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我愚かなり [弁護士業について]

 前の記事で、テニスを題材に、愚かなプレーヤーと賢明なプレーヤーの話をした。
 賢明なプレーヤー同士であれば、第三者である審判がいなくても、セルフジャッジでテニスの試合が成り立つ可能性が高い。
 愚かなプレーヤーが入ると、成り立たない可能性が高い、という話。
 そして、プレーヤーが賢明であるのが理想である。
 と同様に、実社会も、より賢明な人が増えて、無用のトラブルが減ることや、トラブルを未然に防止することに重点が置かれるようになってゆくのが理想である、という話でした。

 さて、そんな話をする私自身は、賢明どころか、実に、愚かであり、無用の争いや喧嘩をしてしまうことが過去にもたくさんあった。
 とりあえず、話を単純にするために、「アホ」か「天才」の2分法しかなかった少年時代に戻って、「賢明」と「愚か」で話を続けたい(もちろん、「中間」も実際にはあろう。)
 愚かであると言っても、常に愚かなわけではなく、賢明に振る舞えることもあった。
 大体、歳と共に、賢明の割合は増えているようにも思うが、完全に比例するわけでもない。
 自分の心身の状態が良いときは、賢明であることが多く、悪いときは愚かである傾向が強い。

 とまあ、そういうものであり、きっと人間である以上、みな、それぞれに、それなり「愚か」であることが大前提である。
 ただし、みなそれなりに「賢明」でもあり、より「賢明」であろうとする姿勢が大事、ということでしょう。

 つまり、これが司法なり、弁護士の仕事とどう関わる話かというと、

司法なり弁護士は、人をより「賢明」であるように導く存在であるべきでしょう

ということであって、

司法なり弁護士が、人に対し、無用の紛争を拡大させるような「愚か」な存在に導くのではいけない

ということであるように思います。

 たとえば、「自分が法に触れる悪いことをしているのを隠すための弁護をお願いします。」と言われたとき、「そんなことをしたら、これからも、あなたは悪いことをし続けるでしょう。そうしたら、また、『隠す』ための無駄な努力が必要になる。そんな弁護はお断りだ。悪いことをやめて、『隠す』必要のないことで生活していけるように方向転換したほうがいいよ。そのほうがあなたの利益になる。」と言うべき、これが弁護士の在り方であると思います。
 たとえ依頼を受ける仕事が減っても、そうしなければならない。
 弁護士は依頼者の利益の守るのだが、それは、目の前の利益に限らず、中長期的な大きな利益を見なければならない。

 そんなの当たり前って?そう当たり前です。
 しかし、実際には、依頼人の依頼を受けて仕事をするという弁護士の性質上、その当たり前が必ずしも当たり前とはいかない、というのが事実です。

 やはり、「我愚かなり」と同じで、理想通りに行かないのが現実としても、しかし、なるべく理想に近くあろうとする姿勢が大事だと思っています。
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心如

 依頼者の利益とはなにか? 金銭的な損得だけではなくて、名誉とかいろいろな価値観があろうかと… 無用な争いは避けたいが、引くに引けない場合もあるかも知れませんね。
by 心如 (2010-12-10 22:11) 

hm

shiraさん ナイスありがとうございます。

心如さん

 ナイス・コメントありがとうございます。
 仰るとおりだと思います。
 結局、その紛争をたたかうことにどれだけ意味があるか。
 単に金額の問題のこともあるし、また、金額は少なくとも別にもっと大きなものがかかっているという場合もあります。


by hm (2010-12-13 10:42) 

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