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「人気バブルと袋だたき」法則 そして 今こそ「KY力」を! [時事ニュースから]

 今日は、最近は定番となってしまった感のある「人気バブルと袋だたき」法則について、記事を書く。

 倖田來未さんの「35歳になればお母さんの羊水が腐る」発言以降のバッシングをきっかけとして。

 

 「人気バブルと袋だたき」法則とは?これ私の命名した「法則」。結構当たり前のこと、だと思う。

 まず、ある人の人気が高まる。

 人気が高まるのはいいが、高まりすぎることがある。特に、マスコミ等によって必要以上に注目されたり持ち上げられたり、またCM等の露出がしつこいくらいに繰り返される。

 そうすると、「人気バブル」状態になる。

 そういうとき、国民一人一人の目から見れば、「そんなにいいと思わないけどなあ」「ちょっと飽きてきた」「もうええんちゃう?」という感覚が生じている。なのに、メディアの扱いは、それとは離れて、どこのポスターを見てもその人気者がしつこく登場する。

 メディアでの露出度ほどには、本当は、一人一人の国民が支持しているわけではない、というのが「人気バブル」状態。

 このとき、「バブル」は常にはじけたい、という潜在的なパワーを持っている。

 すなわち、このとき少なくない人が「今は人気者として扱われているけれど、何かあったら叩いてやろう」という潜在的な気持ちを持っているのである。

 そして、例えば「失言」や「不祥事」を契機に、人気者が一転、袋だたきにあう。「バブルの反動は袋だたき」である。

 

 私は、倖田來未さんの無知をそこまでバッシングするようなことではない、と思う。あの年齢でそういう無知をさらしたこと自体本人にとって恥だろうが、「それは違うよ」と誰かが言えば十分なことではないだろうか。

 そもそも、私は、倖田來未さんが、自分で曰く「顔のかわいい妹と比べて自分はブサイク。やっぱり顔が全てか?」とくじけそうになりながらオーディションを受け続け努力してスターになった、そういう根性とかパワーを立派だと思っている。という反面、もともと(これも最近はやりの)「品格」など別に誰にも求められていなかったろうし、爽やかとかそういうタイプの人ではない、とされてきたわけだし私も多数の視聴者の1人としてそういう風に見てきた。

 で、私からすれば、キューティーハニーやバタフライなどの曲で元気に歌っている姿はそれなりにいいと思ったが、タカラcanチューハイの宣伝や携帯電話のポスターでも目にするまでいくと正直食傷気味だった。(すいません、倖田來未さん。だから、私も潜在的に「いつか倖田來未叩きたい」組の一員だったとおもう。きらいなわけじゃなく、どちらかいえば応援していたしアルバムも車のBGMにしていたが、最近さすがにあちこち出すぎやなあ、みたいな・・・)

 

 でもーーー。あんなに本人も「反省」「謝罪」「自粛」っていわなければならないような、そんなことか?と思う。厚生労働大臣が言ったとか首相が言ったとか、そういうことじゃないんだから。たかが倖田來未の発言やん、って、何で思われへんの?(倖田來未さんに失礼な言い方だけど、私はそれくらいにしか思わなかった。)

 

 最近の「袋だたき」の前段階ともいえる「人気バブル」状態っていうのは、市民の一人一人の目線での正直な思いと世間一般の「空気」にズレが生じてしまうのに原因があるわけ。

 私は違うと思うけどなー 何となく「空気」が●●万歳となるから、私一人違うとは言いにくいなー 

 こんな状態。マスメディアとかの扱いにも大きな原因がある。

 ここに社会の大きな病理があると私は思う。空気≠本当の人の思い、に。

 

 こういうのは今に始まった事じゃないけど。

 「多数の狂気」などは全てこれじゃないかな?「いじめ」とかもそう。いじめに加わっている又は傍観している人は本当は「そんなの嫌」と思っている人が多いだろう。

 

 だからこそ、狂気の世の中にしないためには「KY力(空気読めない力)」が必要なのだ!!

