「他人事」だから弁護できる~車の弁護士費用特約に思う [弁護士業について]
秋になると,またこの季節がやってきたな,と思う。
自動車保険の切り替え
だ。私が初めて車を買ったのは,23歳の時(司法修習生の時)の11月であって,スズキのカプチーノというツーシート軽のオープンカーだった。いやあ,若かった。だから,毎年11月が迫ると,また,自動車保険の契約をしなければならない。
今年も無事故だったな,よかったな,と思うと,保険料は安くなるはず。だが,実際は一向に安くならない。消費者としては極めてポーーーッとしている私は,代理店のオススメNo1を毎回契約している。すると,等級は下がっているし車両の評価額は下がっているが,保険料は横ばいかまたは上がっている。
すなわち,
保障内容が充実していっている=新たに色んな特約がくっついている=保険料総額があがっている
ということだ。
さて,いつもはこんな風に割と親切に
「こんな特約も,こんな特約も」とすすめてくれる代理店も,私に対して,珍しく,
「これはセンセの場合,いらないですよね?」と言った特約があり,
それは,
弁護士費用特約
だった。
私は,そのとき,
「いや,これはつけてくれ。」と言った。
代理店の人が何で?自分が弁護士やのに?という顔をしたので,手短にこういう分かりやすい説明をした。
「いや,事故で私が死んだり寝たきりになったらどうしようもないでしょう?」
代理店の人,納得されていた。
弁護士費用特約というのは,交通事故で,基本的に自分が被害者として加害者に対して,損害賠償請求するときの弁護士費用について,保険で出るという契約だ。
多くの場合が弁護士費用が300万円まで出る保険。
つまり,弁護士費用を300万円までは自腹切らなくて済む,という保険だから,便利だ。そうでなければ,被害者なのに,加害者に裁判を起こそうと思えば,着手金を自分で何十万と用意しなければならない。これはかなりしんどいことだ。
最近は,「弁護士費用については自分の保険の弁護士費用特約がついている」という依頼者の方も増えてきた。
相談を受ける弁護士の側としても,とても気が楽だ。依頼者の経済的状況などに関わりなく,受任して示談交渉するとか訴訟をするとか,「必要な場合にはお金に困らずやれる」ということだから,本当にありがたい(ただし,それでも,「やれるものは何でも訴訟」がいいとは限らないが。)。
交通事故遺族の方,または,後遺症に苦しむ方から,その人の自分の財布からお金をもらうというのは,いつも心苦しい思いがある。(もちろん,仕事だからもらわないわけにはいかないのであるが。)
だから,この特約は助かる。私は保険屋さんではないが,この特約は,イザと言うときにはかなり助かるものだろう。オススメである。
さて,横道に逸れた。
私が弁護士費用特約に入っているのは,実は,
私が倒れていて自分で裁判をやったりできない場合に備えて
という理由だけではない。
むしろ,それより大きい理由は,
自分のことは適切に弁護活動できないだろう
ということだ。
事件を当事者そのものとしてではなく,他人事としてみるから,客観的に見られる。
裁判官ならこの事件をどう見るだろう
相手方は何を考えてどういう作戦でやってくるだろうか
期待する結果を得るためには,何が有効だろうか
を,怒りとか恨みとかの感情と切り離して考えることが出来る。
だから,弁護士の仕事は,他人事だからできるのだとおもう。
修習生やロースクール生に対して,いつも
「『ええ意味で』他人事という意識で,弁護士業務はせなあかん。」
と私は言っているが,上の意味である。
ゆえに,ここが難しいところだが,「依頼者の助けになりたい」という気持ちの中で,でも,感情移入のしすぎは危険で,「客観的な冷めた目」を持たねばならぬのが,この仕事である。
熱ければいいというわけではない,が,内なる熱さは必要。
「冷静と情熱のあいだ」である。
というわけで,きっと,
私は私の弁護はできない。
