コロナで変わったこと~その6(終) リセット・リスタート [時事ニュースから]
コロナで変わったことシリーズ、今回でいったん最終回です。
6 リセット・リスタート
これまで前5回で書いた通り、コロナ禍は本当に「禍」だ。
コロナに対する人類の対応、日本社会の対応が正しかったのかどうかは、少し時間が経ってからみなければ分からないだろう。
それでも政府、医療の専門家、その他それぞれの立場で真剣に考えて、懸命に対応している。そして、国民も多数がベストと信じる対策を取っている。それは間違いないと思う。
正直に言って、マスク生活、大声を控える生活、人との接触が推奨されない生活は、人間社会本来の喜びとか活力を削ぐものであり、本当に「禍」である、一刻も早く終わりにしたい、と私は強く思う。
ただ、コロナがやってきて色んなことがストップした。
このことを良い意味での「リセット」「リスタート」とのきっかけにすることで、また、新たな人と人との交わりをより充実したものとして再構築する、そう考えていきたいと思う。
まず、コロナ前の私の状態はこうだった。
家庭
親戚
職場(法律事務所)
職業団体(弁護士会)
奉仕団体(ロータリークラブ)
ビジネス交流会 いくつか
研究会勉強会 いくつか
趣味の集まり(野球、ゴルフ、囲碁、俳句)
同窓の集まり
これらの集団に属していて、週に4~6つは何らかの集まりがあった。
飲み会も多く、日によっては、「人と会う」用事がダブルヘッダーである日もあった。
そんなに「外に出ていく」必要があるか?
本当に自分が活動、ビジネスや研究で「繋がりたい」少数の人とだけ会えばよいのでは?
というのはもっともだが、人と人との関係性の発展とか、その人が何を持っているか、については意外性だらけだ。
つまり、多くの人が「会ってみなければわからない」し、何の集まりも「行ってみなければわからない」ことが多い。
どこに宝物のような出会いがあるか分からない。
これは本当にそうだ。
「何か気乗りしないなあ」と思いながら足を運んだ場所で、かけがえのない友に出会えたりすることがある。
たとえば、去年は、どんなところかよく知らず参加したビジネス交流会がきっかけで、マレーシアに視察ツアーに行くことになり自分の視野が広がった経験がある。その交流会自体は退会してしまったが、これも「一度行ってみなければ何もなかった」の例だ。
ただ、「外に出て人に会う」ということには次の段階があり、段階によって取捨が必要になる。
(1) まず一度行ってみる。人に会ってみる。
(2) 接触頻度を増やす。
(3) 習慣的に集まりに参加する。
あらゆる可能性を広げる、という意味では(1)がスタートライン。
そして(2)人と接触頻度を増やすことによって、親密度が上がり、なかなか他人には言わないような情報を得ることができるようになる。
そのままの流れでいくと(3)習慣的に何らかの集まりに参加し続けるようになる。
ここの(3)のあたりが曲者で、自分にとって本当に必要かどうかの見極めが大切になる。
だが、多くは「人付き合い」であり、そんなに意味がないなあと思い出してからも断ち切れないことが多い。
また、奉仕団体、経営者団体など集まりとしては質の高いものでも、会合・懇親会の在り方が伝統的に必要以上に時間がかかるものであったり、儀礼的・形式的なものであることも多い。
そんなわけで、コロナ前は、
・ 自分にとって意味合いが薄くなっていると思うものの参加せざるを得ない予定
・ 参加者の多くが、それほど意味を感じていないであろう予定
がかなりあったのが事実だ。
Time is lifeだ。時間は命そのものだ。
Time is moneyという言葉があるが、私は、時間は金(交換価値)ではなくて、命そのものだと思う。
