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サービス残業代請求ビジネス!? [弁護士業について]

 今、あちこちで、弁護士・司法書士が、いわゆるサラ金に対する「過払い請求ビジネス」で大もうけした後に、次に「サービス残業代請求ビジネス」で大もうけすることを狙っている、と言われている。

 まず、「過払い請求ビジネス」で弁護士が大もうけしている、と言われること自体、残念な気持ちがする。
 けれど、テレビコマーシャルなどを見れば、それだけの莫大なCMコストをかけたうえで利益があがる計算の上にそういうCMがあることは間違いないのだから、一般の人から見て、そういう見方になることは仕方ないと思う。

 だが、仮に「大もうけ」している弁護士がいるとしても、それは、ごく限られた範囲(CMを打っている弁護士)だけである。
 CMをうつ事務所の在り方はそれはそれで一つの在り方だし、事件処理そのものがきちんとされていれば、業務自体は何ら非難されるものではない。
 一方で、CMをうたない弁護士は何故うたないか?というのにも理由はある。単に、広告を「さぼっている」だけの場合もあるが、やはり、弁護士の理念なり、あるいは、弁護士の法律上の位置づけについてどう考えるか、という部分を知って頂ければと思う。
 
 「過払い請求」というものそのものは、サラ金が弱者の立場につけこんで利益を貪ったものについて、その利益を吐き出させることだから、良いことであるし、それは社会の進歩、成熟に繋がるだろうと思う。
 だから、依頼を受ければ私も取り扱う。
 
 だが、ただの営利目的事業と同じようなやり方ではなく、弁護士法という特別の法律の下で公共性をもった事業としての在り方をすることが必要だと私は思う。
 だから、広報をするにしても、「過払い『ビジネス』で『大もうけ』」などという風にならないような工夫はやっぱり必要だと思う。

 私のこの考え方は、クラシカルな弁護士の発想である。
 
 一方で、ビジネス性を重視する弁護士や、弁護士を対象にするコンサルタントは、
「従来の弁護士は、競争という意識がない。営業、広告、マーケティングの必要性を分かっていない。そのような経営面でヌルい弁護士が多数を占める中で、競争に勝つのは、営業のやり方次第で容易である。市場経済の中で、営業努力によって利益を上げて悪いはずがない。」
という。
 そして、私のような考え方の弁護士は古くて「ヌルい」、となる。

 私は、弁護士が事業者である以上、営業努力が必要である、ことに異論はない。

 無駄なコストを減らし、事業維持に必要な収益を上げて、基盤を維持することが出来なければ、活動そのものができない。活動そのものが出来なければ人権を守るといってもやりようがない。

 だが、例えば、何故、弁護士が「人の揉め事に首を突っ込めるのか」というのは、法律によって特別に地位が与えられているからであって、なぜ法律がそうしているかと言えば、弁護士が、公共的な存在であるように位置づけられているからである。
 企業もある程度の公共性があるはずだが、弁護士はそれ以上に公共的な存在であることが求められている。
 つまり、「自分の利益のことだけ考えて行動してはいけない」制約がある代わりに、特別の地位が与えられていて、普通の人が出来ないことを出来る権限がある、というわけである。

 とすると、営業して利益を上げることは自由といえども、やっぱり、公共的な意味での制約があると思う。
 ひたすら営利目的で存在するよりも、「営利」という面ではヌルくとも、というか、それはヌルい方が良く、弁護士は自分の公共的な使命を大切に活動する存在であり続けるべきだとおもう。

 だとすれば、国の司法制度全体を考えるときにも、弁護士の業界を、弱肉強食の経済的な競争原理が支配してしまうような制度にならないようにしなければならない。
 大もうけする弁護士はまだよいとして、競争原理の中、貧する弁護士が増えると、金になりにくい公共的な仕事は引き受け手がなくなる。金にならない仕事を「勝ち組」が率先して引き受けてくれるか?そんな上手くはいかないのが世の常。
 
 さてさて、本題は、

次はサービス残業代請求ビジネスか!?

といわれる件である。

 「サービス残業」にあたるような場合、つまり時間外労働の場合に支払うべき賃金は、「割増賃金」(労働基準法37条)となり、

時間外労働   通常の労働時間の2割5分以上割り増し
休日労働                3割5分以上割り増し
深夜労働                2割5分以上割り増し
時間外+深夜                5割以上割り増し
休日+深夜                 6割以上割り増し
(※ ただし、管理職の場合は深夜労働以外の割増賃金は発生しない。)

となっている。なので、もし、不払い残業代が長期間にわたり長時間たまっておれば、計算すると相当な金額になるケースがあるだろう。場合によっては100万円を超えるケースもたくさんあろう。


