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違法か否か、曖昧にできない一線。 [弁護士業について]

 というタイトルを出したというからには、これが曖昧になって、違法・不法に苦しむ人を逆に非難したりする例が増えていて、私は法律家としてむかついている、ということに他なりません。

 代表例は、二つの社会的ニュースと、もう一つは、私がいつもやっている先物取引悪質被害訴訟の問題です。
1 大阪府で、橋下知事に対して女性職員が立ち上がり「どれだけサービス残業していると思っているのか?」と言った件。知事は、「始業時間前の朝礼に文句を言うのはおかしい」「サービス残業に感謝している」などと発言。
2 沖縄の米兵による少女暴行事件。週刊誌やネット言論、ある新聞の論説でも、まるで少女に落ち度があるかのような記述が見られること。 
3 先物取引を舞台にする悪質な詐欺的勧誘事件について、だまされた被害者の落ち度が、過失と捉えられ、損害賠償が一部または全部認められないケースが(裁判でも!)未だにあること。

1 大阪府の例
 橋下知事は、弁護士ですから、雇い主が「サービス残業をさせる」ことがあればそれは違法であることは知っているはずです。
 ですから、女性職員からそういう話を聞いたら、「サービス残業はやめてください。残業の必要があれば、残業の命令を受けてやってください。そうでなければ定時に帰ってください。正式の残業命令をせずサービス残業を強要するような上司がもしいれば、私のところに直接言ってきてください。自主申告制であれば、かならず残業時間をきちんとつけてください。」と即座にいわなければなりません。
 また、始業時間前に朝礼をするなら、その命令を出し、手当を払ったうえでするのが当たり前です。本来契約外のことですから。
 
 この点で、特にネット世論では、橋下知事よりも、この女性職員の評判の方が悪く、「民間ではありえねーーー」「サービス残業なんてあたりまえ。始業前の朝礼に文句言えるわけないじゃん。」という非難が多いようですが、これは本末転倒。
 民間企業のコンプライアンス(法令遵守)がなっていないだけなのです。
 違法状態を「民間の常識」として捉えて、大阪府の職員にもそれに黙って従え、という人が多いのにびっくりです。
 違法に苦しむ人が同様に違法に苦しむ人の足を引っ張る、という、私のリーガルマインド(法的なものの見方)からすれば目も当てられない光景です。

 大阪府は、行政府ですから、労使関係についても民間企業の模範たるあり方を示すべきです。
 「実行力がありそう」と思われて選ばれたのが橋下知事ならば、大阪府がサービス残業を公務員にさせているなどというのは恥、期待される「実行力」で、そんな恥ずかしい状態を解消すべく尽力されたらよい、と思います。
 
 「公務の無駄を省き、効率化を図り、全員が定時に帰宅する。」  そしたら、公務員のお父さんお母さんも家に帰って子どもと一緒に夕ご飯が食べられるから「子どもが笑う」んじゃないかとおもいます。それを大阪府が率先し、大阪の民間企業もそれにならえば・・・つまり、大阪府労働局の機能強化をして「サービス残業撲滅」を実現する。そしたら、もっとたくさんの「子どもが笑う」大阪になるんじゃないでしょうか。 サービス残業のない大阪には、地方からいっぱい人が働きにくるのじゃないでしょうか? 
 私のこの日記は、橋下知事批判では決してなくて、知事の「子どもが笑う」公約実現を応援する私の提言です。
 知事には、こういうやり方で、持ち前の「実行力」「ズバズバ発言力」を使ってがんばっていただきたいものです。(その際、知事は、せっかく弁護士でいらっしゃるのだから、「違法」と「違法でない」ものの厳密な区別を今一度確認されながら物事を進めていっていただければ、と思います。)


