どの程度の認知症が後見相当か? [くらしと安全(交通事故その他)]
先日、私が属している成年後見問題に関する研究会に行ってきました。
認知症について医師の方からのお話しを聴くのがメインでした。
認知症の診断についての具体的なお話しや、成年後見に関連して、本人の家族から成年後見申し立てのための「診断書」を書いて欲しいと頼まれたときの医師の立場や、家庭裁判所から成年後見に関する「鑑定」を依頼されたときの実際など、知りたかったことがたくさん聴けました。
さて、ここからは、法律家の領域の話になります。
成年後見制度についてよく質問されるのが、タイトル通り、
「どの程度の認知症(あるいは知的状態)になれば後見になりますか?」
ということです。
この程度というのを判断するのに数値があれば一番よいということで、いわゆる「長谷川式」(改定長谷川式知能評価スケール。HDS-R)などの認知症の簡易評価テストなどが着目されたりします。
このテストは、3つの言葉を覚えて言えるか、100から7をどんどん引いていって答えが言えるかなどの、幾つかの質問をして点数を出すものです。
この「長谷川式」の点数というのもそれなりに重要な要素ではあるのですが、ただ、「成年後見の状態かどうか?」という判断そのものは、点数によって決まる、というわけでもありません。
最高裁判所が医師向けに発表した「新しい成年後見制度における診断書作成の手引き」(2011)によれば、成年後見制度の3段階(重い方から、後見、保佐、補助)について、次のように説明されています。
A 後見 自己の財産を管理処分できない程度に判断能力が欠けている者、
すなわち、
日常的に必要な買い物も自分ではできず誰かに代わってやってもらう必要がある程度の者。
B 保佐 判断能力が著しく不十分で、自己の財産を管理・処分するには、常に援助が必要な程度の者、
すなわち、
日常的に必要な買い物程度は単独でできますが、不動産、自動車の売買や自宅の増改築、金銭の貸し借り等、重要な財産行為は自分では出来ないという程度の判断能力の者。
C 補助
判断能力が不十分で、事故の財産を管理、処分するには援助が必要な場合があるという程度の者、
すなわち、
重要な財産行為は、自分でできるかもしれないが、できるかどうか危ぐがあるので、本人の利益のためには誰かに代わってやってもらった方がよい程度の者。
以上のような基準です。
数値のようなはっきりした目安はないのですが、具体例に即しているので、分かりやすい基準とも言えます。
ただ、では、「日常的に必要な買い物も自分ではできず誰かに代わってやってもらう必要がある程度の者」という状態の境界線はどうなるのか?といわれれば、相変わらず曖昧です。
極論すれば、境界線付近においては、医師各自の判断で診断書を書いても良い(というか、そうするしかない)、ということになります。
ここも、真面目に考えすぎると「そんなことでいいのか?」ということになりますが、私は案外これでいいと思っています。
つまり、診断書を作成する医師が、本人のためにこれがよいと思ったことが書けるという仕組みは、例えばテストの数値だけで決めるような杓子定規な基準設定よりもずっと良いと思います。
例えば、境界線近くかもしれないが、医師が、自分の判断では「日常的に必要な買い物も自分ではできず誰かに代わってやってもらう必要がある程度の者」と考えて、「後見」として一番手厚い保護を受けられるようにするのが、本人や家族の幸せのためになると考えれば、そのように書いても良い、ということはそれはそれでいいと思います。
いい加減という意味ではなくて、アナログ的な要素も含めた総合判断を許容した方が、実際に良い運用が出来ると思うからです。
現実に、認知症が進むのと本人さんの法的保護という問題は、時間の争いという面があります。
厳密さを要求する余り診断書作成に何ヶ月もかかってしまうと結果として、家族の個人的負担ばかりが続くことにもなります。
確かに、お医者さんの立場で、「どっちでもいいといわれたら余計に困る。明確な基準を示してくれ。」と言われる方もおられると思いますが、私は、医師ほどの立場ともなれば、必要な場面では自分の「腹」で、目の前の人の幸せにとって何がよいかを自分の責任で決断していただくことは一種の責務ではないかな、と思います。
というと、医師の方は、「診断書について、そんな軽く要求されては困る」と言われるかもしれないのですが、これは、医師の診断を軽く見ているという意味では決してなく、医師の方の能力や職業倫理を信頼して、裁判所が診断書の作成をこのような方法でお願いしている、ということだと思います。
診断書だけで決まるわけでなく、家庭裁判所のチェックも入るし、やはり微妙なものには改めて家裁が「鑑定」を命じて再チェックするという仕組みも用意されています。
さて、上記のような基準からすれば、実際的には、認知症の親などをかかえる家族としては、医師に成年後見申立用に診断書を書いてもらうときには、長谷川式などの簡易テストを実施してもらうということの他に、
日常の本人さんの生活の状況についてできるだけ具体的に正確に医師に伝える
ということも大切だといえるでしょう。
そういう日常の実際の状況も含めての総合判断をしてもらうことが、本人さんにとっても家族にとっても、医師から適切な診断書を書いてもらえて、家庭裁判所での成年後見開始の審判などでの判断にも良い影響を及ぼすことに繋がるからです。
村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所)
認知症について医師の方からのお話しを聴くのがメインでした。
認知症の診断についての具体的なお話しや、成年後見に関連して、本人の家族から成年後見申し立てのための「診断書」を書いて欲しいと頼まれたときの医師の立場や、家庭裁判所から成年後見に関する「鑑定」を依頼されたときの実際など、知りたかったことがたくさん聴けました。
さて、ここからは、法律家の領域の話になります。
成年後見制度についてよく質問されるのが、タイトル通り、
「どの程度の認知症(あるいは知的状態)になれば後見になりますか?」
ということです。