 さてさて、これが、今のサラ金に対する「過払い請求」のように、急増している弁護士が経営の基盤にする「ビジネス」になりえるのか?という点である。

 私の見方は次の通り。

1 大企業が、大量にサービス残業を強いているものについては、訴訟を提起する等に躊躇する要素は少なく、サービス残業の事実が証明できれば、支払能力があるので、残業代を実際に支払ってもらえるケースが多いだろう。

2 ただし、過払い金問題と違って、サービス残業が何時間あったかということの証明は単純ではない。
  むしろ、サービス残業であれば、タイムカード等に記録されないのが普通であろう。
  (過払い金問題は、利息の計算だけの問題なので、証拠は、借り入れと返済の履歴だけで良く、証拠があるなしの問題がない。このこと自体、特殊なタイプの事件である。)

3 大企業ではない場合、そもそも経営が苦しいがために残業代をきちっと支払っていない企業も多い。
  この場合、権利として不払い残業代があったとしても、実際に会社から回収できないケースが多く考えられる。
  サラ金と違って、支払能力がない企業が多いと予想される。

4 仮に、サービス残業代請求事件が多く起こされる時期がきたとしても、おそらくは一時的なものになる。
  もっとも、一時的に、この種の事件が多く提起され、サービス残業がなくなれば、社会にとっては素晴らしい進歩である。

5 4のようにサービス残業がなくなった世の中になれば、当然、弁護士がサービス残業代事件を扱い収入を得ることはなくなる。しかし、それは、社会にとって良いことである。
  

6 従って、「サービス残業代請求ビジネス」なるものが一時、サラ金への過払い請求よりはかなり小さな規模で成立する時期があるとしても、その一時期は何年かで過ぎ去るので、激増した弁護士が経営の基盤とし続けることができるような「ビジネス」になりえないはずである。


 これが私の見方である。
 
 というのだが、そもそも、「サービス残業」問題について、弁護士である私が「ビジネス」という言葉を使って考えたくない。

 仕事をすれば報酬をもらうのは当然。
 しかし、

違法な「不払い残業」を根絶する(=残業代請求事件を「ビジネス」とすればそれも同時に消滅する)

ための活動として考えたい。

 
 たとえば、「遺言」作成のように、誰が悪いことをしているわけでなくても、長い時代に渡って必要性がある種類の法律事務を「ビジネス」と位置づけるのはまだよい。
 
 だが、利息とりすぎの過払い金請求や不払い残業代の請求など、違法状態に対する弁護士の取り組みを「ビジネス」と考えるとおかしなことになる。
 というのは、「ビジネス」は反復継続して利益をあげるための仕事だから、その「ビジネス」が継続するために違法状態も継続しなければならない理屈になる。
 「継続しなければならない」か、少なくとも、「ビジネス」としてみれば「継続した方がよい」ということになる。

 
 要するに、「ビジネス」として考えたときの結論は、弁護士業と

・ サラ金の利息とりすぎ状態
・ 企業の残業代不払い

が共存共栄したほうがよい、ことになる。
 これは明らかにおかしいだろう。

 もう少し「ビジネス」を広く捉えて、「サラ金への過払い」→「不払い残業代」→次の違法状態    と、テーマはちがえど、違法状態を次々にターゲットにしていくことそのものを「ビジネス」としても結局同じである。
 つまり、やっぱり常に「次の違法状態」が存在し続けなければ困ることになる。
 仮に、そうでないとすれば、「ビジネス」としても、「ド短期ビジネス」でしかなく、経営の基盤を維持するためには、次のビジネスに移っていかねばならない。

 上では、「違法状態への取り組み」としているが、基本的に、「過払い」「不払い残業代」の問題は、法律問題として特殊である。

 つまり、法律問題の多くは、私人間の紛争、トラブルであるから、一方だけが悪いということは比較的少なく、双方にそれなりに言い分のあることが多い。
 しかし、「過払い」「不払い残業代」は特殊である。

・ 一方だけが悪い(法を犯している)ことそのものは明白で、それは争う余地が殆ど無い。

からである。
 すなわち、証拠さえあれば、訴訟をやっても結論が見えている。
 元が、明らかな違法状態だからである。

 
 であるから、このような種類の事件など存在しない方がよい。すなわち、「過払い請求」ビジネスなるものも、「未払残業代」ビジネスなるものも、存在しない方がよいのである。

 
 だとしたときに、このように弱者が食い物にされる種類の違法状態がなくなったとき、弁護士の取り扱うべき仕事は、比較的限られてくる。
 また、(これは単純に言うのは難しいが)人が心豊かに暮らせる社会が実現したとき、「もめなくてもよいことでもめる」ことも少なくなるはずで、その意味でも、弁護士の取り扱う仕事量が減れば理想的である。
 
 さらに言うならば、一旦大トラブルになった後の事件処理は弁護士が入っても労力が大変かかるが、もめごとの予防のためのアドバイス等であれば、わずかな労力で出来ることもある。
 これを「予防法的」活動という(虫歯にならないようにする「歯磨き」みたいなものである)が、それが弁護士のメインの仕事になり、人のトラウマが残るような大トラブルや訴訟になるケースそのものが減ればなおよい。
  
 
 そういった感じで、30年後、50年後の社会を見据えたとき、(さすがに50年後には私は引退しているであろう)、

大量の弁護士がバリバリ活躍するアメリカンテイストな社会

で暮らしたいとは私は思っておらず、

弁護士は社会で余り目立たないが、相談しようと思えばいつでも気軽に相談でき、頼りになる存在である社会(これが、未来指向型アジアンテイスト社会?)