2 沖縄での少女暴行事件

 この事件で「被害者にも落ち度がある」とか、「親のしつけが悪い」とかいうことを言うのは、この問題を社会問題として捉えて発言するならばナンセンスです。

 犯罪そのものを社会全体という視野からどう見るかを離れて、たとえば、「理想の子育て」論とか、「犯罪にあわない自己防衛方法」論とかとして語るならば、「駐留米兵にはいかに危険な人物がいるかをよく理解し、それを分かった上で行動しなければならない」「少女はもっと気をつけなければならなかった」「親がもっと、少女に、日頃から警戒するように言っておくべきであった」などといった話しはあり得るでしょう。

 社会問題としてみたときは、まず、法を犯しているかいなか?ということが曖昧にできない一線です。
 ここで米兵のしたことは明らかに犯罪であって、重大な法律違反であることは疑いありません。
 では、被害者の行動はどうですか?何か違法なことをしたでしょうか?「知らない人について行ったらダメ」という親父が娘を叱るようなことでいうことですら、この言いつけを破っても違法ではありません。
 ですから、米兵対被害者少女との関係においては、「不正 対 正」の境界がはっきりした問題ですから、「被害者に落ち度がある」などということは論外なのです。少女に行動に慎重さを欠く点が仮にあったとしても、それを利用して暴行した米兵が悪いわけで、犯罪の悪質さはちっとも変わらないのです。
 
 この犯罪と、日米安保・基地問題など我が国の安全保障のあり方の問題は、次元が違うから分けて考えるべき、という主張があります。私も、この犯罪があるからといって安全保障政策の問題に単純に一定の答えが出る問題ではない、という意味で、なるほどそうだとおもいます。
 そうだとおもいますが、この主張をする立場の人から、「少女に落ち度がある」ということを強調される人が多いのが気になります。それこそ、かえって、一犯罪と安全保障政策のあり方という「次元の違う」問題をごっちゃにしているのではないでしょうか?
 それが興じて、自分の支持する安全保障政策を是とする結論を得るためという文脈で、犯罪に苦しむ何ら法的に責められる点のない少女に無用な非難をする、違法という次元からは全く違う「至らなさ」を強調し苦しめる、という人がいるのは、私の法的センスからは耐えられないことです。


3 先物取引を舞台とする詐欺的被害において

 この場合も、まだ割と多くの裁判において、被害者に落ち度があり、それゆえ損害賠償を一部又は全部認めない、とする例がみられます。
 「過失相殺」と呼ばれるものです。

 おばあちゃんが、勧誘員にうまく言われてだまされ、断り切れずに、先物取引業者と契約してしまってお金を渡した。次々にお金を出させられたが、ふたを開けたら、「損が出た」「手数料がかかった」ということでお金は返ってこない。おばあちゃんは何が何だかさっぱりわからない。

 おばあちゃんでなくても、「○○の理由で必ず儲かる」とか言われ、しかも、色々資料も見せられ信じ込まされて、お金を出させられたが、ふたを開けてみると全然話は違って、だまされて、全部お金を取られた。

 こんな話し。

 なるほど、これを聞いたら、おばあちゃんならともかく認知症でもない普通の人なら、だまされる人もうっかりしているな、と言う感想をお持ちの方、結構多いとはおもいます。

 しかし!!「違法か否か、曖昧にできない一線」を軽視してはいけません。

 だました人 対 だまされた人   の関係を考えたら、だまされた人には何も違法はないのです。法律的に責められるようなことは何もしていないのです。

 「過失相殺」というのは代表例としては、交通事故での「この事故は6対4や」「これは10対ゼロや」というものがあります。交通事故の場合、Aさんには前方不注意があり、Bさんには左右の確認義務を怠ったという不注意があり、というような話です。どちらも、道路交通法違反の「過失」があります。
 これは本当に法的に「被害者にも落ち度」と言っていい例です。
 でも、これと、米兵の少女暴行や、先物取引の詐欺的被害は全然ちがうでしょう?

