームから退場しなければならない」
というような在り方になってしまっては、かえって、強い者だけが勝ち残る、むしろSDGsの「取り残さない」理念と逆の現象も生んでしまう、ということを危惧します。
ですので、今私が考えているのは、中小企業向けの
「無理なくSDGs」
です。
「SDGs」は「ゴール」(目標)ということではありますが、一社で達成する目標ではありません。
会社の規模、状況に応じて、それぞれができる範囲で無理なくやっていくことで、世界全体として人類の目標を達成していけばよいことです。
ですので、
「SDGsは大企業のもの」
にならない、
「無理のないSDGs」の取り組み方
を経営者の皆様と一緒に模索して、それを広げていく取り組み、ということが必要だし、それをしていきたいと考えています。
SDGs
ESG消費、ESG投資
等の話が必ず出ます。
「環境にやさしい」
「人にやさしい」
「多様性を認める」
ということが企業に求められていて、
そうでなければ、
お客さんから商品、サービスを買ってもらえない
取引先からも仕事がもらえない
と言われます。
SDGsそのものは、「人間ひとりひとりを大切にしよう」というものですから、私は大賛成です。
憲法の守ろうとする最高価値である「個人の尊厳」というのと全く同じです。
これがビジネスでも要求されるのだ、ということは正しいことです。
ただし、「今までと違ったルールへの対応が要求される」ということは、格差を生む恐れがあります。
大企業は、「環境保護」のための事業や、設備投資、人の教育にもお金をかけられます。
一方、余裕の少ない中小企業はそれが困難です。
そういう中、
「SDGsと言ってもそれは大企業のもの」
「ウチでそんなこと言っても一円にもならない。むしろマイナス」
という率直な声も聞かれます。
私が思うのは、SDGsにしても、「働き方改革」にしても、「賃金アップ」にしても、全て良いことなのですが、
「すぐに対応しなければ、ゲームから退場しなければならない」
というような在り方になってしまっては、かえって、強い者だけが勝ち残る、むしろSDGsの「取り残さない」理念と逆の現象も生んでしまう、ということを危惧します。
ですので、今私が考えているのは、中小企業向けの
「無理なくSDGs」
です。
「SDGs」は「ゴール」(目標)ということではありますが、一社で達成する目標ではありません。
会社の規模、状況に応じて、それぞれができる範囲で無理なくやっていくことで、世界全体として人類の目標を達成していけばよいことです。
ですので、
「SDGsは大企業のもの」
にならない、
「無理のないSDGs」の取り組み方
を経営者の皆様と一緒に模索して、それを広げていく取り組み、ということが必要だし、それをしていきたいと考えています。
新事務所開設より半年 [弁護士業について]
NHKの朝ドラも、新しいドラマに変わり、ということは、4月から半年が経ちました。
今年は新事務所 神戸むらかみ法律事務所 を4月に開設しました。
事務所の面談室にしても、「ここが自分の面談室だ」という風に、身体ごとその場に馴染むのには何か月かかかります。
半年たって、気づけば、事務所と自分の存在が調和している感じがします。
私の新事務所開設は、事務所単位でいえば「独立開業」といって間違いではありません。
が、私の弁護士業としては、弁護士になって5年経った2005年から、所属していた事務所の中で、共同経営者になるとともに、独立・自営の弁護士としてやってきました。
この点で、若手の弁護士の「独立」、事務所に勤務している弁護士の「独立」とは意味が異なります。
医師に例えれば、もともと医療モールに入っていた「開業医」が、医療モールを出たところに医院を設立したというのと同じです。
それゆえ、新事務所と言っても、仕事は、従来の続きで、顧客の皆様の依頼業務を継続して行うことが中心です。また、これまでお付き合いのあった方々、あるいは、その紹介によって依頼を受けて業務を行っています。
それだけに、この半年間、新事務所の立ち上げには、現在の依頼者の皆様はもちろん、これまでの私の弁護士業その他の活動を通して知り合った皆様から、暖かい応援をいただき、それを支えとして、新事務所の基礎を作ることに力を尽くすことができました。
4月、5月の開所時のあわただしさが落ち着いたとき、改めて感じたのは、自分の弁護士としての取り組み方の「原点」、「ホームポジション」が大切であり、それを大切にすることこそが自分にとっても心地よいということです。
それは、言葉にすればありきたりですが、
依頼者お一人お一人、案件一件一件に、正面から向き合うこと
事件を「処理」するのではなく、頭と心を研ぎ澄ませて「何が一番良いか」を見つめて事に当たること
です。
理想は、4年前に書いたブログ記事ですが、「まるでその人の事件しかやっていないかのような仕事」https://h-m-d.blog.ss-blog.jp/2018-02-14 です。
この半年で、「神戸むらかみ法律事務所」の立ち上げによって、私の理想に向かうのに最適な環境を整えることができた、と感じています。
このことが大きな喜びで、それを支えていただいた皆様への感謝を伝えて、皆様に、世の中に、お返しをしていきたいと思っています。
今年は新事務所 神戸むらかみ法律事務所 を4月に開設しました。
事務所の面談室にしても、「ここが自分の面談室だ」という風に、身体ごとその場に馴染むのには何か月かかかります。
半年たって、気づけば、事務所と自分の存在が調和している感じがします。
私の新事務所開設は、事務所単位でいえば「独立開業」といって間違いではありません。
が、私の弁護士業としては、弁護士になって5年経った2005年から、所属していた事務所の中で、共同経営者になるとともに、独立・自営の弁護士としてやってきました。
この点で、若手の弁護士の「独立」、事務所に勤務している弁護士の「独立」とは意味が異なります。
医師に例えれば、もともと医療モールに入っていた「開業医」が、医療モールを出たところに医院を設立したというのと同じです。
それゆえ、新事務所と言っても、仕事は、従来の続きで、顧客の皆様の依頼業務を継続して行うことが中心です。また、これまでお付き合いのあった方々、あるいは、その紹介によって依頼を受けて業務を行っています。
それだけに、この半年間、新事務所の立ち上げには、現在の依頼者の皆様はもちろん、これまでの私の弁護士業その他の活動を通して知り合った皆様から、暖かい応援をいただき、それを支えとして、新事務所の基礎を作ることに力を尽くすことができました。
4月、5月の開所時のあわただしさが落ち着いたとき、改めて感じたのは、自分の弁護士としての取り組み方の「原点」、「ホームポジション」が大切であり、それを大切にすることこそが自分にとっても心地よいということです。
それは、言葉にすればありきたりですが、
依頼者お一人お一人、案件一件一件に、正面から向き合うこと
事件を「処理」するのではなく、頭と心を研ぎ澄ませて「何が一番良いか」を見つめて事に当たること
です。
理想は、4年前に書いたブログ記事ですが、「まるでその人の事件しかやっていないかのような仕事」https://h-m-d.blog.ss-blog.jp/2018-02-14 です。
この半年で、「神戸むらかみ法律事務所」の立ち上げによって、私の理想に向かうのに最適な環境を整えることができた、と感じています。
このことが大きな喜びで、それを支えていただいた皆様への感謝を伝えて、皆様に、世の中に、お返しをしていきたいと思っています。
「限りある時間の使い方」(オリバー・バークマン著) [読書するなり!]
