交通事故訴訟から考える~今ある人を大切にする責任ある社会を [くらしと安全(交通事故その他)]
私は、交通事故の損害賠償請求事件を多く受任しています。
殆どは、被害者側の弁護です。
交通事故に遭った場合、相手(加害者)が保険に入っていてくれることは基本的にありがたいことです。入っていなければ、加害者にお金がなければ、補償を受けられないこともありますから。
しかし、加害者側保険会社の提示額が、低すぎるために裁判をしなければならない、というケースが多いのです。そういう事件を多く担当しています。
「低すぎる」というのは、例えば、事故の状況が真実はどうであったのか?ということに争いがある、と言うような場合は仕方ないのですが、事実関係等に全く争いのない場合であっても、裁判での平均水準と保険会社の提示額が大きく違うということがあるのです(実際は多いのです)。
ですから、裁判をしないということが即、明らかに「泣き寝入り」である、という事故・事件が多数あります。
こういう事件を取り扱ってそれを収入にしている身ではありますが、私は、保険会社が裁判前から「裁判水準」で呈示をするべきだと思っています。
そうすれば、多くの人が裁判をせずに早く損害賠償金をもらえます。事故からの立ち直りも早くなります。
私の仕事は減りますが、仕方ないでしょう。不要な紛争はないのが合理的な社会です。もっと言えば、社会にシステム的な不合理がなくなって、弁護士なんて今の半分もいらなくなれば、それは良い社会です。弁護士が倍に増えて大活躍する社会なんて、そこで暮らすこと自体、私はマッピラです。
交通事故だけでなくて、色んな分野で、そんな合理的な良い社会が実現でき、弁護士が不要になったら、私は喜んで廃業して、小学生のための算数教室でも開いて暮らそうと思っています。
話がそれました。
この交通事故の問題、しかし、実は、保険会社が悪いというだけの問題ではないと思っています。というか、保険会社が黒幕ではない、と思います。
これは社会全体の在り方の問題です。
一言で言えば「前がかりの無責任クルマ社会」の問題です。
説明しましょう。
まず「今は、保険会社が裁判基準よりも低い賠償金を呈示するから、その分、個人個人が払う保険料が安く抑えられている」という事実は押さえておかなければなりません。そのことによって、多くの人が、お金があまりかからずクルマが持てるのです。
交通事故被害に遭う人(これは全体から見れば少数です)の泣き寝入り
↓
保険料安い
↓
多くの人が安価で車を持てる、車が売れる
↓
車中心の社会の発展、産業の発展(20世紀型の産業発展)
こういう仕組みです。これが、「不運な被害者に払うべきものを払わず、泣き寝入りさせる」という無責任を容認して、全体としては、社会・産業の進歩を達成してゆくという、「前がかり無責任クルマ社会」です。
一方で、もし保険会社が最初から裁判基準通りの賠償金を呈示するようになったら?を考えましょう。
保険会社が被害者に裁判基準通りの賠償金を払う
↓
保険会社の支出は増える
↓
保険料は高くなる
↓
ドライバーの財布が厳しくなる
↓
クルマを持てない人が増える、クルマの販売台数が落ちる
↓
クルマ中心の産業発展は停滞する(※でも、私は、オバマではありませんが、20世紀型クルマ産業社会から転換しなければ!と思う。)
あら~~…
しかし、私はそれでもなお、保険会社が当初から(裁判前から)被害者に裁判基準通りの賠償金を払うべきだ、と思います。
なぜなら、それが(少なくともそれより低い金額で泣き寝入りする人が居るよりは)正しい社会の在り方だからです。
もっといえば、現に交通事故被害にあった人を泣き寝入りさせることは、あってはならないことだからです。
ドライバー全体の財布、クルマの売れ行き、産業の発展よりも、被害にあって、例えば不幸にも亡くなられた人、あるいは、後遺症に苦しむ人そのひとのかけがえのない命や人生のほうが遙かに大事だからです。
泣き寝入りする人の犠牲のもとに、産業や文明の進歩の速度を上げるべしとするものの考え方は、無責任なギャンブル社会を生み出します。
そりゃあ、100年前よりも今の暮らしの方が便利です。便利な世の中に生まれてよかったなあ、とも思います。
一方で、そればかり言い出すと、100年後はもっと便利だろうし、それと比べれば、今の時代に生まれた自分は不便で不幸だ、ということにもなってしまいます。
そんなこと言ったって仕方ない。自分がこの時代に生まれたのはもう変えられないんだから。
だから、自分も含めて、今を生きる1人1人を大切にして暮らすのがよい、と思います。
私は、自動車に乗る人は、それに見合う責任を負担するべきだと思いますから、保険料が今よりも高くなっても構わないと思います。
