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【1】高校への出前授業「18歳選挙権」行ってきました~その1 [だから,今日より明日(教育)]

 昨日、神戸鈴蘭台高校に行ってきました。
 兵庫県弁護士会からの派遣で、お題は「18歳選挙権」です。

 この出前授業はまさに「これから」のテーマなので、レポート記事を複数回に分けて書いてみます。

 今年の参議院議員選挙から選挙権の下限がもとの20歳から18歳に引き下げられました。
 で、各高校でも、「有権者教育」というのをやらなければなりません。
 その「有権者教育」ならば、弁護士会に是非お手伝いさせて!という事業を弁護士会がやっています。

 その一環で、私が高校に行くことになったのです。

 神戸鈴蘭台高校
 
 すごい学校でした。

 「すごい」のその1  毎日校内新聞が発行されている!! 
               
 これは全国でも珍しいことで、新聞部の全国コンクールなどでいつも賞を受けている、とのことです。
 さもありなん。私が昨日学校に行ったら、さっそく、

「本日 有権者教育〈18歳選挙権について〉 未来の有権者として意識を高めて」

という記事を書いた「鈴高miniプレス」という新聞が掲示板に貼ってありました。
 感動!

 「すごい」のその2  校内を吹く風がスキー場の空気でした!!

校内といっても建物内じゃないですよ、もちろん。敷地内の外気にさらされているところの話。
 神戸市北区鈴蘭台の山の上にそびえる学校です。
 私の事務所がある神戸駅付近と比べると何度違うのでしょうか。
 「キン」という身の引き締まる空気でした。昨日は特に寒かったようです。
 担当の先生から「防寒対策万全で来てください」と事前に連絡いただいていたので、スキー用のインナーを着て行きました。大正解!


 さて、この出前授業。
 私の経験でも、たぶん聴衆の数が最大人数の授業でした。

 対象 約1000人(高1~3 全校生徒)
 時間 90分

 どんな「授業」にしようか、いろいろ考えた結果、ずっと私がお話しする講義スタイルではなくて、

 討論会形式
 全員参加型

というスタイルにしました。

 体育館の壇上に、2年生4名、3年生2名に上がってもらいました。
 それと、私と社会科の先生の合計8名が意見を言うという形式。
 また、会場の生徒さん全員に「赤」「青」札を配り、会場にも質問して意見を札であげてもらいました。
 
 
 討論会形式で、生徒さんに発表してもらった意見がすごくしっかりされたもので、感心させられました。

 最初はこんなテーマから入りました。

 ネット上の意見で

「18歳選挙権で日本の未来が危ない」

という意見があり、これを紹介しました。18歳選挙権に反対する大人からの意見。
 
 総理大臣の名前も知らない、スマホばかりに夢中の若者に選挙権与えてもダメだろう

という風に言われているけれど、みんなどう思う?

 これは、
(若者バカにされているぞ!みんな怒れ!!)
というのが私のもともとの意図でした。

 ・・・さて、みんなはどう思ったか。

 全校生に札を挙げてもらうと、意外と、この意見に「賛成」の人が多数派だったのです。
 3年生は「反対」の人がやや多かったのですが、1,2年生は「賛成」(つまり、18歳選挙権はまだ早いといわれても「しょうがないや」という意見)の人がかなり多かったのです。

「みんな、腹立たないですか。どっかの『おっさん』にこんなこと言われて、悔しくないですかー!」と煽ってみましたが、変わらず。

 ここまでだけだと、この記事を読んでおられる方は、

「なんだ、今の若者はやっぱり選挙に関心もなく、あまりやる気もないのか。馬鹿にされても腹も立てないのか。」 

と思われるかもしれません。

 しかし、生徒さんに聞いてみると、そこには大事な理由、ポイントがありました。
 真面目に考えているからこそ、という。

「18歳選挙権に急にしたが、『土台作り』ができていないのではないか」
「責任ある一票を投じるための、『情報』をどうやって入手したらいいのかわからない」

 なるほど!!
 そうですよね。
 その「土台作り」のために、この授業があるのですもんね。
 そして、選挙のための「情報」の入手方法、これも今までの高校生が考えたこともなかったとしても全く不思議ではありません。
 
 ということで、話は、

選挙に行くための情報をどうやって入手する?

のテーマへと進みます。(つづく)

 神戸シーサイド法律事務所                             弁護士 村上英樹
                                       

青春を謳歌する勉強法~ その5 自分の頭の特徴をつかめば勉強の達人になれるかも [だから,今日より明日(教育)]

 さて、受験勉強でも、日々の勉強でも、結構肝になるのが、

「どの程度まで時間をかけたら」
「何回、読み直したら」
「何回書く練習をしたら」
「何回解き直したら」

いいのだろうか?という問いです。

 つまり、勉強をさらーっとやればいいのか、しつこいくらいにやらなければならないのか?という点です。
 
 「達人」になるというのは、結局、この教科を、この目的のために勉強するなら、「○分かけて○回テキストを読んでおけばOK」ということの見極めができる、ということです。これができれば「達人」です。
 例を挙げると、「中間テストで、英語を90点以上取ろうと思えば、このやり方でOK」という計画が立てられて、その通りにやって90点取れる人は「達人」です。
 その通りにやって80点の人は少し甘いです。
 その通りにやって余裕の100点になってしまう人は、確かに優秀なのですが、もしかすると「やり過ぎ」ている可能性もあります。

 そして、どれだけやったらOKか?というのは、当たり前のことですが、

人それぞれ

ということです。
 ですので、「新出漢字は10回書かなければならない」かどうかは個人個人によるので、「3回」書けば良い人もいれば、「20回」書いた方が良い人もいます。
 更に言えば、回数だけではなく、「3回だけど、一つ一つ魂を込めて」なのか、「とにかく手に覚えさせる感じで20回」なのか、やり方も色々バリエーションがあります。

 勉強については、やはり、基本的に自学自習スタイルで、やり方も自分で試行錯誤することがまず大切なことだと思います。

 私の勧める勉強法は「要領よく」勉強しましょう、というものであるはずなのですが、実は、「要領よく」勉強ができるようになるためには、試行錯誤をして、要領悪いこともたくさんやってみて学び、自力で「要領」を身につけるしかありません。
 
 「要領よく」なるために、「要領悪い」経験もまた必要、というわけです。

 「要領よく」は一日にしてならず、です。

 私も、ものすごく試行錯誤しました。
 最初は、ろくに解説を読まずにテキストをやり進めて間違いだらけ、ということをたくさん経験しました。
 逆に、完璧主義すぎて、何度も何度も「やり過ぎ」なくらい勉強をした時期もありました。
 
 そうする中で、だんだん、勉強しているときに「自分の頭と対話」するようになりました。
 たとえば、本を読んだとき、あるいは、書いて覚えようとしたとき、英語などを発音しておぼえようとしたときの、「頭への引っかかり具合」とか「やっていることが感覚に染み込んでいる度合い」とかについて実感できるようになってきたのです。
 「いかにも明日になったら忘れていそう」とか、「これは1ヶ月後でも覚えていられそう」とかが感じられるということです。
 
 時々、そういう自分の感覚が合っているか、覚えたものを翌日試してみるテスト、とか、1週間前に覚えたものを試してみるテストなどをしたこともあります。
 
 そうすると、「ああ、自分はこういう覚え方で、だいたい1週間後でも覚えているものなんだな」とかそういうことが見えてきます。

 また、科目や事柄によって、自分の得意不得意というのも見えてきます。
 多くの人がそうでしょうが、私の場合は、法則性や論理性のあるもの、感覚に落とし込んでいきやすいもの、というのが勉強として取り組みやすいと感じました。これは、一旦身につければ、テスト前に慌てなくても大丈夫なことが多いと思います。
 一方で、単に人名・地名などを覚えるような「丸暗記」は、力業であって、しんどいことでした。ですので、一回はしっかりやった後、それでも忘れることを前提に、受験直前期などにある程度「ざっ」と復習する、という作戦を採らざるを得ませんでした。

