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「専門性」に惑わされるな!~取引被害訴訟事件 [消費者事件]

 去年末のブログ記事は,教育基本法中心の法改正問題の内容が多く,たしかに「法律」ですが,「お前はホンマに弁護士として事件をやっとるんか?」という疑いをかけられそうな状況でした。しかし,事件はやっておりましたし,今もやっています。

 さて,私が多く取り扱っている事件の中に,「先物取引被害訴訟」があります。

 「先物取引」だけに限りませんが,①必ず儲かるというような宣伝文句で,いわゆる「投機的取引」に応じるように顧客に勧誘して,顧客からお金を預かり,②預かった後はそのお金を返さずに出来るだけ業者の利益にしようとするタイプの消費者被害を扱う事件です。

 簡単に言えば,「儲け話にのせられて,騙されてお金を出さされて,返ってこない」事件です。詳しくは以前のブログ記事参照してください。http://blog.so-net.ne.jp/h-m-d/2006-05-18

 この手の事件について,最近思うことがあります。

1 先物取引被害訴訟は,本当に「専門的」事件か?

 これは,一般に「専門的」訴訟と言われ,その「専門」の弁護士がやり,「専門的」な事件として裁判所も審理に時間をかける,ということをしてきました。

 そして,私の場合,最近5年間くらいこの手の事件を扱い,全国の弁護士グループで研究し,研究会にも出て,神戸証券・先物被害研究会http://www5f.biglobe.ne.jp/~sqkobe/index.htmlの事務局長を現在しています。

 その中で,最初のころに「ひょっとしてこれは…?」と思いながら,勉強・研究および事件処理を続けてきて確信に至っていて,これからもきっと変わらないだろうということがあります。

 それは…

こんな事件は,「専門的」事件ではない

ということです。

 つまり,「専門」事件と言われる理由は,取引が「先物取引」とか専門的な取引だから,ということですが,事の本質は,

先物取引の専門的な部分によってお客が損をした

ということではなく,あくまで,

「必ず儲かる」「任せておきなさい」などと言って,先物取引の専門的な部分を扱うようなことを自力ではできない顧客からお金を預かり,また,取引の「ハンドル」も預かり,損を出させた

さらに,

むやみにたくさんの取引を行って「手数料」にして業者の儲けにしてしまった

事件なのです。

 つまり,先物取引において,専門的とされる,

相場を読む,細かい計算をする,専門的な手法を選択する

ということについては,顧客がお金もハンドル(主導権を業者に渡して「任せてしまった」ことの比喩です)も預けたあとの「後の祭り」に過ぎないし,顧客にとっては所詮「わけのわからん」話にすぎないのです。まあ言えば,本質とは「関係ない」話です。

2 「専門的」って言うな!~本質を曇らせる「専門的」取り扱い

 しかし,一応「取引」という見た目の事件ですが,ついつい,裁判所も弁護士も,

「専門的」取引事件だから,専門的に考えてみる必要がある

と考えてしまいがちで,訴訟が長くなったり,あるいは,不毛な先物取引一般論についてたくさんの書面の応酬をしてしまったりして,迷宮入りしてしまう傾向があります。一般には,当の被害者である「客」の目線(「わけわからんままに丸裸にされた」という)は,訴訟の場でも置いてけぼりになりがちです。

 しかし,たまに,当事者である,被害者,顧客までもが,ついうっかり

専門性の罠にズンズン足を踏み入れてしまうケース

があります。こちらは事件解決に最も危険なパターンで,先物取引に関する違法勧誘の被害にあったあとで初めて調べて,インターネットなどで得た怪しげな知識を当事者がフル活用してしまい,

専門的な難しい先物取引の内容について「業者のやり方がおかしい」ということを詳しく述べようとしてしまうケース

で,これは,裁判所が,

このお客は自分で十分によく分かって取引をやっている投機家だ

と勘違いしてしまう危険性に繋がってしまいます。そう勘違いされたとき,顧客には非常に酷な内容の判決になることに繋がります。「頑張りすぎが,さらなる損に繋がる」もっともかわいそうなパターンです。(もちろん,もし仮に,そんな兆候が在れば,私が代理人ならば依頼者に注意を申しあげますが,しかし,「(怪しげなものであっても)『知識』を得たばかり」の時に人はついつい「披露したい」欲があるのが自然の情で,これは大変危険なことです。)

3 専門的な部分を勉強する真の意味は?

 とはいえ,私も,被害救済のために,先物取引訴訟や先物取引の仕組みや専門用語について5年くらい勉強してきたわけなので,被害救済にあたる弁護士が「勉強しなくていい」というわけにいかないのですが,

専門的な部分を勉強するのは「専門性」の見た目に惑わされないために勉強する

単純な事件だという本質を理解するのに,それを曇らせるエセ「専門性」を取り除くために勉強する

ということなのだ,というのが私の意見です。

 これは,考えてみれば,先物取引被害訴訟に限らず,一般に「専門的」と言われる分野の多くに通用する原理だと思います。

4 楽に,真面目に考えて 

 ですので,先物取引被害に遭われている方や(僭越ですが)被害相談を受ける他の弁護士さん,取引被害事件を担当する裁判官の皆様にお願いですが,

「難しい」事件だと考えないで下さい

「なぜ顧客が相手に(返ってこなくなる)お金を渡してしまったのか」「何を言われてお金を渡したのか」だけを双方の当事者の立場に立って気持ちを想像しながら考えてみて下さい

と言いたいと思います。

 そうすれば,妥当な解決が見え,むやみにたくさんの書類の山もできず,早期に解決し,人にも地球にも優しい事件の解決に繋がりやすいはずだと私は確信しています。


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コメント 2

つくい

なるほどなあ。
確かにそう言われて,目が覚めたような気がします。
「悪いことは悪い」
「悪いことしたんだから弁償しなさい」
ということでいいのでしょうね。確かにそうだわ。

もっと多くの人が取り組むべきですよね。これって。
by つくい (2007-01-13 10:52) 

hm

>つくい先生

 実は、こないだの本(「先物取引と過失相殺」民事法研究会 平田弁護士ら著)の輪読会のとき、ある先生が、
「これは、『取引』の事件じゃないでしょ。『取引』の事件として訴状を書くのは違和感がある。だまされてお金を渡してしまった経緯についての、人それぞれの事情を訴える事件じゃないかと思う。」
という趣旨のことを言われていたことが、この日記の元になっています。
 それと、日ごろの自分自身の反省もこめて…
 つくい先生が言われるように、非常に単純な、ことの本質を、いかに上手く伝えるか…、先輩弁護士の皆さんの成果に学びつつも、まねするだけでなく、自分なりの頭で考えて工夫して事件処理に励んでいきたいとおもっています。
by hm (2007-01-13 23:51) 

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