- ショップ: 楽天ブックス
- 価格: 1,870 円
今年の夏の読書感想文はこれ!という一冊でした。
私は、
time is moneyではなく、time is life
時間は交換価値ではなく、命、人生そのもの
と思っています。
この本は、いわゆるタイムマネジメントや時間節約術の話ではありません。
むしろ、時間をコントロールしようと思うと、時間のなさにいっそうストレスを感じる。これを、「制約のパラドックス」と表現して、この発想から自由になることを説いています。
先日から、私は、人が「スマホに気を取られること」が幸せを味わうことの邪魔になること、そこから自由になることについて、
「繋がらない権利」
https://h-m-d.blog.ss-blog.jp/2022-08-04
https://h-m-d.blog.ss-blog.jp/2022-08-05
「デジタル・ミニマリスト」
https://h-m-d.blog.ss-blog.jp/2022-08-09
と題して記事を書いていますが、この本もそれに関係します。
スマホだけではありませんが、何かに意識を乗っ取られながら時間を過ごすと、「意味のある体験」ができない。
つまり、限られた時間をよく生きることができない、ことが述べられています。
この本は、「ミシュラン星付きレストランでの最高の食事も、心がどこか別の場所にあれば、インスタントラーメンと変わらない。」としていますが、大変分かりやすいたとえです。
さらにいえば、無意識レベルから集中した状態で味わえば、ミシュラン星付きでなくても、日常の食事でも美味しくなるはずだ、と私は思います。
先日紹介した「デジタル・ミニマリスト」(カル・ニューポート著)は、SNSサービス業者の「注意を乗っ取る」仕掛けに主な原因があるという点に重点を置いていますが、この本は少し違う切り口から論じています。
この本曰くは、
「敵は内部にいる。
人の心のなかには、SNSに限らず、気を紛らわせてくれる何かを求める傾向があるようだ。」
として、それぞれの個人の心の傾向にスポットを当てています。
自分自身が、「気を紛らわせてくれる何か」を求めるのではなくて、今この瞬間に注意を集中させるためにはどうすればよいのか?その心持の在り方に迫っています。
この本は、いかなる時間も、何か「本番」のための「準備時間」ではなくて、その瞬間こそが「本番」であるべきだ、という考え方に立っています。
私の解釈が入りますが、次のようなことです。
楽しいことでも成長につながることでも、やりたいことをいつかやろう、『でも今は何かの準備時間』という意識で過ごしていては、いつまでも『本番前の準備時間』が続くのみ。
今日、今この瞬間こそが、『本番』。それが、受験勉強中とか部活の練習日であっても、それはそれで『本番』の時間であるべきだ。
これは心の持ちようのことですが、「どうせ今は準備時間だ。」と考えて、真剣に、時間に向き合わないのは勿体ない、真正面からその時間に向き合えば在り方が変わってくるはず、ということだと思います。
スマホ自体に、スクリーンを見ている時間を管理する機能も備えられるようになりました。
テクニック的に、スマホ依存をやめる方法というのも大切です。
が、それとともに、
心の「内側」がどうあろうとするのか
本心は、どのような時間の過ごし方をしたいのか
というこの点を、もう一度見つめなおすということが根本的に大切、というのはその通りだと思います。
命そのもの、人生そのものというべき、何より大切な時間を、心から大切にする、そのための心持ち、勇気をくれる本です。
誰に遠慮することなく、自分が本当に「大切にしている」と思う時間の過ごし方をしていいんだよ、と背中を押してくれる感じがします。
そして、多くの人にとって、この本を読む『時間』がとても良い時間になるだろう、と思えます。
「NFTゲーム・ブロックチェーンゲームの法制」(商事法務) [法律案内]
ブロックチェーンゲームといって、ゲーム内のアイテムを暗号通貨(今はイーサリアム)で売買可能なゲームが注目されています。
ゲーム内アイテムを「ほかに代わりのない唯一のデータ」(詳しい解説を省きますが、この意味で「NFT」と呼びます)として扱って、その「唯一」の所有物を売買できる、というところが新しいといわれています。
たとえば、クリプトキティーズ(CryptoKitties)。イーサリムで猫のキャラクターを購入し、その猫同士を交配させると新たな図柄の仔猫が誕生するというゲームがあります。
誕生した仔猫が、珍しい特徴を持っていたりすると高値で売却することができ、多くのイーサリアムを獲得できる、ということで、プレイして「稼げる」ゲームと言われます。
これは海外業者の運営するゲームですが、日本の業者が日本に住所を持つ人向けにこのようなゲームを運営するときに、どんな法律問題があるのかを書いた本です。
先日、情報法制学会というところのオンラインセミナーでこのテーマを聴講したので、その講師陣が執筆したというこの本を読みました。
もともと、昔からあるオンラインゲームでは、ゲーム内アイテム(厳密には、それを記録したデータ)を現金で売買する行為は、RMT(リアルマネートレーディング)と言われて一般にゲーム規約で禁止されてきました。
その理由は、詐欺や不正アクセスなどの犯罪・違法行為から利用者を守ること、利用者間トラブルを防止すること、そうして、安心・安全にプレイできる状態を保つことなどにあります。
そうしてみると、アイテムを取引して稼げるNFTゲーム、ブロックチェーンゲームには共通した問題があります。
また、「賭博」にあたるのではないか?という、かなり根本的な問題があります。
「賭博」は犯罪とされていますが、その理由は、「射幸性」(しゃこうせい)にあります。
「射幸性」とは、(勤労などの努力によらず)偶然に得られる成功や利益を当てにすることをいいます。
遊んで「稼げる」ゲームは、まさに、この要素があることを否定できません。
そして、ゲーム内の通貨はアイテムに交換することができ、また、アイテム自体も他のゲームでも使用可能であるということになると、今までのオンラインゲームのように「閉じられた世界」だけのルールとは別の要素が入ってきます。
「資金決済法」という法律は、プリペイドカードのポイントなどを「前払式決済手段」として、管理や払戻などのルールを定めています。
