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つい7年ほど前のころのこと~裁判官の「お説」を思う [息抜き!?]

 自己破産事件というのは、ここ10年ほどはとても多い数になっている。

 いわゆるバブルがはじけた平成2,3年ころの後、すぐに自己破産事件が急増したわけではなく、みな不景気の中で耐えに耐えてがんばってきたが、平成7年の阪神大震災もあり、平成10年頃からは非常に多い数になった。

 昔は、主婦やサラリーマンの自己破産事件での裁判所の対応も厳格というか丁寧というか、大層なものであった。
 書類から見て明らかに自己破産であることは間違いなくても、「破産決定のための審尋」(この人は支払出来ない状態です、と裁判所が宣言するための面接のようなもの)と、「免責決定のための審尋」(「この人は、仕方がないから、とりあえず借金を返さなくて良いことにしてあげよう」と裁判所が決定するための面接のようなもの)との2回、破産する人は裁判所で裁判官と1対1で面接しなければならなかった。

 それが、やがて、そんなことをしていたら処理しきれないくらいの破産事件の数になって、書面から明らかなものは、面接は1回で、それも集団でやるようになった。
 これが大体5~7年前ころのことか。
 今は、その面接もなく、結局、書類からして明らかな簡単な破産事件は、破産者が裁判所に直接赴くこともなく終わる。書類から見て裁判所が突っ込みどころがある事件だけ、破産する人は呼び出される、という仕組みになっている裁判所が多い。

 今日は、ちょっと息抜きに、ここ10年くらいの中での昔の話をしてみたい。

 まず、8~9年くらい前、私が弁護士になったばかりのこと、このころは、自己破産事件でも、裁判官自らがとても時間を掛けて、懇切丁寧に、あるいはとても大層に、事件を扱っていたこともあった。
 裁判官と破産者(一般の消費者)の面談が1時間を超え、「ふだんの食材はどこで買っているの?」「まさかあなたの収入で、イ○リスーパーで買っているの?」とか、そんなことまでやるか?というくらいの丁寧さで、事件が処理されていたことがあった。
 私は代理人として付き添っていて、正直もう勘弁して下さいよ、と思っていたが、今思えば、時代を感じさせる出来事かもしれない。

 7~5年前ころ、「集団面接」になったころはもっと味のある場面があった。
 破産を申し立てた人が集団で、一室に集まり、裁判官と面接する。
 面接と言っても、1人1人に声を掛けるわけではなく、裁判官が書類の山を指さして、「みなさんの事情は、ここに書いてある書類にあるとおりですね?違っている人がいたら手を挙げて下さい。」と言うが、だれも手を挙げない。
 裁判官は、「では、書類の通りということを前提に裁判所が判断をします。」と言い、面接の本旨は終り。
 このころ、私は、つい数年前の面接と比べて実に合理化された、と思ってとても嬉しかった。
 しかし、味があるのはこの後である。
 裁判官は、このような「形ばかり」の手続きで終わってしまうのに、やはり皆、物足りない気持ち、又は、若干の後ろめたさ(裁判官らしい生真面目さからくるものと思われる)があるようで、この後に、各裁判官なりの「お説」があることが多かった。
 私は密かにこの「お説」は楽しみにしていた。
 ある裁判官の、破産者への「お説」はこう。

「みなさん、今後は収入と支出をしっかり見直して、自分で管理して下さい。小泉改革が進められていますが、小泉改革で国民生活が良くなるわけではありません。あなた方1人1人の収支が改善されるなんてことはありません。自分で収支管理ができなければ、また同じように借金を作ることになりますから、宜しくお願いします。」

 また、ある裁判官は、
「みなさんは、収入に見合った支出になるように心がけて下さい。この間テレビを何気なくつけたら、芸能人が一ヶ月で○円で生活するという番組をやっていました。私なんか、感心してしまいました。やっぱり工夫すれば節約だって出来ます。今まで使っていなかった頭をちょっと働かせることで、みなさんの家計も変わるかもしれません。そんなに簡単に変わらないにしても、借金する前に、ちょっと頭を働かせて、改善できることがないか、そういう心がけが大事です。」

 こんな感じである。
 前者の例など、国家公務員たる裁判官が、ときの首相である小泉氏の改革で国民生活がよくならない、なんて言っていいのか?と思ったけれど、しかし、その裁判官なりにその人個人のものの見方で真面目に集まった人に語りかけている姿などは、実に味のある光景だった。
  
 
 裁判官の「お説」は、刑事事件でも、判決言い渡しの後に時々ある。
 一つの見方としては、裁判官が上から目線で民に語りかける、ということで「えらそう」な態度というきらいもある、とはおもう。だいたい、「お説」には手続法の根拠が何一つない。まったくの「雑談」である。
 でも、司法の世界には、刑事訴訟法にも民事訴訟法にも破産法にも根拠が存在しない、裁判官の「お説」というものがある(というか自然に出てくる)くらいの「遊び」の部分があるほうが味があってよいのではないかな、という気もする。
 私なんかは、逆に、つい「お説」をぶってしまう裁判官の姿に、ああ、裁判官も自分たちと同じ人間なんだなあ、という風な親近感を覚えてしまったりするから。
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コメント 2

ayu15

テレビの○円で生活て・・・。
あれねえ~短期ならできても、当てのない長期は無理です。
また、心身の健康が大前提です。甘
えられる友人知人がいないと難しいです。


by ayu15 (2009-02-26 12:39) 

hm

ayuさん

 そうですね~ ともかく、確かに、心身の健康が何より大事ですね。そうでないと、余計な出費もあり、収入も満足に得られないし。持続可能な経済生活はどういうものか、ということですね。
by hm (2009-02-26 14:31) 

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