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沖縄戦の資料館を訪れて

 先日、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」 http://www.himeyuri.or.jp/ に行ってきた。

 やはり、百聞は一見にしかずで、沖縄戦の話など知っているつもりで全然知らなかったことがわかった。一般住民を巻き込んだ地上戦がいかに悲惨なものであったか、また、「陸軍病院」という名前の病院は、赤十字の旗がはためく堅固な建物かと思いきやただの塹壕でそのなかで薬も何もない中で負傷兵がうめき苦しみ死んでゆく、地獄のような現実を少し知ることが出来た。

 10代の若者たちの写真を見るにつけ、この子たちが戦争で亡くなったことを思うと、とてもつらかった。沖縄の人の「語りべ」は当然歳をとっていき、戦争体験を語ることができなくなってくるなか、このような資料館が出来て、戦争実態を知ることができることは本当に貴重なことだと思う。知らなくてはならないことだとおもう。

 また、資料館には、修学旅行生も多く訪れていた。修学旅行の中で、このような戦争の実態を学べることはやはり重要なことだと思う。

 沖縄の人たちが、戦争のことを後の世代に一生懸命語り継ぎ、このような資料館を作って伝えようとしていること。

 その心に触れて、自分には何が出来るか。また自分や次の世代に何を残していけるか。そんなことを色々考えている。

 戦争で人の命が奪われることや、戦争の中で、人ひとりひとりが尊重されないようなことをなくしたい。そのためにはどうすればよいか。

 

 少なからずの人が「それには憲法9条を変えさせないことだ」というかもしれない。

 でも、私はそれは違うと思う。憲法9条を変えたらいいということではない。「変えない」「変えさせない」にとどまるではなく、憲法9条ができたときの理念を(すぐに完全にとはいわずとも)実現していくことだ、と思う。

 

 憲法9条があろうとなかろうと、ある国に人々が暮らす以上、その国は、戦争で国が滅びないように取り敢えず国民がそこそこ安心できるような何らかの手段を講じているはずだ。

 その手段は、大きく分けて二種類。軍事的手段非軍事的手段

 つまり、沖縄戦のような悲惨な戦争で国民が苦しまないように強大な軍事国家を作るという選択肢もあるし、そうでないやり方もあるということだ。問題はどちらがうまくいくか、それだけだとおもう。

 

 憲法9条は戦争を放棄する・軍備を持たないことを書いている。

 だが、国家が国家である以上、国民の平和と安全を守る手段は必要なのだから、憲法のこころは、戦争しない・軍備を持たないという「しない」ことを言って国の手足を縛ってそれでよしとするものではないとおもう。

 だとすると、つまり、日本の平和と安全を守る手段としては、非軍事的手段を知恵を絞って有効に活用するしかないということになる。

 憲法9条のこころは、私の解釈ではこうだ。

 軍事的手段は今まで人類になじみが深く、もっとも思いつきやすいし、飛びつきやすい。だが、その軍事的手段に安易に飛びつかず、非軍事的手段で平和を構築することに知恵をしぼれ、と。たしかに、非軍事的手段で平和を構築し維持することは、人類にまだなじみが薄いが、それを考えて考えて考え抜こうではないか、その道を突き詰めようではないか、と。そういうことだと思う。

 だとおもう、というか、最近そう思えてきた。つまり、今までの軍事的手段による安全・安心というやり方から脱却して、新しい発想で、非軍事的手段によって平和を構築して維持して安全・安心を勝ち得ようというやり方を考えていこう、それを実践しよう、という創意工夫・知恵を求める考え方を憲法9条に読み取れるのではないか。

 「何もしない」という意味ならば余り感心しないのだが、人類の幸福のための創意工夫・知恵を高めることを憲法9条がうたったのならば、これを失うのは惜しい、と思えてくる。

 

 実際には、憲法9条のもとでも軍事的手段を捨て去ることは出来ず、軍事的手段(自衛隊)も併用しながら何とか平和を維持しようとしているのが日本の現状だ。私は、それはそれで今現在の対応としては仕方ないとおもう。(また自衛隊の合憲違憲の論議はあるが、国際法上の自衛権の考え方で、憲法とギリギリ整合を保つ解釈は、それは一つのバランスであり知恵だとおもう。)

 だが、非軍事的手段による平和構築の方法をもっと考えて、実践していくことによって、相対的に、軍事的手段に頼る度合いを減らしてゆくべきだとおもう。

 なぜなら、軍事的手段で安心を得る方法は、やっぱり結局軍拡競争をすることになるし、軍事的手段はどこかで「使われてしまう」、すなわち不幸にも戦争が起こってしまう、からだ。現に今でも戦争はなくならない。

