大学入試改革考~国立大は数学の文理別をやめよ [だから,今日より明日(教育)]
今日は受験「数学」の話です。
「数学大っ嫌い!!」という方には,この記事よりも前に以前の記事
きっと元気になる!「微分」の魔法~新・高校生の皆さんへ
https://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2017-03-13
を読んでいただければ,「数学」は数字や式ばかりの無機質なものではなく,愛と夢あふれる物語をつくるものだとおわかり頂けるでしょう。
さて,その上で本題に入ります。
私の所属する「弁護士」の世界では,昔と違って,進路志望としての「弁護士」人気が下がっている,と言われて10年以上になります。
一方で,私の出身校である灘高校でも,昔と比べて,「文系」志望の割合が低下している,と言われています。
前者の「弁護士」人気低下の原因には,確かに,2000年以降司法試験合格者が急激に増えて,司法試験には合格しやすくなったけれども,資格を取っても「食える」とは限らない状態になったということが大きいのは間違いありません。
ただし,「弁護士」にはこのような特殊事情があるとはいえ,「弁護士」だけではなく「文系」全体の志望割合も低下していることも確かです。
この傾向は良くないと私は思っています。
端的に言えば,高校の時点で「勉強ができる」という人がみな医師を目指してしまう,ということはやはり社会全体としてみてもったいないように思います。
もちろん,私は,医師になった同級生たちを頼もしく思っていて(実際色んな事を相談したりしています),彼らが医師になってくれていて良かった,それは私のために良かったというだけでなく,人々の助けになると思っています。
が,けれども,昔以上に「勉強ができる」人がこぞって医師になるのは行き過ぎで,他の分野にも広がったほうが良いと思っています。
※ ここで「勉強ができる」といえば若干抵抗のある人もいると思いますが,要するに,「頭が切れてやる気もある」若者が,医師だけで無く他の分野,また,「文系」職業にも広く行き渡ってほしい,ということです。
今,昔ほど「文系」の職業に魅力がないというのですが,弁護士の仕事そのものには「やりがい」はあります。
ただ,昔ほど,弁護士であれば誰でも高収入になるというわけではない,というだけです。
経済的な安定でいえば医師の方が強い,と一般にはいわれています。
さて,私の今日の提案は,大学入試の「数学」についてです。
「数学」の入試について,文系・理系の区別を廃止すべし 特に,国立大(東大・京大など)は廃止すべし
もちろん,そもそも入試科目に「数学」がない場合は別ですし,AO入試のようなものは全く別の話です。
が,国立大レベルで「数学」があるなら,文理の区別はいらない,というのが私の意見です。
大人になってからは余り関係のない話になるのですが,受験生のときは,やはり他人との比較を気にする人が多いです。
「偏差値」などは最たる例です。
高校生のときに,私は,「皆が医者になるなら,私は別の道を」という天邪鬼な選択を敢えてしました。それは,つい他人と違うことをしたがる私の性格からです。でもこんな進路選択をする人は少数派です。
ただ,実際そんな私でも,文系選択をして,3年生で明確にコースが分かれた後は,特に「数学」についてはある種の「怖さ」を感じるようになりました。
どういう「怖さ」かといえば,自分をスポイルする怖さ,です。
余力は十分にあるのに,微分積分の進んだ単元などは「やらなくて良い」ことになり,今で言えば,「数学Ⅲ」は無しで,「数学Ⅱ・B」の範囲までだけの入試ということになったときに,「楽でよい」というだけではなくて,「なんで文系は『楽』をするのか?」と疑問に思いました。
もちろん,入試に出ないにしても,灘など進学校の多くでは,文系の生徒もある程度「理系数学」の単元をやります。ただ,やっぱり3年の受験期になれば,もう試験範囲外の勉強はやらなくなってしまいます。
ここで,「理系数学」「文系数学」が分かれることによって,
理系は厳しい,文系は楽
という図式が出来てしまいます。
そうすると,向学心がある人ほど,「文系にいくのは勿体ない」と思ってしまうのです。
そこで,私の提案は,
東大・京大など国立大は入試の「数学」を文理共通,一本にする
ということです。
そうすれば,進学校の生徒にとって,
文系を目指したとしても,「数学」は医学部生と同じ土俵で勝負することになる
ということになります。
