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健全な愛国心の育ち方 [だから,今日より明日(教育)]

 このブログでは,基本的に,政治問題に関する意見の表明はなるべく避け,皆さんや私の政治的立場や思想は別として読んでいただける内容を選んで書いています。
 
 しかし,少しだけ(実はたっぷり),教育基本法の問題に関して述べます。
 今日より明日!!こればかりは,未来のこどもたちのためを思うと黙っていられない。

(ニュース引用)

4月12日。
自民、公明両党が 教育基本法改正で、 「愛国心」の表記について下記の文言で合意。 「伝統と文化を尊重し、 それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」  (引用終わり)


 これは、教育基本法2
条を改めて「教育の目標」に「国と郷土を愛する」を盛り込もうという動きのはなしですが、このあたりの論議に関連して,このタイトルで述べたいと思います。(長いですよ)
 
読む時間のある方は,そこから私の考えを読み取っていただければ…

 


(私が思う育ち方) 

1 生まれたときに愛国心はもちろん意識することはない。
 脳の基礎が形成される乳幼児期に,親たちの愛を一杯受けて育ち,活き活きとした脳をつくります。

2 読み書き,数字が書けるようになる,数を数えられるようになってくると,まずは,ひたすら反復して,読み書き・計算をやりますや量が分かるようになってくると,その子の自然な興味を上手くいかして,少しずつ基本を身につけていきます。ビデオ等ではなく,実生活や遊びの中で,色んなことをゆっくりと自然に学んでいくということを親としては大切にしてあげたい時期です(注 後日この部分の表現を改めました。少なくともこの段階での「ひたすら反復」を文字通り実践するのは,子どもの自然な発育を歪める恐れがある,といえましょう)。

 ここでも,「国を愛しましょう。」と誰かに言ってもらう必要は別にないでしょう。
 情緒面では,お友達と遊ぶようになり,相手の気持ちや遊びの中でのルールを学んでいきます。

3 小学校に入ります。
 基本は,読み書き・計算の反復習熟です。(注 「反復」については,誤解を招くため,後日「習熟」に改めました。機械的な大量反復の指導法には賛成できません。以下同じ。)
 学校という社会の中でルールを学んでいきます。
 遊びとかを通じて,自分の好きなことや,楽しいことを見つけていきます。
 友達とのけんかも起こります。時には,だれかがだれかを叩いたということなんかも目にします。そういう問題も,たとえば先生が間に入ってくれるなどして,何らかの方法で解決されていくことを学びます。
 「国を愛してる?」と言われたとしても,いまいちピンとはきません。この段階で,ハァ?と思っても,別に不健全ではないでしょう。
 自然にもたくさん触れるのがいいでしょう。
 世界中の素晴らしい芸術(音楽や絵)に触れましょう。
 
4 小学校高学年になると,小学校でも児童会役員選挙があったり学級委員がいたり,なんだか「社会」っぽい仕組みがあるなあ,という風になります。
 3の読み書き・計算の十分な反復理解と習熟により,基本的な思考力や言語能力を身につけた脳は,そういう「仕組み」の意味も何となく考えだすでしょう。
 脳の訓練という意味では,まだまだ基本的に,読み書き・計算の反復習熟です。
 算数はだんだん高度になっていきますが,それでも要するに「+-×÷」の四則計算の応用で何でもできる,ということを理解しつつ,反復習熟して慣れていきます。
 国語は,文章を理解するべく「本読み」中心です。また,自分で,日本語を使って伝えたいことを文章にする練習を繰り返し行う必要があります。