いや,やればできるだろうが,私が,私以外の依頼者の仕事を受けてやるときくらいの判断水準を保つ自信は全くない。(それを思えば,橋下弁護士は,起こされた裁判を自分で戦うといっているが,うまく出来るのだろうか。と心配になるが,これは無責任な心配で,万一私に依頼されても,その裁判をやる余裕は今の私にはないのでお断りするほかないが。 注 … 橋下弁護士・光市事件弁護団の問題について,この日記はどちらの立場を擁護するものでも,どちらの立場に反対するものでもない。橋下事件に関するコメント一切ご遠慮ねがいます。)
外科医をやっている私の友達が,奥さんの皮膚を縫ったと言う話を聞いた。その外科医は,感想として「身内のオペなんかやるもんじゃない。脂汗が出た。他人の体や思うからオペができるんや。」と言っていたが,そうやろなぁ~~~~と思う。(外科医の彼は,患者に対して無責任なドクターだということは絶対にない,と言いきれる。その外科医は,極めて責任感と職人根性の強い性格だ。)
つまり,弁護士が他人の紛争に関わることは,
法律的専門性
の意味だけでなく,
客観的視点の提供(広い視野の提供)
という意味があり,それも極めて重要だということだ。
これから弁護士も増える世の中で,どうか市民の皆さんは,法律相談に行ったら,
「この弁護士は,自分の言うことを『そうだそうだ』というだけではなく,『客観的に見たらどうか』『相手や裁判所はこの事件をどう見るだろうか』という視点を提供してくれる弁護士だろうか。」
という視点で,自分にとって本当に役立つ弁護士選びをしていただきたい,と思う。
誰かへの怒りをもって相談に行ったとき,「そうだ,そうだ」「じゃあ,やりましょう」と安請け合いする弁護士にあうと,「自分の気持ちを分かってもらえた」と思ってつい嬉しくなるかもしれないが,それだけだと危険かも知れない。
良薬は口に苦し,である。
「無理なものは無理と言ってくれる」または,「裁判で勝つか負けるかなどについて,予想できる部分と出来ない部分をちゃんと説明してくれる」弁護士のほうが信用できるだろう,と私は思う。
「傍目八目」ですね^^
仰るとおりだと思います
学校の先生も、自分の子供の教育が、必ずしも上手くいくとは限りません
介護も、身内より他人の方が良い場合もありますし…
by 心如 (2007-09-14 20:17)
判例上、学説上は負ける可能性がすんごく高い訴訟でも、弁護士がやらねばならないっていう裁判ってどんな裁判なんでしょうか?あるいは、弁護士会として取り組まねば弁護士個人に負担がかかりすぎる訴訟ってどんなのがあるのか。その辺のところを客観的に説明してほしい所です。
by 東西南北 (2007-09-14 23:52)
村上さんへ
「弁護士特約つけてくれ」の理由で「その方が、客観的に見られる」ということを認識なさっているのは、私にしてみれば、すごく信頼できる弁護士さんだなって思えますね。
「何が最も大切なのかを踏まえている」「そして、それを行うための手をきちんと打ってある」からこそ「この人なら、最も私も周囲も納得できることを実現してくれる」と信じさせてくれるわけです。
その意味で、諸手を挙げて賛成し、また、その姿勢には敬意を表したいと思います。
>良薬は口に苦し,である。
>「無理なものは無理と言ってくれる」または,「裁判で勝つか負けるかなどについて,予想できる部分と出来ない部分をちゃんと説明してくれる」弁護士のほうが信用できるだろう,と私は思う。
完全に同意です。
「何のためにやるのか」ということが最も大切なんですから、「目的に対して最大限のパフォーマンスを出す」ためには、そういう姿勢でないといけません。「できないものはできない」とはっきり言う方が信用できます。
あと「これはできないが、これならできる。」という代替案を出したりするともっといいかも知れませんね。
最も信用できないのは、その場を取り繕って陰でコソコソ辻褄を合わせることです。
もっとも、こういうケースがトラブルやクレームの最大の原因になるんですけど・・・。(笑)
とまぁ、長々と書きましたが、そもそも「仲間の立場として、厳しい意見を包み隠さずダイレクトに言う」というのは、発言する側が本当の意味で相手に対して好意を持ったり、信頼したり、「この人は守らないとあかん!」と思わないとできないし、やらないですよ。
下心があったり、「どうでもいいや」って思っている人ほど、厳しいことは言わないもんですからね。
by wakuwaku_44 (2007-09-15 02:08)
