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教育を子どもたちのために~益川敏英さん語る [だから,今日より明日(教育)]

 2008年ノーベル賞(物理学賞)の益川敏英さん(京都大)が、科学者の視点で、子供の学びや育ちについてどんなことが大切かを語っている本を読んだので紹介します。


教育を子どもたちのために (岩波ブックレット)

教育を子どもたちのために (岩波ブックレット)

  • 作者: 益川 敏英
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2009/08
  • メディア: 単行本



 
 益川さんは、ノーベル賞受賞当時にマスコミでもよく取り上げられました。
 四人の日本人受賞者のなかでも、とりわけ、歯に衣着せず思っていることをしゃべられ、「益川節」と言われていたりしました。

 この本を読んで、ますます益川さんはいいなあ、と思えました。
 特に印象に残った部分を私の読書感想文で紹介します。


1 なぜ科学者が「平和」を主張するか?

  このことは、私も前からなぜなのか?どういう動機に基づくのか?と思っていました。アインシュタイン、ラッセル、湯川秀樹さんらが平和を訴え、核兵器の廃絶を訴えてきたことの思いの根源はどこに?と。

  益川さんの話ではこうです。
  
  科学の発展は、人類の自由を拡大する。
  科学者そのものは別に平和主義者でも戦争主義者でもない。
  科学は本来中立なものだが、それをどうつかうかは人間の問題。
  たとえば、科学の発展により、テレビの電波の乱れを防ぐためのペンキの塗装技術(フェライトという磁石の粉を混ぜ込んで塗装するそうです)が生まれ、その10年後くらいにアメリカで同じ技術を使ったステルス戦闘機が誕生したことが一例。
  意図せず、科学の発展が戦争をしやすくしてしまうことがある。
  このケースで言えば、この「ペンキを発明した科学者は、科学者としてではなくて一市民として、自分の子どもたちや孫たちを戦争に巻き込む可能性が増えているぞ、ということを誰よりも先に理解しなければ」ならない
  
  そういうことから、益川さんは、自分が一科学者であるということの意味を考えて、

「特殊な知識を持っている市民としての科学者は、常に、自分の生活体験からどう発言していくか、どう生きていくか、問われている」

と語っておられます。 
 
  こういう風に、人類のなかにあっての一科学者としての自分、を見つめておられるようです。おそらく、湯川博士なども、共通する出発点を持っていたのではないか、と思えました。

  とても感銘を受けました。

  科学というのは、情緒的なことなど関係なく、「正しいものは正しい」世界です。
  が、しかし、科学者は人間。人類への愛があってこそ、科学が人類を幸福にする、科学の存在意義がある。
  そこからくる「平和」への主張である、ということがすーっと理解できました。

  
2 めまぐるしく変化する現代社会でこそ基礎教育が大切である
  
  ここからが、「教育」論です。

  人に何か秀でた長所があったとしても、それが何かにぶつかって、十分に伸びないことはもったいない。

  例として、エジソンや益川さんのお父さんの例が出てきます。
  益川さんのお父さんは、電気技師になりたくて勉強していた時期があったけれども、小学校しか出ていなかったのでサイン・コサインのあたりでどうしても分からなくなって諦めたそうです。
  今高校を出ている人からすれば「もっと難しいことならともかく、サイン・コサイン程度のことで、夢を諦めるなんてもったいない」と思うでしょう?
  
  やっぱり、自分のオリジナルの研究をするのが夢だとすれば、そこに至るまでの基礎的な勉強がなくては、自分の思う「オリジナル」が実現できない。

  そして、現代社会の変化のめまぐるしさを考えると余計、応用範囲の広い基礎のことをきっとおさえて、学習することが大事だ、と益川さんは強調されます。

  たとえば、昔、テレビやラジオの電気回路に真空管が使われていたころ(今から40年前)、真空管についての分厚いマニュアル本を学生が一生懸命ずーっと勉強したものの、5年もたつと、全部トランジスタに置き換わってしまった、という例(どちらかいえば、失敗の例)が挙げられていました。

  目先の技術的なことだけを追いかけるのではなくて、「やはりそこで教えられた学生が真に力を出すのは、一〇年、二〇年先なんです。それぐらいの変化に対して堪えられるような知識を伝えるべき」だ、「だから基礎からきちっと押さえて、それが具体的に応用する時にどういう種類の問題が起こるかということを、できるだけ汎用性がある形で教えること。これが重要だと思います。」というのが益川さんの意見です。

  私も同意見です。

  以前にも、書いたかも知れませんが、例えば「小学生に株式の授業」などといったことが話題になりました。
  「株式のおはなし」が、たとえば、算数や社会科の「導入」としての切り口ならばそれはそれでよいでしょう。
  しかし、話題になったころは、まさにグローバル経済万歳、市場経済万歳、「貯蓄から投資へ」ブームという、一時の流行に思いっきり乗っかった文脈での「株式の授業」。
  こんなことでは、益川さんの言う、汎用性ある知恵の獲得というにはならない。むしろ、へたをすると、「目先の利を追う」だけの良くない態度を子供にあたえる恐れすらあるかもしれません。

