廣田照幸教授「ケチな改革が教育をダメにする」(日経ビジネスオンライン) [だから,今日より明日(教育)]
教育改革問題について,とても,冷静で合理的な論考を見つけましたので紹介します。http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070612/127133/
聞き手役の斎藤哲也さんはこう言います。
(引用)
広田先生は、当時も現在も教育基本法改正反対論者ですが、その理屈が面白い。
世の多くの反対論者が口走りがちな「日本を軍国主義にするつもりか」という論調に対して、先生は「そんなふうにはなりませんよ」と冷静に語っていました。そして、基本法改正が想定している国家像や愛国心は「時代遅れ」なのだ、と一刀両断。
「この人はタダの抵抗勢力じゃないぞ」と思って、あれこれインタビューすると、「教育に期待しすぎてはいけない」とか「13歳のハローワークは早過ぎる」とか、常識の逆を行くプラグマティックな「教育論」が次々と繰り出され、教育報道の空騒ぎぶりに辟易していた僕は、溜飲の下がる思いをしたのでした。
昨年の教育基本法「改正」問題。
私は,強く反対しました。
反対した理由は,ともかく「これでは本当に賢い子は育たない」「正しいか間違っているかもさることながら,これでは上手くいかない」「馬鹿なことをするな!」ということでした。
私と同じく教育基本法改定反対論の立場からよく「軍国主義復活のための教育基本法改悪に反対!」という言い方がよくされましたが,上のサイトでの廣田教授の立場と私の考えは近く,私もそういう言い方に違和感を感じていました。
「軍国主義」「戦争」のための教育基本法改悪反対! というのは,いかにも政治的左派のスローガンに聞こえます。左派で何が悪いねん?という反論もごもっともかと思いますが,私は,論戦のライン設定が間違っていると思ったのです。
つまり,無党派層はもちろん,政治的「右派」または保守派の基本的な価値観から考えても,昨年の教育基本法「改正」は賛成できないものだ,ということを強く訴えたかったのです。
日本における「保守派」「保守層」とは何でしょう?
単純に言って,旧自民党(今民主党に移った人も広く含んでいたころの自民党)支持者層が中心だとおもいますが,なぜ,長らく多くの国民が自民党を支持していたかと言えば,
「ソ連や(かつての)中国や北朝鮮のような国はいやだ。自由と民主主義がいい。みんなが自由な創意工夫,知恵を働かせて,豊かになってゆく日本が良い。」
という気持ちからだったに違いないのです。
なのに,教育基本法「改正」はどうだったでしょうか?
「国を愛する態度」などの「徳目」っぽい「態度」をみんなにとらせるように学校をピシッとさせれば,みんなが自由な創意工夫,知恵を働かせて豊かになってゆく日本が発展していくでしょうか?
逆に,自由社会を守ろうと思い「(旧ソ連や北朝鮮のような)共産化」への警戒から自民党を支持してきた人たちの思いとは逆方向に進んでいく「改正」だったのではないでしょうか?
経済活動でも教育でも,上から統制するのではなく,現場の自由な活力がより豊かな発展につながるのが自由主義社会の理念じゃないのでしょうか?
自民党は,支持者の自由を愛する思いを裏切った。私にはそう思えてなりませんでした。
じゃあ,どうしたら,みんなが日本社会を豊かにしてゆく知恵,創意工夫をする能力を得られるような教育が実現するのか?
この「どうしたらうまくいくのか?」又は「今うまくいかないことがあるとすれば何が原因か?」という,現実面にズバッと斬り込んでおられるのが廣田先生です。
「ケチな教育改革」じゃだめだ。本当にそう思います。
規範意識が必要だと,そういうことは私も全く否定しませんし,国を愛することはいいことだと思います。私も私なりに国を愛しているつもりです。
ですが,基本的な読み書き・計算や論理的な能力を全ての子に行き渡らせること,そして,物事を色んな方向から見て自分の頭で考える賢い子に皆がなること,これが全ての基礎であって,そのための条件や環境がなければ,なにも上手くいかないでしょう。
もっと言えば,逆に,国が,あーだこーだ一生懸命躍起になって「教育再生」だの何だの言わなくても,国はラクしていても国民自らが自然な思いの中で子どもの学び・育ちを支えて,豊かな日本を発展させてゆくような教育環境を作ることに知恵を絞り,それに必要な金をかけるほうがずっと賢いのです。
簡単に言うと,今の政府流の「教育改革」は,要領が悪い,のです。
「(国政は)がんばったからと言って,がんばり方が間違っていたら意味がないばかりか有害。」
誰しもが肝に銘じるべき大切なことです。
さて,「戦争する国づくり」や「軍国主義教育のための教育基本法改悪」という言い方はアカンと上で言いましたが,確かに,「自分の頭で物事を判断する賢さ」を多くの国民が失ったとしたら,うっかり判断を間違えて戦争になってしまうかもしれない,という意味では,決して間違ってはいません。
知的能力が育たず表面的な「頭スカスカの愛国心」だけが蔓延していったら「国をあげての愚行」が多くなるし,その最たるものは確かに「戦争」でしょう。
ですが,「戦争」に限らず,とにかくまず「頭スカスカの国になる」というのが先であり,そっちが本質だと思っています。
なので①教育基本法「改正」→②「徳目」っぽい態度はとるが,自分の頭で考える賢さのない国民が多くなる→③判断間違えてうっかり戦争に突入するかも ということをきっちり説明することなしに,いきなり「戦争するための教育基本法改悪」と言われても,(そういう表現に慣れている)政治的左派ではない人からすれば,「意味わからん」としかいいようがないのじゃないかと思ったのです。
教育基本法「改正」に反対したから,私自身世間からは「左派」と見られているでしょう。私は,左派とでも右派とでも何と呼ばれても構いませんが,ともかく,私も「軍国主義になる教育基本法改悪」というのはピンこない表現に思えていました。
「頭スカスカの国になる教育基本法改悪に反対しよう。」の呼びかけのほうをもっと広めたかったです。
・ 教育予算を出さない→教育環境に無理がある→能力が思うように育たない(特に貧困層)
・ 判断能力(基礎的論理力,言語力など)がないところに「愛国心」→頭スカスカで(意味は分からないけど短絡的に)「愛国」「愛国」とだけ叫ぶ人
こんな国が「美しい心」に支えられた社会になるはずがありません。犯罪も減りません。規範意識もないがしろにされつづけるでしょう。
こんな資源もない小国が「頭スカスカの国」になったら終わりではありませんか?
