弁護士業そのものの「申し訳なさ」 [弁護士業について]
最近、TVコマーシャルで、「払いすぎた利息は取り戻せます」等の巨大広告を目にする。
以前の記事http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2007-08-17で「過払い金」について書いた。
元々、法で認められていない利息を消費者金融がとっていたのだから、それを取り戻すことも良いことで、取り戻せることを広く知らせることも悪いことであるはずがない。
けれど、どうしても違和感がぬぐえない。
一つの違和感は、ついこの間まで、「ハワイいきたいなー」「じゃあ!!」みたいな軽いノリで借金を勧誘するようなCMがバンバン流れていたのに、今になって、「払いすぎた利息は・・・」とバンバン流す。
このような電波のなせる広告に翻弄される国民の立場って一体!?という違和感。
これが、果たして、直江兼続が目指した「愛」と「義」の世の中ですか!?という気持ちがぬぐえない。
そして、もう一つは、私の弁護士業に対するものの見方に関するもの。
私は、もちろん、弁護士業は公務ではなく、民間の自営業であるから、営利事業であることは当たり前の前提だ。また、人の一大事を扱う責任の重さ、気の重さ、専門的知識を得て維持するための努力は小さなものではないから、それに見合った報酬がなければならない、と思う。
けれども、やっぱり、他人のトラブル、すなわち他人が困っている状況、不幸な状況があるから仕事があり、そこでお金をもらうのであるから、どうしても「困っている人から、その困っていることを原因として、お金をもらう立場」であるのだ。
だから、根本的に、申し訳ない。
弁護士というのは、そういう「申し訳ない」存在である。
「申し訳ない」存在であるから、もしも社会が完全な「和」に包まれたならば、弁護士は不要である。というより、弁護士など不要な世が究極の理想である。
であるから、若い女性が超さわやかな笑顔で微笑みながら、「借金のこと、弁護士に相談してみたら?」などと語りかけてくるCMに違和感を感じる。
「人の不幸が飯のタネ」である因果な身の上のはずなのに、ピカピカの新車を売るかのうように、「ビジネスだよ。いらっしゃい!いらっしゃい!」というノリになれることが、そういう考え方・在り方もあるだろうけれど、なんというか、私の感覚では美徳だとは感じられない。
といって、私自身、弁護士が儲けることを否定する気持ちはない。
そればかりか、専門的知識を有し、一般に難しいとされる物事の判断を仕事としている以上、それに見合った報酬を得たいし、そのことで仕事を人一倍頑張って、利益もしっかりあげたいし、良い暮らしもしたい。
けれども、申し訳ないのである。
ある種の「不幸」がなければ弁護士費用を払う必要もないのであって、「わしゃ儲かってしょうがないし、幸せでしょうがないから、センセにお金たくさん払わしてもらいますわ。」という人はいない。
人の「不幸」が飯のタネ、なのは申し訳ない。
申し訳ないけれど、自分の生業だし、物事が軽いことではないから、ちゃんとお金はいただきます、という生き方が弁護士の宿命なのである。
それに過払い金だって、元々その人が「払いすぎた」利息であって、全額かえってきても依頼者の「儲け」ではない。
だから、そこから報酬をもらうのも、申し訳ない。
「仕事をしたから報酬をもらう」これは当然であるし、私もしっかりもらうが、そこに仕事があること自体が申し訳ない。
だいたい他人のトラブルに首をつっこんでそれを仕事にするなんて、要するにヤクザのすることであって、それに国のお墨付きがついているにすぎない。
自分の仕事は、人助けでもあり、必要悪でもあり、そうと知りつつ、依頼者のために職務に邁進するのが弁護士であるというのが私の考え。
職務に邁進することは究極的には、不当な力の支配がなくなる世の中の実現のためであって、それが本当に実現したら弁護士の活躍の場も殆どなくなる。
人の世が愛と義、そして和に包まれ、軍隊も不要、弁護士も不要になる世の中を目指している。
これは本気で、その理想に向けて日々努力を怠らないつもりである。
私がこの世に生を受けた以上、何事かなさんとするならば、平和と他人同士の想像力・尊敬に満ちあふれた世の中の実現だ。
核兵器による威嚇力ではなく、はたまた、理屈で相手をねじ伏せるようなことでもなく、本当の思いやりにより、この星にくらすみんなが穏やかな気持ちで、日々笑顔で、それぞれに楽しく暮らしてゆける世の中の実現だ。
その一プロセスが弁護士業だ。
言ってしまえば、憲法9条がこの星の全体で実現されることと、弁護士の廃業が夢だ。
けれど、きっと、本当に弁護士が不要な世の中に移行するときがきたら、私は、仕事面では実際には困るだろう。
極力、徹底的には困らないように、起こってしまったトラブルを扱うというどちらかといえば「後ろ向き」の仕事だけではなく、よりよい楽しい未来を創る仕事もやっていきたい。