 英語より国語。
 パソコンより字を書く訓練。
 この優先順位をあやふやにすると能力の発達は危うくなるでしょう。

 それとともに,「社会」では「歴史」を勉強しはじめます。
 原始時代は別に「国」があったわけじゃない。というところからはじまり,卑弥呼や信長が出てきて,江戸幕府,明治国家,戦後の日本…「国」って出来てるなあ…。となんとなく流れを理解します。
 「国」がなかったらどうやねん?までは考えなくてもいいでしょう。
 また,オリンピックなどで世間が盛り上がるとき「ニッポン頑張れ!」という周りの声に,なんとなく,自分も「ニッポン頑張れ!」となり,ノリのいい子は特に,すごく熱狂しはじめたりもします。それは悪いことではありません。(しかしそのあまり,例えば,フィギアスケートの試合で,日本選手のライバルのロシア選手に「こけろ!」などと言うようになったら,親は注意してあげるべきでしょう。「日本人もロシア人も同じように頑張っているのよ。」と。)

5 中学・高校…。
 勉強は,内容が高度になってきます。
 英語の勉強もはじめます。
 国語は,学校では,読み書き,というよりも読解・文法中心というメニューになりますが,学校の授業のほかに,自分で興味のある本をどんどん読んでいくことが大切でしょう。文章を読む体力をつけていくことです。何を読んでいいかわからなければ,「声に出して読みたい日本語」とかでもいいし,流行の小説でもいいでしょう。
 数学は,ちょっと日常生活では余り使わない高度な内容になります。挫折しやすい段階ですが,上記4までの段階で,計算の反復練習を怠らなかった子は,むしろ以前よりは面白くなったと感じます。答えがはっきり出ることや暗記が少なくて済むので,他教科よりも容易に点数が取れるので得意、となるとしめたものです。高校ではチャート式をやり込むのがオススメ。
 社会は,「地理」「歴史」「公民」があります。世界中に色んな「国」があるなあ,「国」が出来る歴史はこういうものなんだなあ,日本の国の仕組みはこうなんだなあ…。でも,なぜ「国」が必要か。なかったらどうなのか,ピンとはこなくてもいいでしょう。
 高校では,たとえば,「ルソー」「社会契約論」という言葉はテストに出るので覚えます。意味はよく分からなくても大丈夫です。国家と個人が契約なんてするんだぁ…。ようわからんなぁ…。
 クラブ活動や友人との交遊,彼氏・彼女ができる。そういうのを通じて,人間関係というものを学びます。固い友情が芽生えたりします。家族以外にも大切な人が出来ます。
 
6 大学・その後…
 その後大学に進学したり,就職したり…。
 結婚して子どもができたり…。
 現実の中で,自分や家族の稼ぎで食べていかなければなりません。
 それとともに,全ては自分の責任で,生きていきます。
 何事にもお金が要ります。
 選挙権も得ます。
 そうすると,「国の制度のここがおかしい!」「もっとこうして欲しい!」という考えが出来ます。
 最初は自分の利益のために色々考えます。
 しかし,徐々に,自分だけでなく,自分の子ども,近所の友人,心の余裕があるときは,日本に住む多くの人々,いや,さらに,世界中の多くの人々のために,「こうなったらいいなぁ」「こんな世の中がいいなぁ」と思うときもやってくる。

 「自分はみんなのために何が出来るだろう」とも考える。
 「日本に,こんな制度をつくるため,こんな世の中にするため,頑張ろう」と思うかも知れない。
 

 それは,言うならば,
①自分を愛する。
②家族を愛する。
③自然を愛する。
④神戸市を愛する。
⑤日本国を愛する。
⑥この地球を愛する。
という気持ちが宿ってきたことになる。
 ここでいう「愛する」というのは,現状に従う意味ではありません。
 つまり,決して,「お国の言うことには全て無批判に従う」ということではありません。ときには,自分の頭で,「この国はこうあるべきだ」と考え意見を表明していく形で,「愛」を示します。そこに住むみんなが幸せになって欲しいと願うから…。
 それは間違いなくいいことです。
 