それによって、仮に自分が乗れなくなっても構わないと思います。
元々、もっと車は「乗り合い」を有効利用して、色んな意味でエコにやれるはずだ、と思っています。
「偽善」に聞こえるかも知れませんが、善のつもりでは元々なくて、仮に自分が逆の立場になったとき、交通事故被害にあったときに気持ちよく裁判基準で払ってもらえる社会の方が安心できる、というのが私の価値観だからです。
保険会社に厳しいことを言いました。
しかし、私は、実は、保険会社を応援したい。
すなわち、車の自賠責保険(一部の賠償だけをする強制加入保険)だけではなくて、任意保険(損害全額を補償する保険。当然保険料は高い。)も強制加入にすべきだと考えています。
車に乗る以上、事故を起こして他人に迷惑掛けたら全額払える責任を負うのは当然だからです。
このこと自体は保険会社の契約増に直結しますから、保険会社各社も大いに賛成してくださるはずです。
1人のアンラッキーを全体でカバーするのが保険の元々の発想、だから保険契約は大切なものです。保険会社は大切な存在です。
20世紀、急速に前がかりで、「無責任」にも目をつぶって走り続けてきた過去は過去として、今ここで立ち止まって、足元を見直してから、21世紀はもっと着実に、今ある1人1人が大切にされながら、一歩一歩すすんでゆける社会にしていくべきだと思っています。
殆どは、被害者側の弁護です。
交通事故に遭った場合、相手(加害者)が保険に入っていてくれることは基本的にありがたいことです。入っていなければ、加害者にお金がなければ、補償を受けられないこともありますから。
しかし、加害者側保険会社の提示額が、低すぎるために裁判をしなければならない、というケースが多いのです。そういう事件を多く担当しています。
「低すぎる」というのは、例えば、事故の状況が真実はどうであったのか?ということに争いがある、と言うような場合は仕方ないのですが、事実関係等に全く争いのない場合であっても、裁判での平均水準と保険会社の提示額が大きく違うということがあるのです(実際は多いのです)。
ですから、裁判をしないということが即、明らかに「泣き寝入り」である、という事故・事件が多数あります。
こういう事件を取り扱ってそれを収入にしている身ではありますが、私は、保険会社が裁判前から「裁判水準」で呈示をするべきだと思っています。
そうすれば、多くの人が裁判をせずに早く損害賠償金をもらえます。事故からの立ち直りも早くなります。
私の仕事は減りますが、仕方ないでしょう。不要な紛争はないのが合理的な社会です。もっと言えば、社会にシステム的な不合理がなくなって、弁護士なんて今の半分もいらなくなれば、それは良い社会です。弁護士が倍に増えて大活躍する社会なんて、そこで暮らすこと自体、私はマッピラです。
交通事故だけでなくて、色んな分野で、そんな合理的な良い社会が実現でき、弁護士が不要になったら、私は喜んで廃業して、小学生のための算数教室でも開いて暮らそうと思っています。
話がそれました。
この交通事故の問題、しかし、実は、保険会社が悪いというだけの問題ではないと思っています。というか、保険会社が黒幕ではない、と思います。
これは社会全体の在り方の問題です。
一言で言えば「前がかりの無責任クルマ社会」の問題です。
説明しましょう。
まず「今は、保険会社が裁判基準よりも低い賠償金を呈示するから、その分、個人個人が払う保険料が安く抑えられている」という事実は押さえておかなければなりません。そのことによって、多くの人が、お金があまりかからずクルマが持てるのです。
交通事故被害に遭う人(これは全体から見れば少数です)の泣き寝入り
↓
保険料安い
↓
多くの人が安価で車を持てる、車が売れる
↓
車中心の社会の発展、産業の発展(20世紀型の産業発展)
こういう仕組みです。これが、「不運な被害者に払うべきものを払わず、泣き寝入りさせる」という無責任を容認して、全体としては、社会・産業の進歩を達成してゆくという、「前がかり無責任クルマ社会」です。
一方で、もし保険会社が最初から裁判基準通りの賠償金を呈示するようになったら?を考えましょう。
保険会社が被害者に裁判基準通りの賠償金を払う
↓
保険会社の支出は増える
↓
保険料は高くなる
↓
ドライバーの財布が厳しくなる
↓
クルマを持てない人が増える、クルマの販売台数が落ちる
↓
クルマ中心の産業発展は停滞する(※でも、私は、オバマではありませんが、20世紀型クルマ産業社会から転換しなければ!と思う。)
あら~~…
しかし、私はそれでもなお、保険会社が当初から(裁判前から)被害者に裁判基準通りの賠償金を払うべきだ、と思います。