これが、今までで言う弁護士業とはまた違ったものになるかもしれないし、もしからしたらもはや「弁護士業」の範疇ではなくなるかもしれない(あるいは、「話し家」みたいな範疇に入ったり、「コメディアン」の範疇に入ったり、「芸術家」の範疇に入ったりするかもしれない)が、「人の不幸がなければ仕事がない」という「申し訳ない」種類の仕事ではなく、幸せと笑顔の中にある人にも何かを提供し対価も支払ってもらえるようなことができないか、それを創造的に考えていきたい、と思う今日この頃である。
以前の記事http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2007-08-17で「過払い金」について書いた。
元々、法で認められていない利息を消費者金融がとっていたのだから、それを取り戻すことも良いことで、取り戻せることを広く知らせることも悪いことであるはずがない。
けれど、どうしても違和感がぬぐえない。
一つの違和感は、ついこの間まで、「ハワイいきたいなー」「じゃあ!!」みたいな軽いノリで借金を勧誘するようなCMがバンバン流れていたのに、今になって、「払いすぎた利息は・・・」とバンバン流す。
このような電波のなせる広告に翻弄される国民の立場って一体!?という違和感。
これが、果たして、直江兼続が目指した「愛」と「義」の世の中ですか!?という気持ちがぬぐえない。
そして、もう一つは、私の弁護士業に対するものの見方に関するもの。
私は、もちろん、弁護士業は公務ではなく、民間の自営業であるから、営利事業であることは当たり前の前提だ。また、人の一大事を扱う責任の重さ、気の重さ、専門的知識を得て維持するための努力は小さなものではないから、それに見合った報酬がなければならない、と思う。
けれども、やっぱり、他人のトラブル、すなわち他人が困っている状況、不幸な状況があるから仕事があり、そこでお金をもらうのであるから、どうしても「困っている人から、その困っていることを原因として、お金をもらう立場」であるのだ。
だから、根本的に、申し訳ない。
弁護士というのは、そういう「申し訳ない」存在である。
「申し訳ない」存在であるから、もしも社会が完全な「和」に包まれたならば、弁護士は不要である。というより、弁護士など不要な世が究極の理想である。
であるから、若い女性が超さわやかな笑顔で微笑みながら、「借金のこと、弁護士に相談してみたら?」などと語りかけてくるCMに違和感を感じる。
「人の不幸が飯のタネ」である因果な身の上のはずなのに、ピカピカの新車を売るかのうように、「ビジネスだよ。いらっしゃい!いらっしゃい!」というノリになれることが、そういう考え方・在り方もあるだろうけれど、なんというか、私の感覚では美徳だとは感じられない。
といって、私自身、弁護士が儲けることを否定する気持ちはない。
そればかりか、専門的知識を有し、一般に難しいとされる物事の判断を仕事としている以上、それに見合った報酬を得たいし、そのことで仕事を人一倍頑張って、利益もしっかりあげたいし、良い暮らしもしたい。
けれども、申し訳ないのである。
ある種の「不幸」がなければ弁護士費用を払う必要もないのであって、「わしゃ儲かってしょうがないし、幸せでしょうがないから、センセにお金たくさん払わしてもらいますわ。」という人はいない。
人の「不幸」が飯のタネ、なのは申し訳ない。
申し訳ないけれど、自分の生業だし、物事が軽いことではないから、ちゃんとお金はいただきます、という生き方が弁護士の宿命なのである。
それに過払い金だって、元々その人が「払いすぎた」利息であって、全額かえってきても依頼者の「儲け」ではない。
だから、そこから報酬をもらうのも、申し訳ない。
「仕事をしたから報酬をもらう」これは当然であるし、私もしっかりもらうが、そこに仕事があること自体が申し訳ない。
だいたい他人のトラブルに首をつっこんでそれを仕事にするなんて、要するにヤクザのすることであって、それに国のお墨付きがついているにすぎない。
自分の仕事は、人助けでもあり、必要悪でもあり、そうと知りつつ、依頼者のために職務に邁進するのが弁護士であるというのが私の考え。
職務に邁進することは究極的には、不当な力の支配がなくなる世の中の実現のためであって、それが本当に実現したら弁護士の活躍の場も殆どなくなる。
人の世が愛と義、そして和に包まれ、軍隊も不要、弁護士も不要になる世の中を目指している。
これは本気で、その理想に向けて日々努力を怠らないつもりである。
私がこの世に生を受けた以上、何事かなさんとするならば、平和と他人同士の想像力・尊敬に満ちあふれた世の中の実現だ。
核兵器による威嚇力ではなく、はたまた、理屈で相手をねじ伏せるようなことでもなく、本当の思いやりにより、この星にくらすみんなが穏やかな気持ちで、日々笑顔で、それぞれに楽しく暮らしてゆける世の中の実現だ。