小父蔵さん
まさに,岡目八目です。その「岡目」が,専門的に正確である,というところがプロとしての生命線,と心得て,精進したいと思います。
by hm (2007-09-18 09:35)
東西南北様
いずれ,別の日記で,そのテーマで書いてみたいと思います。
by hm (2007-09-18 09:36)
wakuwakuさま
ありがとうございます。
正確かつ客観的な視点の提供が重要である,と分かっている。
耳に痛いことも必要ならば言いつつ,心は寄り添う,寄り添っていることを伝える,ということを両立させねば,依頼者との関係は成り立たない。ここに,wakuwakuさんが先日言われた「『頭でっかち』なだけではダメ」ということがあるのだと思いますね。
精進したいとおもいます。
by hm (2007-09-18 09:39)
村上さんへ
>精進したいとおもいます。
この言葉が出ている以上、「頭でっかち」ではないと私は思っています。
「頭でっかち」ほど、そういう言葉を言わないですから。
ちょっとだけ厳しい「反論」をするならば
>耳に痛いことも必要ならば言いつつ,心は寄り添う,寄り添っていることを伝える,ということを両立させねば,依頼者との関係は成り立たない。
というのは『逆』ですよ、ということです。
心が寄り添い、寄り添っているからこそ、耳の痛いことも必要ならば言うのです。信頼関係が成り立っているからこそ、耳の痛いことを言うし、聞く。
プロとして大切なのは「情熱」と「知識」です。そのどちらが欠けていてもプロにはなれない。「やる気があっても、能力がない」ならば、そもそもできないんですから、知識は必要です。「能力があっても、寝ていたんじゃ、何もしない」んですから、情熱も必要です。
あと「一緒にやろう!」という気持ちがあれば最高だと思います。
上から目線でもなく、下から目線でもない。互いがパートナーで、協同作業で仕上げていくという姿勢ですね。これが最高のパフォーマンスを出す最大の要素だと思います。
これは教育現場でも同じだと思います。
子どもたちに対する情熱と信頼を持ち、そして子どもたちに物事を教える知識とセンスを鍛えていく。
あと、教師は「生徒から教えられている」という部分も非常に多いです。
私は教師ではありませんが、人に勉強を教えたことがあります。私にとっては容易に解ける問題でも、その人はなかなか解けない。私が教えるんですけど、理解してもらえないんです。
最初、その人を「バカじゃないか?」って思いました。しかし、途中の計算式を細かく書いて、そのひとつひとつを教えていくと、途中で「あれ、そういえば、なんでこれはこうなんだろう?」って、自分自身で壁にぶつかったんです。
普段、当たり前のようにしていたことを自分自身が理解していない。これでは他人に教えるのは無理だな、ということ。
結局、その人と「一緒に勉強した」ってなってしまったんですね。
何をするにしても、結局「心」の問題なんだなって思いましたね。
ちょっと話が横道にそれて申し訳ありません。
by wakuwaku_44 (2007-09-20 03:15)
>耳に痛いことも必要ならば言いつつ,心は寄り添う,寄り添っていることを伝える,ということを両立させねば,依頼者との関係は成り立たない。
というのは『逆』ですよ、ということです。
心が寄り添い、寄り添っているからこそ、耳の痛いことも必要ならば言うのです。信頼関係が成り立っているからこそ、耳の痛いことを言うし、聞く。
wakuwakuさん
なるほど。
例えば,その場限りの,市役所の相談窓口などでは,たとえ,心が通いそうもない相手でも,私たちはプロですから,本当のことが耳の痛いことであっても言わなければならない。そこで仮に嫌われても,本当のことを言うのがプロ。
一方,(継続関係となる)依頼関係となれば,そういう信頼関係が根底になければ継続できないし,納得いくサポートにならない。
仰るとおり,それが依頼関係の本質だとおもいます。
by hm (2007-09-20 10:03)
精神論はさておき、結果に責任を持つのがプロであり、
結果に責任をもてないのがアマチュアだと思います
そうでなければ、報酬を受け取る資格がないのでは?