7 以上が健全な愛国心の育ち方です。
 さて,ここでさかのぼって考えると,健全に愛国心が育つための,教育課程におけ
る重要な要素は,
 「愛情を受けること」→「脳そのものを育てる」「他者への愛」
 「読み書き,計算の反復練習の理解に基づく習熟」→「言語能力,思考力の訓練」
 「芸術,スポーツに触れる」→「心を豊かに」
であってそれに尽きる,と思います。
 これを重視すれば,自然に,愛国心は生まれます。でも,「国」だけを特別に愛するわけじゃないですよ。あくまで,地球上の人々を愛するのです。具体的な誰かを愛しますし,目に見えていない誰かもまた想像して愛します。
 こうして,健全な愛国心は自然に身に付いています。
 教育のどこかの過程で「愛国心を育てましょう」と言われたことなど一度もありませんが,こうして立派に愛国心は育っています。
 
8 以上のような教育は,今,ごく自然に,当たり前のこととして行われているはずの仕組みになっているのです。
 誰も間違っているなどとは思わないでしょう。
 そこになにか,ある一定の価値観を押しつける,ということもないので,それを誤っているということも起こりえない。
 お互いの考えを尊重しましょう。
 あなたはあなたの考えを,人の意見も参考にしつつ,自分の頭でしっかり考えましょう。
 日々考える頭や豊かな心を作りましょう。
 こういう当たり前のことはそのまま「手つかず」でなければならない。

9 「教育の目標」(教育基本法改正案の2条の標題)とは,教育課程,つまり学校において,個人をどこまで導くかというゴールを設定することの意味でしょう。

 すると,考える力や豊かな感性を育ててあげることはそのまま「目標」としてよいのは間違いないです。
 が,何を愛するか,誰を愛するか,そういうところに先生が生徒を「導く」ことは出来るのでしょうか。
 本来無理なことを「目標」として掲げた場合にどういうことが起こるのでしょうか。
 学校を卒業する段階で「日本なんて大嫌い」と発言する子はダメな子?

10 内心の自由,良心の自由が,曇り無く保障されていれば,落ち着いた気持ちになります。
 落ち着いた気持ちからは,自然の情愛は,自然に湧いてきます。
 逆に,小さいときに,何者かよく分からない存在から「お前も,みんなと同じように俺を愛するようにガンバレよ!」と言われて素直に従える人ばかりでしょうか?そんな場合に,「教育の目標」に反する態度が見えたら,先生は叱らないといけないのでしょうか。
 
11 子どもたちが大人になって自然な愛情を持てるようになるためには,例えて言えば,混じり気のない澄んだ空気や水のような,人間にとって根本的なものを存分に与えてあげることしかないのだと思います。
 
12 子どもが可愛いならば,人間としての基礎能力をしっかり育ててあげましょう。
 それだけです。
 基礎能力は点数をとることだけじゃありませんが,読解力,思考力,色んなものを感じ取ることの出来る感性,自分の頭で考える気力。
 これらを育ててあげることが目標の全てであって,これで必要十分。
 
 結果として,ここから自然に行けば,色んなものに対する「愛」はやがて芽を出します。
 気づいたらほら,国や郷土を愛する心らしきものもまた一緒に芽を出しています。それは,ぼんやりとしているかもしれませんが,ぼんやりしていてこそ自然なものです。

13 こういう当たり前の順序,当たり前の優先順位,目標設定を,決して歪めてはいけない。子どもたちの「こころ」に何かを強要するような方向性は、いろんな局面で、ひとりひとりを尊重する精神を歪め、きっと禍根を残すことになるでしょう。

 そんなことをすれば、結果として、私が述べたような健全な愛国心(自分達の社会をよりよくしようと、自分で考え、頭を働かせる気持ちなど)が育つことを危うくするでしょう。

 もし、自分の頭で考えることを放棄した不健全な「愛国心」が国じゅうに広がっていったら…

 日本の明日をそんな風にしたくはない。

 日々出会う子どもたちの笑顔を見ていれば、言わずにいられなくなる,これは私の確信です。
   
 
(補足) 「愛国心の育ち方」について
 ここでは「…育て方」じゃないところにポイントがあります。

 


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