その一プロセスが弁護士業だ。
言ってしまえば、憲法9条がこの星の全体で実現されることと、弁護士の廃業が夢だ。
けれど、きっと、本当に弁護士が不要な世の中に移行するときがきたら、私は、仕事面では実際には困るだろう。
極力、徹底的には困らないように、起こってしまったトラブルを扱うというどちらかといえば「後ろ向き」の仕事だけではなく、よりよい楽しい未来を創る仕事もやっていきたい。
これが、今までで言う弁護士業とはまた違ったものになるかもしれないし、もしからしたらもはや「弁護士業」の範疇ではなくなるかもしれない(あるいは、「話し家」みたいな範疇に入ったり、「コメディアン」の範疇に入ったり、「芸術家」の範疇に入ったりするかもしれない)が、「人の不幸がなければ仕事がない」という「申し訳ない」種類の仕事ではなく、幸せと笑顔の中にある人にも何かを提供し対価も支払ってもらえるようなことができないか、それを創造的に考えていきたい、と思う今日この頃である。
2009-11-27 17:48
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コメント(6)
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人間がいるかぎり、犯罪とトラブルを無くすことは、「浜の真砂が尽きるとも…」というようですし、そういう意味で弁護士が失業する世界を実現するには人類にとって永遠の夢だと思います。
マスコミなんて単なる広告媒体です。彼らはスポンサーさえつけば、タレントを虐待するような内容の番組を垂れ流します。そんないい加減なモノなんて気にしないで、目の前の依頼者を大切にして頂けたら良いなと思います。
by 小父蔵 (2009-11-27 23:38)
小父蔵さん
ナイス・コメントありがとうございます。
常識的には私が生きているうちに実現しないであろう夢に向けて、力を尽くしたいと思っています。
それと、最後の一文、大変ありがたいエールです。
励みにがんばってまいります。
by hm (2009-11-28 08:42)
電車・バスでよく広告みますよ。サラ金と司法書士??の広告がならんでいると笑えます。
hmさんの指摘されているようにコストがうちはとても気になります。
某一部の広告とかはなんか安易に感じます。
by ayu15 (2009-11-28 20:41)
感銘しました。nice100個くらいつけたいです。というのは、私、自分のやっていることに「居心地の悪さ」を感じている人というのにすごく惹かれるんです。「ホントはこんなことやって喜んでちゃいけないんだよなあ」と思いながら、しかしその仕事に献身している人というのは、例外なくいい仕事をします。
私が駆け出しの頃、「教員なんかいつ辞めたっていい」と言う同年代の同僚が何人かいました。でも彼等は全員いまだに教員で、しかも有能です。たぶんその居心地の悪さが仕事のレベルを上げたのだと思います。
かくいう私も仕事に関して「こんなことに血道を上げるのって間違ってるよなあ」と思うことが時々あります。私の場合は仕事のレベルは低いですが、でもそういう感覚があるといささか「甘え」みたいなものは減りますね。
この記事、法学部志望者に読ませていいっすか?てか、実は以前の債務関係の記事をこないだ借用しちゃったんです。すみません。
by shira (2009-11-28 23:40)
ayuさん
コメントありがとうございます。
あれだけの広告を打つということは、それだけの利益が見込まれるという計算があるわけです。
ただ、実は、現状「過払い」も不払い、分割・・・等が増えてきて、不良債権化しつつあり、また、もう「終わりかけ」のビジネスでもあります。
by hm (2009-12-02 16:25)
shiraさん
ナイス・コメントありがとうございます。
依頼者や依頼しようとする人も見るかも知れないブログにもかかわらず、「弁護士は居心地の悪い仕事」などと自白するような記事を書いて、果たして、こりゃどういうもんかなあ、という気もしていたところ、shiraさんのコメントのおかげで、心強い思いがしました。
関係ないですが、こないだ家族で見ていたDVDで、子どもに大人気の忍者アニメ「NARUTO」でも、ちょうど、強くて人柄も立派な忍者の先生(主人公ナルトの師匠=カカシ先生)が、「『忍び』なんて因果な存在で、決していいもんじゃない」という意味のことを言っているシーンがありました。
PS 私の文章でよければ、どうぞいつでも使ってやってください。
いいかげんな文章が多いですが、その中で、ためになるエッセンスが一つでもどなたかに伝われば幸いです。
by hm (2009-12-02 16:39)