 空気なんか読めているようじゃ何にもできない。

 「空気嫁」「空気読め」でみんな同調して進んでいったその先はどうなるか?宮沢賢治の「注文の多い料理店」みたいな、お馬鹿さんな事をみんなでやる世の中になるんじゃないか?

 斉藤たかしさん傷害致死事件(力士死亡事件)だって、異常な「空気」によって起こった悲劇。そこに「KY」など1人もいなかった(存在が許されなかった)のだろう。もしそこに(外に通報するくらいの)強力な「KY」がいたなら、と思う。

 

 いや、そんなこと言ってもどうしてもKYCHA(K空気Y読めCHAちゃう、私の造語)な私達には、空気を読んだ上で敢えてぶち破る力が必要。

 そう「KYAB力」(k空気をy読んだ上でa敢えてbぶち破る力、の略。これも、私の造語。)が世界を変える!

 

 そもそも、弁護士などは「KY」が命の職業。

 どこへ行っても空気を読んでその場が気まずくならないように振る舞う弁護士って何の役に立ちます?

 多数を敵にしても主張すべきを主張するのが在野の法曹の存在意義。それに、多数がなんと言おうと正しいことは正しいと信じてモノ言うのをやめたら、何のための弁護士?

 

 話は飛ぶが、連休に宝塚歌劇「黎明の風」を見てきた。侍ジェントルマン・白州次郎の物語。マッカーサーにもひるまずモノを言った「おっとこまえ」だとか。

 「男が惚れる男」ってことだけど、マッカーサーは白州を「従順ならざる唯一の日本人」と評したそうな。

 それって、つまり白州が日本人に珍しい「KY(空気読めない)」だ、ということに他ならない。(もっとも「空気」に逆らえない病は、日本人に限らずどこでも起こることだが。)

 白州次郎が「KY」(又は「KYAB」)でなければ、いまごろ、タカラヅカの演目にはなっていまい。

 

 倖田來未の話からえらく飛んだような感じがあるが、そうでもない。

 最近すぐに何かあるとだれかを「袋だたき」みたいになる。亀田大毅の例だってそう。ライブドア堀江社長、村上ファンドだってみなそうだろう。

 でもその前には、大抵、「人気バブル」があって、それは、作られた「空気」が、人々の本当の気持ちと離れている状態

 この作られた「空気」ってのが曲者だ、ということ。

 それで、ようわからん「空気」に支えられた「バブル」が何かの拍子に弾けたら、鬱憤晴らしみたいにバッシング、バッシングなんて、品のない野蛮なことになる。そんなのって恥ずかしい、と私は思う。それじゃまるで自分がないみたいだ。

  

 そんな品のない野蛮なことになる前に「空気」が変ならお上品にぶちこわそうぜ!!ってのが、「KY力」の真骨頂

 

 ですが、真性KYならばナチュラルに実現可能だが、「空気読めちゃう(KYCHA)」私たちの場合、「KYAB力(空気を読んだ上で敢えてぶち破る力)」を発揮するには勇気がいる。

 「空気が読めちゃう」うえに気弱な私もそれは苦手。

 だから、偉そうなことを言っていても中々自分だけではやっぱり「空気ぶちこわす」発言をしようとすると、心臓バクバクだし、なかなか思い切れないことが多い。

 でも、「KY(空気読めない)力」又は「KYAB(空気を読んだ上で敢えてぶち破る)力」が世の中には必要だと、そういう目でモノを見ていく人が一人でも多くなるだけでも違う、と思う。

 誰だって臆病。でも、臆病ながらに「KY力」(「KYAB力」)をちょっとずつでも発揮して、「空気」じゃなく、本当の思い、本当の他人への思いやりで進んでいくように、そんな心地いい居場所を自分の身の回りから作っていきたい、と思っている。

 

