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「灘校生『社会』に興味無しか」という記事 [だから,今日より明日(教育)]

 先日、灘校(灘中と灘校をあわせて「灘校」と呼びます)文化祭に行って、灘校の先生とお話ししていました。
 最難関の東大理Ⅲ(医学部コース)への合格者数が圧倒的な日本一である、という今年の灘校の進学成績について、
「確かに、生徒さんの能力はほんと素晴らしいと思うのです。ただ、反面、自分の力に自信のある者が医者ばかり目指すというのでは、世の中偏るじゃないですか。有能な人が、文系の世界にも出て行くということでないと心配です。」
という話をしたところでした。それは私も本当にそう思っているの、というのが先生の答えでもありました。(翌日追記 … 私がこう言ったのは、医学部の進学実績がよい反面、灘校から文系は、20年前だと35%くらいはいたのが、今は25%未満と進学者が大きく減っていることが気になっていたからです。)
 この話は、生徒の進路選択に偏りがある、といって生徒を責める問題ではありません。
 そうではなくて、私たち大人(特に文系の仕事をする大人)が、若い人の進路として魅力的な仕事の現場をつくっていかなければならない、という点が大きな問題なので、私は、そのことを日々よく考えるのですが。 

 で、ちょうどそんなときに、次のような記事が目に止まりました。


リンク: 驚異の医学部合格率を誇る「灘」高校の実態とは - 速報:@niftyニュース

 
 この記事の筆者、灘校OBですが、少し、母校のことを「偽悪的」に言いすぎでは?(全体としては母校の長所を書いた記事ですが)と私は、ちょっと母校をフォローしたいと思います。
 ま、しかし、何せ、母校のことを語るとき、私も同じで、「とにかく俺ら、在学中は無茶苦茶したよね。」みたいに語りたくなる学校であるのは確かです。.(ですが、私が言いすぎたせいで、「そんなシマリのない学校嫌だ」と言って、志望校を変えてしまった小学生がいるやいないや?ということでちょっと最近、私は、母校のことを「偽悪的」に言うのは控えています。)

 確かに、私が生徒の頃に理系の世界にしか興味のない灘校生もいましたが、今年の文化祭でも、震災被害と東北地方の現状についてとても力の入った展示がありました。展示だけでなく、社会問題についてのディスカッションなども相当力の入った企画が作られていました。
 また、今は、中学生の内にアプリを作るなどの活動をしている生徒もいます。

 灘校生が「社会」に興味なし、と言ってしまうのは可哀想です。少なくとも、今は、社会に興味関心を持ち、活動している灘校生はたくさんいる、とフォローしておきます。

 ところで、灘中、灘校受験には、「社会」がない、というのは本当です。
 これを「偏り」と捉えるとそうかもしれません。「社会」軽視か?と。
 ですが、これも私なりに母校をフォローするとすれば、こういうことです。

(私の想像する学校の発想)
 「社会」という科目を受験科目にすると、日本中の山地山脈を丸暗記するとか、歴史の年号を語呂合わせで丸暗記するとか、とにかく、「暗記」「暗記」で小6を終えることになるだろう。

 勉強するなら、細かな知識の「暗記」よりも、思考力のトレーニングを積んで欲しい。

 また、「暗記」に貴重な時間を費やすくらいなら、その負担を軽減して、小学生は少年野球や、虫取りや、将棋や囲碁にでも興じて、柔らか頭に柔らか体を作ってきてもらいたい。(ちょっと発想が古いのは、「社会」なし受験制度をつくった昭和時代を想定してのものです。)


 ↑こんな感じではないか、と思います。
 これはこれでよい発想だと私も思うのです。
 暗記の負担を減らすというのは、
「頭空っぽのほうが夢詰め込める」という昔のアニメドラゴンボールの主題歌の一節のような発想で、私は好きなのです。
 最難関進学校の灘がそういう発想をとっている、ということは、余計に意味があることです。

 ですが、灘の「社会」なし受験がはじまってから、実際には、灘中受験への競争が激しくなりすぎて、算数などは(常識的な大人から見ても、まるで曲芸かのようなレベルまで)極めに極める必要が出てきましたので、現実には、灘中合格を考えると「小学生が少年野球に興じる」余裕は殆どなくなってしまいました。
 結局、「社会」はやらなくてよいですが、その代わりに、算数、国語、理科の勉強をやりまくる、というのが関西の中学受験生の姿になったのです。
 
 そうなってしまった今となっては、「配点は少なくても、あるいは、暗記問題なしの時事問題だけでも、『社会』の試験を導入してはどうでしょう?そうしたら、灘を目指す子たちがもっと新聞読むでしょうから。」というのが私の意見となりました。

 さて、学校を出てからの進路選択に話を戻します。

 これは灘に限らずなのですが、力のある若い人たちが、文系の世界、つまり、「人と人との間」で仕事しよう、という風になってもらうにはどうしたらよいか?