ゲーム内通貨については、ブロックチェーンゲームでない今までのオンラインゲームでも「前払式決済手段」として扱われてきました。
ブロックチェーンゲームでは、アイテム自体が、(他のゲームとも共通して)別のアイテムと交換できるなどの場合があるため、その取り扱いよっては、アイテムも「前払式決済手段」として扱わなければならない場合がある、とこの本は指摘しています。
また、消費者保護の観点からも、十分に検討されるべき点があります。
簡単にいえば、
「アイテムの価値が上がる(儲かる)」
という断定的判断の提供などはもちろん、
「このゲームのアイテムは、他のゲームでも利用可能」
と宣伝した場合には、そのゲーム業者だけの問題でなく、他のゲーム業者もそのことを意識した消費者に対する表示等に配慮しなければならない、などの問題が生じます。
先日から、私自身も、Sorareという、サッカーやメジャーリーグのプレイヤーのカードをNFTとして取引できるゲームを試してみているので、この本に書かれていることがよくわかりました。
自分の手で試してみる、というのは理解するのに本当に有用だ、と感じました。
Sorareでは、良いカードをチョイスして、ゲーム(チームを自分で編成し、カードになった実在の選手が、リアルの試合で活躍すれば高得点が得られるゲーム)で入賞すれば報酬が得られます。
このゲームによって「稼げる」というのと、また、持っているカードの選手が活躍すれば値段が上がり高値で売れば「稼げる」という特徴があります。
サッカーファンとして、注目する選手が活躍するか?というゲーム性の要素は面白く、価値があると思います。
たとえが野球に飛びますが、コアな阪神ファンが、2軍の選手に目をかけていて、1軍昇格、レギュラー定着、タイトル獲得などビッグになっていく様を「育てる」ように見守る喜びと同じ要素を、「カードゲーム」に活かすことができます。
ただし「稼げる」という側面は、どうしても「賭博」要素があるし、また、新規参入者がどんどん新しいカードを購入するからこそお金が回り既存のプレーヤーが「儲かる」要素があります。
これは自分で少しやってみただけで、リアルに感じます。
もし、極端な話「新規参入者がいるから(そのお金が回って既存のプレーヤーが)儲かる」要素だけならば、高利回りをうたい出資者を募りお金を回すだけの出資金詐欺(「ポンジ・スキーム」と呼ばれます)になってしまいます。
これは不健全であり、そうならないようにしなければなりません。
NFTゲーム、ブロックチェーンについて、プレーヤーがゲーム性を重視して楽しむ分にはよいのですが、「稼げる」ことだけを目的に参入するプレーヤーが殺到すると変質する要素があることも否定できないと思いました。
実は、私からすれば、読む前は、この本にしても、NFT、ブロックチェーンゲームを日本でも解禁していく方向で、法律をいかにクリアするか?という趣旨の本なのかな、と思っていました。
が、執筆者の話や、本の内容をみると、「解禁ありき」ではなく、ブロックチェーンゲームにおいても、これまでの法律が大切にしてきた価値、消費者の安全、取引の健全性が守らなければならない、という考え方がしっかり示されています。
私は、弁護士として、
・ 消費者保護という観点からの仕事
を長くしてきましたし、また、
・ プリペイドカード(前払式決済手段)の発行者のリーガルサポート
・ 金融商品取引業者のリーガルサポート
にも取り組んできましたが、どちらの面からみても、消費者保護法、特定商取引に関する法律、資金決済法、金融商品取引法等の法律の趣旨(こころ)を直視しつつ、安心で便利なサービスにしていくこと、また、サービス・商品について「嘘のない、正直な説明」が何より大切ということは、扱うサービス・テーマが変わっても全く同じこと、本質的なことだと思っています。
NFTに関するサービスやブロックチェーンゲームでも全く同じだと、この本を読んで改めて感じました。
専門的な内容という意味でも、法の「こころ」・本質を確認する意味でも、良書で、とても勉強になりました。
追記 神戸むらかみ法律事務所 HPのコラムでも少し書きました。
このテーマは、最先端企業の法務というだけではなく、一個人個人の活動領域のルールの問題であることを中心に。よろしければこちらもどうぞ。
https://kobem-law.com/news/topics/357/
不動産の共有解消に関する法改正 [法律案内]
「不動産の共有を解消したい」という相談・依頼は非常に多いです。
特に、
相続がからんで不動産(家や土地)が共有になっている。
でも、それは当事者が望まない「共有」状態。
どうにかしたい。
共有者の誰かに買い取ってもらうか、第三者に売ってお金に代えて分配するか。
あるいは、自分がお金を出して買い取るか。
という、こんな相談が寄せられます。
この課題について、法改正があり、2023年4月施行の新ルールでは、特に相続があってから長年そのままになっていた不動産や、行方不明の共有者がいる不動産について、「共有解消」がしやすくなる新しい制度ができています。
事務所HPのコラムでご紹介しました。
不動産の共有解消がしやすく~2021年民法改正~
https://kobem-law.com/news/column/347/
「共有」というのは、誰か一人で単独で不動産を所有している場合に比べて、不便な面があります。
森林法違憲判決(1987年(昭和62年)4月22日最高裁判決)のなかで、最高裁判所は、
「共有の場合にあつては、持分権が共有の性質上互いに制約し合う関係に立つため、単独所有の場合に比し、物の利用又は改善等において十分配慮されない状態におかれることがあり、また、共有者間に共有物の管理、変更等をめぐつて、意見の対立、紛争が生じやすく、いつたんかかる意見の対立、紛争が生じたときは、共有物の管理、変更等に障害を来し、物の経済的価値が十分に実現されなくなるという事態となる」
ので、
民法256条は、
この弊害を除去して、
「共有者に目的物を自由に支配させ、その経済的効用を十分に発揮させるため」
に各共有者に「共有物分割請求権」を認めた、としています。
簡単に言うと、単独所有の場合と違って、共有はややこしく不便で、もめごとも起こりやすい、そうすると利用の妨げにもなるので、共有が嫌ならばやめられる権利を保障する必要がある、だから「共有物分割請求権」がある、ということです。
