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サッカー試合中の落雷事故で高校などに賠償命令 [くらしと安全(交通事故その他)]

 本当に良かったと思います。
 今朝起きて神戸新聞朝刊一面を見て、このニュースを見て、嬉しかった。以下にあげるのは読売の記事です。


http://www.so-net.ne.jp/news/cgi-bin/article.cgi?gid=soc&aid=20080917-570-OYT1T00446



サッカー試合中に落雷で障害、高校などに3億円賠償命令

 大阪府高槻市で1996年8月、サッカー大会の試合中に落雷に遭って視力を失い、手足が不自由になるなど重度の障害を負った高知市の北村光寿さん(28)と家族が、在籍していた私立土佐高校(高知市)と、大会を主催した高槻市体育協会に約6億4600万円の損害賠償を求めた訴訟の差し戻し控訴審判決が17日、高松高裁であった。
 矢延正平 ( やのぶまさひら ) 裁判長は「落雷発生を予見することは可能で、サッカー部の引率教諭や市体育協会、大会の会場担当者らは注意義務を怠った過失がある」などとして、原告敗訴の1審判決を変更、将来のリハビリ費用を含む計約3億700万円の支払いを命じた。
 学校の課外活動中の落雷事故で賠償が認められたのは初めて。
 判決は「教諭や会場担当者らは生徒の安全にかかわる事故の危険性を予見し、防止する措置をとる注意義務を負う」と指摘。その上で、試合開始前に雷鳴が聞こえ、雲間の放電も目撃されていたことなどから、「雷鳴が大きな音でなかったとしても、教諭らは落雷の危険を具体的に予見できた」とした。

- 読売新聞 [09/18(木) 02:31]



 この事件は、

地方裁判所 原告(北村さん)敗訴

高等裁判所 原告敗訴

最高裁    高等裁判所に裁判のやり直しを命じる

   このときの私の日記 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2006-03-13

高等裁判所 原告勝訴

という経過をたどりました。
 最高裁が、原告敗訴の判決はおかしい、と言って高裁にやり直しを命じて、その結果、高裁が、原告勝訴(学校や体育協会の賠償責任を認める)判決を出したので、これで、原告勝訴の線で決着することになります。
  判決というのは、「私たちがどういう考え方で行動すべきか」を示す役割があります。

 実際に、サッカーの試合が行われているとき、雲行きが怪しくなり、雷の気配がしてきたとき、関係者がどういう判断をするかというのはなかなか難しいものがあります。
 どういうタイミングで、どこまできたら中止・中断するのか、予定を変更したときにスケジュールは大丈夫か、等々色々な要素を考えることになります。
 もちろん、試合ですから、試合に集中している人たち(監督、選手、応援者)のなかには、周りの状況など目に入らない人もいます。
 屋外スポーツですから、雨や風や雪など色んな状況でも基本的にはそれに対応しなければならない、という頭もあるでしょう。
 ですから、中止・中断するにも決断がいるし、また勇気がいることなのかもしれない。

 この判決を見て、「先生や学校や体育協会の人を責めるのは酷だ」という感想を持つ人もいるでしょう。
 けれども、3億円の賠償を命じたこの判決は、何も、このサッカー試合に関わった誰か一人の人を悪者にしてその人だけに3億円という途方もない大金を払わせてその人の人生を狂わせるようなものではありません。
 だから、誰かに対して「酷」な結果をもたらすものではありません。

 むしろ大事なことは、これから先、同じような場面があった場合、色んな要素があるだろうけれども、「何を最優先に考えて行動すべきか」という方針を示したことです。

大会主催者に対しては

 落雷のような参加者の生命身体に危険が及ぶ事態が想定されれば、万一の場合に備えて、安全を最優先させ、試合を中止・中断・延期すべき。その場合に、スケジュール変更はやむを得ない。

学校の先生(引率教諭)に対しては

 落雷のような場合には、試合が開催されそうなときでも、生徒の安全のために中止・中断・延期を申し入れるべきだ。主催者に対して、モノを言うことになっても構わない。そういう申し入れはマナー違反でも何でもない。

選手、応援団、観客に対して

 落雷等の生命身体に危険があるような場合、試合は中止、中断、延期等されることがある。いくら試合を楽しみにしていて、モチベーションやコンディションを合わせていたとしても、命には替えられないのだから、それは仕方のないことだ。