それでも合格ラインは法学部より医学部の方が高いでしょうが,試験を単品でみれば,
東大の数学(今でいう「理系数学」)で8割,10割正解〔なら,医学部も極めて合格濃厚でしょう〕の法学部生
というのも誕生するのです。
そんな人がいてもよい,いや,そういう人が文系に来てほしい,また,文系にいく人も「理系数学」を学んで高校生のうちに頭の訓練をしたほうがいい,という風に思います。
正直「文系数学」の場合は「理系数学」に比べて格段に易しいので,スキージャンプに例えれば,ゲート位置が高すぎてすぐにヒルサイズ(ジャンプ台のこれ以上飛べないという距離)に達してしまう,という現象が起こります。
文系の学部でも,数学は一番差がつきやすいので,「理系」科目が得意な生徒が「文系」学部を受験した場合は,他の科目がダメでも楽々合格してしまう,ということが起こります。
ですが,それはその生徒にとっては余りに余力を残し過ぎで,タメにはならないように思います。
最近,灘高校の先生2名ほどに別々の機会に私の「(東大京大だけでも)大学入試数学の文理区別をやめるべし」案を話してみたところ、理想としてはそれがいいという反応でした(もちろん私と違って現場におられるので、すぐにそうせよとまでの意見ではないでしょうが)。
また、先生方も「文系志望者も増えてほしい」という気持ちを持っておられました。
「近頃の若いもんは」といわれますが,現代の生徒は,私たちのとき以上に真面目で,向学心もあります。
灘や開成はじめとする進学校の生徒なら特に「根は」真面目ですから,進路選択のときに「文系」という「イージーモード」(もちろん異論はあるでしょうが,現状,高校生・受験生の立場を考えると理系との比較上イージーモードです)を選ぶことそのものに抵抗がある,という人は多いのです。
だから。
「文系」入試を「イージーモード」にしない受験改革 が必要だと思います。
そもそも,
東大や京大を受験するレベルの人たちに対して,文系だからと言って,「数学」を易しくする必要がありますか?
「数学」を文系・理系に分ける合理性がありますか? ということは大いに疑問です。
確かに,私(弁護士)の仕事では,数学の高度な計算は普段使いません。
ですが,医師だとしても,日頃,微分積分や大学で学ぶ数学を使って仕事をしていますか?大多数はそうではないでしょう。
結局,大学入試における「数学」というのは一種の「思考訓練」なので,「文系」だから範囲を減らして良い,という合理性は全くないのです。
頭も身体も若いときに(伸びやすいときに)できるだけ伸ばしておく,ということがベストであることに変わりはありません。
つまり,私の意見の趣旨は,
(大学受験の場面における)「医学部」上位,「理系」上位という図式をなくそう
というところにあって,そのカギの一つが,
「数学」の文理区別を無くす
ではないか,ということにあります。
高校生,受験生に対して,
「偏差値」「難易度」「(世間で言う)序列」を気にするなんてつまらない
「行きたいところ(学部)」に行けばいいじゃないか
というのは確かに「正論」です。
ですが,人みんなが「誰がどう見ようと,『これが私の生きる道』」と進める人ばかりではありません。普通は人目や,親の目が気になるものです。
「文系」選択したら,「数学」「理科」ができない奴と思われそう
ということを気にして,「文系」選択をやめてしまう生徒は意外と多いと思います。
さて,話はそれますが,以前,出張講座の関係で灘校を訪問したときのこと。
下級生が「俺数学苦手なんすよ,文系頭なんで」と言っているのに対して,上級生が「自分で文系頭・理系頭という言い方はやめたほうがいいよ」とアドバイスしていました。
それを聞いて,「本当に素晴らしい先輩だ」と思いましたし,こういうことを先輩が後輩に言える文化が灘にはずっとあるんだなあ,と思って感動しました。
日常何気ない場面で「自分の可能性を決めつけるな」と先輩がアドバイスする。さすが,夢と愛あふれる学校だと思います。こういう先輩の一言によって,下級生のその後の学びも違ったものになっている可能性も大いにあると思います。
「理系」数学であっても「文系」数学であっても,そもそも数学など,四則演算(+-×÷)と論理則の積み重ね,進学校の生徒が「取り組みさえすれば」誰でもできるのです。
逆もまた真なりであって,「理系」だから「小説の読解が苦手」というものではありません(人によります)。
学校で出てくる「科目」など数学,物理であっても,国語,英語,日本史であっても結局「およそ人の業」であって,「理系」頭も「文系」頭も初めから関係ありません!