追記:そばから、「なぁ~んか、一見いいこと言っているようだが、おまえの場合は、なんぼなんでも、もうちょっと空気読めよな、迷惑するんだよな。」という声が聞こえてきます。が、それに素直従ったのでは、私が私である意味がない。許せ、日々迷惑しているであろう周りの人たち。いや、本当許してください・・・ペコリ 


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ayu15

納豆・横綱・光事件の弁護士、次の獲物は・・・?世の中全体が大事だ!なんていうのに、これみんな全体みてない気が・・・。

全体見るとこみないで、個々をもっと見るものには全体ばかり見る傾向の気がします。

小泉さん人気・ライブドアみんなどこか関連してるような印象です。
by ayu15 (2008-02-12 22:36) 

 生物の世界では、多様な個体をもった種の方が優れているのだそうです。なぜなら、みんながみんな同じだと絶滅しやすいから。例えばある一定の環境でないと生きられないような種は、気候変化などで環境が大きく変化すると即絶滅です。しかしもしその種の中に他の環境を好むヒネクレ者がいれば、その個体が生き残って種を残してくれます。オスとメスの交尾というのも、遺伝子を混ぜ合わせて多様な個体を作るという利益があるのだそうです。
 生物の世界では、均質集団はもろくて劣性な集団なんです。
 みんながみんな同様に行動するKYな社会というのは、絶滅しやすいもろい社会なんじゃないでしょうか。社会が生きながらえるには「KYAB」な人が絶対に必要だと思います。私もそうでありたいです。
by (2008-02-13 21:59) 

hm

ayuさん

 なんかみんな同じ方向に流れるって単純に怖いですよねえ。
 でも、一人ひとりの言っていることは、「空気」と違ってすごくまともだったりするから、私は世の中を覆う「空気」とか目に見えぬ同調圧力みたいなものが怖いなあ、と思うことがよくあります。
 
by hm (2008-02-13 23:45) 

hm

shiraさん

 いつもナイスとコメントありがとうございます。
 そうですそうです。
 価値観の多様性がなくなれば社会は滅びる、ってのが、民主主義の根底にある思想ですもんね。
 
 みんな自分が本当に思っていることを我慢せずに口にしてみよう!全てはそこから始まるんじゃないか、ってな風に思います。
 好き勝手言えている様で実際いえてないですからね。大事なことほど。意外と。
by hm (2008-02-13 23:49) 

tamara

「倖田來未さん」て知らないのですが・・。(実はKYという新語もつい2ヶ月ぐらい前にやっと知ったようなわけで)
「空気読めない」という意味で、気楽に使われている造語だと知ったときは唖然としました。
状況が適切に判断ができない、とか、物事を見誤っているとか、とは全くちがう次元なのですね。他人にどう思われるかが一番大事と思っている人が使っているのでしょうね。そう考えている人達の空気を読むことに、一体何の意味があるでしょう。自分が正しいと思っていることをするしか道はないのに、と私は思いますが。
by tamara (2008-02-19 00:21) 

hm

tamaraさん

 KY(空気読めない)ということばは実は結構やっかいで、中身が色々なんです。

 他人の気持ちへの想像力が足りない、という文脈でも、「KY」は使われます。が、何となく支配している空気に逆らうものを乱暴に「KY」呼ばわりするのにも使われます。

 もちろん、上の前者はたしかに非難されてしかるべきことだし、後者はそうとも限らないという性質のことです。
 が、それらは「KY」でごっちゃごちゃです。

 そして、「KY」ということばを使う人の思考の中でもごっちゃごちゃになってしまわないか、という危惧を抱きます。

 だから、曖昧でごっちゃごちゃな「KY」「空気読め」ではなくて、誰々さんの立場にたって考えてみましょう、とか、ちゃんとした(意味内容のわかる)言葉で話しをした方が良い、というのが私の問題意識です。
by hm (2008-02-21 13:03) 

ayu15

心の科学シンポジウムで、興味深いものがありました。KYや叩きなどと日本文化の心理学などの考察です。
そのうち、気力があれば載せようと思います。
by ayu15 (2008-03-01 21:32) 

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