こうして、民法では、各共有者が、「不便」「不自由」な共有を解消することができる仕組みになっており、「共有物分割請求訴訟」を起こすことによって、最終的には「共有の解消」ができます(これは法改正の前からです)。
話し合いがまとまらない場合は、競売して、お金を分けることになります。
価値ある不動産等であれば、訴訟等になれば、通常は「競売」の前により高値で売却してお金を分ける合意ができます。
「競売」は一般に価格が低くなります。
高く売れた方がいい、というのは各共有者の共通の利益だからです。
遺産分割の場合も、多くは共通の問題の解決です。
家を残して亡くなった親がいたとして、その子たちが相続によって共有になった家をどう分けるか?の課題です。
現行法では、解決手段はあるのだけれども解決に時間がかかる要素もあって、解決への障害を除去すべく2021年改正がなされています。
せっかくの不動産が、「望まぬ共有状態」によって塩漬けになること、ひどい場合は放置されて「空き地」等の管理ができなくなることは社会的な損失なので、法改正によって対策がなされているというわけです。
2021年に、所有者不明土地の解消を目的に不動産登記法・民法が改正されたことの一環なのですが、この「不動産の共有解消をしやすく」の部分は非常に重要だと思っています。
私も、活用できる場面があれば、積極的に取り組んでいきたいと考えています。
特に、
相続がからんで不動産(家や土地)が共有になっている。
でも、それは当事者が望まない「共有」状態。
どうにかしたい。
共有者の誰かに買い取ってもらうか、第三者に売ってお金に代えて分配するか。
あるいは、自分がお金を出して買い取るか。
という、こんな相談が寄せられます。
この課題について、法改正があり、2023年4月施行の新ルールでは、特に相続があってから長年そのままになっていた不動産や、行方不明の共有者がいる不動産について、「共有解消」がしやすくなる新しい制度ができています。
事務所HPのコラムでご紹介しました。
不動産の共有解消がしやすく~2021年民法改正~
https://kobem-law.com/news/column/347/
「共有」というのは、誰か一人で単独で不動産を所有している場合に比べて、不便な面があります。
森林法違憲判決(1987年(昭和62年)4月22日最高裁判決)のなかで、最高裁判所は、
「共有の場合にあつては、持分権が共有の性質上互いに制約し合う関係に立つため、単独所有の場合に比し、物の利用又は改善等において十分配慮されない状態におかれることがあり、また、共有者間に共有物の管理、変更等をめぐつて、意見の対立、紛争が生じやすく、いつたんかかる意見の対立、紛争が生じたときは、共有物の管理、変更等に障害を来し、物の経済的価値が十分に実現されなくなるという事態となる」
ので、
民法256条は、
この弊害を除去して、
「共有者に目的物を自由に支配させ、その経済的効用を十分に発揮させるため」
に各共有者に「共有物分割請求権」を認めた、としています。
簡単に言うと、単独所有の場合と違って、共有はややこしく不便で、もめごとも起こりやすい、そうすると利用の妨げにもなるので、共有が嫌ならばやめられる権利を保障する必要がある、だから「共有物分割請求権」がある、ということです。
こうして、民法では、各共有者が、「不便」「不自由」な共有を解消することができる仕組みになっており、「共有物分割請求訴訟」を起こすことによって、最終的には「共有の解消」ができます(これは法改正の前からです)。
話し合いがまとまらない場合は、競売して、お金を分けることになります。
価値ある不動産等であれば、訴訟等になれば、通常は「競売」の前により高値で売却してお金を分ける合意ができます。
「競売」は一般に価格が低くなります。
高く売れた方がいい、というのは各共有者の共通の利益だからです。
遺産分割の場合も、多くは共通の問題の解決です。
家を残して亡くなった親がいたとして、その子たちが相続によって共有になった家をどう分けるか?の課題です。
現行法では、解決手段はあるのだけれども解決に時間がかかる要素もあって、解決への障害を除去すべく2021年改正がなされています。
せっかくの不動産が、「望まぬ共有状態」によって塩漬けになること、ひどい場合は放置されて「空き地」等の管理ができなくなることは社会的な損失なので、法改正によって対策がなされているというわけです。
2021年に、所有者不明土地の解消を目的に不動産登記法・民法が改正されたことの一環なのですが、この「不動産の共有解消をしやすく」の部分は非常に重要だと思っています。
私も、活用できる場面があれば、積極的に取り組んでいきたいと考えています。
「デジタル・ミニマリスト」(早川書房 カル・ニューポート) [読書するなり!]
このところ、「繋がらない権利」について記事を書いていますが、これに通じる話です。
気づけば、一日中スマホばっかりみている、ということが多くないでしょうか?
「繋がらない権利」は、職場との関係でオフの時間を確保するという権利、自由の話です。
しかし、職場との関係はオフでも、そのオフ時間をスマホばっかりみて暮らすことにならないか?
放っておくと多くの人はそうなってしまいます。
それは別に、個人の心がけが悪いからではありません。
「アテンション・エコノミー」(注意経済)と言って、画面上で、どんどん人の注意を惹きつける仕掛け、それによって儲かるサービスに支配されているからです。
私も使っている、Facebook、Twitterが代表例として本では挙げられています。
ポイントは、「時間の使い方」で、自分が本当に幸せを感じられる時間の使い方は何だろう?ということ。
もし、「スマホを一日中見ていたけれども、それが本当にやりたいことで、充実感、幸福感がある」のなら何の問題もないのです。
が、スマホがなかった時代に比べて、「やりたいことが進まず、結局スマホをみて大半の時間を過ごしたけれども、空虚な感じだ」ということが増えているのではないか?
それは、本当に自分がスマホやデジタルサービスを使うか使わないかを「選択している」のではなくて、「依存」させられているだけではないか?
それにより結局、全体として人生の充実度が下がり、幸福感が低下していないか?