だから、自分の時間=命の使い方として、人々との集まりに長時間を費やすことについて、整理をしなければならないということを課題に感じていた。
きっと、多くの社会人が似たような状態にあっただろう。
それに、私が嫌いなものの一つが「だらだら飲み」だった。
少しの酒は打ち解けるに有効だが、それが過ぎるとグダグダ、だらだらになり時間だけが過ぎて、お互いが得るもの、与えるものが少なくなり、内臓に負担をかけるだけになり、そして翌日のパフォーマンスにまで影響を及ぼす。
これは何とかならないものか、とずっと思っていた。
そこにコロナが来た。
最初、3月に各種集まりが中止になったとき、私は4月の事務所移籍に伴う引っ越し準備で忙しかったので、正直この1か月集まりが中止になるのは助かる、とだけ思っていた。
だがコロナは拡大し、4月以降、本格的に人と会えない社会になった。
そこで、会合の類はいったんストップした。
6月以降、再開したもの、再開しなかったものがある。
みんなが余り意味がないと思っていそうな集まりの多くは再開しなかった。
つまり、コロナは各種会合を「ふるい」にかける働きをした。
この作用そのものはプラスだっただろう。
もちろん、会合の会場であるとか食事を提供する事業者(ホテル、飲食店など)に大いに打撃を与えることになったので、そのことを考えると複雑な気持ちはある。
けれども、自分も社会も、ついつい散らかって整理がつかなくなっていた、そして、無理して内臓を酷使して人付き合いをしていた、こんな状態をコロナがいったんリセットしてくれたことは、チャンスと捉えたい。
これからは、外へ出ての人付き合いも、
・ 本当に好きな人との時間
・ 本当に自分が学べるものを持っている人との時間
を見極めて、絞り込んで密度、充実度を上げること。
また、「だらだら飲み」をやめて、お互い有意義な情報交換、意見交換をする。
その意味でも密度を上げる。
やはりTime is life だ。
その時間あたりで、お互いが得るものの多い人付き合いを心掛ける。
そして、相手の「その他の時間」を思いやって、ぎゅっと凝縮した良い時間を過ごしたら、サッと解散する。(もちろんよっぽど好きなら長く一緒に居たらいい。)
コロナは憎い。
だが、「リセット」は意識的にしようと思っても相当難しい。
だから人の集まりが「リセット」されたせっかくのチャンスを活かして、互いが、自分の時間と相手の時間を最大限尊重する付き合い方、集まり方を再構築する、そんな「リスタート」を切るべきだ。
私は5,6年前から積極的に事務所の外に出て人に会うようになった。
なぜか。
その目的は2つある。
一つは、色んな立場(サラリーマン、会社経営、学生、高齢者)の人、色んな業種の人が、どのような考えや感覚を持って生きているのかをもっと知るべきだと思ったこと。
これを知ることによって自分の弁護士としての仕事をするときの感覚、考え方をよりブラッシュアップしたいという目的。
もう一つは、弁護士として15年(5,6年前)色んな事件を扱ってきて身に着けたスキルがある存在として人に会い、自分が人の役に立てる場がどこにあるかを知りたいということ。
いわば、マーケティング的な目的だ。
この2つの目的から、家や事務所にとどまらず、体力の許す限り人に会おう、そして学ぼうと思った。今も基本的にそれは変わっていない。
変わっていないが、コロナをきっかけに自分の中で第二ステージに入った。
コロナで中断した会合、集まりを、各プレーヤーが今度はどうやって再開するか?という段階が続いている。
zoomを使うか、リアルでやるか、時間は?会場は?
ここで、Time is lifeと考える同志よ、立ち上がろう!