 勉強をしながら、同時に、「こんな感覚でやれば、どれくらい身につくものか」というのを確かめる。
 これによって、自分が勉強するときのスキル向上につなげます。
 大学受験の時に、試験の合格だけではなく、「勉強スキル向上」をしておけば、次に、大学での勉強に役立てることができます。

 大人になっても、できるだけ、その連続で行きたい。
 これが理想です。

 「良い」大学に入る、「良い」会社に入る。
 入れたとして、そんなもので勉強は終わりません。
 みんな一生勉強なのですから。

 また、「勉強」は、国、数(算)、英、理、社だけではありません。
 大学の講義科目だけでもありません。

 体育~スポーツ
 音楽~楽器、歌
 芸術~絵画、陶芸その他

だけでもなく、人が身につけうるものは全て「勉強」です。

 何かを習得しようと一生懸命やることは、結局全て、「自分との対話」になります。

 「自分の頭の特徴を知る」
 「自分の体の発する声に耳を傾ける」
 「自分の感覚と向き合う」

 そうして、より自分の求める自分に近づく、またそれに近づくためのスキルを磨く。
 これは意外と癖になるほど楽しいことで、毎日自分が何らかの良い変化をしていることを実感することは、「生きがい」と言っていいくらいのものになります。

 学生が学生時代を終わり、社会に出れば、そうして「自分を高める」ことは、結局、

高めた自分の総合力を活かして人の役に立つ

ということに活かす、それがまた喜びになっていきます。
 
 学生の方で、これを読んで「偽善者」っぽく感じる人もいるかもしれませんが、それは違います。

 「人の役に立つ」というのが、別に自分が犠牲になっているということではなくて、自分の力を実感できることでもあり、自分の居場所を確認できることでもあり、要するに「自分の喜び」だということです。 
 社会人になって私が感じたことは、「仮に自分が良い暮らしをして、たらふく御馳走を食べ続けたとしても、それだけで満足か、幸せか。というと、それは違う」ということでした(私がたらふく御馳走を食べ続けているという話ではありません、色んな人の生き様を見てそう思う、という意味です)。

 衣食足りなければしんどいことは言うまでもありませんが、いくら贅沢をしたとしても、自分が心から満足できる生活というのは、やっぱり

 自分が勉強したり、訓練して身につけたものを、他人のために役立てる(他人も幸せにする)

ことができることです。


 さて、話が逸れましたが、戻しましょう。

 勉強する中で、

「自分の場合、何回書けばこの漢字が覚えられるか?」
「頭の中で何回唱えれば、この英単語が覚えられるか?」
「どれくらいの丁寧さで『例題』解説を読めば、チャート式数学を身につけて進めるか?」

などを見極められたら「達人」です。
 そうなるためには、とにかく、自分で試してみることです。
 試行錯誤して下さい。
 
 ただし、やみくもに試行錯誤するのはしんどいですね。
 なので、問題集や参考書の最初にある「本書の使い方」などを参考にするのも有効です。
 特に、「勉強の仕方がわからない」という人には、まずは、使いたい参考書のはじめのほうの「本書の使い方」などに忠実にやってみることをオススメします。
 それを基準に自分なりにアレンジすればいいのです。
 科目、分野問わず「勉強」をしていると、「勉強」の仕方が上手になります。誰でも必ず上手になりますので、別の分野でも活きてきます。

 それでは、「勉強」が好きな人も嫌いな人も、上手く「勉強」と付き合って、自分のやりたいことが一つでも多くできるようになられることを願って、このシリーズを終えたいと思います。
 
神戸シーサイド法律事務所                             弁護士 村上英樹




 

 

青春を謳歌するための勉強法4~「拘束される時間」を最大限活かす 遊び時間・自由時間は自力で作る [だから,今日より明日(教育)]

 高校生がテレビに映っているのをみると、
「あの頃にもどりたい」
と言う人が結構います。

 でも、私は、高校生以前に戻りたいとは思ったことがありません。
 なぜなら、学校の授業時間の「拘束されている」状態がとても辛かったからです。

 今でも仕事中は抜け出せませんが、自分の机から立ち歩いてはいけない、というほどのことはありません。
 会議などは、授業中に近いものがあり忍耐が要りますが、さすがに大人になったので生徒時代ほど辛いというほどではありません。また、会議は自分が司会をしたり積極発言するなどすれば、「拘束される」つらさを軽減できます。

 さて、それでも何でも、「拘束されるのがイヤだ」と言っていても何の得もない、ということは中高生時代から分かっていました。
 であれば、「拘束される」時間を有効活用するしかないのではないか、というのが現実的な解決方法です。
 
 授業中は、どうせ拘束されている(遊べない)のですから、

授業時間を最大限に有効活用して勉強する、そして、できるだけ学校が終わってから勉強しなくて済むようにする

しかないのです。

 私の場合、考えてみると、別に、

勉強そのものが嫌い

ではありませんでした。

勉強にも面白いところがあるが、もっと面白いこと・刺激的なこと(スポーツ、音楽、遊び等)がたくさんある

ということでした。
 
 ですので、「もっと面白いこと」ができる時間帯はそれを楽しめば良いし、それが出来ない時間帯・環境の時は勉強をするのが楽しい中高生時代というものではないか、と思います。


 さて「拘束される時間」とはどんな時間でしょう?

学校の授業中
電車の通学中
留守番中
何かの待ち時間

など。
 順にみていきます。

1 学校の授業中 
 「真面目に先生の話を聴いてノートをとる」のが良い在り方だとされています。
 しかし、これでは少し甘いです。
 これだけだと頭の働きが受け身です。

 数学などの科目だと、いくら先生の話を聴いても力はつかないので、授業中に問題を解くとき全力で解く。その日の宿題を一つでも多く授業中に終わらせる気合いで解く。
 英語などの科目だと、授業中に読んでいる英文や書いている英文などを「身に染み込ませる」。単に読む、書くのではなくて、「感じながら読む、書く」。抽象的で分かりにくいかもしれませんが、具体的な一つの工夫としては「英文を口の中で超微小な声でつぶやくような感じ」で読み書きする、という感じです。言語なので、感覚に働きかけるのが上達の早道です。
 また、これは覚え込んでおくしかないと思うフレーズなどは、授業中に頭に刻み込んでしまう(ノートの端にもう一回書いてみるとか)のがいいでしょう。
 社会などは、初めての分野はどうしても先生の説明、板書をノートに、というのが中心になるでしょうね。「受け身」の度合いが強くなるのは仕方ないかもしれませんが、これも重要な語句(地名、人名、社会制度の名前)などを一つでも覚えてしまうように頭に刻み込みたい。

 授業を「受ける」のではなく、授業中に「自分から頭を働かせる」ようにしたいものです。
 見た目に「良さそうな授業態度」というのは意味がありません。
 私が塾講師をしていたときも、成績の良い子、伸びる子の授業態度は「お行儀の良い」ものではなく、どちらかといえば野性的な感じ、「学ぶ獣」みたいな雰囲気で、必死にテキストを読んでいたり、手を動かしていたり、ときにこっちを凝視してきたりする子が多かったと記憶しています。
 おとなしくしているのではなく、「拘束される」中でも、自分で動く、頭や目、手はフルに動かすのです。もっといえば五感をフルに働かせるのです。

 確かに「気合い」がいります。
 ですが、「気合い」を入れることによって授業中に成果を上げ「遊び時間を作れる」のなら安い物だと思います。
 授業時間を完全に「受け身」で過ごしてしまうと、復習のために同じくらいの時間を必要とします。
 授業中にしっかり自分から動いて勉強すれば、復習時間は少なくて済みます。その時間を発展学習や問題演習に使うことも出来るし、遊びや部活の練習に充てることもできます。

 でも、授業中に「気合い」入れる、そんな元気ないよ、という人は、自分の元気の源について考えることをお勧めします。
 食事はバランス良くとれていますか?睡眠時間は足りていますか?
 そのあたりを見直すことによって、「自分にはそんな気合いがない」と思っていたのは思い込みで、「俺にもこれほどの『気力』があったのか!」という発見に至ることもよくあります。