こういうテーマです。
「デジタル・デトックス」は、たとえば、まる一日など、一時的にスマホ等から離れることです。
「デジタル・ミニマリスト」とは、常の暮らし方として、デジタルの利用をミニマムにするあり方のことです。
Facebookに書き込んだら、「いいね」が増えていないかをチェックしてしまう、というような依存習慣をどうやったらやめられるか。
方法論もいくつも紹介されています。Facebook、Messenger、LINEなどのサービスを仕事でも使っている人が、それをやめるわけにもいかないので、サービスの「よいところだけ」を活用するにはいかにすればよいか、を考える手助けになります。
この本の一節に、
「デジタル・ミニマリズムの有効性を支えているのは、利用するツール類を意識的に選択する行為そのものが幸福感につながるという事実だ」
とあります。
そうなんです。
本当に、自分が最善と思ったものを「意識的に選択」できていれば、自己肯定感も上がるし、実際に悔いのない時間を過ごせる。
これは、デジタルに限らず、仕事、勉強、趣味なんでもそうです。
人に決められたわけでも、何かに流されたわけでもない。
(できるだけ純粋に)自分でしたいと思って意識的に決めたことができているなら、それは幸せですよね。
私は、このブログもそうですし、事務所HPやFacebook、Twitterでの発信が多い方だと思います。
なので、デジタルツールのヘビーユーザーだと思います。
考えてみると、
・ 記事などを書いている時間
・ そのために情報を収集している時間
は画面を見ていても、「有意義な時間」です。
が、
・ いいね、やコメントが増えたかな と思って何度もチェックする時間
・ 単に暇つぶしのようにFacebookのニュースフィールドをスクロールする時間
・ 何かをしている最中に、スマホの通知が目に入ってしまい、意識をもっていかれる時間
は「良くないなあ」と思いながらも、ついついそうなりがちでした。
後者の方を「自分でコントロールする」工夫が必要、ということです。
この本を読みながらいくつか実践したことがあります。
1 ランチタイムに、スマホを持たずに外出する。
2 食事中はスマホをみえる位置に置かない。
3 外出中、移動中も、「電車に乗ったらスマホ」「タクシーに乗ったらスマホ」、「歩きながらでもスマホ」という癖になっていることに気づいた。
→ その癖をやめる。
「スマホチェック」したくなったとき、意識的に「チェックしない」ようにする。
4 逆に「スマホチェック」する時間帯を決める。
午前9時とか、昼食後とか、帰宅後すぐ、とか。
5 Facebook等の投稿をしても、次の「スマホチェック」時間まで「いいね」「コメント」を確認しようとしない。
→ 最初、反応を確かめたい気持ちがあるが、抑える。
次の「スマホチェック」時間まで放置。
6 (屋内の活動として)スマホではなく、紙の本、テレビ画面で見るものを増やす。
時間ができたら、体を動かして行うこと(片付けなど)をする。
1週間くらいでこの本を読んでいましたから、この本のエッセンスを意識しながら、実際に上記のことにちょっとずつ取り組んでいます。
ちょっとしたことなのですが、心も体も楽になり、頭がよく働くようになることに気づきます。
一人で考えること、風やにおいを味わうこと、その場に集中することが人間にとっていかに大切かがわかります。
気づけば、日常の仕事、私の場合は訴訟等の案件の書面を書くこと、契約書を作ることなどもはかどり、「溜まっている仕事」がゼロになっています。
ほんの1週間~10日の取り組みでの変化です。
とはいえ、癖になっていることは簡単にはなくならず、気づけば、メールソフトの送受信ボタンを何度も押している、とか、そういうこともあります。
まだまだ、改善の余地はあります。
デジタル・ミニマムであること、本当に大切なことに集中すること。
これは、今、多くの人にとって見つめなおすべき最重要なことです。
自由業である私だから「デジタル・ミニマム」化しやすい、と思われるかもしれませんが、会社員や公務員、その他組織に属する人でも、その立場における「デジタル・ミニマム」を考えることは同様に可能です。
「自分でツールを使うかどうかを選んでいる」ことが幸福であるというエッセンスは全く同じです。
もし、職場などで、「人の集中を妨げる」「オフの時間を乱す」ツールの使い方が横行する環境になっているならば、今一度、「個人個人が、必要なことに集中できる」という価値に重点を置いた環境づくりを考えてみるべきだと思います。
その価値と共通するのが、「繋がらない権利」(時間外の連絡を受けないという労働者の自由)の考え方です。
「オン」の時間内の集中が非常に大切です。
それには、「オン」の時間内に、できるだけスマホやPCから発せられる色んな通知に必要以上にさらされない(もちろん、リアルの人の声かけも同じですが)ことと、「オフ」の確保・真の充実によって「オン」の時間の集中力を高めることの両方が必要。
私が今、関心があり、取り組みたいことの一つが、この「すべての人が、本当に大切なことに集中できる」環境づくりです。
ともかく、この本は、この本に書いてあるとおりにするかどうかは別として、「本当に大切なこと」と「デジタルとの付き合い方」を考えるヒントになりますので、大変おススメです。
デジタル・ミニマリスト スマホに依存しない生き方 (ハヤカワ文庫NF)
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2021/04/01
- メディア: Kindle版
気づけば、一日中スマホばっかりみている、ということが多くないでしょうか?
「繋がらない権利」は、職場との関係でオフの時間を確保するという権利、自由の話です。
しかし、職場との関係はオフでも、そのオフ時間をスマホばっかりみて暮らすことにならないか?
放っておくと多くの人はそうなってしまいます。
それは別に、個人の心がけが悪いからではありません。
「アテンション・エコノミー」(注意経済)と言って、画面上で、どんどん人の注意を惹きつける仕掛け、それによって儲かるサービスに支配されているからです。
私も使っている、Facebook、Twitterが代表例として本では挙げられています。
ポイントは、「時間の使い方」で、自分が本当に幸せを感じられる時間の使い方は何だろう?ということ。
もし、「スマホを一日中見ていたけれども、それが本当にやりたいことで、充実感、幸福感がある」のなら何の問題もないのです。
が、スマホがなかった時代に比べて、「やりたいことが進まず、結局スマホをみて大半の時間を過ごしたけれども、空虚な感じだ」ということが増えているのではないか?
それは、本当に自分がスマホやデジタルサービスを使うか使わないかを「選択している」のではなくて、「依存」させられているだけではないか?
それにより結局、全体として人生の充実度が下がり、幸福感が低下していないか?