結局,
学部の区別は意味があるけれど,「理系」「文系」の区別は雑すぎて意味が無い
と思います。
そんなわけで,私は,
センター試験に「記述式」を入れること
よりも
数学の「文系」「理系」区別をやめる
大学入試改革を提案します。
これで,
進学する生徒の高校での学びがより豊かになる
「文系」職業(司法界含む)を希望する人たちが増える
(頭が切れてやる気溢れる若者が今よりも沢山来てくれる)
ことに繋がると思います。
また,数学の先生方に今こそ立ち上がって,「『理系』数学は一部の人のためのものではないよ」と伝えて欲しい,とも思います。
「数学大っ嫌い!!」という方には,この記事よりも前に以前の記事
きっと元気になる!「微分」の魔法~新・高校生の皆さんへ
https://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2017-03-13
を読んでいただければ,「数学」は数字や式ばかりの無機質なものではなく,愛と夢あふれる物語をつくるものだとおわかり頂けるでしょう。
さて,その上で本題に入ります。
私の所属する「弁護士」の世界では,昔と違って,進路志望としての「弁護士」人気が下がっている,と言われて10年以上になります。
一方で,私の出身校である灘高校でも,昔と比べて,「文系」志望の割合が低下している,と言われています。
前者の「弁護士」人気低下の原因には,確かに,2000年以降司法試験合格者が急激に増えて,司法試験には合格しやすくなったけれども,資格を取っても「食える」とは限らない状態になったということが大きいのは間違いありません。
ただし,「弁護士」にはこのような特殊事情があるとはいえ,「弁護士」だけではなく「文系」全体の志望割合も低下していることも確かです。
この傾向は良くないと私は思っています。
端的に言えば,高校の時点で「勉強ができる」という人がみな医師を目指してしまう,ということはやはり社会全体としてみてもったいないように思います。
もちろん,私は,医師になった同級生たちを頼もしく思っていて(実際色んな事を相談したりしています),彼らが医師になってくれていて良かった,それは私のために良かったというだけでなく,人々の助けになると思っています。
が,けれども,昔以上に「勉強ができる」人がこぞって医師になるのは行き過ぎで,他の分野にも広がったほうが良いと思っています。
※ ここで「勉強ができる」といえば若干抵抗のある人もいると思いますが,要するに,「頭が切れてやる気もある」若者が,医師だけで無く他の分野,また,「文系」職業にも広く行き渡ってほしい,ということです。
今,昔ほど「文系」の職業に魅力がないというのですが,弁護士の仕事そのものには「やりがい」はあります。
ただ,昔ほど,弁護士であれば誰でも高収入になるというわけではない,というだけです。
経済的な安定でいえば医師の方が強い,と一般にはいわれています。
さて,私の今日の提案は,大学入試の「数学」についてです。
「数学」の入試について,文系・理系の区別を廃止すべし 特に,国立大(東大・京大など)は廃止すべし
もちろん,そもそも入試科目に「数学」がない場合は別ですし,AO入試のようなものは全く別の話です。
が,国立大レベルで「数学」があるなら,文理の区別はいらない,というのが私の意見です。
大人になってからは余り関係のない話になるのですが,受験生のときは,やはり他人との比較を気にする人が多いです。
「偏差値」などは最たる例です。
高校生のときに,私は,「皆が医者になるなら,私は別の道を」という天邪鬼な選択を敢えてしました。それは,つい他人と違うことをしたがる私の性格からです。でもこんな進路選択をする人は少数派です。
ただ,実際そんな私でも,文系選択をして,3年生で明確にコースが分かれた後は,特に「数学」についてはある種の「怖さ」を感じるようになりました。
どういう「怖さ」かといえば,自分をスポイルする怖さ,です。
余力は十分にあるのに,微分積分の進んだ単元などは「やらなくて良い」ことになり,今で言えば,「数学Ⅲ」は無しで,「数学Ⅱ・B」の範囲までだけの入試ということになったときに,「楽でよい」というだけではなくて,「なんで文系は『楽』をするのか?」と疑問に思いました。
もちろん,入試に出ないにしても,灘など進学校の多くでは,文系の生徒もある程度「理系数学」の単元をやります。ただ,やっぱり3年の受験期になれば,もう試験範囲外の勉強はやらなくなってしまいます。
ここで,「理系数学」「文系数学」が分かれることによって,
理系は厳しい,文系は楽
という図式が出来てしまいます。
そうすると,向学心がある人ほど,「文系にいくのは勿体ない」と思ってしまうのです。
そこで,私の提案は,
東大・京大など国立大は入試の「数学」を文理共通,一本にする
ということです。
そうすれば,進学校の生徒にとって,
文系を目指したとしても,「数学」は医学部生と同じ土俵で勝負することになる
ということになります。
それでも合格ラインは法学部より医学部の方が高いでしょうが,試験を単品でみれば,
