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調停委員とけんかしてはダメ~調停を冷静に進めるために2~ [法律案内]

 私のブログのアクセス数で最もアクセスの多い記事は、
「調停委員が相手の肩ばかり持つ!?」~調停を冷静に進めるために~                     http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2012-03-15
です。
 
息抜き記事である、「私の灘中受験記」http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2013-04-30
を上回っています。
 
 弁護士ブログとしては、実にうれしい傾向です。

 そこで、今回は、調停に関する記事の続編を書いてみます。

 調停というのは、

家庭裁判所の案件  遺産分割、離婚など

簡易裁判所の案件   民事(貸金、家の賃貸、交通事故その他色々)

です。私の扱う件数で言えば、調停事件は家裁のものが多いと思います。
 
 今回はタイトル通りで、調停を行う場合、特に弁護士をつけず本人で行う場合に気をつけることです。
 本当に気をつけなければなりません。

 前の記事でも書いたとおり、調停はその仕組み上、「調停委員が相手の肩ばかり持つ」ように見えるものなのです。
 仮に、調停委員が、両当事者のどっち寄りでもなく、全くのど真ん中だったとしても、当事者にとって不利な事実を指摘して譲歩するように言ってくるものなので、当事者からすれば「相手の肩ばかり持つ」ように思えるものです。

 さらにいえば、「全くのど真ん中」というのは珍しいです。
 たとえば、ここに1枚の紙があって、真っ二つに破って下さい、と言われたとしても、どちらか一方が多少は大きくなるように、調停委員が「公平」「どちらにも偏らず」と努めても「全くのど真ん中」にはならず、多少は「どちらか寄り」になってしまうことはあります。

 そこで特に、どちらかいえば「調停委員の雰囲気が自分にとって良くない」と感じる側が注意しなければならないことです。
 調停委員の言うことについて納得できないので、ついつい、カッとなって調停委員に食ってかかってしまったり、調停委員を非難したりしてしまうことがあります。
 
 もちろん、自分の意見を主張することは良いのです。紛争を解決する調停ですから、自分の主張をちゃんと言わなければはじまりません。
 ですが、「するべき主張をする」のと、してはいけない「攻撃」「非難」とを分けないと得になりません。
 
 例を挙げます。例えば、遺産分割の調停だったとしましょう。

 「するべき主張をする」 
 本題である遺産分割の内容に関係することを主張することは、ちゃんとすべきです。
・ 亡くなったお父さんには○○の財産があった。
・ 遺産のうち、○○市にある不動産の評価額は○○円になる。
等々のことです。

 してはいけない「攻撃」「非難」 
 本題を外れて、調停委員に対して
・ 「なぜあなたは相手の肩ばかり持つのか」
・ 「あなたはちゃんと記録を読んでいるのか」
・ 「あなたは前は○○と言ったのに、話が違うじゃないか」
などなどです。
 
 なぜいけないかというと、簡単に言えば、
「戦う相手を間違っている」
からです。

 サッカーなどのスポーツにたとえて言うならば、相手選手と戦わず、レフェリー(審判)と戦うようなものです。

 調停委員は、裁判官とともに、調停の運営をする側です。
 いわば、試合のレフェリー(審判)に近い立場、あるいは、運営者の立場です。

 自分にとって十分な働きではない、と仮に感じていたとしても「自分と相手の紛争を解決するために協力してもらわなければならない存在」であることに違いないのです。

 調停委員はその立場上、あなたの完全な味方になる、ということはあり得ません。
 が、しかし、紛争を解決するための「協力者」にはなってもらえる存在なのです。
 「協力者」となってもらいたい人を攻撃、非難してしまっては、損を重ねることになってしまいかねません。

 調停委員の事件への取り組み方に不満がある場合でも、腹立つときでも、ぐっとこらえるのが冷静な調停の進め方です。
 たとえば、ちゃんと記録を読んでもらっていないと感じるときなどでも、
 「あなたは記録を読んだのですか!?」
などと言われれば、誰しも良い気分はしません。それで、一気に相手の味方になってしまう、というわけではないにせよ、悪い印象を与えては得をしません。

 たとえば、こんなときでも「前回の期日で提出した私の書面でも書かせていただいたのですが」と前置きして、丁寧に自分の主張すべきことを主張しましょう。
「遺産の土地の評価額については、前回、不動産業者の査定を出させていただいておりまして、それによると…」
などと話し出せば、調停委員の方から
「あっ、すみません。ちゃんと出されていたのですね。未だ見ておりませんでした。」
という風に言ってもらえて、雰囲気が良くなることもあります。

 などと言っても、「ユーザーの目線」で家庭裁判所などに行って調停に臨むと、調停委員に対しても、
「プロなんだから、ちゃんとしてよ」
「もっときっちりやってよ」
という気持ちになるかも知れません。
 確かに、一種のプロには違いないのですが、現状、日本の調停委員はボランティア的な立場に近いのが実情です。要するに、調停委員をすることによって十分な給料をもらっているわけではないのです。
 多くは本業がある合間に奉仕的な立場で調停委員を務めているわけです。
 このことについては過去の記事、
 調停委員とは何者か? http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2012-10-04
で書きました。
 調停委員をみるとき、サービス業をする人と見ると間違いの元です。
 ボランティア的な立場でやってくれている、ということを頭に置いておいたほうがいいです。