こういうテーマです。
「デジタル・デトックス」は、たとえば、まる一日など、一時的にスマホ等から離れることです。
「デジタル・ミニマリスト」とは、常の暮らし方として、デジタルの利用をミニマムにするあり方のことです。
Facebookに書き込んだら、「いいね」が増えていないかをチェックしてしまう、というような依存習慣をどうやったらやめられるか。
方法論もいくつも紹介されています。Facebook、Messenger、LINEなどのサービスを仕事でも使っている人が、それをやめるわけにもいかないので、サービスの「よいところだけ」を活用するにはいかにすればよいか、を考える手助けになります。
この本の一節に、
「デジタル・ミニマリズムの有効性を支えているのは、利用するツール類を意識的に選択する行為そのものが幸福感につながるという事実だ」
とあります。
そうなんです。
本当に、自分が最善と思ったものを「意識的に選択」できていれば、自己肯定感も上がるし、実際に悔いのない時間を過ごせる。
これは、デジタルに限らず、仕事、勉強、趣味なんでもそうです。
人に決められたわけでも、何かに流されたわけでもない。
(できるだけ純粋に)自分でしたいと思って意識的に決めたことができているなら、それは幸せですよね。
私は、このブログもそうですし、事務所HPやFacebook、Twitterでの発信が多い方だと思います。
なので、デジタルツールのヘビーユーザーだと思います。
考えてみると、
・ 記事などを書いている時間
・ そのために情報を収集している時間
は画面を見ていても、「有意義な時間」です。
が、
・ いいね、やコメントが増えたかな と思って何度もチェックする時間
・ 単に暇つぶしのようにFacebookのニュースフィールドをスクロールする時間
・ 何かをしている最中に、スマホの通知が目に入ってしまい、意識をもっていかれる時間
は「良くないなあ」と思いながらも、ついついそうなりがちでした。
後者の方を「自分でコントロールする」工夫が必要、ということです。
この本を読みながらいくつか実践したことがあります。
1 ランチタイムに、スマホを持たずに外出する。
2 食事中はスマホをみえる位置に置かない。
3 外出中、移動中も、「電車に乗ったらスマホ」「タクシーに乗ったらスマホ」、「歩きながらでもスマホ」という癖になっていることに気づいた。
→ その癖をやめる。
「スマホチェック」したくなったとき、意識的に「チェックしない」ようにする。
4 逆に「スマホチェック」する時間帯を決める。
午前9時とか、昼食後とか、帰宅後すぐ、とか。
5 Facebook等の投稿をしても、次の「スマホチェック」時間まで「いいね」「コメント」を確認しようとしない。
→ 最初、反応を確かめたい気持ちがあるが、抑える。
次の「スマホチェック」時間まで放置。
6 (屋内の活動として)スマホではなく、紙の本、テレビ画面で見るものを増やす。
時間ができたら、体を動かして行うこと(片付けなど)をする。
1週間くらいでこの本を読んでいましたから、この本のエッセンスを意識しながら、実際に上記のことにちょっとずつ取り組んでいます。
ちょっとしたことなのですが、心も体も楽になり、頭がよく働くようになることに気づきます。
一人で考えること、風やにおいを味わうこと、その場に集中することが人間にとっていかに大切かがわかります。
気づけば、日常の仕事、私の場合は訴訟等の案件の書面を書くこと、契約書を作ることなどもはかどり、「溜まっている仕事」がゼロになっています。
ほんの1週間~10日の取り組みでの変化です。
とはいえ、癖になっていることは簡単にはなくならず、気づけば、メールソフトの送受信ボタンを何度も押している、とか、そういうこともあります。
まだまだ、改善の余地はあります。
デジタル・ミニマムであること、本当に大切なことに集中すること。
これは、今、多くの人にとって見つめなおすべき最重要なことです。
自由業である私だから「デジタル・ミニマム」化しやすい、と思われるかもしれませんが、会社員や公務員、その他組織に属する人でも、その立場における「デジタル・ミニマム」を考えることは同様に可能です。
「自分でツールを使うかどうかを選んでいる」ことが幸福であるというエッセンスは全く同じです。
もし、職場などで、「人の集中を妨げる」「オフの時間を乱す」ツールの使い方が横行する環境になっているならば、今一度、「個人個人が、必要なことに集中できる」という価値に重点を置いた環境づくりを考えてみるべきだと思います。
その価値と共通するのが、「繋がらない権利」(時間外の連絡を受けないという労働者の自由)の考え方です。
「オン」の時間内の集中が非常に大切です。
それには、「オン」の時間内に、できるだけスマホやPCから発せられる色んな通知に必要以上にさらされない(もちろん、リアルの人の声かけも同じですが)ことと、「オフ」の確保・真の充実によって「オン」の時間の集中力を高めることの両方が必要。
私が今、関心があり、取り組みたいことの一つが、この「すべての人が、本当に大切なことに集中できる」環境づくりです。
ともかく、この本は、この本に書いてあるとおりにするかどうかは別として、「本当に大切なこと」と「デジタルとの付き合い方」を考えるヒントになりますので、大変おススメです。
「繋がらない権利」の真の実現とは? [くらしと安全(交通事故その他)]
前回記事に続いて、「繋がらない権利」の話をします。
時間外の業務連絡について、会社内でのルール作りを!という話でした。
じゃあ、例えばどんなの?というわけですが、連合は2020年に文書を出していて、その中で就業規則の例を次のように挙げています。
【連合の文書に挙げられる就業規則の例 引用】
第〇条(つながらない権利(勤務時間外の連絡))
1 会社は勤務時間外の従業員に対し、緊急性が高い場合を除き、電話、メール、その
他の方法で連絡等を行わない。
2 従業員は、勤務時間外の別の従業員に対し、電話、メール、その他の方法で連絡を
してはならない。ただし、緊急性の高いものはこの限りではない。
3 勤務時間外の従業員は、会社または別の従業員からの電話、メール、その他の方法
による連絡について、応対する必要はない。
4 会社は、会社または別の従業員からの電話、メール、その他の方法による連絡に
応対しなかった従業員に対して、人事評価等において不利益な取扱いをしない。
【引用終わり】
定めとしては、この例のような内容となるでしょう。
ただ、本当にその通りにできるか?実効性は?というところは、よくよく詰めていかなければ、絵にかいた餅になりかねません。
たとえば、4項の、応対しないことに対して、人事評価等において不利益な取り扱いをしない、というのは、定めとしては良いですが本当にそうなるでしょうか?