東大の数学(今でいう「理系数学」)で8割,10割正解〔なら,医学部も極めて合格濃厚でしょう〕の法学部生
というのも誕生するのです。
そんな人がいてもよい,いや,そういう人が文系に来てほしい,また,文系にいく人も「理系数学」を学んで高校生のうちに頭の訓練をしたほうがいい,という風に思います。
正直「文系数学」の場合は「理系数学」に比べて格段に易しいので,スキージャンプに例えれば,ゲート位置が高すぎてすぐにヒルサイズ(ジャンプ台のこれ以上飛べないという距離)に達してしまう,という現象が起こります。
文系の学部でも,数学は一番差がつきやすいので,「理系」科目が得意な生徒が「文系」学部を受験した場合は,他の科目がダメでも楽々合格してしまう,ということが起こります。
ですが,それはその生徒にとっては余りに余力を残し過ぎで,タメにはならないように思います。
最近,灘高校の先生2名ほどに別々の機会に私の「(東大京大だけでも)大学入試数学の文理区別をやめるべし」案を話してみたところ、理想としてはそれがいいという反応でした(もちろん私と違って現場におられるので、すぐにそうせよとまでの意見ではないでしょうが)。
また、先生方も「文系志望者も増えてほしい」という気持ちを持っておられました。
「近頃の若いもんは」といわれますが,現代の生徒は,私たちのとき以上に真面目で,向学心もあります。
灘や開成はじめとする進学校の生徒なら特に「根は」真面目ですから,進路選択のときに「文系」という「イージーモード」(もちろん異論はあるでしょうが,現状,高校生・受験生の立場を考えると理系との比較上イージーモードです)を選ぶことそのものに抵抗がある,という人は多いのです。
だから。
「文系」入試を「イージーモード」にしない受験改革 が必要だと思います。
そもそも,
東大や京大を受験するレベルの人たちに対して,文系だからと言って,「数学」を易しくする必要がありますか?
「数学」を文系・理系に分ける合理性がありますか? ということは大いに疑問です。
確かに,私(弁護士)の仕事では,数学の高度な計算は普段使いません。
ですが,医師だとしても,日頃,微分積分や大学で学ぶ数学を使って仕事をしていますか?大多数はそうではないでしょう。
結局,大学入試における「数学」というのは一種の「思考訓練」なので,「文系」だから範囲を減らして良い,という合理性は全くないのです。
頭も身体も若いときに(伸びやすいときに)できるだけ伸ばしておく,ということがベストであることに変わりはありません。
つまり,私の意見の趣旨は,
(大学受験の場面における)「医学部」上位,「理系」上位という図式をなくそう
というところにあって,そのカギの一つが,
「数学」の文理区別を無くす
ではないか,ということにあります。
高校生,受験生に対して,
「偏差値」「難易度」「(世間で言う)序列」を気にするなんてつまらない
「行きたいところ(学部)」に行けばいいじゃないか
というのは確かに「正論」です。
ですが,人みんなが「誰がどう見ようと,『これが私の生きる道』」と進める人ばかりではありません。普通は人目や,親の目が気になるものです。
「文系」選択したら,「数学」「理科」ができない奴と思われそう
ということを気にして,「文系」選択をやめてしまう生徒は意外と多いと思います。
さて,話はそれますが,以前,出張講座の関係で灘校を訪問したときのこと。
下級生が「俺数学苦手なんすよ,文系頭なんで」と言っているのに対して,上級生が「自分で文系頭・理系頭という言い方はやめたほうがいいよ」とアドバイスしていました。
それを聞いて,「本当に素晴らしい先輩だ」と思いましたし,こういうことを先輩が後輩に言える文化が灘にはずっとあるんだなあ,と思って感動しました。
日常何気ない場面で「自分の可能性を決めつけるな」と先輩がアドバイスする。さすが,夢と愛あふれる学校だと思います。こういう先輩の一言によって,下級生のその後の学びも違ったものになっている可能性も大いにあると思います。
「理系」数学であっても「文系」数学であっても,そもそも数学など,四則演算(+-×÷)と論理則の積み重ね,進学校の生徒が「取り組みさえすれば」誰でもできるのです。
逆もまた真なりであって,「理系」だから「小説の読解が苦手」というものではありません(人によります)。
学校で出てくる「科目」など数学,物理であっても,国語,英語,日本史であっても結局「およそ人の業」であって,「理系」頭も「文系」頭も初めから関係ありません!
結局,
学部の区別は意味があるけれど,「理系」「文系」の区別は雑すぎて意味が無い
と思います。
そんなわけで,私は,
センター試験に「記述式」を入れること
よりも
数学の「文系」「理系」区別をやめる
大学入試改革を提案します。
これで,
進学する生徒の高校での学びがより豊かになる
「文系」職業(司法界含む)を希望する人たちが増える
(頭が切れてやる気溢れる若者が今よりも沢山来てくれる)
ことに繋がると思います。
また,数学の先生方に今こそ立ち上がって,「『理系』数学は一部の人のためのものではないよ」と伝えて欲しい,とも思います。