家族、健康、その他の趣味など皆大切なものを持っている。
だから、人と人との集まり、会合、懇親会は「最小の時間で最大の成果を上げるための段取り」をしよう。
そのために、積極的に会合などのセッティング役を買って出よう。
以上は会合・集まり・懇親会・飲み会について書いたが、きっと今、同じことがあらゆる場面で問い直されていると思う。
仕事での面談でも、たとえば東京から神戸に1日かけて面談に来なければならないか、zoomでよいか。
Time is life の観点ですべてが見直される。
今のリスタートは全てこれだ。
『一度きりしかない人生の貴重な時間を最大限有意義に使うには?』
この観点で自分も他人も大切にすること。
2020の終わりにこれを書き留めておこう。
(終わり)
6 リセット・リスタート
これまで前5回で書いた通り、コロナ禍は本当に「禍」だ。
コロナに対する人類の対応、日本社会の対応が正しかったのかどうかは、少し時間が経ってからみなければ分からないだろう。
それでも政府、医療の専門家、その他それぞれの立場で真剣に考えて、懸命に対応している。そして、国民も多数がベストと信じる対策を取っている。それは間違いないと思う。
正直に言って、マスク生活、大声を控える生活、人との接触が推奨されない生活は、人間社会本来の喜びとか活力を削ぐものであり、本当に「禍」である、一刻も早く終わりにしたい、と私は強く思う。
ただ、コロナがやってきて色んなことがストップした。
このことを良い意味での「リセット」「リスタート」とのきっかけにすることで、また、新たな人と人との交わりをより充実したものとして再構築する、そう考えていきたいと思う。
まず、コロナ前の私の状態はこうだった。
家庭
親戚
職場(法律事務所)
職業団体(弁護士会)
奉仕団体(ロータリークラブ)
ビジネス交流会 いくつか
研究会勉強会 いくつか
趣味の集まり(野球、ゴルフ、囲碁、俳句)
同窓の集まり
これらの集団に属していて、週に4~6つは何らかの集まりがあった。
飲み会も多く、日によっては、「人と会う」用事がダブルヘッダーである日もあった。
そんなに「外に出ていく」必要があるか?
本当に自分が活動、ビジネスや研究で「繋がりたい」少数の人とだけ会えばよいのでは?
というのはもっともだが、人と人との関係性の発展とか、その人が何を持っているか、については意外性だらけだ。
つまり、多くの人が「会ってみなければわからない」し、何の集まりも「行ってみなければわからない」ことが多い。
どこに宝物のような出会いがあるか分からない。
これは本当にそうだ。
「何か気乗りしないなあ」と思いながら足を運んだ場所で、かけがえのない友に出会えたりすることがある。
たとえば、去年は、どんなところかよく知らず参加したビジネス交流会がきっかけで、マレーシアに視察ツアーに行くことになり自分の視野が広がった経験がある。その交流会自体は退会してしまったが、これも「一度行ってみなければ何もなかった」の例だ。
ただ、「外に出て人に会う」ということには次の段階があり、段階によって取捨が必要になる。
(1) まず一度行ってみる。人に会ってみる。
(2) 接触頻度を増やす。
(3) 習慣的に集まりに参加する。
あらゆる可能性を広げる、という意味では(1)がスタートライン。
そして(2)人と接触頻度を増やすことによって、親密度が上がり、なかなか他人には言わないような情報を得ることができるようになる。
そのままの流れでいくと(3)習慣的に何らかの集まりに参加し続けるようになる。
ここの(3)のあたりが曲者で、自分にとって本当に必要かどうかの見極めが大切になる。
だが、多くは「人付き合い」であり、そんなに意味がないなあと思い出してからも断ち切れないことが多い。
また、奉仕団体、経営者団体など集まりとしては質の高いものでも、会合・懇親会の在り方が伝統的に必要以上に時間がかかるものであったり、儀礼的・形式的なものであることも多い。
そんなわけで、コロナ前は、
・ 自分にとって意味合いが薄くなっていると思うものの参加せざるを得ない予定
・ 参加者の多くが、それほど意味を感じていないであろう予定
がかなりあったのが事実だ。
Time is lifeだ。時間は命そのものだ。
Time is moneyという言葉があるが、私は、時間は金(交換価値)ではなくて、命そのものだと思う。
だから、自分の時間=命の使い方として、人々との集まりに長時間を費やすことについて、整理をしなければならないということを課題に感じていた。