この程度というのを判断するのに数値があれば一番よいということで、いわゆる「長谷川式」(改定長谷川式知能評価スケール。HDS-R)などの認知症の簡易評価テストなどが着目されたりします。
このテストは、3つの言葉を覚えて言えるか、100から7をどんどん引いていって答えが言えるかなどの、幾つかの質問をして点数を出すものです。
この「長谷川式」の点数というのもそれなりに重要な要素ではあるのですが、ただ、「成年後見の状態かどうか?」という判断そのものは、点数によって決まる、というわけでもありません。
最高裁判所が医師向けに発表した「新しい成年後見制度における診断書作成の手引き」(2011)によれば、成年後見制度の3段階(重い方から、後見、保佐、補助)について、次のように説明されています。
A 後見 自己の財産を管理処分できない程度に判断能力が欠けている者、
すなわち、
日常的に必要な買い物も自分ではできず誰かに代わってやってもらう必要がある程度の者。
B 保佐 判断能力が著しく不十分で、自己の財産を管理・処分するには、常に援助が必要な程度の者、
すなわち、
日常的に必要な買い物程度は単独でできますが、不動産、自動車の売買や自宅の増改築、金銭の貸し借り等、重要な財産行為は自分では出来ないという程度の判断能力の者。
C 補助
判断能力が不十分で、事故の財産を管理、処分するには援助が必要な場合があるという程度の者、
すなわち、
重要な財産行為は、自分でできるかもしれないが、できるかどうか危ぐがあるので、本人の利益のためには誰かに代わってやってもらった方がよい程度の者。
以上のような基準です。
数値のようなはっきりした目安はないのですが、具体例に即しているので、分かりやすい基準とも言えます。
ただ、では、「日常的に必要な買い物も自分ではできず誰かに代わってやってもらう必要がある程度の者」という状態の境界線はどうなるのか?といわれれば、相変わらず曖昧です。
極論すれば、境界線付近においては、医師各自の判断で診断書を書いても良い(というか、そうするしかない)、ということになります。
ここも、真面目に考えすぎると「そんなことでいいのか?」ということになりますが、私は案外これでいいと思っています。
つまり、診断書を作成する医師が、本人のためにこれがよいと思ったことが書けるという仕組みは、例えばテストの数値だけで決めるような杓子定規な基準設定よりもずっと良いと思います。
例えば、境界線近くかもしれないが、医師が、自分の判断では「日常的に必要な買い物も自分ではできず誰かに代わってやってもらう必要がある程度の者」と考えて、「後見」として一番手厚い保護を受けられるようにするのが、本人や家族の幸せのためになると考えれば、そのように書いても良い、ということはそれはそれでいいと思います。
いい加減という意味ではなくて、アナログ的な要素も含めた総合判断を許容した方が、実際に良い運用が出来ると思うからです。
現実に、認知症が進むのと本人さんの法的保護という問題は、時間の争いという面があります。
厳密さを要求する余り診断書作成に何ヶ月もかかってしまうと結果として、家族の個人的負担ばかりが続くことにもなります。
確かに、お医者さんの立場で、「どっちでもいいといわれたら余計に困る。明確な基準を示してくれ。」と言われる方もおられると思いますが、私は、医師ほどの立場ともなれば、必要な場面では自分の「腹」で、目の前の人の幸せにとって何がよいかを自分の責任で決断していただくことは一種の責務ではないかな、と思います。
というと、医師の方は、「診断書について、そんな軽く要求されては困る」と言われるかもしれないのですが、これは、医師の診断を軽く見ているという意味では決してなく、医師の方の能力や職業倫理を信頼して、裁判所が診断書の作成をこのような方法でお願いしている、ということだと思います。
診断書だけで決まるわけでなく、家庭裁判所のチェックも入るし、やはり微妙なものには改めて家裁が「鑑定」を命じて再チェックするという仕組みも用意されています。
さて、上記のような基準からすれば、実際的には、認知症の親などをかかえる家族としては、医師に成年後見申立用に診断書を書いてもらうときには、長谷川式などの簡易テストを実施してもらうということの他に、
日常の本人さんの生活の状況についてできるだけ具体的に正確に医師に伝える
ということも大切だといえるでしょう。
そういう日常の実際の状況も含めての総合判断をしてもらうことが、本人さんにとっても家族にとっても、医師から適切な診断書を書いてもらえて、家庭裁判所での成年後見開始の審判などでの判断にも良い影響を及ぼすことに繋がるからです。
村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所)
2013-06-20 11:20
nice!(3)
コメント(5)
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ハマコウさん
ナイスありがとうございます。
shiraさん
ナイスありがとうございます。
心如さん
ナイスありがとうございます。
by hm (2013-07-01 15:04)
後見だとあれこれ行政に「縛られ・監視」されるようですね。
でも有名企業でさえ信用できないですし、言いくるめられ財産失うのも・・・。
by ayu15 (2013-07-13 20:18)
ayuさん
ナイスコメントありがとうございます。
そういう面はあります。
権力(この場合は司法。裁判所)の監督を受ける窮屈さと、何者かに不法に財産を侵害されたりする恐れとを天秤にかけることになります。
だから、後見申立をするかどうかも、一種の選択の問題になりますね。
by hm (2013-07-16 09:56)
通常は本人で、契約(継続性や一定金額以上)の時だけ身内の同意がいるなんていう後見は検討されてますか?
by ayu15 (2013-07-19 10:09)
あゆさん
この記事で言う「補助」というのが、あゆさんの書かれているのに近い援助方法を行う制度になります。
by hm (2013-07-19 17:56)