 これは、大きな課題です。
 
 私が文系に進んだのは天の邪鬼だったからです。つまり、灘校生は圧倒的に理系が多かったから、私はそれに逆らって文系に進んだのです。
 文系志望が多い学校に行っていたら、私はきっと理系に進んでいました。
 ですから、私の真似を他人に要求できません。

 ということで、法学部からの進路を私なりに真面目に考えると、

・ 国家公務員の仕事 … 「天下り」などという見返りなど不要なくらいに、その仕事が、クリエイティブでその人の能力をいきいきと活かせる仕事に変えていく必要がある。マシーンのような仕事を要求するのではなくて!

・ 地方公務員も同様

・ 法律家の仕事 … 弁護士をむやみに増やしてビジネス競争させるのでは魅力がますますなくなる。古い制度の錆び付いているところは改めつつ、これも、個々の法律家が創造的に人のためになることをやる、工夫し合う、という雰囲気をつくっていきたい。そういう仕事をしていきたい。

・ 企業就職、起業 … 金儲けだけではなく、人間の幸せに対してもっと深くアプローチした仕事になれば。利益追求だけでは、「理系」の魅力に勝てない。


 そう。最後の「企業就職、起業」で書きましたが、「理系」の魅力は手強いです。
 何と言っても「理系」は明快さが売りです。どんな複雑に見えてもちゃんと答えが出やすい、というのが、強みです。
 対して、「文系」は、分かった人から見れば「1+1=2」と同じくらい明らかなことでも、分かってくれない人には「説得」しなければならない、というしんどさがあります。これ、確かにしんどいです。これがために嫌になることもしばしばです。

 ですから、「文系」に魅力を感じるには、「自分が人の幸せに関わっている」という部分が大切だと思います。
 もちろん、お医者さんも直接人の幸せに関わっています。ですが、また違う部分で、お医者さんの領分ではない部分で「幸せに関わっている」ということを実感できることが大切です。

 そんな風なことで、

「文系」に進んだら、こんな魅力的な仕事が出来るよこんな風にあなたの高い能力を活かせるよ、それはこんな風に人の笑顔に結びつくのだよ

と高校生(灘校生含む)に分かってもらえる世界を作るにはどうしたらよいか、それを日々考えて、1つでもそれを実現していきたい、と今は思っています。

                                                村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所
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shira

 文系を選択しなければなれないモノって、実質ゼロなんじゃないでしょうかね。せいぜい地歴公民の2科目目が必要というくらいで。今教育実習期間なのですけど、教育学部に理系で進学して転科して英語教師を目指すという子も来てます。
 ただまあ、理系だろうが文系だろうが、人間相手の現場が好きという人には、医療とか教育は確かにやりがいはあると思います。
by shira (2013-05-21 20:28) 

hm

心如さん

 ナイスコメントありがとうございます。

shiraさん

 ナイスコメントありがとうございます。
 
 そうですね。つまり、将来の職業を確定的に決めてしまう、というのではなくて、理系のほうが選択肢を多く残せる、ということなんですね。
 だとすると、私の危惧(文系離れ)はあんまり気にしすぎなくてもよいのかもしれませんね。(少し、ほっとした、という気もします。)

 

by hm (2013-05-22 12:56) 

Warriors

はじめまして。
私は「理系・文系」という日本独特の区分けや、日本独特の受験数学は有害だと思いますし、受験秀才が特に医師・医学者に特に向いているとも思えないので灘校の理Ⅲ崇拝の風潮は異常だと思います。
本来、理工系の才能を持つ者がかなり医学部に流れて行ってしまっていないでしょうか?
by Warriors (2016-12-09 13:57) 

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