日本人は、綺麗な言葉に惑わされて、本質を見失い勝ちですが…
by 心如 (2007-09-21 00:39)
小父蔵さんへ
ちょっと反論になって申し訳ないですが、信頼関係はすべての基本だと考えます。
別にきれいな言葉だとは思っていませんし、そんなことにこだわっているわけじゃありませんので、そのあたりは誤解のないようにお願いします。
それで、信頼関係についてですが、これは、互いに「信頼してもらおう」「信頼しよう」という「精神」があるからこそ、「その信頼を裏切らないように」ということで、「努力」し、「知識」「技能」を発揮し、また伸ばしていくものだと思います。
つまり、むしろ、人間関係の基本に関わることですから、このことに関しては、プロもアマチュアもないと思うのですが、いかがでしょうか。
プロかアマチュアか、というのは、もう少し別のところでの「違い」があるように思っています。
と、反論しておきながらなんですが、小父蔵さんがそのように発言なさるのも無理ないと思うんです。
なぜなら、「精神論」というのは、昭和天皇が言われたように「精神に走り科学を忘れた」という苦い過去がありますから、否定的な言葉になるのはお気持ちはわかるんですよ。
なので、決して小父蔵さんを否定しているものじゃないので、そのあたりはご理解いただければありがたいです。
by wakuwaku_44 (2007-09-21 22:25)
hmさん、こんにちは。
私もちょうど自動車保険の更新の時期を迎え、「弁護士特約はどうしますか?」と尋ねられました。
これまでそういう特約があることさえ知らず(尋ねられたかどうかも覚えていない)、1カ月前だったら「ああ、それはつけなくていいです」と答えていたと思うのですが、この記事を拝見していたので、「あっ、それお願いします!」と即座に頼んでしまいました(笑)。
保険には入るものの、「まさか、自分が事故を起こすはずはない」と頭のどこかで甘く考えていたようです。
現実問題としては大事な特約ですね。教えていただきありがとうございました。
by mai (2007-09-22 10:51)
人間というのは、とってもおもしろい生き物だと思います。
保険をしっかり認識して、保険に加入する人ほど、保険を使うことが少ない。
というのは、「万が一がある」ということを認識しているからであり、そして、そういう人は、その万が一に備えての準備や注意を怠らない。だから、保険を使う事件が起こりにくい。
「占いは当たらない」というのは、占いそのものの非科学性もあるんですけど、例えば「今日は水の事故に遭う危険がある」といわれたら、「水の事故に注意を払う」わけですから、逆に水の事故が起こりにくくなるということですね。
保険というのは、「万が一の備え」よりも「戒め」として意識するのがいい使い方なんだろうな、って思っているところです。
maiさんの「気づき」というのは、それだけ事故から遠ざかっているという証じゃないかなって感じましたね。
by wakuwaku_44 (2007-09-22 17:26)
スズキ・カプチーノ!いいなあ。hmさん、エンスーだったんですね。
かくいう私も20代の頃はユーノス・ロードスターに乗ってましたよ。いいですよねえ、オープンは。また買いたいもんです。
ところで、「ええ意味で他人事」でないと弁護という仕事はできないという指摘、とても興味深く思いました。
学校の仕事でも、生徒とのほどよい距離感というのが不可欠です。生徒とはべったりでも薄情でもまずいんです。
同業者の方々は「自分の子どもは教えたくない」とよく言います。奥様の皮膚縫合をした外科医の方と近い感覚なんじゃないかと思います。
スポーツの世界ではたまに父親がコーチというケースがありますが、そういう場合、コーチたる父親は親らしい面をほとんど全く見せず、コーチ業に徹してるようです。恐らくそうやって「情」を捨て去らないと、きちんとコーチすることはできないんでしょう。
by (2007-09-24 10:16)
>shiraさん
カプチーノは私のときでももう生産しておらず,中古でした。
そうですそうです。
教師は,自分の子どもの教育に失敗することが非常に多いそうですね 笑
スポーツの世界でも,グラウンドでは「監督」と必ず呼ぶ,とかそういう父親兼任監督とかが,結構いますよね。
by hm (2007-09-27 11:19)