弁護士津久井進先生著「大災害と法」 岩波新書~夏の読書感想文 [読書するなり!]
今年の私の夏の読書感想文はこの本です。
弁護士津久井進先生は、兵庫県弁護士会の先輩弁護士です。
去年の東日本大震災が発生したその日から震災復興のため超人的な活動を続けられています。(さらにすごいところは、超人的な献身的な活動をしながら、私がたまに出会っても、すごく明るく、ジョーク満開で、日々の先生自身の大変さを微塵も感じさせないところです。)
この本はタイトルの通り、「大災害」に対してどのような法律があるか、その歴史から詳しくまとめ、そのうえで、大災害に対して法は「どうあるべきか」までしっかりと書かれた本です。
この本を貫く津久井先生の姿勢は、「はしがきに」にハッキリと書かれています。
(以下抜粋)
壮絶な悲しみ襲われ、極めて過酷な状況にありながらも、人は日々の生活を送らなければならない。その生活上の悩みは多様であり、切実であり、また深刻である。そのような被災者の不安を少しでも和らげ、心配ごとから解き放ち、生活の再生への道筋を示すことは、法の果たすべき重要な役割である。
法は人を救うためにあるはずだ。 (抜粋終わり)
この精神から、大災害と法との関係について、過去、現在とこれからあるべき姿を記した本です。
日本の歴史の中で、災害からの復興は欠かせないことだったようで、
奈良時代の「悲田院」が被災者の救護施設として利用されていて、現代の避難所の原型になっていた
ことや
江戸時代になると救済制度の発展の跡があり、飢饉などに対する幕府の米の支給「御救米(おすくいまい)」が行われた
ことなどからはじまり、関東大震災、戦災、戦後の大災害(昭和南海地震、枕崎台風、阪神・淡路大震災、東日本大災害など)のことに関連して、「大災害」の復興に対する法が歴史と共に一歩ずつ整備されてきたことが詳しく書かれています。
私は弁護士ですが、直接、今回の東日本大震災の復興関連に関する法務に携わったことは殆ど無いので、私が殆ど知らない法律や制度もたくさん紹介されていました。
例えば、東日本大震災の復興法制の目玉として紹介される
「東日本大震災復興特別区域法」
は、復興のまちづくりのため、普通はできないような大胆な規制緩和を行い、例えば、すばやく公営住宅に人が入れるように、工場も復旧できるような工夫がなされ、また、復興のための財源の手当までつけた法律である、といったことが分かりやすく解説されています。
現行(東日本大震災後に出来たものを含めて)の法制を解説するだけではなく、復興の理念はどうあるべきか?ということを考えて、いまの法律に対し、厳しい評価をされているところもあります。
たとえば、「東日本大震災大復興基本法」について、良いところは良いと認めつつも、法の基本理念の中にある、「豊かさ」を求めるような表現について、経済成長至上主義に繋がる点を指摘し、「最低限度の生活さえ覚束ない被災地の現場感覚からは懸け離れている」としています。
災害復興という中で、経済成長と個々人の生活や尊厳を守ることとが衝突する場面があるとすれば、まずは、個々人の尊厳を守ることを最大限大切にしなければならない、という津久井先生の理念に私は共感します。
「全体が右肩上がりで成長してリッチになればみんなハッピー」という時代は、大震災がなくても、とうに終わっている、という点も、おそらく、津久井先生と私とで同じ感覚であるように思いました。
私がこの本の中で特に注目したのは、
「第9章 災害と個人情報保護」
「個人情報保護の壁」
のところです。
個人情報保護法が2003年に出来てから、
「個人情報を個人の同意なく他人に伝えると、責任を問われる」
という意識が強くなり、逆にそれが問題を引き起こしていることが多々あります。
大震災があり、自宅で孤立している高齢者がいても、個人情報保護の壁があって、そのような高齢者がいることさえ分からず、誰も支援できない、などが一例だそうです。
著者は、
(引用)
もし、「個人情報」を守ろうとするあまり、命や財産や救済手段などの「個人の権利や利益」が損なわれるようなことがあれば、それは本末転倒といわなければならない。
(引用終わり)
と明言されています。
これは、何も個人情報法護法を「破って良い」という主張ではなくて、個人情報保護法そのものをよくよく読めば、
個人情報そのものが第一だと言っているのではなく、あくまで、法の目的は「個人の権利利益を保護すること」にある
と書かれているとのことです。
だから、災害救助の場面など必要なときに情報提供できる条文もあるのですが、責任追及を恐れる意識が強いと、一種の個人情報保護の「過剰反応」によって、人の救済が阻まれるということがあるのです。
こんなことはあってはならない、というのがこの本の述べていることです。
この章は、特に、印象に残りました。
著者が、まさに現場で、また、行政の窓口対応などの問題点に接して奮闘しておられるからこそ、特に設けられた章だと思いました。
私の意見としても、
・ 個人情報よりも個人を守ろうよ!