というメッセージが出された効果があると思います。

 
「雷のおそれがあるので今日は試合を中止します。」

となって、

「えー、せっかく調子よかったのにな。でも、『雷』だけはどうしようもないなあ、命に替えられへんし、しゃあないわ。」

ということが当たり前であるようになれば、つらい被害は防げるようになる。 


 スポーツはもちろん激しいもので接触や転倒などでケガをするおそれは元々あるものです。また、サッカーなどでは、ある程度は勇気を持って接触等の傷害をおそれず果敢にプレーすることも必要な部分があるでしょう。
 それから、暑さ寒さ、雨、風、雪など悪条件でも集中力を切らさずにプレーする「タフさ」も、スポーツ選手として重要な要素であります。
 
 但し、そうだと言っても、「命に関わる」ような危険(また後遺症を残すようなケガをする危険)は、そういう「勇敢さ」「タフさ」とは別次元に位置する、ということ。これは、スポーツ関係者であれば、頭の中で明確に区別して、適切な対応をとらねばなりません。特に、監督やコーチなどの指導者にそれが求められます。

 落雷事故や熱中症等は命に関わります。
 たとえば、落雷を恐れずプレーをすることなど、スポーツマンに必要な求められる「勇敢さ」とは違います。北村さんは、落雷の危険を感じ、ネックレスを外したほうがよいか、と口にしておられたそうです(註 ここはちょっと記憶が曖昧です。違っていたらすみません。)が、それこそが正常な危険予知能力だとおもいます。生徒にそんな危険な状態でのプレーを強いて、取り返しのつかない後遺症を負わせてしまった関係者(大人たち)の過失はやっぱり否定できません。
 炎天下で水を飲ませずに千本ノックをするような野球の指導者は、もう今の時代はきっと「化石」か「天然記念物」のような存在だろうと思いますが、もしそんなことをする人がいるなら、根本からスポーツや部活に対する考え方が根本から間違っていると思います。「精神修養」の意味さえ勘違いしているとしか言えません。こちらは、落雷事故を防げなかった今回の事故の関係者よりももっと根本から間違っていると言えます。こんな指導者は(20年前ならともかく今は)もういないと信じたいですが。
 
 いずれにせよ、今回の判決は本当に良かった。
 北村さんの裁判は、多くの人が署名するなど、たくさんの協力者・賛同者がいて一緒に闘ってこられました。
 それは、北村さんが訴えていたことが、多くの人の願いと一致していたからではないでしょうか。
 大会のスムーズな運営などももちろん大事だが、それよりももっと将来ある子たちの生命身体の安全を第一に考えてやっていって欲しい、そうすべきだと裁判所にメッセージをハッキリ出して欲しい。私も一市民として願うことでした。

 学生生徒の部活が、健やかな心と体を成長させる場として、(落雷、熱中症等の)危険や不安から解放されて、その効果がより一層高まる充実した場になってゆくことを願ってやみません。
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shira

 なあるほど。
 私も高校の教員ですんで、最初は「これじゃ屋外スポーツの引率の仕事は引き受けられないな」と不安になったんですが、そういうふうに受け止めるべきじゃないんですね。責任を問われる問われないに関わらず、事故被害を最小限にすることが重要ですからね。
by shira (2008-09-18 21:26) 

hm

 いやー現場の教員の方は大変だと思いますし、時に、本当に難しい判断を迫られることがあると思います。

 率直に言って、事故が起こった場合、民事賠償請求事件では結果責任に近いくらい損害賠償請求は認められる流れになっています。
 が、私は、それはそれでよい、と思っています。
 本当に不可抗力なものはともかくも、関わる人が何らかの形で注意して事故の発生や拡大を防ぐ余地がある場合に、「より注意せよ」という方向性を裁判所が示すことは、現在の社会全体の安全意識のレベルからすれば、ほぼ例外なくよいことだと思われるからです。

 ただ、もし、何らかの事故が起きたときに、組織や他の人の責任もあるだろうに、たとえば引率した教員一人を悪者にしてその者に集中的に非難を向けるような流れになるようなことがあれば、それは違うし社会にとってもマイナスだ、と考えます。
by hm (2008-09-19 13:24) 

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