2 電車の移動時間
 これは「歯磨き型」などで書いてきました。
 できることは少し限られますが、これも「拘束される時間」。
 どうせ大した遊びはできません。
 また、通学時間などは都合の良いことに、「毎日20分」など決まっています。
 これなんかは、「英単語を覚える時間」「英語リスニングの時間」「読書の時間」(これも勉強に入れていいでしょう)に充てるのにちょうどよい。
 スマホのアプリ、SNSのチェックに充てるのはもったいないです。
 スマホのアプリ、SNS20分は省いて、英単語にしておきましょう。そんなの急に無理、という人は、学校の往復のうち「行きは英単語」「帰りはアプリ、SNSでもOK」という自分ルールにしましょうか。
 もちろん、英単語でなくても、「世界史」一問一答チェックとか、「化学」の暗記ものチェックとかでもよいでしょう。
 さすがに、数学はちょっとやりにくいですね。ただ、最近は「読み物」的な数学のテキストもあるので、そういう勉強をする人は電車の中でも可能です(でも、数学は「読み物」だけでは結局足りません。机で紙と鉛筆でやることを避けてはかえって遠回りします。)
 これによって学習効率が上がれば、一日20分よりも長く、勉強の心配から開放された「遊び時間」や「自由時間」が得られると思います。 

3 留守番、待ち時間
 こういうのもあるでしょうか。
 たとえば、病院の待ち時間。
 これ、実に退屈の一言です。
 しかし、スポーツに恋に忙しい青春まっただ中の中高生は、「あ~あ」とか思っている暇はありません。
 「どっちみち、遊べない時間」は勉強に活かして下さい。
 英単語、英語リスニング。いいですねえ。
 いや!「英単語とかばっかり、もういや!」という人は、読書でいいです。
 ちゃんとした字の本であれば、これは立派な勉強です。
 「現代文」などという科目(分野?)は範囲が広すぎて訳の分からない科目ですが、少なくとも高校入試・大学入試という意味では、ともかくもまず「長い文章を読むことに慣れていること」が絶対有利な条件です。
   

 以上のような感じで、今回は要するに「時間の使い方」の話です。

 「時は金」と言われますが、私は「時は命そのもの」だと思っています。
 自分の命ある時間がそもそも限られているのですから、その中でどれだけ自分が輝ける時間(又は、自分が心から楽しめる時間)を増やすか、それが悔いなく生きるためにとても大切なことではないでしょうか。
 そして、自分の時間の使い方を決めるのは自分だ、という意識は、学生時代でも社会人になってからも重要なものです(でもつい忘れがちになることでもあります)。
 私自身はもちろんそうしたいですが、本記事が読者の方の1人でも多くの方が自分の納得のいく時間の使い方をして生活を充実させて頂くきっかけになればうれしいです。
 
 
                     
 神戸シーサイド法律事務所                             弁護士 村上英樹


青春を謳歌するための勉強法~その3  「机でないとできない勉強」と「机がなくてもできる勉強」に分けて考える [だから,今日より明日(教育)]

 勉強法続きです。

 さて、「青春を謳歌するための勉強法」は、私が中高時代に実践した勉強法ではありません。
 
 「今、私が中高生だったら」こういうやりかたで勉強したい、という勉強法です。

 私自身は、簡単に言うと、「中3の一年間で普通の生徒の4年分くらいの勉強をした。」「中3時は食事、睡眠、風呂以外はほとんど勉強した。」「その他の学年、特に高校時代は、勉強時間はごく普通(進学校の生徒にしては短い方かも)。」というものです。
 とにかく特殊なので、万人にお勧めするやり方ではありません。
 私が「やり直す」としても、同じことは多分しませんので、私自身の経験は無視して、こうするのがよいだろう、という勉強法を書いています。

 また、もう一つの注意点として、「青春を謳歌するための勉強法」は、「長時間勉強をしていても、勉強している時間そのものが幸せです」というタイプの人(こういう人もたまにいると思います)には無用だと思います。

 「とにかく俺(私)若いんだから、たくさん遊びたい!(部活したい!)」という人のための勉強法です。

 とすると、時間を効率よく使うのが肝心です。
 そこで、「机でないとできない勉強」と「机がなくてもできる勉強」に分ける考え方が有効になってきます。これは私自身も意識して実践したことです。

「机でないとできない勉強」とは何でしょう?
 数学、理科(物理、化学、天文など)の問題を解くこと。
 和文英訳、英文和訳を、「テスト同様に」やること。
 他教科でも、「テスト同様に」問題演習をやること。

 実は、多分これくらいのものです。
 その他の勉強は全部「机がなくてもできる勉強」になります。

「机がなくてもできる勉強」
 英単語、英熟語、英語例文、古文単語を覚える。
 教科書、参考書を読む、覚える。
 「軽く」問題演習をする。

 こうしてみると、例えば、電車通学の人は「机がなくてもできる勉強」を通学時間に済ませるのが良い作戦ということになります。
 
 もちろん、電車通学の人でも、

電車が「意中の人」と一緒にいられる貴重な時間だ

という人は、その電車時間は勉強に充てない、それ以外の区間で勉強する、というのが良い方法になります。

 また、「机がなくてもできる勉強」は、負荷が軽いので、ファーストフード店や喫茶店、友達や恋人との待ち合わせの合間などでも行えます。
 少しずつでも隙間時間を利用して積み重ねれば、テスト期間中でも十分遊びにいけます。

 一方、「机でないとできない勉強」は、数学の問題を解くというのに代表されるように、とにかく集中してやる必要があります。
 これは時間の長さよりも集中力です。
 集中しないと余計に苦痛です。
 例えば、1時間などでもいいのでやると決めた時間は(漫画に手を伸ばしたりせず)ひたすらそれに集中してやるべきです。ダラダラ2時間よりよっぽど良いです。
 
 これが大変なように思いますが、一ついい方法があります。
 学校の授業時間をフル活用することです。
 授業時間は、「外へ出るわけにいかない時間」「漫画を読むこともできない時間」、要するに「遊べない時間」であることが確定しています。
 これは仕方ないので、「机でないとできない勉強」をする時間と割り切るのです。
 どうせ遊べないので、「遊びたいなあ」という未練をかなぐり捨てるのです。
 
 別に、(授業を無視して)「内職」をせよ、と言っているわけではありません。
 
 数学の授業などは、一時間ずっと先生がレクチャーしている、などということはないはずです。
 必ず、「教科書の類題1を解いてみましょう」などと言って時間をくれる、そういう時間が半分近くあるはずです。
 そのとき、

全力で解くこと

が肝心です。
 速い、遅いは個人差があります。
 それは仕方ありません。
 速い人でも、遅い人でも、授業中「解いてみろ」と先生に言われたら、

全力で解くこと

です。

 遅い人は、その時間フルに頭を働かすことで、その問題にがっつり取り組めます。その積み重ねが、理解にもつながるし、いずれ「速く」解けるようになることにつながります。

 もともと速い人は、とにかく全速力で解いて、言われた課題よりも前に前に進めます。さらにスピードがつきますし、宿題を減らすことができます。

 要するに、勉強(特に数学など)は、「先生の話を聴く」ということだけで力がつくものではなく、「自分で全力でやってみる」ことでしか力をつけることはできません。 
 
 学校以外で長時間勉強したくない(又は、する時間がない)、という人は、「授業時間中の演習時間に全力でやる」ことが大切です。
 この要領は、他教科でも同じです。
 
 
 受験期などになると、勉強の計画を立てることがあると思います。テスト前でも同じですね。
 ここで1日、1週間の時間配分を考えるとき、
A「机でないとできない勉強」
B「机がなくてもできる勉強」
に分けて考えると、パズルをはめ込むような感じで、計画を立てられます。
 1日のうちで、Aに向いている時間、Bに向いている時間は必ず分かれているはずなので、それに合わせた教科や、内容を組んでいけるし、実際に「できそうな気」がしてくるはずです。