 それに軍事的手段を過信できない。たとえば「北朝鮮が攻撃してくる可能性があるか?」という論点があって「可能性はない」という人もいるのだが、私は、もちろん現実に可能性は低いがだからといってゼロということもない、と思う。だが重要なことは日本の軍備が今より大きくなれば北朝鮮の攻撃を防げるか?危険はゼロになるか?という点であって、それは否というしかない。「ミサイル一発飛んでくる」という事態になれば、それは軍備の大小くらいでどうにかなる話とは次元が違う。

 

 だから、「憲法9条を変えないこと」そのものが大切なのではなくて、非軍事的手段による平和・安全・安心を確保する手段をもっともっと知恵を絞り考えることなのだとおもう。

 憲法9条の論議では、憲法9条の「文字通り」は当面実現できそうにない、ということが難点であるから、憲法9条の理想は認めつつも軍事的手段を完全に否定できないというジレンマがあるから、軍隊に対して「抑制的な」改憲(専守防衛の自衛隊だけを書くような)をしようという考えの人もいる。私は、そういう人の考えとは、重要な部分においてほとんど同じ考えでいる。(ただまあ解釈論でやってこれたのだから、同じルールのままならわざわざ改憲しなくても、と思うのだが。それにわざわざ改憲するときには「(今と)同じルールのまま」の改憲にとどまることなど現実にはあり得ないのが実際だろうし。)

 

 さて、非軍事的手段って?

 これが難しい、ように思える。そうだろう。人類は今までどうしても「軍事的手段」に飛びつきがちだったのだから。非軍事的手段を考えるのはそんなに慣れていない。

 けれども方向性はいくつもある。

 

 最有力なものは、去年兵庫県弁護士会でシンポhttp://blog.so-net.ne.jp/h-m-d/2007-10-23をやったときに広島の井上正信弁護士の説かれていた「国際的な法の支配の確立」だ。

 つまりそれを目指して、国際連盟、国際連合ができたのであって、世界が一貫して目指している平和構築・維持体制はまさにこれだ。

 現実には国家同士が寄り合っているし力の差もあるから「法の支配」の実現は容易ではなくて、すぐ「力の支配」になりがちだ。最近起こった大きな戦争もそうだ。

 けれども、それをなるべく「力の支配」にさせない工夫はもっと出来るとおもうし、大国の利益だけでなくパワーバランスを重視したあり方になるように国連の改革などもできるはずだとおもう。

 そして、法律家が法律家らしいあり方で平和のために何か考え、行動するとすれば、まさにこれだとおもう。

 もちろん、最終的に、侵略戦争を行う国が現れたら、それを軍事的な手段をつかってやめさせなければならないこともあるだろうから、「軍事的手段」も完全に放棄できないだろうが、平和システムをとことん知恵を絞って機能させることによってその度合いを最小にすべきだ、ということになるだろうとおもう。

 

 それから、兵庫県弁護士会シンポを振り返ると、学者の奥本京子さん(奥本さんが属されている研究会のHP http://www.wako.ac.jp/~itot/tran/index.html)が紹介してくださった、非暴力による紛争転換、というものも重要なことだとおもう。

 戦争になりそうな(なるまえの)紛争に第三者が関わり、徹底的に対話を粘り強く行うことによって、その紛争を解決、というか、別の形に転換して、お互いにとってよりよい状態をつくっていく。

 これはドロドロした部分に関わることで決して綺麗ごとの世界ではないだろう。けれど、ドロドロに飛び込む勇気を持って行動して戦争の惨禍が防げたならば大いに価値がある。

 

 「憲法9条を守って、平和を祈る」これだけでいいわけではない。

 それぞれの人の職業や、持ち場や、役割は違えど、人類の知恵を高めて、殺しあわずに済む方法をつくっていくことにつながるように、人ひとりひとりが少しずつ努力して積み重なってゆくことが大事だと思う。

 しかし、憲法9条の話は、不幸なことに、かなりイデオロギー色の濃いものと受け取られがちになってしまっている。だから抵抗を覚え避けてしまう人も多いようにおもう。本当は、憲法9条と、俗に言う左派右派の思想のあり方とはそんなに論理必然にリンクしないし、別物だとおもうのに。

 それに、非軍事的手段をもっともっと工夫して勉強して追及していくことで、軍事的手段に頼る度合いを減らしましょうということそのものは、多くの国民が同意できるだろうしそれに知恵を注いでいこうよ!と思う。

 

 そんななかで、私が考えているのはこうだ。

 たとえば、環境・健康・安全という今のひとたち一般に関心の高い分野から、そこを掘り下げてゆくことによって、人ひとりひとりの存在の尊さを認め合って、そのための知恵をしぼれば必然的に戦争を避けることにつながるわけで、そういうことに一生懸命になるのもいいのではないか、と。

 そして以前にも書いた(http://blog.so-net.ne.jp/h-m-d/2007-12-13想像力と人への敬意を大切にしていくような知的営みを大事にしていくこと。そういうのは「教育」というか、子どものころも含めた人間の成長過程をより豊かにしていくことによって創られる面が大きいのだろう。

