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コロナで変わったこと~その4 仕事、職場、面談 [時事ニュースから]

 コロナで変わったことを感覚がビビッドなうちに書き留めておくシリーズも4回目。
 今回は、仕事について書いてみます。

4 仕事、職場、面談
 まず、4月に入って、職場はスプリット体制をとった。
 スプリット体制というのは、事務所スタッフを2班にわけて、交代で出勤し、異なる班は接触しないとするものだった。
 それで、半分の日は私もテレワークになった。

 私は昔からオフィスに行って仕事をするのが当たり前だったし、自分のスイッチが入るのもオフィスにいってこそ、だった。
 家にいるときに、なんかだるいなあ~、とか、疲れているな~という時があっても、オフィスに入ればシャキッとする、そういう感覚だ。今もそう。
 
 なので、家で仕事をするというのは、どうもスイッチオンの瞬間がはっきりしなくて気持ちが悪かった。
 ワイシャツに着替えることで、スイッチオンとしていたのだが、やはり同じではない。

 4月5月の緊急事態宣言が終了した後は、通常のオフィス業務に戻った。

 で、何がコロナ前と変わっただろう?
 
 世の中全体もそう、事務所としても、考え方がずいぶん変わったように感じる。
 
 つまり、働くというのは「職場に出るのが本物」という考え方からは自由になった。
 確かに最近、リモートワークなども言われるようになっていたが、コロナ前は「例外的オプション」という位置づけだった。「本物」という扱いではなかった。
 子育て、介護などライフステージは色々あり、人には様々な事情がある。
 それでも、コロナ前は、私も「毎日出勤できるメンバーこそがレギュラーメンバーだ」という考えだった。
 それは変わった。

 「すみません。村上は本日自宅勤務でして…」

という電話案内を4月の最初はしていたことがあったが、

 「『すみません。』は要らない。堂々と、自宅勤務・テレワークと案内しよう。」

と事務所スタッフと話した記憶がある。

 顧客と打ち合わせをするとき、例えば、私ともう一人の弁護士(仮に、「H弁護士」としよう)の二人が担当で、私は事務所に出所しているがH弁護士は自宅、ということがある。
 事務所では、顧客と私。H弁護士の自宅とzoomやスカイプでつなぐ。
 初めての顧客であれば、私が自分の名刺とH弁護士の名刺を渡す。
 実際にこういう場面があったが、その顧客からは、
「こういうスタイルは今風ですね。」
との前向きな反応をいただいた。

 ほかの場面でも、zoomと会議用カメラを使ってリモートを含めた打ち合わせをすると、顧客の方からは、(コロナ前からすれば意外な)良い反応をいただく。
「進んでいますね。」という言葉や、機材などについて自社の参考のためにとご質問をいただく。

 つまり、世の中全体が、デジタルを使って「時間」「空間」から自由になろうとしている、そういう働き方をしようとしている、ということだ。

 その目指す先は、ダイバーシティ(多様性)の実現、ひいては「才能を活かすこと」なのだと思う。

 特に女性の学業と仕事のことを考えるとわかる。
 女性で学業に熱心な生徒、進学校では医師を志望する割合が非常に高い。
 医師などはエッセンシャルワーカーそのものだが、仮に、出産育児等で仕事を離れる時期があっても医師免許があればその後も仕事は必ずある、と考えられている。
 だから女子にとって医師になるのは良い選択、というわけだが、ちょっと待て。
 それはすなわち、医師を除いて一般に、女子が出産・育児をするライフステージにおいてどうしてもキャリアが大きく遅れてしまう、という現状の反映に他ならない。
 これはひどい話だ、と思う。
 例えば、10歳~22歳まで一生懸命勉強したとして12年。その努力は男子ならそう迷いなくストレートに活かせる。
 だが、女子にとって、出産・育児期は明らかにハンデになる。そのことを思うと心が痛い。
 私は男子だが、やはり家族・親族の女子の育ち方を見ていると、とても感じることがある。

 そこで。
 「テレワーク」「リモートワーク」が本物の働き方、と認知されたことは、本当にコロナがきっかけで可能性が開けたことだ。
 「世の中として、いずれ、そうしなければならないだろう」と多くの人が思っていたのだが、テレワーク・リモートワークに「市民権」を与えるきっかけが必要だったというわけだ。

 才能を持ちながら、意欲も持ちながら、やむなくキャリアをあきらめ家庭にとどまった人がこれまで沢山いたはずだ。
 
 もちろん女性だけではない。
 男性も、子育てに積極的にかかわりながら、また、親の介護などを自分の思うようにやりながら、「リモートワーク」を活かして、仕事も遅れを取らない、そんな可能性が広がる。

 単身赴任も不要になる、と言われている。
 家族と一緒に暮らせない孤独は、辛い人には辛いと聞くが、それも少なくなるなら良いことだ。

 急にコロナで、在宅勤務が増えたり、オンライン会議が増えたから、色々不具合も起こっている。

・ オンライン会議中に家族が映ってしまう「放送事故」みたいな出来事。
・ リモート接続(VPN接続)がサイバー攻撃の標的になる。
・ テレワーク中の勤怠管理ができにくい。