知恵がなければ日本の発展は有り得ないのではないですか?知恵と科学と創意工夫,また,何かをとことん究めようとする精神,これが日本を発展させてきたのではありませんか?
そっちが先で,そんな国として発展してゆくなら,誰でも自然と国や郷土を愛すると思いますが?
国や郷土を大切にしないことが「徳目に反する」からでも「法律に反する」からでもなく,大切にした方が自分や家族の幸せに繋がるから,大切にするほうが賢いから,というだけの当たり前のことです。
それが本当の意味で「美しい心」や規範意識を育てる「王道」に違いないと私は思うのです。
ともかく,上の廣田先生の論述は,とても内容がありますので,皆さん御参照ください。
教育基本法のことでは私は熱くなります。
昨年12月のあの日(教育基本法「改正」された日)以来,
「知が血を流しつづけ,その傷口は塞がれないばかりか拡大している」
と考えています。
それを軌道修正することこそが「待ったなし」の課題だと考えています。
冷静で合理的なもの読むとほっとします(笑い)売国奴・戦争遂行者・朝鮮の手先なんていうのは見飽きました・・。
画一的で決められた事ですすめると自分で考える能力落ちますよね。
教育には自分も人も「生きる」ことを学んでいく(理論でなく)必要もあるかと思いました。子供トイレで死なせるとか悲劇を防ぐためにも。
by ayu15 (2007-07-20 13:41)
広田氏は2000年に朝日新聞に掲載された「メディアと「青少年凶悪化」幻想」(『教育には何ができないか』春秋社に収録)という記事を目にして以来のファンです。
私が広田氏を信頼する最大の理由は、まず現実を正確に見ることから始めるという姿勢です。
どんな物事でも、まずは現実を正確に見ることから始めなければならないのに、教育(とスポーツ報道?)は実にいい加減です。
現実認識が不正確であれば、どんな提案もダメに決まってます。不正確な土台の上にきちんとした提案が出せるはずもありません。
こんな基本的なことを21世紀にもなってわざわざ言わねばならないのも切ないことですが。
by (2007-07-20 23:13)
>あゆさん
>画一的で決められた事ですすめると自分で考える能力落ちますよね。
>教育には自分も人も「生きる」ことを学んでいく(理論でなく)必要もあるかと思いました。子供トイレで死なせるとか悲劇を防ぐためにも。
同感です。
私のとても尊敬する人に、「術」(計算力など)と「学」(思考する学問)と「観」(ものの考え方、生き方も)が、無理なく育てられる必要があると説いた昔の算数数学の先生がいます。
by hm (2007-07-21 22:58)
>shiraさん
「教育には何が出来ないか」
私も買って読みました。
教育の守備範囲というもの自体を冷静に見つめなおすこと、近時の言説がそれを良く考えず何でもかんでも今の教育のせいだ、とすることの異常ぶりを鋭く指摘した広田先生の論考はとても私のもやもやを晴らしてくれた気がします。
by hm (2007-07-21 23:00)
子ども目線で,「学習基本法」というほうがいいのではないかという意見もいただきました。この発想は私も大いに賛成です。
今の憲法判例・子どもの権利条約等でも、「教育」より先に、子ども自身の「学び」の権利・学習権がある、という考え方になっていますよね。
あくまで、学ぶ主体=子ども(の学習する力)」にスポットを当てないと上手くはいかないのは当たり前だと思います。
私自身も、「教育基本法」という法律の名前をもし変えるのならば、「学びの基本法」「学習権保障基本法」という名称のほうがよいのではないかととある政党に意見したことがありました。
ここから先は、全くの私の個人的考え方ですが、眠たい一斉授業は減らして「自学自習」方式(と教師の個別サポート)をもっと取り入れれば、「授業についていけない子」も「授業が簡単すぎてつまらない子」ももっとストレスなく学習できるんじゃないか、と思ったりしています。
こうすれば「成績でクラス分け」などの選別など別にしなくてもすむし、また、個人個人みんな違う能力や個性・ペースに合わせた学習ができるんじゃないかなあ、と。
by hm (2007-08-07 10:58)