 つまり、「だまされた方に落ち度」というのは、「知らない人を簡単に信用しちゃいけません」という親父が娘を叱るようなレベルの話しであって、法的に責められるべきものじゃないのです。
 家に鍵をかけ忘れたらドロボーにはいられた。としたら、確かに、「鍵をかけ忘れ」という「落ち度」はありますが、でも、ドロボーに取ったものを返せと言えなくなる、という結論は変でしょう?それと同じことです。

 とはいえ、先物取引被害訴訟では、「取引は自己責任」という題目から、顧客が騙されているのにもかかわらず、裁判所ですら、上の「違法か否か、曖昧にできない一線」を曖昧にして、「親父が娘を叱るような」感じで「安易に人を信用した」みたいな理由で、顧客の悪質業者への損害賠償請求を制限してきたところがあります。
 
 しかし、最近は、裁判所も、割と多くの裁判所が、だんだんその考えを変えて来てくれました。
 
 大阪高裁平成18年9月15日判決は、私の言いたいことズバリで、次のように述べています。

(以下、同判決から引用  ややこしかったら読まなくてよいです。下に私が要約しますから。)
 過失相殺は,本来文字どおり過失のある当事者同士の損害の公平な分担整のための法制度であり,元来故意の不法行為の場合にはなじまないものいうべきである。
なぜなら,故意の不法行為は,加害者が悪意をもって一方的に被害者にして仕掛けるものであり,根本的に被害者に生じた痛みをともに分け合うめの基盤を欠く上,取引的不法行為における加害者の故意は,通常,被害の落ち度或いは弱み,不意,不用意,不注意,未熟,無能,無知,愚昧等対して向けられ,それらにつけ込むものであるから,被害者が加害者の思どおりに落ち度等を示したからといって,これをもって被害者の過失と評し,被害者の加害者に対する損害賠償から被害者の落ち度等相当分を減額ることになれば,加害者としては当初より織り込み済みの被害者の落ち度を指摘しさえすれば必ず不法行為の成果をその分確保することができるこになるが,そのような事態を容認することは,結果として,不法行為のやり得を保証するに等しく,故意の不法行為を助長,支援,奨励するにも似て明らかに正義と法の精神に反するからである。したがって,故意の不法行の場合,特段の事情のない限り,被害者の落ち度等を過失と評価して損害の減額事由とすることは許されない。 (引用終わり)

 
 私が簡単に言うと、
 
 先物取引業者が行った詐欺的な勧誘は、「故意」(わざと)でやっていることであって、そういう場合には、被害者に「不注意」みたいな「落ち度」があったとしても、それを悪質業者が利用して悪いとしているのだから、被害者に落ち度があるといって「過失相殺」をすることはできません。  悪質業者は全額取った金を返しなさい。

という判決なのです。
 「違法か否か、曖昧にできない一線。」を大切にしたまさに法の番人らしい良い判決だとおもいます。結論も、違法なことをして取った金は全て返せ、という、至極もっともなもの。

 
 
 さて、こうして1,2,3の三つの社会的な事象を見てきましたが、どれも共通しています。
 法的にはいいこと・悪いことが明らかなのに、それを曖昧にして、弱い側(サービス残業させられている人全般、性的暴行を受けた被害者少女、詐欺的勧誘で資産をだまし取られた被害者)に非難を向けるような風潮が未だに残っているということです。
 しかし、現在の日本社会が悪いということを言いたいのではありません。例えば、3の先物事件の判決例が進化しているように、昔よりはずっと良くなっています。
 私が言いたいのは、これが法の支配の流れであって、それによって、憲法を頂点とした法秩序のもとで、一人一人が丁寧に扱われる社会が真に実現してゆくのであり、そういうことを少しでも多くの人に意識して欲しい、ということです。
 「違法か否か、曖昧にできない一線。」を曖昧にし弱い立場の者に法的に根拠のない非難を向けることは、これに真っ向から反する、時代遅れな態度です。そういうことをしていては、自分も何かあったときに守られない、住みにくい社会へと逆行してゆくことでしょう。