 こういうのが平和を創造する根っこだと思っている。

 

 うまくまとまらないが、ひめゆり平和祈念資料館を訪れたあと、旅の途中、つらつらと考えていたことをそのままに書き起こしてみた。

 あるいは浅はかな考えがいっぱいあるかもしれないが、自分の考えをこれからも練って、自分の日々の動きとともに、自分なりに進化させていこう、とおもう。


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mai

本当にそう思います。私は「9条を捨ててしまうのはあまりにもったいない」派ですが、「ではどうするか?」と問われると言葉に詰まってしまうもどかしさも感じています。

非軍事的手段による平和・安全・安心を確保する手段をもっともっと知恵を絞り考える・・・ふむふむ、確かにそうです。hmさんが挙げておられる方はまだ存じないので、これを機に勉強してみます。有名になった中村哲さんや伊勢崎賢治さんたちのような活動もそのカテゴリーでしょうか(最近になって、ようやくペシャワール会に入りました)。

環境、健康、安全という分野を掘り下げていくことにも大賛成です!環境では熊森協会(兵庫からの運動ですね)の主張に共鳴できるところが多いので、入会してみました。

最後に挙げられた教育。どうしましょうか?目下の悩みのタネです。また、最近のご意見を聞かせてください。
by mai (2008-02-06 10:00) 

hm

 maiさん、コメントありがとうございます。
 9条とか平和の分野については、私は本当に不勉強で、去年シンポをやって直接お会いした方から聞いたことなどをもとに、色々考えているところでした。中村哲さん伊勢崎さんの活動はまさに、非軍事手段による平和創造ですよね。
 多方面からのアプローチがあり得て、人によって得意分野が色々あるだろうけど、自分に出来ることを考えてやっていきたいです。
 maiさんのブログで勉強させていただくこと、多いです。

 教育、ですね。私は、おおらかであり、かつ、丁寧である、そういう環境で、子供が学び育ってゆくことを望みます。具体的には、また色々情報交換、意見交換しましょう。よろしくおねがいします。
 
by hm (2008-02-06 14:16) 

ayu15

9条残そうが変えようが、その本質、理念を理解して受け入れなければ、おかしなほうにいくかもしれませんね。
ひめゆりも「天使の赤紙 」も いい事も悪い事もひっくるめて語り継いでいきたいです。
by ayu15 (2008-02-06 15:06) 

hm

 ayuさん、語り継ぐこと、まずはそれが第一歩だと今回感じました。
 やっぱり、そういうことがないと「戦争の悲惨さを知らない」ままになっちゃうんです。そうしたら、その先の道を間違うかもしれない。
 
 子供の頃、原爆の日の登校日なんかで見せられた戦争の画像なんかが私は本当に怖くて、何でこんな嫌なものをみせられるんだろう?とつらくてしかたなかったけども、やっぱり、大人は「子供たちをこういう目に遭わせたくないから見せていたんだ」ことが分かってきました。

 そういう「語り継ぐ」部分は続けて、でもその繰り返しだけではなく、平和創造の次のステージへ、といけたらいいな、とおもいます。
by hm (2008-02-06 17:28) 

 ひめゆり記念館は2度行きました。1度は修学旅行の引率で。
 引率した生徒の中には日頃なかなか手を焼かせてくれていた生徒もいたのですが、ひめゆり記念館では終止黙って真剣な表情でした。
 いい展示だと思います。できれば自分の子どもにも見せたいのですが、遠いのがつらいところです。
by (2008-02-06 19:32) 

tamara

9条のとらえ方に共感しました。どんな運動でも短いスローガン(キャッチフレーズ)が唱えられ始めたとたん、本質的な部分が薄まってしまうようです。「平和」も同じです。ただ唱えていればいいというものではありませんね。立ち止まってよく考えてみる、という姿勢はなくしたくないと思っています。
by tamara (2008-02-06 21:27) 

hm

shiraさん

 そうですね。私達一行も無言になってしまいました。
 私も家族で行きたいと思っています。ちと子どもがまだ小さすぎるので、もう少ししてからでしょうが。


tamaraさん

 ありがとうございます。
 とはいえ、私はあんまり運動家ではなく(スポーツマンではありますが)、色々考えたりするばかりで、何にもしていませんが。
 でも、なんというか、平和を創る根っこの部分を、日々の小さなことからやっていきたい、と思って過ごしています。日ごろの生活や仕事の一つ一つでも。
 私は根っからの天邪鬼で、たとえば「9条守れ」って周りの人が言うとつい違うことを言いたくなるんです。ですがしかし、天邪鬼しながらも、皆さんと一緒に知恵を高めて、一人ひとりが大切にされる社会で生きる幸福を共に創って生きたいという願いを持っています。
 これからも宜しくお願いします。
by hm (2008-02-07 22:51) 

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