SSブログ

自主性を大切にすることこそが~奈良医師宅全焼事件に思う [だから,今日より明日(教育)]

 ちょっと教育のことが続きますが…。事件について。

 奈良県母子3人焼死の事件,その家の息子さんの犯行だとのことで,本当に痛ましいことだと思います。

 少年の動機などについて,今調べられているところだそうですが,報道によれば,少年は有名進学高校に通っていたが,お医者さんである父が少年に対し強制的に勉強をさせる,成績が悪いと厳しく叱るなどのことがあったようです。

 私も高校は進学校(灘高)に通っていましたが,私の知る限り,少年の置かれた状況は,有名私立進学校の子としては,だいぶ極端なケースだろうと思います。

 全国有数の私立の進学校になると,大抵は,先生も余りうるさく生徒に勉強しろとも言いませんし,宿題チェックなど殆どしません,まあ言えば「ほったらかし」ですが,良く言えば,自分で自己管理して勉強しなさい,という態度です。(注 ただし,灘は,特に,ほったらかし色が強いのかもしれません。)

 そういう学校に通わせる親も,もちろん家それぞれ,親それぞれでしょうが,大体は,ゆったりと構えています。難関私立中高に入る自体が難関なわけで,その難関を突破した実力は既に証明されているから,その先(大学入試)も,「子どもがその気になれば心配ないだろう」という感覚が一般的だと思います。だから,「勉強にせきたてる」親と言う話は殆ど聞きませんでした。

 それ以前の(主として)中学受験競争の過熱ぶりはちょっと…というのは私も個人的には思っているのですが,少なくとも,入学後は,そういう学校ほど,先生も親も,子どもの自主性を尊重し,そのなかで子どもが自然に力を伸ばし,希望する大学に合格していくものです。

 というか,高校生くらいになれば,幾ら親が「やれ」と言っても,勉強の内容も高度になっているし,嫌々やっても伸びませんよね。

 もう自主性を尊重するしか,学力を伸ばす方法もないんです。

 そして,私の考えで言えば,

子どもの人生は親のものではなくて子どものもの,

勉強するもしないも,何の職業に就くのも,子どもの好きずき,

親の背中を見せるのもいい,親の意見を言うのも良い,

けれども,子どもが自分で選び取らなければ,結局何も意味はない,

というのが当たり前だけれども最も大事なことだと思います。

 

 上のことは,高校段階だけではなく,基本的には,小学生の時から,いいえ,幼児の時から,全て当てはまると私は信じています。

 親,教師,そのほか教育に関わる全ての人が,

子どもの人生は誰のものでもない,彼ら自身のものだ,

子どもの学びたい,知りたいという本来的な欲求を,損なわず,それに私たち大人は精一杯応えてやるだけだ(これが学力を伸ばすミソ),

子どもが自分でやりたいと思うことにしか大した意味はない,

ということを肝に銘じなければならない,と思っています。

 

 だから,例えば,子ども自身が本心から「ボクは灘中に入るんだ!」とやる気になってやる中学受験は意味があるから賛成しますが,親が「灘中か,甲陽かには必ず入りなさいよ!(←だいたいこの場合,目標も○中というより,「偏差値いくつくらいの学校群」になります。)」といってやらせる中学受験には反対です。

 今回の事件の少年は,やりたくないことをやらされてきたのかな…,無理を強いられてきたのかな…,という感じがします。お父さんも,出発点は子どものため,であったろうのに,何という痛ましい…。

 今回のような痛ましい事件が起こらないようにするには…という点について,報道のような動機の推理が正しいとして言えば,

「心の教育」をするなどということではなく,

ただ単純に,

子どもの自主性を大切にしてあげること

に尽きるという感想を持ちました。

 

  


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

トラックバック 0