令和版の「24時間働けますか?」みたいな会社があったとして、夜間休日も返上でモーレツに社員が働くことによって、利益をあげている会社があったとします。
この場合に、就業規則では、上のように「時間外は、業務連絡に応対しなくてよい」「人事評価等において不利益な取り扱いをしない」と書いてあっても、
Aさん 夜間もメッセージなどの連絡に対応してバリバリ働いているように見える人
と
Bさん 夜間は応対しない人
とがいた場合、人事評価で、Bさんにマイナスをつけなくても、「Aさんはがんばっている」としてAにプラスが付くということがないでしょうか。
人事評価は相対評価という側面がありますから、この場合、Bさんが不利益に取り扱われたのと同じことではないでしょうか。
この場合でも、もし、Aさん、Bさんが実際に挙げている業績が同じであれば差をつけてはいけない、というのが上の就業規則案4項になりますが、本当にそうなるか?です。
もっといえば、夜間に来る連絡に応対しなくても、同じ業績を挙げれば評価も同じ、ということをAさん、Bさんの立場で「信じられるか?」という話になります。
そうなると、結局、上記のような就業規則を定めるだけでは足りず、
会社、経営者が、
「時間外はきっちりオフにしましょう」
「他人のオフを乱す行為は、一見熱心に働いているようにみえても評価しません」
というメッセージを明確に伝え、その考えを、各部署、人事評価をする立場の人からそうでない人までに浸透させていかなければ実現しません。
一方で、オンとオフの分け方も人それぞれで、「業務時間外でも自分は仕事のことを考えていたい」「寝るまで仕事をしたい」という人もいます。
そういう人から、時間が来たからといって、仕事を「取り上げる」のも、上手くいきません。それはそれで人を活かすことができなくなってしまいます。
ですので、そういう人には、「あなたが夜を徹して働いてくれているのはありがたい。」とちゃんと感謝を伝えたうえで、「しかし、業務時間外に休んでいる人のオフを妨げるのはNGです。それぞれの在り方を尊重しましょう。」というメッセージも伝えることになります。
こう考えていくと、「繋がらない権利」の実現と、それによる人材の活用には課題が多いです。
ですが、各職場の実情を踏まえたうえで、
・ 働く者のオフラインの時間を守る
・ それぞれのペースがあることを尊重する
という考えを基礎に、その職場や、その職場にいる働く者それぞれの個性に合ったルール作りについて、(感覚的なもの含めて)じっくり話し合ってみる機会は、経営者にとっても労働者にとっても決して無駄なものにはならないだろう、と思います。
時間外の業務連絡について、会社内でのルール作りを!という話でした。
じゃあ、例えばどんなの?というわけですが、連合は2020年に文書を出していて、その中で就業規則の例を次のように挙げています。
【連合の文書に挙げられる就業規則の例 引用】
第〇条(つながらない権利(勤務時間外の連絡))
1 会社は勤務時間外の従業員に対し、緊急性が高い場合を除き、電話、メール、その
他の方法で連絡等を行わない。
2 従業員は、勤務時間外の別の従業員に対し、電話、メール、その他の方法で連絡を
してはならない。ただし、緊急性の高いものはこの限りではない。
3 勤務時間外の従業員は、会社または別の従業員からの電話、メール、その他の方法
による連絡について、応対する必要はない。
4 会社は、会社または別の従業員からの電話、メール、その他の方法による連絡に
応対しなかった従業員に対して、人事評価等において不利益な取扱いをしない。
【引用終わり】
定めとしては、この例のような内容となるでしょう。
ただ、本当にその通りにできるか?実効性は?というところは、よくよく詰めていかなければ、絵にかいた餅になりかねません。
たとえば、4項の、応対しないことに対して、人事評価等において不利益な取り扱いをしない、というのは、定めとしては良いですが本当にそうなるでしょうか?
令和版の「24時間働けますか?」みたいな会社があったとして、夜間休日も返上でモーレツに社員が働くことによって、利益をあげている会社があったとします。
この場合に、就業規則では、上のように「時間外は、業務連絡に応対しなくてよい」「人事評価等において不利益な取り扱いをしない」と書いてあっても、
Aさん 夜間もメッセージなどの連絡に対応してバリバリ働いているように見える人
と
Bさん 夜間は応対しない人
とがいた場合、人事評価で、Bさんにマイナスをつけなくても、「Aさんはがんばっている」としてAにプラスが付くということがないでしょうか。
人事評価は相対評価という側面がありますから、この場合、Bさんが不利益に取り扱われたのと同じことではないでしょうか。
この場合でも、もし、Aさん、Bさんが実際に挙げている業績が同じであれば差をつけてはいけない、というのが上の就業規則案4項になりますが、本当にそうなるか?です。
もっといえば、夜間に来る連絡に応対しなくても、同じ業績を挙げれば評価も同じ、ということをAさん、Bさんの立場で「信じられるか?」という話になります。
そうなると、結局、上記のような就業規則を定めるだけでは足りず、
会社、経営者が、
「時間外はきっちりオフにしましょう」
「他人のオフを乱す行為は、一見熱心に働いているようにみえても評価しません」
というメッセージを明確に伝え、その考えを、各部署、人事評価をする立場の人からそうでない人までに浸透させていかなければ実現しません。
一方で、オンとオフの分け方も人それぞれで、「業務時間外でも自分は仕事のことを考えていたい」「寝るまで仕事をしたい」という人もいます。
そういう人から、時間が来たからといって、仕事を「取り上げる」のも、上手くいきません。それはそれで人を活かすことができなくなってしまいます。
ですので、そういう人には、「あなたが夜を徹して働いてくれているのはありがたい。」とちゃんと感謝を伝えたうえで、「しかし、業務時間外に休んでいる人のオフを妨げるのはNGです。それぞれの在り方を尊重しましょう。」というメッセージも伝えることになります。
こう考えていくと、「繋がらない権利」の実現と、それによる人材の活用には課題が多いです。
ですが、各職場の実情を踏まえたうえで、
・ 働く者のオフラインの時間を守る
・ それぞれのペースがあることを尊重する
という考えを基礎に、その職場や、その職場にいる働く者それぞれの個性に合ったルール作りについて、(感覚的なもの含めて)じっくり話し合ってみる機会は、経営者にとっても労働者にとっても決して無駄なものにはならないだろう、と思います。
「繋がらない権利」~時間外の業務メール、メッセージにルールを [くらしと安全(交通事故その他)]
誰も一人では生きられない。
なので、「繋がり」はとても大切なものです。
しかし、みんなが、365日、24時間、「職場から連絡が来るかも?」という意識で暮らすことができるでしょうか。
多くの人はNOだと思います。
(神戸むらかみ法律事務所 コラム)
「時間外の業務連絡」にルールを ~「繋がらない権利」とは何か~
https://kobem-law.com/news/column/340/
今は特に、仕事では「素早いレスポンス」が求められます。
私自身も、顧客に対しては、敏速なレスポンスを提供することをモットーにしています。
ただ、社外の取引先、顧客に対して、営業時間内において敏速なレスポンスを行うことと、働く人が24時間連絡にさらされていることとは全く別の問題です。
人が良い仕事をするために必要な要素。
職種や立場によっても違いますが、