などなど。

 だが、こんな「不具合」などあぶり出されさえすれば、すぐに手当てされ、スムーズにできるよう進化する。そのスピードは現在はとても速い。
 zoomのセキュリティが弱いことが指摘されたら、確か数日でセキュリティが強化された。

 「もうやるしかない」状態にコロナで追い込まれたから、トライ&エラーが急サイクルで行われるようになった。
 
 もちろん、自分のビジネスや人生にとって致命的なリスクは避けなければならないが、コロナ前思っていたよりも、

「やってみること」
「トライ&エラーを許容すること」
「リスクを取ること」

の重要性に気づき、これまでどうしてもまじめな人ほど、

「リターンの過小評価と、リスクの過大評価」

をする傾向にあったことに気づいたのではないか、と思う。

 本当の「まじめ」というのは、「失敗を避ける」ことだけに意識を集中するのではなくて、「進歩、発展への努力を怠らないこと」「可能性の扉を無駄にしない」ことだ。
 
 そして、このコロナでの劇的な変化をよい経験に、普段は「現状維持が快適」という感覚に支配されやすいということを自覚して、これからの時代は、意識的に「変化に強くなる」「変化を楽しむ」ような在り方でいくほうがよいのだろう、と思う。

 DX(デジタルトランスフォーメーション)、ペーパーレス化、オンライン、リモートワークなどの発達は、家族や生活を大切にするということに活かせると思う。
 
 ただ、私自身は、それで「楽になる」という気はしていない。
 デジタル技術、新しい技術を駆使して、「もっともっと欲張れるようになる」のだ、と思っている。
 今までも欲張ってきた。勉強、仕事も好きだが、家庭、スポーツ、趣味、遊び。やりたいことを何も我慢した記憶がない。
 それが、「時間」「空間」にとらわれない活動がより可能になる結果、もっと欲張れる、となれば、きっと自分は欲張るだろう、という気がする。
 なので、要注意は、今後、人の活動が多くなりすぎて、心身の健康を害することにならないようにしなければならない、ということにあるとも思う。

 逆に、「ゆったりとした時間の流れを楽しむ」ことや、「デジタルデトックス(デジタル機器を一定期間遠ざけること)」をわざと取り入れるなどしなければ、活動過多になりそうだ。少なくとも私は。

 前3回でも書いたが、私は、同じ空間での生身の人間と人間の触れ合いを本当に尊いものだと思っている。
 だから、コロナ前はスカイプなどがあっても、「直に」会うことを重視した。
 それゆえデジタルツールは最小限しか使わなかった。
 なんとなく「デジタルは体に悪い」と思っていた。
 本なんかも、電子書籍は味気なく、紙でなければ読書した気がしない。
 
 だが、コロナをきっかけに、「デジタルを駆使しよう」と意識は変わった。

 いや、それでもやっぱり、「人と直に」が好きで、「紙」で読まなければ頭に入る気がしないし、ペンからでるインキが知的活動の印という感覚そのものは私の中に染みついていて変わりそうにはない。
 けれども、今「デジタルが可能性の扉を開く」ということをすごく感じるから、私の昭和育ちの感覚とデジタル感覚の「折り合い」をつけて、二つの感覚が互いを認めあって次の時代へ進んでいけるように、と思っている。
 それは何よりも、若者や子供たち、明日の子供たちが大人になるころ、才能が埋もれない世の中であってほしいから、だ。

 テレビで、台湾のIT担当相オードリータン氏などをみると、日本を才能が開花しやすい社会にしたい、と強く思う。
 きっと日本にもオードリータン氏のような才能を持った人がいるはずなのに、でも、発掘できず、国の要職に起用できていないのではないか、という気がする。
 おそらく、デジタルを駆使して技術的に「才能」が埋もれないように、というだけでなく、多様性を認める社会の空気が必要だ。
 「角を矯めて牛を殺す」ようなことをせず、人が「伸びる」ことをただ邪魔をしない、互いが「伸びる」環境を社会全体で大切にすることが肝要だ。
 
 私自身も、自分が働く職場を未来の形に変えていくことを目下最大の課題として捉えている。
 上のような考えの中にいるが、自分はもちろん、自分だけでなく働く者皆の「才能」が余すところなく開花する職場にしたいと強く思う。

 コロナ禍は本当に「禍」だ。
 そのおかげで、なんて言い方は絶対したくない。
 どれだけ人が苦しんだか。今も苦しんでいるか。
 マスクも、自粛も、正直まっぴらごめんだ!早く終わりにして欲しいの一念だが、我慢している。
 だから、「おかげで」とは絶対に言わないが、それでも平時に気づかないことの「気づき」はあるし、それを明日に繋げていくことはできる。
 夜が暗いほど星は輝きを増す(宝塚歌劇団「黎明の風」の歌詞より)、と自分を周りを励ましやっていくしかない。

 
 以上、今日は仕事について書きました。
 デジタル化、オンライン化は、コロナ前「これから10年でしなければならない変革」と言われていたのがコロナをきっかけに「3年でしなければならない変革」になったとも言われています。
 時代の進歩が早まったのなら、今の苦境を乗り越えた暁には、人々の幸福追求がもっと実現する、そういう明日がきっとある、それを同時代の多くの人々と一緒に見たい気持ちでいっぱいです。
 次回「その5」は、スポーツ、音楽、芸術など文化活動について書いてみたいと思います。
 
 
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