 神戸シーサイド法律事務所                             弁護士 村上英樹


青春を謳歌するための勉強法~「その2 英語は毎日やる『歯磨き型』で対応する」 [だから,今日より明日(教育)]

 ようやく、勉強法の続きです。

 中高生の皆さん、歯磨きしていますかー?
 毎日していますよね。
 そんなの当たり前じゃないか、という皆さん。
 
 英語の勉強も「歯磨き」にしてしまいましょう。
 毎日決まったタイミングで、決まったようにやる。
 
 一番手っ取り早いのが、NHKラジオ「基礎英語」1~3、「ラジオ英会話」ですね。
 出来たら、毎日3回あるので、ラジオの放送時間にあわせて、どこか1日1回、月~金まで欠かさず聴きましょう。
 所要時間15分です(さらにやる気があれば、例えば基礎英語1と2のダブルで聴いて30分。これはさらに力がつきます)。
 費用はテキスト代だけ。塾代に比べたら格安。
 そして、これが実行できたら、英語は絶対得意科目になります。

 以上。

 なのですが、エッセンスを抽出して説明すると、

・ ラジオ講座でなくてもいいですが、英語は言語なので、「慣れ」「馴染み」「感覚」が大事なので、他の教科以上に、「(少しずつでも)毎日やる」ことが楽に上達するコツです。
 最近の参考書・問題集には音声CDつきが増えていますから、上手く使ってもらえると勉強が楽になると思います。

・ なので、学校や塾の宿題が例えば1週間分まとめて出されたとして、ギリギリにあわてて大量にやるよりは、「÷7日」(余裕をもって「÷5日」でもいいですね)で分量を決め、毎日少しずつやる方が効果があります。

・ 受験に向けていえば、ある程度しっかりした単語、熟語、例文集を1冊ずつバッチリ覚えれば、基礎力は十分になります。
 これなどは、毎日ちょっとずつやるしかありません。100ページ一気とかは出来ない性格のものです。
 毎日1ページ、毎日例文10個、自分で計画を立てましょう。無理ない量で。
 「ちょっとずつ」でいいですが、「毎日」やれるか、が勝負。
 ここでいう「毎日」は、1年365日でもいいし、例えば「日曜日だけ休み」というのでも構いません。
 これをやれば、東大でも京大でも、医大でも、(高校受験なら)私立・公立の進学校でも、英語に関しては、どこでも全然怖くなくなります。これ本当です。基礎力がしっかりしていれば、実際に入試に出題されるような長文読解などの練習を積むことも苦ではなくなります。
 「毎日やるか」ただそれだけです。
 (誰でもできるはずなのに)本当に毎日やる人が意外と少ない、というのが事実です。

 多くの人が「忍耐力がない」ということではありません。
 「毎日やる」効能が「ものすごい」、ということを知らない人が多数だというだけです。
 

・ 心がけとしては「毎日」です。
  でも、実際には、病気や部活の遠征などで「抜けてしまう日」があります。失恋のショックで一日くらい「抜けてしまう」こともあるでしょう。何らかの理由でサボりも起こります。
  こういうとき、「できなかった」は考えないことが大切です。
  マイナスは数えず、次の日から「毎日」です。
※ 「昨日歯磨きできなかった」ショックを引きずって、明日からの歯磨きを中止する人はいないでしょう。それと同じです。

 
 以上のようなことは、たぶん多くの学校の先生などが口を酸っぱくして言っていることだと思います。
 それに付け加えて私が言いたいことは、

・ 英語の勉強が「歯磨き」と同じ感覚になったとき、必要な忍耐力は「少しだけ」になり、人によっては忍耐力さえ必要なくなる。
  つまり楽になる。
  「歯磨き」をするために必要な精神的エネルギー程度で、毎日英語の勉強ができる。
  
・ これは、英語以外にも応用が利く。
  数学、国語、理科、社会、いずれもそうです。
  野球の素振り、ピアノの指の練習、ストレッチ… これらも同じ。
  ルーティーンに近い感覚で、毎日少しずつ自己鍛錬できる。
 (ただし、例えば、今までそういう習慣のなかった人が5教科一気に「歯磨き」をするのは、「5種類の歯磨き粉で歯を磨いて下さい」というのと同様キツいですから、まずは「英語」からでいいでしょう。)
 受験期が近づいて、苦手科目・苦手分野がある、というとき、例えば、「朝の10分、寝る前の10分はこれ(例 数学の苦手分野を一問、古文単語、物理の計算問題、社会のある分野の暗記などなど)をやる」というやり方もあります。これも「歯磨き」型の応用です。苦手意識や不安をかなり軽減できます。

・ また、通勤・通学などに電車・バスを利用している人は、そこで「歯磨き」できます。
 本当の「歯磨き」は電車の中でできませんが、「歯磨き」型の英語の勉強はできます。
 ですから、例えば、JRで30分の通学なら、これだけで毎日の基本となる英語の勉強はOKとなります。
 学校の宿題(机に座ってやるしかない宿題)のほかに毎日10分、20分でも電車で勉強したら、間違いなく英語は得意科目になります。
 ハッキリ言って、電車の中では大した遊びも活動もできません。スマホのアプリよりも、みんなでサッカーをしたりカラオケに行く遊びの方が、楽しさも大きいはずですよ!
 なので、電車の時間を「歯磨き」の英語に充てて、生まれた余裕の時間で思いっきり遊んだ方がいいです。

 余談ですが、電車通学の場合、通学時間に「寝る」のはアリだと思います。
 電車に揺られて少しのうたた寝は、意外と効果的に体力気力を回復させてくれます。
 ですので、通学時間に「寝る」とか、「瞑想する」とか、そういう自分にとっての好調を維持するスタイルを確立している人は、無理に電車で英語の勉強をしなくてもいいと思います。


 最後少し話が逸れましたが、英語の学習をできるだけ「歯磨き型」にして、少しずつでも毎日やると、成績は安定しますし、精神衛生上も良いです。「自分は毎日英語をやっている」と思うと安心感がありますよね!
 
 英語を「歯磨き型」で毎日やって、「よく遊び、よく学べ」の青春を謳歌する人が一人でも増えれば幸いです。

                      神戸シーサイド法律事務所
                               弁護士 村上英樹   
 
 

青春を謳歌するための勉強法~「はしがき」と「その1 まず数学!~数学は『自転車』」 [だから,今日より明日(教育)]

 私にとって、何か社会貢献をしたいと思ったとき、弁護士業を通じて行う社会貢献の他には、「勉強」そのものが思い浮かびます。

 タダでもいいから誰かの何かを助けてあげよう、というとき、「何か自分に出来ることを」と思うと、「勉強だったら教えてあげるよ」ということになります。

 本当は、
・ 野球なら、俺に任せろ!
・ ギターなら、三日で弾けるようにしてやるぜ!
等のほうが格好良いと思うけども、現実的には私の場合は「勉強なら教えてあげるよ」というのが一番人の役に立てると思います。
 ただ、実際に、勉強の中身をたくさんの人に教えるような時間は私にはないので、勉強の仕方をブログに書いてみようと思います。

 そこで、この記事を書こうと思ったわけですが、

・ あなたも東大に入れる
・ 偏差値○○の…

とかそういうのは世にあふれているので、それらの本にお任せします。
 また、参考書選びも、最近の参考書は知らないので、書店に並ぶ本にお任せします。

 だいたい、中学生、高校生、大学生、資格試験を目指す大人あたりをターゲットに書いてみます。

 コンセプトは「青春を謳歌する」です。

 私は、自分の考えとしては、ずっと、

・ 勉強より遊びのほうが楽しい。
・ 勉強以外に、部活や趣味の活動を思いっきりやることが、自分を活き活きさせてくれる。
・ 活力が無くなれば勉強もはかどらない。

と思ってきました。
 
 なので、「○大に行くために、大好きな野球(バスケ、ギター、ピアノ、かるた、囲碁、恋愛)を封印する」という考え方は極力持ちたくないし、若い子たちにも持って欲しくないのです。
 