で暮らしたいと思う。


 私は、24歳で弁護士になって、今年で35歳。
 年をとってきたせいかもしれないけれど、昔は色々見栄っ張りだった面があるけれど、最近は、地位や名声、財力やブランドモノを所持していることを競うようなしんどい在り方ではなく、人が無理なく、落ち着いて暮らせて、身近な人との繋がりや心の豊かさを大事にする在り方、そういう幸せを大事する社会を求める気持ちが強くなっている。
 
 そういった視点から、競争そのものが避けられない自由主義経済の中にあっても、人が無理せず(無理を強いられず)、心豊かに暮らせる社会を実現するにはどうしたらよいか、というのを日々つらつら考えたりしている。
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小父蔵

 南太平洋の島国では、人々は一日に三時間しか働かないそうです。その三時間は、その日の食糧を探して晩御飯の支度をするだけのようです。
 そういう生活だから、通貨なんて必要ないのです。金銭トラブル自体が存在しないと思います。

 その日に集めた食糧を、集落の皆で分けて食べます。冷蔵庫が無いので、明日の食べ物を集めるなんて無駄なこともしないそうです。昼間の暑い時間帯は、ヤシの木陰でお昼寝するか、子供たちは海で泳いで遊ぶそうな… お金儲けさえ考えなけれは、毎日、平均三時間労働で心豊かに暮らせるなんて、まるで天国のような話です。

 『最強最悪の汚染物質はおカネである』という言葉は、ある意味で真実なのかも知れません。
by 小父蔵 (2010-07-15 19:42) 

shira

 う〜ん、ちょっとならず感銘しました。
 弁護士の方にも「努力=競争に勝つこと」と誤解している方はいるんですね。
 私はかねがね「競争とは敗者を作ること」と言っています。誰も敗者にならないのなら競争は不要であると。単なる競い合いと競争原理は全く異質のものです。この記事を読んで、hmさんは努力は肯定するが競争原理は弁護士が引き受けるべきものではないと考えていると受け止めました。私はそれに同感です。
 どうも競争原理の好きな人は、技能でも資格でも生育歴でも何でもがその人の属性であって、それを駆使して競争に勝てば、その利得はすべて本人のものになるべきだと考えているフシがあります。
 しかし、医師でも弁護士でも教員でもそうですが、一人の人間をそこまで育て上げるのは、税金やら他者の労力やら何やら公的なバックアップがあって初めて成立することです。最近亡くなったトヨタの最高テストドライバーは生前「僕には何億円もかかっている」と言っていました。人間一人をひとかどのものにするには、他人のゼニやら何やらが絶対に必要です。医師や弁護士や教員のような公共的責任を担う者はなおさらです。だからこそ、公の教育機関で格安(?)に育てているわけです。
 やっぱ、仕事とビジネスはイコールじゃないですよ。
 
by shira (2010-07-15 21:13) 

ayu15

新自由主義経済?について考えてます。サービス残業はないのでは??
新自由主義理念は契約かも?
雇用されている人でなく個人事業者とみなすのかも?
だから社会保障なんてないです。あくまで企業間契約となり、労働法でなく商法となるのかも。
だから残業でも残業と思われないし、当然残業代なんて概念ないのかも?
不払いでも労働問題でなく商取引の不履行となるのかも?


by ayu15 (2010-07-15 23:11) 

hm

>小父蔵さん

 出来れば、ご紹介頂いた島の生活のような感じで、無理をせず、無駄なことをせず、自然の音に耳を澄ましながら暮らせたら、という気になります。


>shiraさん

>どうも競争原理の好きな人は、技能でも資格でも生育歴でも何でもがその人の属性であって、それを駆使して競争に勝てば、その利得はすべて本人のものになるべきだと考えているフシがあります。

 私もそのように考えていた時期があったと思います。
 それが、おそらく、ここ何年か前から、どうやら、そのように考えるのは無駄にストレスが多くなる、という結論になってきました。


ayuさん

 仰るとおり、弱者保護の概念がなければ、対等な当事者の契約関係としてだけ捉えることになります。
 結果、極端に言えば、全ての不利益は「自己責任」という発想になりやすい。
 そんな社会はやだなー、と私は思います。

by hm (2010-07-20 13:32) 

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