・ 心身の健康。栄養、睡眠。
・ オフの時間は完全にリラックスすること。
・ そのうえで、やるときにはやる。そのための「集中力」を維持できる環境。
これらはとても大切な要素でしょう。
仕事によって、夜中も休日も動きのある仕事もあります。
また、大掛かりなプロジェクトなどは連日深夜労働をして仕上げる、ということもあります。
それがいけないわけではありません。
ただ、「業務時間外」の人が休めるようにする必要があります。
ですので、たとえば、
1 業務時間外のメール・メッセージは原則禁止
2 送るほうは送ってもよいが、上司・部下・同僚問わず、返信は次の業務時間開始後でよい
※ 特に、経営者や上司の側が「即レス」を求める圧力(無言のもの含む)をかけないように注意
3 「通知」が気になって休めない人には、業務時間外は「通知オフ」を推奨
などのルールを作ることが、労働者(あるいは経営者も)の心身の健康を守るために必要だと思います。
こうしたルールが欧米では「繋がらない権利」として法律にもなっています。
これから、こういうルールがきっちりしている会社でないと、若者に選ばれなくなる恐れがあります。
スマホを常時チェックしていなくても、スマホの存在が気になるというだけでも、目の前のことが楽しめなくなります。
せっかく、休日に家族と美味しい食事を食べていても、「上司からメールが来ていないか」と「心ここにあらず」では、幸せの機会を損失してしまいます。
私は、この「繋がらない権利」はじめ、デジタル時代でも、人が、そのときそのときに得られたものを集中して楽しんだり、目の前のことに打ち込んだりできる環境を確保できることがとても大切だと思っています。
こういう環境づくりにも「工夫」が必要な時代ですので、色んな人々の知恵を借りながら、それぞれの人ひとりひとりの「人間本来」、真の自由を取り戻すことを探求していきたいと思っています。
なので、「繋がり」はとても大切なものです。
しかし、みんなが、365日、24時間、「職場から連絡が来るかも?」という意識で暮らすことができるでしょうか。
多くの人はNOだと思います。
(神戸むらかみ法律事務所 コラム)
「時間外の業務連絡」にルールを ~「繋がらない権利」とは何か~
https://kobem-law.com/news/column/340/
今は特に、仕事では「素早いレスポンス」が求められます。
私自身も、顧客に対しては、敏速なレスポンスを提供することをモットーにしています。
ただ、社外の取引先、顧客に対して、営業時間内において敏速なレスポンスを行うことと、働く人が24時間連絡にさらされていることとは全く別の問題です。
人が良い仕事をするために必要な要素。
職種や立場によっても違いますが、
・ 心身の健康。栄養、睡眠。
・ オフの時間は完全にリラックスすること。
・ そのうえで、やるときにはやる。そのための「集中力」を維持できる環境。
これらはとても大切な要素でしょう。
仕事によって、夜中も休日も動きのある仕事もあります。
また、大掛かりなプロジェクトなどは連日深夜労働をして仕上げる、ということもあります。
それがいけないわけではありません。
ただ、「業務時間外」の人が休めるようにする必要があります。
ですので、たとえば、
1 業務時間外のメール・メッセージは原則禁止
2 送るほうは送ってもよいが、上司・部下・同僚問わず、返信は次の業務時間開始後でよい
※ 特に、経営者や上司の側が「即レス」を求める圧力(無言のもの含む)をかけないように注意
3 「通知」が気になって休めない人には、業務時間外は「通知オフ」を推奨
などのルールを作ることが、労働者(あるいは経営者も)の心身の健康を守るために必要だと思います。
こうしたルールが欧米では「繋がらない権利」として法律にもなっています。
これから、こういうルールがきっちりしている会社でないと、若者に選ばれなくなる恐れがあります。
スマホを常時チェックしていなくても、スマホの存在が気になるというだけでも、目の前のことが楽しめなくなります。
せっかく、休日に家族と美味しい食事を食べていても、「上司からメールが来ていないか」と「心ここにあらず」では、幸せの機会を損失してしまいます。
私は、この「繋がらない権利」はじめ、デジタル時代でも、人が、そのときそのときに得られたものを集中して楽しんだり、目の前のことに打ち込んだりできる環境を確保できることがとても大切だと思っています。
こういう環境づくりにも「工夫」が必要な時代ですので、色んな人々の知恵を借りながら、それぞれの人ひとりひとりの「人間本来」、真の自由を取り戻すことを探求していきたいと思っています。
「不寛容論」~アメリカが生んだ「共存」の哲学 新潮新書・森本あんり氏 [読書するなり!]
私は、リアルでも、ネット上でも「攻撃的な言葉」を見たくない気持ちが強い。
価値観は人それぞれだし、違う考えの人を人格攻撃するかのように攻撃するようなことは決してしてはならないと思う。
価値の多様性こそ、民主主義の前提である。
大抵のことは「攻撃せず」「怒らず」に、「見解の相違ですね」と紳士的に対応したい。
とはいえ、私でも、「これは許せん!」という風に思うこともあるし、また、もう一つ難しい問題が、「『価値観の多様性』を認めない考え方に対してはどうするか?」。
それも、考え方の違いとして、相手の立場を尊重できるか?
「寛容」ということについても、色々パラドックスがある。
たとえば、他人の不寛容を非難して、『寛容になれ』という。
しかし、これは、寛容を強制する、という不寛容になる。
などなど、考えれば考えるほど「寛容」は深いテーマ。
ということで、読んでみました。以下、読後の感想。
『寛容』というのが、漢字の雰囲気のように、大らかで気持ちいい、というものでは、実際にはなかった、という新大陸開拓時代の話でした。
ロジャー・ウィリアムズという、あらゆる宗教への寛容、先住民との共存を唱え実践した人の話が中心。
しかし、先住民の宗教、キリスト教の中でも他の宗派も否定せず、その在り方に介入しないというのは、すごく進歩的な在り方だ。
ところが実際それは全然心地よいものではなく、ウィリアムズ自身にとっても「ブチ切れ案件」が続出するし、市民社会秩序とぶつかり合いまくることになった。
やっぱ、人間相手なので、ムツゴロウさんみたいにあらゆる生き物と笑い合える感じには到底ならない。
こういう歴史も踏まえて、この本が分析するには、『寛容』とは、みんな違ってみんないい、みたいな単にいい感じのものでなくて、『最低限の礼節』がそのエッセンスである、と。
不愉快な隣人の行う不愉快な儀式があったとして、それを決して邪魔しない、その点において尊重する。
そういう忍耐を伴う『最低限の礼節』だという。
さて、現代において。
多様性、ダイバーシティの尊重は、本当の意味では『きれいごと』ではない。やっぱり、忍耐、不愉快との戦い、自分との戦い、自分がバージョンアップできるかの修行だ。
私も、正直言って、感性が9割くらいあう人とだけ時間を過ごす方が心地よいし、それで一生終わって何が悪いか、とも思う。
が、社会で生きるのは、現実、そうもいかない。
不愉快な隣人を排除し続けるのにも色々支障が生じる。
例えば、ビジネスなどは、どうしても嫌な人とだって付き合う必要があるのが常だ。
もともと人は『不寛容』なもので、『最低限の礼節』という意味での『寛容』は、色んな考え、立場の人がいる社会で『生きやすく』あるためのスキル、と理解しよう。
以上のようなことが実感とともに学べる本で、「社会で生きる」あらゆる人におすすめできる本です。