 若い頃は誘惑が多くて当たり前。
 そして、その誘惑には、それなりに乗って、一番感性が豊かなときに味わっておくべきものがたくさんあるのです。
 勉強だけではもったいないし、ましてや、下を向いて長時間スマホいじっているのはもっともったいない。

 だから。
 
 勉強の勘所を押さえて、できるだけ苦労せず、短時間に集中して予定の成果を挙げ、空いた時間を存分に好きなことに活かそうではないか!
 そのための方法や経験談を書いてみたい、と思います。

 項目として「その1」から「その5」まで立ててみました。

その1  まず数学!~数学は「自転車」(一度乗れるようになったら乗れる、スピードが違う)
その2  英語は毎日やる「歯磨き型」で対応する
その3  「机でないとできない勉強」と「机がなくてもできる勉強」に分けて考える
その4  「拘束される時間」を最大限活かす~遊び時間・自由時間は自力で作る
その5  自分の頭の特徴をつかめば勉強の達人になれるかも

 今回は、「その1 まず数学!~数学は『自転車』(一度乗れるようになったら乗れる、スピードが違う)」だけ解説します。

 まずこれが肝心。
 自分の進路に数学が全く絡まないという人は別として、ほとんどの人が、数学が関係するはず。
 また、進路に関係なく、中学生や高1あたりまでは、数学はあるでしょう。
 
 そして、数学に苦労するかしないかで、全く勉強に必要な時間が違ってきますし、勉強をするときに感じる苦痛の度合いが違います。

 「数学は自転車」とは、「数学ができるようになる」というのは「自転車に乗れるようになる」ようなものだということです。

 自転車は、乗ったことのない人には凄く難しいことのように見えますが、一度乗れるようになってしまえばいつでも乗れます。
 野球のバッティングならばプロ野球選手でも「今日は調子が悪くて打てない。打てる気がしない。」ということがあるでしょうが、自転車の場合は「今日は調子が悪くて自転車に乗れない」なんてことはなく、普通にいつでも乗れるようになります。
 数学は、野球のバッティングではなく、自転車です。一度できるようになったら、その後ずっとできます。

 誰でも経験があると思いますが、小学校の計算(九九)などはまさにそうだったはずです。
 
 例えば高校卒業時までも基本的には同じで、基本は「技術の習得」です。

 「算数オリンピック」「数学オリンピック」などは特別として、基本的に、特殊な「ひらめき」や才能が必要なものではなく、ほとんど誰でも、書いてあるものをきっちり読んでその通り練習すれば出来るようになります。

 野球で時速150キロの剛速球を投げるというのは一部の才能ある人しか望めませんが、試験で苦労しない程度に数学ができるようになるというのは、それほど才能に左右されません。

 算数・数学の勉強は、「乗るのが易しい自転車」からだんだん「難しい自転車」にチャレンジしていく、という階段状になっています。
 この階段をちゃんと踏んでいけばできるようになります。
 速い遅いという意味では個人差はあるでしょうが、階段を一歩ずつ上がれば上がれることには変わりありません。

 「自転車」の意味の二つ目。
 歩くのと全然スピードが違う、ということです。
 つまり、「自転車」に乗れれば、勉強時間を大幅に短縮できます。
 算数・数学が得意ならば(少なくとも、苦手でなければ)、「あいつ大して勉強してないのに、その割には、よくできるよな」という状態になりやすいということです。

 ここから具体的な対処法です。

・ 気構えとして、最初は、(勉強する教科に数学があるなら)ともかく数学を優先!(科目間で一番かどうかは状況によりますが、多くの人の場合「一番に優先」くらいのつもりでいいのではないでしょうか。)
  いずれ出来るようになってしまえば、最終的に、数学にかける勉強時間は少なくてすむようになるのが普通です。

・ 数学が苦手な人は、それまでの階段(下の学年、前の分野)でつまずいている可能性が高いと思われます。
  なるべく早い段階で、一度できるところまで戻って、やり直しておくことが肝心です。

・ 以上の関係しますが、数学の場合は特に「実際の学年と、自分が今やるべき内容(習う学年)とは別!」です。
  中2で高3の単元をやってもいいし、高校生が中学の範囲をやってもいいのです。
  全くその人の状態によります。
  高校生が中学の範囲を勉強することも全く恥ずかしくありません。
  中学の参考書は「初心者用」、高校の参考書は「中級者用」と考えれば良いだけです。
  
  確かに自分よりも低学年のテキストをすることに心理的な抵抗を覚える人はいると思います。
  しかし、低学年のテキストは「幼稚なもの」ではなく「初心者用」というだけです。
  大人でも「初心者用」から入って「中級者用」「上級者用」と進むのは、当たり前の順序です。
    
  たとえば、「スキー」と一緒と考えればよいのです。
  
  小学生でも、雪国の地元の子など特にそうですが、急斜面やコブ斜面を滑る子はいくらでもいます。別に「天才」ではありません。たくさん滑ってきたからできるようになっているだけです。
  これを「数学」でいえば、小学生でも順を追ってやれば、中学・高校の内容(二次方程式、あるいは微分積分でも)をやることはできる、ということです。「天才」でなくても、普通にできます(やる必要があるかどうかは別ですが)。
  
  これに対して、大人でも経験が無ければ、最初は雪面でスキーを履いて普通に立つことすら恐いはずです。リフトにも一人で乗れません。才能の有無という問題ではなく、最初はそれで当たり前です。
  また、経験が少ないうちは、「初心者用ゲレンデ」の緩い斜面でしか滑れません。
  ですが、それは必要な段階であって、「余り恐怖を感じずに技術をアップさせていく」ことができる緩斜面で練習するのが初心者には最適なのです。
  数学も同じで、苦手な場合、まず「自分がよく理解していて、普通に出来る」分野まで戻ります。自分の学年より「低学年」のテキストです。そして、そこからはじめて「その次」の段階(分野)をやれば、苦痛なく、また、頭のモヤモヤもなく、進んでいけるはずです。
 ただ、「どこかで分からなくなっている」人自身は「どこでつまづいているのか」が自分で分からないケースが多いと思います。(いずれ、「その5 自分の頭の特徴をつかめば勉強の達人になれるかも」で書こうと思っているのですが、「どこでつまづいているのか」を自分で見極められる人は、既に、勉強スキルが達人級だとおもいます。)
 数学がどうにも「分からない」、そして、自分が「どこでつまづいているのか」分からない人の場合は、学校や塾の数学の先生に、自分の場合「どこまで戻ればいいのか」「どこからやり直せばいいのか」を尋ねてみるといいと思います。

・ 数学の実力が学年相当以上の人の場合は、早いうちに、できるだけがんばって「予習」で「貯金」しましょう!(特に、中1,2や高校1年生など)  
 できるだけ、「1学年」分先に進んでおくことを強くお勧めします。(既に「1学年」以上進んでいる人は、遠慮無くどんどん先にどうぞ。)
 やり方は、高校生でも中学生でも「チャート式」などの標準的な参考書を自分で先取りして解説を読みながら解き進めてみる、という方法でいいでしょう。(「先取り」用なら、好みによって、もっと簡単そうな参考書・問題集でもいいです。)
  基本的に、学年相当の力があれば困りはしないのですが、「できるようになってしまえばできる」数学の性質上、可能なら「先取り」したほうが楽です。気持ちのうえでも随分楽です。
  青春時代、みんなそれなりに不安と戦っています。
  部活に打ち込もうと思っても、ふと「俺、こんなに野球(バレーボール、バスケ・・・)の練習ばっかりやってて、将来どうなるんだろうな。数学とかついて行けなくなるんじゃないか、そしたら進学・受験はどうなるんだろう・・・」などと頭に浮かべば、思う存分打ち込めないこともあり得ます。
  こうなると「青春を謳歌する」ことの妨げになります。
  もし、「1学年」分アドバンテージがあれば、極端な話、一時的に大会前など3ヶ月部活が忙しくて数学に手が回らなくても、彼女にフラれて半年間勉強が手につかなくなっても、それでもまだ貯金がある、と思えるでしょう。

 「その1」はこのあたりにしたいと思います。
 最後の数学の「1学年分」「貯金」はあくまで「できれば」という話ですが、それが考えられる状況にいる人には強くお勧めしておきます。絶対後悔しないと思います。(「先取り」勉強は、短期的には少し勉強時間が増えるかも知れませんが、ちゃんとやれば、中高6年間とか、高校3年間とか、長い期間でのトータルの勉強時間を大幅に減らすことが出来ると思います。たくさん遊べることにつながります!)