・ 個人情報<個人の権利、利益 というのが、個人情報保護法の趣旨でもあるし、条文をよく読めばある程度柔軟に運用できるようになっているのだから、たとえば、行政の判断で、個人情報も、その個人の救済のために必要と考える範囲で柔軟に出してゆけばよい
と思います。必要以上に、個人情報を漏らしたことに対する「責任追及のおそれ」ばかりを意識するより、個人情報保護法が許してくれる範囲はもう少し広い、ということを考えて欲しいと思います。
・ ただ、実際には、窓口担当する公務員に、「おまえが法律を解釈して、個人情報を出して良いかどうか判断せよ」ということや、場合によっては「勇気ある決断」を迫るのは酷です。
確かに、行政の公平性・適法性などは必要ですから、現場現場の判断で柔軟に、というのは、私のような(何でも言える立場の)一弁護士が考えるよりも実際には難しいことでしょう。
・ なので、やっぱり、津久井先生も述べられているように必要な法改正をして、誰の目にも明らかな形で「これこれこういう場合には、こういう形で、個人情報を提供してよい」という条文を出来るだけ整備した方が良いのは、現実の問題として間違いない
と思いました。
弁護士など法律専門家でなければ読めないという本ではありません。
専門外の人にも分かるように平たい言葉で書かれた本です。
今後も大地震が予想される未来を考えると、1人でも多くの方に手にとってもらいたい、一部でも(気になるところだけでも)読んでもらいたいという本です。
本当に、誰が読んでも損のない本だとおもいます。
私もとても勉強になりましたし、法や法律家の在り方について、著者津久井先生の文章の、はしばしにほどばしる思いが伝わり、感じるところがたくさんありました。
「法は人を救うためにあるはずだ」という著者の言葉には強く共感しますし、私の仕事でも、それを現実に結びつけていけるよう努力していきたいと思います。
村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所)
2012-08-02 18:37
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本を読んでないので誤解があるかもしれませんが・・。気になるのは個人情報のところです。本人の承諾なしに情報が他に伝えられるのがいやなんです。
また「契約の自由」の問題でいやだけどしょうだくさせられるというのも
現実あると思います。
もっと守秘義務といいたいぐらいの心情です。
後、うちは個人情報保護法とセット?の通称本人確認法も問題だと思っています。
いまや金融機関だけでなく自転車借りるのまで提示求められます。
とても息苦しく感じています。
個人情報保護みなおしなら本人確認法も見直して緩和してほしいです。
監視強化で個人情報の価値が高まり漏れた時の怖さが高まっていると感じています。
画一的でなく本人が進んで(断っても不利益受けない)情報提供するならありでしょうけど、改正して希望しない人の情報までもれるのがすごく嫌な気分なんです。
by ayu15 (2012-08-03 21:05)
法的にいう個人情報と、一般の人が言っている個人の情報(≒プライバシー)の区別がよく分からない場合があるように感じます。
病歴や服用中の薬など、その人の命を救うために必要な情報は、医師などに限って、本人の承諾がなくても閲覧が可能であれば、いざという時に役立ちます。
本人の承諾がないと、人命救助に必要なデータも見れないのでは困るのではないかと私は思いますが…
by 心如 (2012-08-04 00:14)
補足
開示を嫌がっている人の情報まで開示されるおそれが怖いです。
法の目的は「個人の権利利益を保護すること」にある
ですから開示したほうが保護できる場合もあるでしょう。指摘は最もなとこがあるでしょう。
でも開示が嫌がる人もいることを忘れないようにして欲しいです。
個人の権利利益を保護することですが開示した人がそう思っても開示されてしまった人がそれを苦痛に感じた場合どうなりますか??
そこが気になります。
同意なくても柔軟に開示の場合かなり注意してもらわないと嫌がる人まで開示されてしまいます。この人たちにとっては善意からくるものがおおきな迷惑に変わってしまうことが。
うちは情報が勝手に開示されるなんてすごく嫌な気分なんです。
あくまで同意した範囲(選択の自由あった上で)でないと。
開示されていい人と嫌な人両方汲み取るには??
両立させる方法と
本人確認法の見直しをかんがえていいかもと思いました。
by ayu15 (2012-08-04 11:34)
ayuさん
ナイス・コメント有り難うございます。
プライバシーに関するayuさんの意見はもっともで、多くの人がそうだろうと思います。
この本で言うのは、個人情報開示を承諾するかどうかなどという状態でない場合についてが多いようです。
たとえば、避難中の高齢者が孤立していて放っておいたら命が危ない、といった場合に、救助したい人に、救助すべき人の情報が伝えられないということなどです。
震災ではありませんが、問題という例としては、
(本から引用)
2005年4月25日に、兵庫県尼崎市でJR福知山線脱線事故が発生した。安否を知りたくて搬送先を必死にたずね回っている家族に、個人情報保護を理由に断った病院があった。保護すべきは個人情報ではなく家族の思いだ。これこそ、個人情報保護法に過剰反応した誤りの典型例である。
(引用終わり)
といった例です。
いいかえれば、本人には選択する能力すらないとき(重体など)、もし選択できるならば間違いなく開示して良いというであろう、と言う場面でも、個人情報保護を理由に各機関が情報を出さない、という問題であるようです。
平常時とちがった災害時の特殊性といってもいいと思われます。
by hm (2012-08-06 10:28)
心如さん
ナイス・コメントありがとうございます。
この本が指摘するのは、まさにそのような問題意識なのだと思われます。
災害時にはよりそういう必要性が高まる、とのことです。
by hm (2012-08-06 10:29)
あーちゃん
ナイスありがとうございます。
shiraさん
ナイスありがとうございます。
maiさん
ナイスありがとうございます。
by hm (2012-08-06 10:30)