なぜなら、それが(少なくともそれより低い金額で泣き寝入りする人が居るよりは)正しい社会の在り方だからです。
もっといえば、現に交通事故被害にあった人を泣き寝入りさせることは、あってはならないことだからです。
ドライバー全体の財布、クルマの売れ行き、産業の発展よりも、被害にあって、例えば不幸にも亡くなられた人、あるいは、後遺症に苦しむ人そのひとのかけがえのない命や人生のほうが遙かに大事だからです。
泣き寝入りする人の犠牲のもとに、産業や文明の進歩の速度を上げるべしとするものの考え方は、無責任なギャンブル社会を生み出します。
そりゃあ、100年前よりも今の暮らしの方が便利です。便利な世の中に生まれてよかったなあ、とも思います。
一方で、そればかり言い出すと、100年後はもっと便利だろうし、それと比べれば、今の時代に生まれた自分は不便で不幸だ、ということにもなってしまいます。
そんなこと言ったって仕方ない。自分がこの時代に生まれたのはもう変えられないんだから。
だから、自分も含めて、今を生きる1人1人を大切にして暮らすのがよい、と思います。
私は、自動車に乗る人は、それに見合う責任を負担するべきだと思いますから、保険料が今よりも高くなっても構わないと思います。
それによって、仮に自分が乗れなくなっても構わないと思います。
元々、もっと車は「乗り合い」を有効利用して、色んな意味でエコにやれるはずだ、と思っています。
「偽善」に聞こえるかも知れませんが、善のつもりでは元々なくて、仮に自分が逆の立場になったとき、交通事故被害にあったときに気持ちよく裁判基準で払ってもらえる社会の方が安心できる、というのが私の価値観だからです。
保険会社に厳しいことを言いました。
しかし、私は、実は、保険会社を応援したい。
すなわち、車の自賠責保険(一部の賠償だけをする強制加入保険)だけではなくて、任意保険(損害全額を補償する保険。当然保険料は高い。)も強制加入にすべきだと考えています。
車に乗る以上、事故を起こして他人に迷惑掛けたら全額払える責任を負うのは当然だからです。
このこと自体は保険会社の契約増に直結しますから、保険会社各社も大いに賛成してくださるはずです。
1人のアンラッキーを全体でカバーするのが保険の元々の発想、だから保険契約は大切なものです。保険会社は大切な存在です。
20世紀、急速に前がかりで、「無責任」にも目をつぶって走り続けてきた過去は過去として、今ここで立ち止まって、足元を見直してから、21世紀はもっと着実に、今ある1人1人が大切にされながら、一歩一歩すすんでゆける社会にしていくべきだと思っています。
2009-02-27 15:57
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コメント(4)
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クルマが1台でも走れば事故は必ず起きるし、事故が起きれば必ず補償問題が発生するのですから、補償が万全であるのは本来クルマ社会の前提条件だと思います。hmさんの主張にはほぼ全面的に賛成です。
1つ加えるとすれば、日本はクルマに対する税金がやたらと高い国です。かつて徳大寺有恒が「税金の塊が税金を燃やして走っているようなもの」と言ったのがこの国のクルマの実態です。私は相当にクルマ好きな方ですが、それでもモータリゼーションの気楽な推進には抵抗が大きいです。少なくとも日本では、クルマ1台持つのは子ども1人養うほどの大事業です。
金融恐慌でトヨタ始めとするクルマ産業が揃ってダウンしてる理由の一つはここにもあると思います。
by shira (2009-02-27 22:00)
これこそ、被害者救済かも。
保険料あがるでしょうね。
産業に影響するので、企業のコストが上がるので、商品価格にも反映されるかもしれませんけど。
by ayu15 (2009-03-03 19:06)
shiraさん
ナイス・コメントありがとうございます。
クルマに関する税について、例えば、郡部の人とか、子どもがいる家とか、そういう条件毎にきめ細かなものにするのがよい、と思います。本当に必要な人は、経済的負担小さく持てるように。
by hm (2009-03-05 15:09)
ayuさん
ナイスコメントありがとうございます。
その通りです。不運にも被害を負った人だけに我慢をさせるのはよくない、でもそれをきちんとする負担を私たち社会全体が覚悟しなければならない、ということだとおもいます。
by hm (2009-03-05 15:12)