 次回「その2 英語は毎日やる『歯磨き型』で対応する」はタイトルから大体内容が想像されると思います。
 ストイックな話ではなく、言いたいことは「『歯磨き型』はラクちん!」ということです。
 また、「歯磨き型」は英語以外にも使えます。
 さらに、「歯磨き型」は、自分の工夫によってよりラクにすることができます。その方法もできるだけ書けたら書きたいと思っています。

                                 神戸シーサイド法律事務所 弁護士 村上英樹 



  

  

法で人を救えるか?~大災害と法(今年の大学最終講義) [だから,今日より明日(教育)]

 神戸学院大学の今年度最終講義を迎えました。

 テーマはタイトル通り。

 大きなテーマを掲げたものですが、今回の内容は、私のオリジナルではなくて、私の尊敬する先輩弁護士津久井進先生著の「大災害と法」(岩波新書)を題材に学ぶ内容です。

 この本については以前別の記事で書きました。↓
http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2012-08-02

 私の講義は「法と裁判」という科目で、憲法、民法などの科目を勉強している法学部の学生さんに、他の科目とは少し違った視点から「法を学ぶ意義」を、現実社会(や実務)との関わりを通して感じてもらう、という役割です。

 最後に、これを持ってきたのは、「大災害と法」(岩波新書)の中で、著者の津久井先生が述べられている「法は人を救うためにあるはずだ」という前書きの言葉と、災害によって被害を被った人への具体的な手助けの方策を人への深い愛をもって力強く具体的に提言される内容に現れる精神こそを、何らかの形で、学生さんに伝えたいと思ったからです。
 私自身はただ、津久井先生の熱き魂と学生さんを「つなぐ」だけです。

 毎回学生さんから小レポートを書いて提出してもらっています。

 「個人情報保護法の運用の仕方が災害救助の場面で壁になったことがある」という問題を、私は、津久井先生の本の記述を通じてお話ししました。

 これに対して、例えば、

「個人情報保護法の趣旨を理解して、正しく運用できれば、問題は生じなかったはず。」

だが

「法をよく勉強した人でなければ、実際の現場で、『個人情報を出したら罰せられる』と思ってしまう気持ちも分かる」

だから

「『災害時に公開していいもの』の明確なルール付けが必要。それなら、安心して必要な情報を共有できるはず」

というような内容のしっかりしたレポートを提出してくれた学生さんも複数見られました。

 そうです、個人情報保護法でも、民法でも、法の条文そのものだけでなく、条文にある「こころ」「ねらい」が大切なのです。
 法律の基本書では「趣旨」と書かれているところです。
 そこをしっかり押さえれば、法の解釈論というのは頭にスーッと入ってきます。
 法律の体系を勉強する王道であり、また、早道でもあります。
 司法試験に短期で合格するのに必要なことは小手先のテクニックや機械的暗記ではなく、これ(条文や制度の「趣旨」を押さえ、そこから体系的に知識をまとめておくこと、また、「趣旨」から法の解釈を頭を使って理解すること)です。
 
 というわけで、大学最終講義を終えました。
 特に一年目の去年は準備が大変でしたが、大変やりがいのある仕事でした。

 以下にレジュメを載せておきます。興味のある方はどうぞ。

(レジュメ)
第13回 法で人を救えるか?~大災害と法

参考文献  岩波新書「大災害と法」(津久井進著)

Q1 法は大災害とどのようにかかわってきたのか?

第1 災害と法の歴史
 
 1 江戸以前

奈良時代  悲田院 福祉施設だが、被災者の救護施設としても利用された
          現代の避難所の原型

江戸時代 御救米 享保・天明・天保の三大飢饉のとき幕府が米の支給

七分金積立制度  災害対策の準備金
地主から拠出させる+幕府も補助

 2 明治時代
災害に備えて、藩や府県毎の備蓄を行う仕組

備蓄儲蓄法(1880) 政府が財源を拠出
                     災害時の食糧供与、小屋掛け料、農具や種もみ料などの救助を行う

→ 現代の災害救助法の原型に

         三陸地震津波(1896)など

         罹災救助基金法(1899) 府県毎の基金

 3 関東大震災(1923)

戒厳令 … 「戦時若しくは事変」の際に軍隊を円滑に動かすために「兵力を以って法律に依らず人民を統治」する法律

   法の支配が失われた … 中国人、朝鮮人の虐殺
               社会主義者殺害事件

   帝都復興の議 

   区画整理について国でやるか地方自治体でやるか?

 4 戦後の法制度

1946 日本国憲法
昭和南海地震
    ↓
   1947 災害救助法 …災害救助の種類と内容(例えば、炊き出しなど)について、県間の格差を平準化
         
→ 被災者の救助に密接な法律
ⅰ 災害救助を誰がどのように行うか
ⅱ どのような救助を行うのか
ⅲ その費用を誰がどのように負担するのか
    
1949 水防法   ←枕崎台風、カスリーン台風による水害
            
1950 建築基準法 …建物の安全性 
         (← 1948福井地震では建物の全壊率が60パーセントを超えた)

1959 伊勢湾台風 死者行方不明者   5098人
負傷者     3万8921人

1961 災害対策基本法 戦後の防災対策の転換点
災害対策の一本化
(それまで災害毎の特例法で対処してきた)

→ これが現在でも国や自治体の災害対策の基本法
    国と自治体の役割分担
緊急事態宣言(国会の事後の承認が必要) 
  ⅰ 生活必需物資の配給・譲渡などの制限
(物資価格の高騰避ける)
ⅱ 物価などの最高額の決定
ⅲ 金銭債務の支払延期(モラトリアム)
災害対策本部


1962 激甚災害に対処するための特別の財政援助に関する法律
    災害復旧事業に対する国庫補助率を標準化、恒久化

1966 地震保険に関する法律
1964新潟地震がきっかけ
個人の住宅に対する手当が無く、火災保険でもカバーされなかったため、「地震保険」実現の必要があった。

1973 災害弔慰金の支給等に関する法律
         1967羽越豪雨水害
         被災者や遺族など個人に対する補償の必要性
1978 宮城県沖地震  多くの家屋が倒壊
             民事訴訟など(震度5が不可抗力と言えるか?)
             