  高度に進化し、めまぐるしく変化する社会だからこそ、何事にも通じる、本当の基礎(数学、言語、論理)を「基本的なものの考え方」から丁寧にそだててゆくこと、このことの重要性を再確認すべきだとおもいます。

  「ゆとり教育」が悪玉ではないと思いますが、そのあたりの時代以降、学校のカリキュラムでも「目先」的なものの比率が高くなっているのが気になります。
 もちろん、目先を変え、社会との接点も増やし、「スパイス」のような要素を適度に散りばめ、生徒が退屈しないようにしよう、という工夫であるのは分かります。
 でも、物事の優先順位は大切です。
 言語や論理、算数・数学といった、人がものを考える基礎力を、十分な時間も掛けて丁寧に育ててゆくことが主眼に置かれねばならないと思います。
 
  
 私は、教育基本法「改正」問題以降ずっと色んなことを考えていますが、やっぱり、こう思います。

 
 益川さんの言うように、基礎教育を大事にし、人がものをしっかり考えてゆく力を丁寧に育ててゆくことによって、ひいては、益川さんのように「人類の中の自分」を強く意識し、自分や他人への愛をもち、自分の社会の中での役割に一生懸命に生きる人が世の中に溢れるようにしてゆくのが、人類の幸福、また、個々の人の幸福につながる。(そうしてゆけば、「愛国心」も「公共の精神」も、誰に押しつけられるわけではなく、ごく自然に、多くの人がそれに相応するものを持ち合わせている世の中になるはずである、と思います。)
 

3 「子どもたちに、あこがれとロマンを」

 そして、益川さんは、最後にこう言います。

「野球の好きな子なら、イチロー選手にあこがれて、まねしてやってみる。字を読むのが苦にならないなら本を読む。工作が好きなら何かつくってみる。それでもし、自分に合ってないということを見つけたら、別のものにかえていく。あこがれがあれば、それほど無理をせずに努力できるもの。それを見つけられる環境を与えてあげる。」

 私も、やっぱり、子どもの 内なるパワー を邪魔せずに、引き出し、伸ばしてあげる、ことに尽きるのだと思います。
 それが、幸福とともにある、学び、育ちである。
 そして、内なるパワーを大切にすることが、最大の成果を生むのではないか、と思います。


 全体を通して、益川さんの話は、人間の存在そのものを良く見つめておられるし、益川さん自身がとても「熱い」人だということがよく分かりました。

 私もそんな風に、子どもを、人間を見つめていきたいな、熱く生きたいな、とそう思いました。
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小父蔵

 中学校の技術家庭科で真空管ラジオを組み立てましたが、高専ではマイクロプロセッサーを使ったボードコンピュータ―を使って実習を受けました。今では、マイコンなんて死語です。
 仰るとおり、過去40年間くらいの電子技術の進歩はとても速かったと思います。学生時代に感じたのは、教官のほうが新しいモノに対して理解するのが遅く、学生のほうが先に理解してしまうことでした。先生よりも生徒のほうが詳しいということが往々にして起きるのです。
 そいう意味で、進歩の速い分野の教育は難しいなと思います。
by 小父蔵 (2009-10-30 07:25) 

hm

小父蔵さん

 ナイスとコメントありがとうございます。
 なるほど、そうすると、実際の現場からみても、新しい技術は、余り先生から教わる必要がないとも言えそうですね。
 まあ、しかし、師も弟子も、互いに教え合ってやっていくというのも一つ、という感じもしますね。
by hm (2009-10-30 14:45) 

ayu15

益川さん、来月6日に講演するそうですよ。
by ayu15 (2009-11-11 09:11) 

小父蔵

 自分の理解したことを、担当教官に一所懸命に説明しているうちに、より深く理解ができたという面は否定できません。
 仰る通り、よい教師とは、教師自身の知識量よりも、生徒にやる気を出させることが出来るかどうかだろうと思います。
by 小父蔵 (2009-11-27 23:04) 

shira

 なぜ科学者が平和を訴えるのか?
 そりゃ、平和でないと科学も教育も出番がないからですよ。
 有事において必要なのは、科学ではなく技術、教育ではなく調教です。科学は真理の探求ですが、技術は人間の都合を実現する技です。教育は人間に成熟を求めますが、調教は他者の都合により合致する行動を求めます。加えて科学も教育も、即効性の弱い営みです。有事においては即効性が求められます。
 
by shira (2009-11-28 23:48) 

hm

ayuさん

 ご紹介ありがとうございます。

小父蔵さん

 確かに、なるほど、です。
 益川さんも、お父さんが厳しくて、自分が正しいことを言っていても、説明の仕方が悪かったり、うろ覚えの部分があったりすると、厳しく追及されて、「間違っている」と言うことになってしまったりする経験の中で、研究していることの本質をきっちり理解していく(どの角度からも説明できるレベルに)姿勢がもてたとの話しでした。


shiraさん

 コメントの6行に、本当にエッセンスがつまっています。ありがとうございます。
 科学と教育の意味、改めて、じっくりとかみしめて考えてみようと思います。
 戦争が色んなものを破壊する、というのは、物理的な部分だけでなく、人間の深い部分ということがさらに恐ろしいということなのですね。 
by hm (2009-12-02 16:48) 

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