 一言に要約すると、調停委員に対しても、
「ありがとう」の気持ち
を持って臨むのが、上手く調停に臨むコツです。
 たとえ納得いかないときでも、心のどこかで「ありがとう」の気持ちを持つ。

 これは、実は、弁護士を依頼するときでも、医者にかかるときでも、教育を受けるときでも、外食するときでも、1番自分が得をするためのコツだと思います。
 ここ私は道徳的な心構えを言いたいわけはなく、それが1番得をする、という実際のことを言っています。

 ですが。
 実を言えば、弁護士である私であっても、調停委員と思わずけんかをしそうになるギリギリの心境になることが多々あります。以前の記事でも書いたとおりです。
 やっぱり紛争に関することです。扱うことが切実ですから。
 でも、けんかしそうになる感情をぐっと、ぐっっぐっとこらえて、できるだけ笑顔で、
「先生(調停委員のこと)の御指摘もご趣旨は分かりますが、前々から申し上げているとおり…の事情がありまして」
と、雰囲気をこわさずに主張すべき点を主張する、のが仕事と思ってやっています。 

 調停の待合室などで、私も依頼者の方に、「私も調停委員さんのあの言い方はちょっとどうかと思います。でも、調停委員が言いたいのはこういうことだと思う・・・。」などと話をすることも多いです。
 


 言うなれば、調停で弁護士を依頼することの意味の1つがこういうところにもあるわけです。
 その際、笑顔が引きつっているかも知れませんが、しかし、それが仕事というものです。
 けんかしてぶち壊しては弁護士の仕事になりません。
強く主張して怒った態度を取るときもありますが、その結果どうなる、という計算をするのが仕事です。

 調停は、弁護士をつけずとも本人で出来る仕組みになっているのですが、冷静に運ぶのが難しいときが多いのです。
 
 そのひとの社会経験や性格によって、冷静に運ぶのが上手い人も中にはいます。
 法律相談で、「私自分で調停をやっているんだけど」という話を聞いて、その中身も聞いて、私が「うん。あなただったらこのまま自分で続けていけば大丈夫ですよ。」という場合もあります。

 しかし、例えば仕事などでとても有能な方でも、調停を冷静に運ぶことには苦労されることも多いです。
 逆に言えば、とても頭のいい人であるために、調停委員の話を聞いても、
「なんでこんな簡単な理屈が分からないのか!」
となってしまうこともあるのです。
 調停委員よりも自分の方が頭の回転が速い、それがために、もどかしく感じてしまったりする人がいるのです。頭が良すぎるのも調停の場面では苦労の源になったりするようです。
 
 私たち弁護士と違って、滅多に調停などに臨むことはないわけですから、まして、紛争の当事者ですから、イライラしたり違和感を感じたりするのは当然のことです。
 そんなわけなので、とにかく、イライラしやすい場面だと想定した上で、
「審判と戦ってはダメ」
というのを心の片隅において調停に臨む、のが大事なポイントです。

 この記事が、調停を冷静に進める、できるだけ納得いく調停の進め方になる一助になれば幸いです。
 個別の調停に関するご相談は、私の所属する事務所(神戸シーサイド事務所http://www.kobeseaside-lawoffice.com)にお願いします。

                                              弁護士 村上英樹
 
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シルベーヌ

大切なことですね。勉強になります。
by シルベーヌ (2014-09-03 06:26) 

shira

 「戦う相手を間違っている」ってのは正鵠ですよね。ホントに自分に有利に話を進めたかったら、調停委員を味方につける方が戦略としても正しいわけですから。
 私はあまり自分と接点のない親御さんにはよく「学校の先生はうんとホメてやった方が自分の子どもの利益につながりますよ。間違っても先生の悪口を言っちゃいけません。これは子どもの前でもダメです。子どもが先生の言うことを聞かなくなって心象を損ねます。」てなことを言います。正論とかしつけじゃなくて、作戦として先生は立てておいた方が何かと便利で有利なんですよ。
by shira (2014-09-03 23:01) 

hm

シルベーヌさん
 コメントありがとうございます。

心如さん
 ナイスありがとうございます。

shiraさん
 ナイス・コメントありがとうございます。
 世の中、つい言いたくなるのが先生の悪口、ってものですが、shiraさん仰るとおり、それを言って現実に得をするとは考えられないですもんね。
 その学校の先生から学ぶものが全く無いと思うならそもそも学校行かなければいい。
 が、行く以上は学ぶものがあると考えて行くわけだから、少しでも自分(や子)が学びやすい環境・状況を作ることに意識を向けた方が得、というわけですね。
 
by hm (2014-09-04 09:54) 

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