きっと、多くの社会人が似たような状態にあっただろう。
それに、私が嫌いなものの一つが「だらだら飲み」だった。
少しの酒は打ち解けるに有効だが、それが過ぎるとグダグダ、だらだらになり時間だけが過ぎて、お互いが得るもの、与えるものが少なくなり、内臓に負担をかけるだけになり、そして翌日のパフォーマンスにまで影響を及ぼす。
これは何とかならないものか、とずっと思っていた。
そこにコロナが来た。
最初、3月に各種集まりが中止になったとき、私は4月の事務所移籍に伴う引っ越し準備で忙しかったので、正直この1か月集まりが中止になるのは助かる、とだけ思っていた。
だがコロナは拡大し、4月以降、本格的に人と会えない社会になった。
そこで、会合の類はいったんストップした。
6月以降、再開したもの、再開しなかったものがある。
みんなが余り意味がないと思っていそうな集まりの多くは再開しなかった。
つまり、コロナは各種会合を「ふるい」にかける働きをした。
この作用そのものはプラスだっただろう。
もちろん、会合の会場であるとか食事を提供する事業者(ホテル、飲食店など)に大いに打撃を与えることになったので、そのことを考えると複雑な気持ちはある。
けれども、自分も社会も、ついつい散らかって整理がつかなくなっていた、そして、無理して内臓を酷使して人付き合いをしていた、こんな状態をコロナがいったんリセットしてくれたことは、チャンスと捉えたい。
これからは、外へ出ての人付き合いも、
・ 本当に好きな人との時間
・ 本当に自分が学べるものを持っている人との時間
を見極めて、絞り込んで密度、充実度を上げること。
また、「だらだら飲み」をやめて、お互い有意義な情報交換、意見交換をする。
その意味でも密度を上げる。
やはりTime is life だ。
その時間あたりで、お互いが得るものの多い人付き合いを心掛ける。
そして、相手の「その他の時間」を思いやって、ぎゅっと凝縮した良い時間を過ごしたら、サッと解散する。(もちろんよっぽど好きなら長く一緒に居たらいい。)
コロナは憎い。
だが、「リセット」は意識的にしようと思っても相当難しい。
だから人の集まりが「リセット」されたせっかくのチャンスを活かして、互いが、自分の時間と相手の時間を最大限尊重する付き合い方、集まり方を再構築する、そんな「リスタート」を切るべきだ。
私は5,6年前から積極的に事務所の外に出て人に会うようになった。
なぜか。
その目的は2つある。
一つは、色んな立場(サラリーマン、会社経営、学生、高齢者)の人、色んな業種の人が、どのような考えや感覚を持って生きているのかをもっと知るべきだと思ったこと。
これを知ることによって自分の弁護士としての仕事をするときの感覚、考え方をよりブラッシュアップしたいという目的。
もう一つは、弁護士として15年(5,6年前)色んな事件を扱ってきて身に着けたスキルがある存在として人に会い、自分が人の役に立てる場がどこにあるかを知りたいということ。
いわば、マーケティング的な目的だ。
この2つの目的から、家や事務所にとどまらず、体力の許す限り人に会おう、そして学ぼうと思った。今も基本的にそれは変わっていない。
変わっていないが、コロナをきっかけに自分の中で第二ステージに入った。
コロナで中断した会合、集まりを、各プレーヤーが今度はどうやって再開するか?という段階が続いている。
zoomを使うか、リアルでやるか、時間は?会場は?
ここで、Time is lifeと考える同志よ、立ち上がろう!
家族、健康、その他の趣味など皆大切なものを持っている。
だから、人と人との集まり、会合、懇親会は「最小の時間で最大の成果を上げるための段取り」をしよう。
そのために、積極的に会合などのセッティング役を買って出よう。
以上は会合・集まり・懇親会・飲み会について書いたが、きっと今、同じことがあらゆる場面で問い直されていると思う。
仕事での面談でも、たとえば東京から神戸に1日かけて面談に来なければならないか、zoomでよいか。
Time is life の観点ですべてが見直される。
今のリスタートは全てこれだ。
『一度きりしかない人生の貴重な時間を最大限有意義に使うには?』
この観点で自分も他人も大切にすること。
2020の終わりにこれを書き留めておこう。
(終わり)
2020-12-26 22:19
nice!(2)
コメント(0)
コメント 0