 違法か否か、曖昧にできない一線。
 これを大切にし法の支配を実現することは、私たち一人一人が暮らしやすい世の中を作るためなくてはならぬということ、そういう考えを多くの人と共有したい。
 これが、私の法律家としての、3つの社会的事象に共通して思う気持ちです。
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コメント 7

ayu15

沖縄の事件は別にして、
落ち度がないと誰もがいえる程度なら、極端にいうときっとそれは他者を仮想犯罪者とみて信用しないで警戒するようなことだと思えます。
そうやってどんどん人のつながりが壊れていきそうな気がするんです。
道徳強化よりこちらを何とかならないかな~て。


by ayu15 (2008-03-19 20:20) 

mai

法的なものの見方というのを改めて教えていただいた気がします。ありがとうございます。

最近、見聞きして気になっていて、今回のテーマとも関連があるかもしれないのですが、生活保護の切り下げについての議論で、「うちはもっと低収入だけど、生活保護をもらわず暮らしている」とか「食費は毎月2万円以下にできるはず」とか、生保以下の収入でやりくりできる(うちはしている)という声があがって、「切り下げに反対するのは甘えている」という論調が出てきたように記憶しています。

これなども、人と比べてどうこういう問題ではなく、健康で文化的な生活を送るにはどのくらいの金額が必要か?というところから出発しないといけないでしょうね。

庶民同士の足の引っ張り合いだけは避けたいものです。上でayu15さんが書いておられる通り、貧困や格差によって人のつながりまで壊れそうに思います。戦後はごくごく一部の人を除いて、みんな貧しかったし、豊かになれるという希望があったからそういう問題はかえって少なかったのでしょうか。
by mai (2008-03-19 21:13) 

hm

ayuさん

 そうですね。

>他者を仮想犯罪者とみて信用しないで警戒するようなことだと思えます。
>そうやってどんどん人のつながりが壊れていきそうな気がするんです。

 確かに、「他人を信用するな」とかいうのは、法(規範)でも道徳でもないですね。悲しいけどしなければならない自衛策、というもので、そんなのばかり必要な世の中は決してよいものではない。同感です。


maiさん

 ナイス・コメントありがとうございます。
 生活保護の問題って、要するに所得の再配分の問題ですよねえ。
 だから、お金持ちの人が「低収入の人の面倒見るのいや!生活保護切り下げろ!」っていうのは、自分の利益を中心に考えたら自然な発想なのでまだ解るんです。(もちろん褒められた態度とは思いませんが。)
 一方、maiさんのあげられたような低所得者層が「切り下げもOK」というのは、本当に何で?自分が損するやん?とおもいます。
 ただ、弱い立場に追い込まれると、気持ちとして鬱積するものがたくさんになってきて、合理的判断よりも、鬱積したものをどんな形であれとりあえず晴らすみたいなことのほうがついつい優先されてしまう、というのも人の心理としてありえることでしょうね・・・ 
by hm (2008-03-20 16:14) 

ayu15

このおかしな社会風潮に「食」が要因の一つでは?となんか思うんです。http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2008-03-23#more


by ayu15 (2008-03-23 17:55) 

hm

>ayuさん

 食の内容が危ういというのはそうですねえ。自分が口にするものも、うっかりすると、得体の知れないものですもんね。
by hm (2008-03-26 12:00) 

shira

 安っぽいコメントがつけれらないほど感銘受けました。そうなんですよね、モノを語る時に、次元の違うものを無理矢理並べて「引き分けだ」みたいにしちゃいけないんですよね。
by shira (2008-04-24 21:00) 

hm

shiraさん

 ありがとうございます。
 法律は約束事であり、かつ、この例に挙げたものはいずれも、労働法にしても、性犯罪に関する刑罰法規にしても、消費者法にしても、弱いものの個人の尊厳を守る目的の法です。
 弱者が法を破るのではなくて、強者が卑怯にも法を破っている場面ですから、「どっちもどっち」という見方はあり得ないことだと思います。
by hm (2008-05-01 12:50) 

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