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どうすれば、クルマと人とが共存していけるのか [時事ニュースから]

 先日の京都・祇園での事故に続き、また、ひどい事故が起こってしまいました。

「集団登校の列に車、児童3人重体」

http://news.so-net.ne.jp/article/detail/696300/?nv=c_article_related_text

関連ニュース
http://news.so-net.ne.jp/article/detail/696403/

 
 私は、弁護士になる前はクルマが好きでした。改造なんかしませんが、クルマで飛ばすのは気持ちいい、と思っていました。

 そして、弁護士になって12年間、すっかり、クルマが好きでなくなってしまいました。

 交通事故による被害案件を扱っているうちに、クルマのせいで取り返しのつかないことが起こったということに直面し続けているからです。

 自分の生活でも、「必ずしもクルマで行かなくてもよい」ときは、クルマは利用しなくなりました。

 今は、正直言って、

クルマは必要悪

だと思っています。

 こういう酷い事故が起こったときに、交通事故加害者への厳罰化などが求められることがあります。

 確かにそれも必要かも知れません。

 でも、私は、厳罰化だけではなく、人とクルマのつきあい方そのものについて、もう一度、できれば「一から」考えてゆくべきだと思います。
 それはまた、国が、政策として、「どれだけクルマの販売や利用を優遇するか」という問題とつながってきます。

 だって、思いませんか?
 今回の事故で、被害に遭った子どもや保護者のことを思うと、

クルマなんてなければいいのに

と。

 もちろん、原発ゼロにはなっても、クルマゼロにはならないでしょう。

 それでも、一度、クルマだって「ゼロベース」の視点を持って、人がどうクルマと付き合っていくのか、というのを考え直すことこそが今必要だと思います。

 そうしていけば、色んな視点が出てくると思います。

・ クルマの台数が多いことが、本当に、人の幸せに繋がるのか?
・ 公共交通機関の利用を促進することによって、走るクルマを減らすことができるのでは?
・ 「乗り合い」を推奨することによって、走るクルマを減らすことができるのでは?
・ クルマの利用がやむを得ない人と、そうでもない人について、扱いが同じでよいのか。(田舎の人と都会の人が同じでよいか。乳幼児や高齢者がいる家庭の人と、若者ばかりの人が同じでよいか。税金など。)

など。

 こういう視点を共有していただける方が増えてゆけば良いな、と思います。 

村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所

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コメント 6

ayu15

hmさんのその思い共感できそうです。原発もそうですが社会のあり方が関わるので難しいとは思うんですが。

今、うちは「移動の自由・移動権」(他にいい名前思いつかないです)思ってます。
「生きる」には移動できるというのが確保されないといけないと思うんです。あらゆる人が移動できる手段て??

特に高齢乳児など移動弱者やバス代支払い躊躇する低所得の方などにも目を向けたいです。
by ayu15 (2012-04-24 07:16) 

hm

ayuさん 
 ありがとうございます。

 移動の自由の確保、そうなのですよね。
 人(特に弱者)に優しい移動手段が整備されていて、自家用車の利用については必要最小限で済むようになれば良いと思います。
 だからといって、悲惨な事故がなくなるわけではないでしょうが、それも最小にできるのでは、と。


by hm (2012-04-24 09:22) 

shira

 日本のモータリゼーションは国策として広まったものです。クルマがなくても生活できるためには、次のようなことが必要です。鉄道やバスなどの公共交通網、近所の商店街、公共サービスが身近で受けられるために市町村の規模が小さく支所が多いこと、大手銀行だけでなく郵便局や農協などで金融サービスが受けられること、あまり遠くないところに通勤先があること(つまり雇用があちこちにあること)、歩道や自転車道が整備されていること、などなど。これらはすべて、高度成長期以降衰退しました。
 東日本大震災後に、東北では中古の軽自動車にものすごい需要がありました。上記の要素がことごとく潰れてしまった日本のイナカでは、維持費の安い軽自動車が生活必需品なんです。

 ただ、軽自動車がイナカの女性に自由をもたらしたのは指摘しておきたいと思います。これは某ライターの受け売りですけど、イナカの、特に農家の女性にとって、クルマは家と田畑と近所の商店以外どこにも行けない不自由を破壊する強力な武器でした。この自由をもたらしたのは当時47万円で登場したスズキ・アルトでした。イナカの女性たちは必死で貯めたお金で普通免許を取り、原付バイクから軽自動車へと進み、一気に移動の自由を獲得しました。日本のフェミニストはスズキ自動車を顕彰すべきでしょう。
by shira (2012-04-24 22:46) 

心如

 ある大学の先生の著書に、中国の田舎(車の走っていない地域)で、喫煙と肺ガンの罹患率には相関がないが、都市部(車が走っている地域)では、喫煙と肺ガンの罹患率に相関が見られるという事実が判明したが、日本ではこの件に関して医学論文を書いても、学会が受け付けてくれないそうです。自動車メーカーにとって不都合な論文は学会に発表することも出来ないのが事実だとすれば、まさに「曲学阿世」の典型ではないかと思います。
 喫煙よりも自動車の排気ガスのほうが人間にとって有害であるとしても、最大の広告料を払っている企業に対し、マスコミはその企業の存続を揺るがすような報道はしませんし…
 自動車の存在を見直すことは、環境、資源、エネルギーを含め、新しいライフスタイルを構築するよい契機になると私は思います。
by 心如 (2012-04-25 08:49) 

hm

>shiraさん
 
 ナイス・コメント有り難うございます。

 ご指摘の点、私も田舎出身なのでよく分かります。一家に一台ではなく、成人1人には1台クルマが無ければ、日常生活ままなりませんでした(最寄りのバス停までも徒歩で10分以上という家もたくさんでした)。

 スズキアルトの功績、よくわかりました。
 お書きのような、貯金を貯めてやっと移動手段を獲得した、という原点、その「ありがたみ」をドライバーが忘れなければ、無謀な運転や、ちょっとの注意で防げる交通事故は随分減らせると思うのです。

 とはいえ、私も若いころの運転態度を省みて、「一歩間違えば…」と考えると恐ろしいです。
 近年でも注意しているつもりなのに「ヒヤリハット」はありました。
 
 クルマの恐ろしさにちゃんと向き合って、付き合っていきたいです。
by hm (2012-04-25 10:13) 

hm

心如さん

 ナイス・コメント有り難うございます。

 本当に、ライフスタイルから、固定観念をなくして、未来を考えてゆくべきですよね。原発についても、車社会についても。

 中国での話、初めて知りました。勉強になりました。私も調べてみます。
 
by hm (2012-04-25 10:15) 

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