             建物の耐震性を確保すべきとの意見高まり

1981 建築基準法改正  明確な耐震基準が盛り込まれる

5  阪神・淡路大震災(1995)後

  死者6434人のうち8割が建物倒壊による圧死
  直後の法律相談の6割超 借地借家問題
  
住まいについて3つの問題  ① 借地借家問題
② 住宅政策    仮設住宅、孤独死…
③ 住宅再建政策 

1998 被災者生活再建支援法(のち2007改正)
             被災者個人に対する支援金

1999 JCO臨界事故(茨木東海村)
原子力災害対策特別措置法

 6 東日本大震災 2011
   
   死者行方不明者 1万8800人

   既存の法制度だけでは対応できない事態

1年間で45の立法がなされた。

1年間で約3万8000件の法律相談(弁護士会分) 資料「大災害と法」


第2 災害と個人情報保護の壁

★ 法に運用の仕方。
  杓子定規に運用するか?
  法の趣旨(精神)を踏まえて運用するか?
  最後にこの違いをよく考えてみて欲しい。

資料  「大災害と法」

 Q2 個人情報保護法の使われ方(運用)について、法の精神に合っているかどうかを考えてみよう。
   個人情報保護法の趣旨(本当に守ろうとしているもの)は何か?
   個人情報そのものの保護 と 個人の権利利益を守ること が一致しない場合はどのように考えたらよいか。
   
 例  自宅で孤立している高齢者が置き去りにされる例
    福知山脱線事故時の例
   
 個人情報保護に関する法律

抜粋
(利用目的による制限)
第十六条 個人情報取扱事業者は、あらかじめ本人の同意を得ないで、前条の規定により特定された利用目的の達成に必要な範囲を超えて、個人情報を取り扱ってはならない。
2 個人情報取扱事業者は、合併その他の事由により他の個人情報取扱事業者から事業を承継することに伴って個人情報を取得した場合は、あらかじめ本人の同意を得ないで、承継前における当該個人情報の利用目的の達成に必要な範囲を超えて、当該個人情報を取り扱ってはならない。
3 前二項の規定は、次に掲げる場合については、適用しない。
 一 法令に基づく場合
 二 人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき。
 三 公衆衛生の向上又は児童の健全な育成の推進のために特に必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき。
四 国の機関若しくは地方公共団体又はその委託を受けた者が法令の定める事務を遂行することに対して協力する必要がある場合であって、本人の同意を得ることにより当該事務の遂行に支障を及ぼすおそれがあるとき。
                                    (以上 レジュメ終わり)

                              村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所

灘校土曜講座「私たちの憲法とは?」行ってきました。 [だから,今日より明日(教育)]

 先週土曜日 10月5日に、母校である灘高校の土曜講座(総合学習の位置づけだそうです)に、講師として行ってきました。
 
 前回3年前にも行ってきました。 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2010-06-24

 今回は、灘校の先生からのリクエストもあり、憲法を取り上げました。

 次のようなコンセプトで1時間半お話ししてきました。

(案内に書いた講座内容)
最近、憲法改正問題が盛んに議論にのぼるようになりました。
「憲法を改正するのに賛成ですか?」という世論調査も行われていますが、実際には、そう問われても答えに困る人も多いようです。
この講座では、

「憲法の役割とは何か」  … 一般の法律と何が違うのか?
「日本国憲法の成立過程、歴史的位置づけ」 … アメリカの押しつけか?
「新しい人権」      … 日本国憲法では対応出来ないのか?
「憲法9条と自衛隊」 … 戦力不保持との矛盾?半世紀以上も?
「2院制」「首相公選制」  … 参議院は不要?決められない政治?
「憲法論と感情」      … 憲法を論ずると喧嘩になる?
「外国の憲法」       … 日本国憲法は特殊か?外国の憲法改正は?
  
  以上の点などについて、憲法を議論するための基礎と「切り口」をお話しします。
そのうえで、理知的に、異なる意見の者同士が、論点を整理し、一致する点と対立する点、対立は何から生じているか(例 価値観の相違など)を整理して、よりよい憲法(と国家及び国民)の在り方を探る議論ができるようにする、というのが本講座の狙いです。
                                                    (以上)

 1時間半の講座にしては、欲張って論点をたくさん入れすぎたので、かなり駆け足になりましたが、憲法を建設的に議論するための基礎と視点を提供できたか、と思います。

 「憲法を論じて喧嘩にならない方法」も私なりに考えて、お伝えしてみました。
 理性的に論点を絞り、考えられるメリット・デメリットを冷静に上げてみる、そして自分はどういう理由でどのような要素を重視するかを考えて意見交換する、そんな憲法議論ができれば、ということをお伝えしました。

 灘校は、今現在、理系進学傾向がとても強い学校ですが、憲法についての話を受講者のほとんどの皆さんは真剣に聴いていました。

 最難関の入試を突破して入学した灘中高生のみなさんの、実証済みの論理的思考力や発想の柔軟性・創造性を活かせば、これまでにない建設的な憲法論議ができるはずだ、と思います。
 「試験のため」という狭い範囲ではなく、もっと広く自由に持てる力を発揮する、というのが、昔からの灘校生の良いところであり、昔より更に今の生徒さんのほうが活躍の範囲を広げておられる、とのことです。
 きっと、受講者の何人かは、私の「駆け足の講義」をきっかけにして(あるいはそれとは無関係に)、私の想像を超えて、憲法についても研究を深めて、より深く精緻な考えを創っていかれるのでは?と期待したりもします。

 ところで、私の講座を、私が現役生徒時代の物理の先生が聴いていて下さいました。
 もともと講義や授業をする経験は弁護士にしては多いのですが、10数年経ってもいつまでも「師は師」であり、先生の前で自分が授業をするというのは特別の感じがありました。
 
 
 「憲法を論じて喧嘩にならない方法」(!?)については、また後日書いてみたいと思います。
 
 
                                 村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所

「成功体験」だけが必要なわけじゃない [だから,今日より明日(教育)]

 最近は、このブログの記事の中で、

私の灘中受験記 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2013-04-30

はたくさんアクセスを頂いています。(灘中合格の秘訣を知りたくて検索して行き当たった人には何の参考にもならず申し訳ない限りです。)

 ただ、まだ、1日のアクセス数でも、

調停委員が相手の肩ばかり持つ http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2012-03-15

が、灘中受験記を上回っています。えっへん!弁護士ブログですから!(でも差は僅か。)

 
 さてさて、私が、恥をさらして「灘中受験記」を書いたわけはここにあります。

 今、子育てしている親の周りには、

「英語の耳は○歳までに作らなければ育たない」

とか、

「受験は、小学校低学年から準備しないと間に合わない」

とか、

「天才児は、○歳までに」

とか、要するに、

「早く(お金かけて教育)しなければ手遅れになってしまいますよ!」

という宣伝が溢れており、それに振り回されやすい環境があるからです。私も「騙されるもんか」と思いつつも気になりますから。
 最近に始まったことではないのですが、どんどんどんどん低年齢化しています。

 子育て(教育?)雑誌などを読んでも、

「成功体験が大切」
「早く勝ち組に」

という風に書かれているのですが、私は「それだけでもないだろう」と思うので、あえて、灘中受験(失敗)記を書いたのです。

 私にとって灘中受験失敗はとても貴重な体験であった、と。
 
 私の塾講師としての経験でも、受験に失敗した子へのフォローというのは大きな仕事の1つでした。
 塾講師は子どもに「成功」ばかりを求めている(強いている)ように思われますけど、不合格になって泣いている子に対して、声を掛け、話せるなら「よくがんばったじゃないか。これまでの努力そのものはそのまま君の力になっているよ。この経験だってプラスに変えていける。」というようなことをその子の状態や性格にあわせて徐々に話していく、そして、(後日には)再び力強い表情を見せてくれる、という部分は、塾講師の仕事の中でかなり重要な部分でした。もう殆ど記憶が薄れていますが、そうだった気がします。

 私が高校受験をするとき、中3時に通った塾では、中学受験失敗組が殆どでした。しかし、その中には、なぜ中学受験で不合格になったのか想像もつかない、恐るべき頭脳の持ち主がいました(模試でもトップクラス、高校受験でもトップクラスの成績で合格、のちに国公立にトップクラスの成績で合格、大学に入ってからもバリバリ研究…でした。今もどこかでバリバリ研究しているでしょう。)。
 その「恐るべき頭脳の持ち主」は、私と違って、ちゃんと受験塾に通っていても中学受験で不合格になったのです。でも「恐るべき頭脳の持ち主」なのです。
 よく言う、早熟型と晩成型というのもあると思いますし、どこでスイッチが入るかは人それぞれというところがあります。

