今年になって、書店でも、憲法を題材とした本、憲法を取り上げた雑誌の特集などが目につくようになりました。

 憲法について関心が集まるのは、ともかくも、安倍首相の御陰です。
 前の安倍政権の時も、今回ほどではありませんが、安倍首相が憲法について色々発言をするので、憲法について考えるきっかけが増えました。

 さて、その安倍首相が、憲法の中身を変える前に変えやすいようにしよう、ということで、先に、憲法改正要件の憲法96条を変えて、憲法改正国民投票の発議を、両議院の2/3の賛成ではなく両議院の過半数の賛成で行えるようにしよう、という主張を4月ころまでは熱心にしていました。

 これに対し、私の属する兵庫県弁護士会では、

憲法第96条の憲法改正発議要件緩和に反対する意見書http://www.hyogoben.or.jp/topics/iken/pdf/130620iken.pdf

を発表しています。この意見書の作成には私も関わりました。

 
 簡単に言えば、こうです。

 今の憲法96条の条件では、先の参議院選挙の結果を踏まえても、今、首相が憲法改正の発議をしようと思っても、自民・公明に加えて、みんなの党や日本維新の会などの協力を得なければ、憲法改正の発議はできません。

 ですが、これを変えて「両議院の過半数」で発議できるとすれば、どうでしょう。

 具体的に言えば、現状の議席に基づくと、自民・公明だけで発議できますし、また、仮に公明党が反対した場合に自民・維新という組み合わせでも発議できるようになります。
 また、民主党が政権をとったその瞬間であれば、民主党および社民・国民新党の賛成があれば過半数を超えますから、「民主党主導の憲法改正」も発議できた(しかも、そのときの民主党人気ならば国民投票でも賛成が得られた可能性は高い)、ということになります。

 憲法改正が発議されると国民投票を行うことなります。
 国民投票は、有効投票の過半数の賛成で憲法改正が出来ます。
 ですから、今回参院選のように投票率が50パーセント台ですと、3割の国民の賛成票で、憲法改正がなされます。
 時の過半数の党が賛成して発議した憲法改正案ですから、国民全員(正しくは有権者)の過半数ではなくて、有効投票の過半数なら、それほど難しくないでしょう。

 一般の法律ならば、現状に応じて、スピーディに法律を作ったり改正したりすることは必要です。
 これに対して、憲法は、もっと大きな理念や原則を定めたものですから、スピーディに改正する必要はないのです、国家の何十年の計です。コロコロ変える、ブレることはプラスになりません。変えてもいいのですが、変えるなら、今後何十年の計として変えるべきものです。

 そうであれば、一般の法律と違い、単なる時の多数で変えられるのではなく、特別の多数でなければ変えることのできないようなルールは合理的だと思います。

 なぜなら、憲法は、少数者の人権も含めて保障するものだからです。
 喩えて言えば、「あいつら少数者だから人権を制限しちゃえ」というような声に異論を言わない(言えない)人が5割いても、「さすがにそれはまずいのではないか」という人が1割いたら無茶な憲法改正を阻止できる、というような意味合いで、憲法96条は憲法改正に法律と違った特別の要件を課しています。

 
 タイトルの「私たちの憲法」という意味です。
 
 憲法改正国民投票に参加することで国民が自分の憲法だという実感ができる、という声があります。
 私は、これはそれ自体もっともだ、とも思います。
 きっとそうでしょう。
 
 でも。憲法改正国民投票は体験学習ではなく、その結果によって、本当に憲法の規定が変わるのですから、わたしたちの人権を保障している条文だって、本当に変わってしまう効果を持ちます。
 人権を保障する規定が悪く変えられたら、いくら腕が立つ弁護士が弁護団を組んでも、根拠となる憲法の規定がないのですから、人権侵害を防げなくなるかもしれません。

 だから、憲法改正国民投票にもっていきやすいようにする、ということはやはり危ないことです。

 確かに、憲法や法律を専門的に勉強した法律家でもなければ、一般の国民は、日本国憲法を「わたしたちの憲法」だという感覚で捉えられていない、と思います。

 だから、安倍首相が憲法について積極的に発言することそのものは、私は、ある意味では、(皮肉とかそういう意味ではなく、本当に)、大事な論点を国民に示してくれていると思っています。
 そういうことをきっかけに、「新しい憲法のはなし」ならぬ「わたしたちの憲法のはなし」「これからの憲法のはなし」をあちこちですればよいのです。
 
 私自身は、日本国憲法に問題点もあるし、今私が憲法を書けと言われたら違った規定にするだろう、という点があると思っていますが、この憲法がベースにする根本的な価値観には殆ど賛成ですし、そういう憲法が今存在することは本当に有り難い、と思っています。(なので、「護憲派ブロガー」という位置づけになるようです。) 
 憲法がベースにする根本的な価値観を維持発展させた、個人の尊厳をよりがっちり丁寧に守ろうとする、自由と人権の基礎法の進化形(21世紀形)の「憲法改正案」があるなら、私は改憲に賛成です。
 ということで、私は「改憲派」でもあります。

 憲法は、100ちょっとの条文で、抽象的で骨太なものです。一般法のように細かいことは書いていません。
 なので、「これからの憲法」を考えるときに、

・ 条文の言葉を変える

だけではなく

・ 既に書かれていること、例えば、「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するとする憲法25条の中身を、具体的にはどう実現するのかを、国民みんなでよく考え、工夫して充実させていく

ということが大切なのです。
 憲法の条文は既にあるのですが、その中身の実現方法を改良しよいものを作っていくことは、「これからの憲法」を作ること、なのです。

 なので、

「憲法を守ろう」

というスローガンでは、ただの現状維持、保守、なのでつまらないし、それでは「私たちの憲法」ではなく「古い憲法」がそこにあるだけになるのですが、

より創造的に憲法を活かすこと(それを多くの人が関心を持って議論すること)

は、「これからの憲法」「私たちの憲法」を国民が持つことになるのだ、と私は思っています。

 憲法を「守る」のではなくて、憲法にもっと「命を吹き込む」ことによって、「私たちの憲法」にするのです。


 96条改正を言う論者の中にも、私がこの記事で述べるのと根っこでは共通した願いを持った人がいるのではないか、と思っています。
 「憲法に国民が関心を持って、勉強して、議論して、考えて欲しい」と。
 
 その方法論についての問題ですが、しかし、「改正ルールの緩和」というのは私は筋違いだと思っています。

 確かに、投票行動をきっかけに、というのは有力な手段とは思いますが、であるなら、例えば、直ちに憲法改正という効果をもたらすわけではないが、国会が施策の「参考」にするための、別の制度での「国民投票」というものを行う方法もあるかもしれません。

  
 ともかく、96条改正には反対ですが、みんなで「私たちの憲法」を考える、というのは大事なことだと思っていますので、私もできるかぎり、その為に良いことを考えてやっていきたい、と思っています。

                                     村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所