 
 そもそも、「成功体験」が大切と言っても、たとえば、「少年野球」を例にとれば、

勝ち の数だけ 負け がある。

 これは当たり前です。

 「負け」が嫌なら、楽勝できる相手とだけ試合をするか?ということになりますが、これでは、野球の醍醐味を味わえないでしょうし、技術の向上も望めません。

 というわけで、何が言いたいかといえば、子どもにとって、「成功体験」も大事だが、

チャレンジすることそのもの

特に、

勝つか負けるか分からない勝負にでも、失敗を恐れずチャレンジすること

こそ大切なのではないか、ということです。

 確かに、たとえば、子どもの少年野球であっても、剣道の試合であっても、親としては、自分の子どもが負けた瞬間に居合わせると、

きゅっと心臓が収縮した感覚

を覚え、大変辛いです。自分の負け以上に辛いです。

 ですが、その辛さを「安全策」で避けようとせず、

強い相手にも思い切りぶつかってこい

負けても良いから思い切り闘ってこい

と言って送り出し、案の定負けてきたら、「何で負けたの?」とは決して言わず(言いそうになるのをぐっとこらえて)、(低学年なら)あめちゃんを差し出す、(高学年なら)「飯いこ、飯」という、のが親の役割ではないか、と思っています。

 
 というわけで、灘中受験記に話を戻すと、ともかく自分の親には感謝しています。
 中学受験だと、まだ子どもはあどけないでしょう。
 子どもの不合格はつらいはずです。
 どんな形であれ、「合格」して喜んでいる息子の顔の方を見る方が、その時はハッピーだったはずです。
 でも、敢えて、圧倒的不利を承知で(もしかしてうちの親は承知じゃなかったのか?)、「チャレンジする気があれば、灘を受験しろ」と言ってくれた親に心から感謝しています。
 
 
 というわけで、受験で言えば、中学、高校、大学、資格試験何であっても、また、勉強以外スポーツでも何でも、目標に向かっている全ての人(とその親)が、

「失敗したらどうしよう」

というネガティブな気持ちなく、

「チャレンジすることそのものがプラス」

という明るい気持ちで臨めたらいいのになあ、そして、明るく、持てる力を発揮できればなあ、と願ってやみません。
 逆説的ですが、良い意味で開き直って、その人自身の力を根っこに近い部分から伸ばすことに集中すれば成功の確率も上がるかも、とも思います。


                                     村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所





 
 



センター試験廃止で競争軽減になるか [だから,今日より明日(教育)]

 少し前のニュースによれば、政府の教育再生実行会議が、センター試験を廃止して、高校2年の段階から年2,3回実施される到達度テストが代替する、という議論をしているそうです。

 確かに、大学受験は一発勝負ですから、受験生のプレッシャーはかなりのものです。私もそうでした。病気などが一番怖かったです。
 ですから、年間何回かのテストで見てもらえたらその方が楽かな、と高校生のときに思ったこともありました。
 
 大学受験競争の激しさを緩和するための方策が練られていること自体は良いことだと思います。
 
 ただ、このセンター廃止策が悪く作用すると、高校の置かれた現場がさらに競争に振り回され、じっくりとした学びが出来なくなるのではないか?という危惧も感じます。
 
1 中高一貫の進学校は有利。公立高校(3年制)の進学校が大変では?

 早ければ高2から大学入試の結果に直接影響するテストがはじまるとすれば…

 例えば、 「高3の夏まで甲子園を目指し、それが終わったら猛勉強して東大を目指す。」という旧き良き理想的な(?)高校生活スタイルは危機にさらされます。

 ですが、中高一貫の進学校は、その影響を殆ど受けずに済むでしょう。
 私の高校時代でも、灘校では高1の冬にセンター試験問題を「実力テスト」としてやった記憶がありますが、数学は満点が続出、英語も9割以上が相当な割合でいました。
 要するに、中高一貫では、中1からの6年間があるわけですから、6年中の、前から4年半くらいで、ほぼ高校修了過程までやってしまうことは難しいことではありません。(私は高1から入りましたが、それでも、まあ同じ学校に入ってしまえば、何となく追いつきます。)
 進学校では、別に、スパルタ式でがんがんやらなくても、生徒が退屈しない程度のペースで進めれば高2に入って少ししたくらいで、ほぼ高校過程が終わります。
 もともとそういうペースでやっていますから、センター試験が廃止され、かわりに高2から「本番」が何回かに分けて始まることに不利はなく、次に述べる通常の「3年制」高校が大変であることを考えると、相対的に有利になるともいえるでしょう。
 
 一方、公立校では、高1段階でスタートですから3年しかありません。
 高2の途中から、入試「本番」テストがはじまるとしたら大変です。
 まあ言えば、生徒が入学してから1年半くらいで「結果」を求められるわけです。
 早期に「結果」を要求してロクなことになることは少ないと思います。特に教育では。
 受験直前期にはそれなりに点数が取れるようにしなければならないにしても、できるだけ長い間「目先の得点には直結しないけど、考え方の基礎をつくるうえで大切なこと」をじっくりやらないと、「伸び」がなくなります。暗記で点は取れても、応用力が要る問題には手も足もでなくなってしまいます。

 たとえ、「3年制」で準備期間が少なくても、作戦次第で、「何回かの習熟度テストの点数を尻上がりに上げていく」ことを念頭においた受験作戦が取れれば、成功の確率はあがると思います。
 つまり、早い時期の「到達度テスト」での点数だけでなく、その後の応用につながる基礎力の充実(内容的な充実)、言いかえると、「勉強していて、腹にすとーんと落ちる感覚を確認しながら勉強していること」に重きを置く作戦です。
 知識にしても、「皮」程度の知識をやたら増やすのではなく、「肉」や「血」となる知識を重要度の高いものから積み上げることを重視するのが良いと思います。
 そのスタンスでいて、それで対応出来ない部分は、早期の「到達度テスト」で多少点を落としても良い、という割り切りができたほうが、最終的には伸びが期待でき、目標に届きやすいのではないでしょうか?
 と思うのですが、やっぱり、「本番」テストが目の前に迫ると、そうはいかない人が多いんじゃないかな、また、保護者も「結果を出してくれ」と求めてしまうんじゃないかな、というのが懸念されます。

 そんなわけで、今は、私立だけでなく公立でも中高一貫は人気ですね。その傾向にさらに拍車がかかるのではないか、と思われます。


2 抜本的に「点数序列主義」を変えられるのであれば…

 この点を含む大学入試制度の「改革」が、大学がずらっと偏差値で輪切りにされて並び、そこに、自分の点数を照らして進路を決めるという状態そのものを揺さぶり、変えることに繋がるならば意味がある、と思います。

 学力の到達度テストの点数は点数として一定以上は入学に必要だけれども、それだけではない、大学の特色、学びの内容と、生徒の志向・意欲がいかにマッチするか、そういう部分が重視される選抜方式が増えるのがこれからの在り方なのでしょう。
 特に、私大はそういう傾向が強まるでしょうし、それは自然でいいことだと思います。

 もちろん、「とことん数学や物理が出来る人が集まって、『実に面白い』研究をする」大学は魅力的な特色を備えた大学です。
 ですが、違う種類の『実に面白い』大学、学部の在り方もあって良く、それは在り方の違いであって、価値序列がつけられるべきものではないですから。

 そんなことは分かっている。本当は、みんな分かっているのだけれど、センターの点数表でずらっと上から下に並べられたのを見ると、なんだか、やっぱり…と思えてしまう。
 だから、「『せめて』関関同立には入ってくれよな」なんていう、世間の七方向くらいに向けて失礼な発言を平気で子にする親も出現してしまう、というわけです。(註:関西では、名門私大4校として「関関同立」といわれています。ふつう、「お前、関関同立ならさぞモテるだろ」と言われる大学名です。)。それだって、心底子の幸せを願っている親の思いなわけですが、そうだとすればなおさら、「価値序列表」が多くの人の頭にこびりついている、というしるしです。

 そんなわけで、教育再生実行会議が、どれだけ本気で、子どもたちの学びの在り方について、「目先の結果」に振り回される要素を極力少なくして、

即席型の「飲み込み」ではなく、「じっくり噛んで味わって食べる」ような勉強

ができる環境を整える提言をしてくれるか、今後に注目させていただきたいと思います。


                                村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所
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