通常、企業ではなく個人の抱える問題を扱う弁護士が、今のところ、収入の中心にしているのは、紛争です。

 つまり、喧嘩が起こった後に揉めている状態に対して、

示談

訴訟

調停

などで解決を図ることです。

 これは、

・ それ自体に相当手間がかかる(弁護士の仕事として)

・ その状態に置かれた人は弁護士を依頼せざるを得ない

ことが理由で、コストが高いです。
 つまり、弁護士費用も、それなりの金額になるというわけです。
 
 従って、今、弁護士の収入源といえば、大きな割合を占めるのがこういった紛争解決業務(訴訟など)となるわけです。

 なのですが、こういった訴訟などの「需要」が大きいことや、増えることは、社会的に望ましいかといえば、望ましくないわけです。

 たとえば、

・ サラ金に対する過払い訴訟がたくさんある → 今まで、法や最高裁の判例を無視して、無知なひとからサラ金がたくさん利息をとりすぎてきたから。

・ 悪質先物取引業者への訴訟がさかん(だった時期がある、数年前) → そういった被害があったから。

・ 交通事故民事訴訟              → 事故そのものがなければそもそもない。

というわけで、訴訟などの弁護士「需要」は、社会の暗部の裏返しであるわけです。

 こんな訴訟はまだ良い方で、悪いことになると、

・ 別に訴訟沙汰にしようと思っていない人をけしかけて、無用に訴訟を起こす

ことで「需要」を生み出すことが、ことの性質上可能です。

 法律相談を受けて、その性質によっては、私はよくこう言います。

「そのようなことでわざわざ訴訟に持ち込む場合、それにかかる費用と時間はコレコレです。それでも、訴訟でなければどうしても気持ちが落ち着けられないなら仕方がないですが、よく考えてみるほうがよいです。『相手に対する気持ち』と、『費用』『時間』『労力』、それからあなたが人生で『本当にやりたいこと』『やらねばならないこと』。」
 こう言って、最初は「訴訟を起こしてください」と言っている依頼者の「需要」を、「経済的に大きな需要」にはせず、「経済的にはごく小さな需要」として解決してしまうことは、日常非常に多いです。
 
 さて、そうすれば、弁護士は、

あまり良心的にやっては儲からない

ことになるのではないか?とも考えられます。が、上の「経済的に大きな需要」「小さな需要」の話は、あくまで短期的な話。
 相談相手の人生そのものに思いを馳せることなくして、目先の収益を上げたとして、その弁護士の業務は長続きするとは思われません。
 もし、数年間荒稼ぎをして弁護士をやめよう、と思えば、何でも出来るかも知れませんが。

 で、私が前々から思うのは、

紛争予防が大切である

ということです。

 「紛争予防」は、まあ、いえば、虫歯や歯科にたとえれば、歯磨きとか、フッ素コーティングとかそういうことです。さらにいえば、人の栄養状態そのものがもっと重要です。

 なので、たとえば

・ 契約書をきちんと整えておく(というより、個人の場合、契約内容をちゃんと事前にチェックしておく、契約に入る前に専門家に相談しておく、くらいのことが現実的)

・ 相続の場合、遺言(公正証書がなおよい)の作成

・ そもそも無用のトラブルが起こりそうな立場に近づかない(「保証人」になるとか、必ずしも組まなくても良い「ローン」で何かを買うこと、などを避ける)

・ もっといえば、「足を知る」生活をする(商業主義的コマーシャルにあおられず、ブランドモノより、自分の本当にしたかったことを大切にする)、自分自身の判断力を大切にする。

といったことにこそ、高い価値があると思われます。

 弁護士としても、トラブルになってからの相談を受けたとき、「その前に一言相談してくれてさえいれば」と思うことはいつもです。

 最近、法律事務所でも

「相談無料」

の弁護士事務所が増えました。

 確かに、理由は分かります。「相談無料」にすることのメリットはあります。そのほうが、アクセスのきっかけが増えるので、相談料は無料だったとしても、訴訟案件などの「需要」を得るチャンスが増え、経営には大いに役立ちますから。※ 実際に、その顧客にとっても助かりますしね。悪いことでないのです。

 でも、私の考えは逆です。

 これからは、今までのように、トラブルになってしまってからの「紛争処理」(訴訟など)よりも、「予防」とか「人がいかに賢く生きるか」のための弁護士の関わりの方に、価値が置かれるべきだと思います。

 つまり、たとえば、トラブルになる前の「相談」などの仕事(その他「契約書作成」「遺言」なども含まれますが)で、弁護士がちゃんと収益を得て、事務所を経営できるようにならねばならないと思います。

 トラブルに巻き込まれてしまった後の、人の不幸、労力、時間を考えるならば、それを30分の法律相談で避けられたとすれば、「値千金」でしょう。
 なので、ことによっては、30分5250円の法律相談料の何倍もお金を払ったとしても、トラブルに巻き込まれることを思えば実に安くついた、ということが十分にあり得ます。

 ちょっと前に、ちょっと頭を働かせる。
 このちょっとのことは、ちょっとした工夫で出来るのです。

 苦労するのが偉い、場合もありますが、そうでない場合もたくさんあるのです。

 訴訟になったら、大勢の弁護士が、何時間もかけて働く(その分だけ、裁判官、裁判所書記官、検察官も。税金も使われるのです)。このエネルギーロスはいかほど?肩こりの発生率はいかほど?

 ところが、それを、たった1人の弁護士が30分で防げるかもしれないのです。肩こりのリスクも減ります。

 「ちょっとの工夫で人を幸せにする」法律家になりたいです。
 そして、その「工夫」の余地など無限にあると思います。
 私の考えでは、この「工夫」は、依頼者を幸せにするし、法律家自身も無理をせず生活のトータルバランスを豊かにするコツになると思います。(法律家自身は感性を豊かに保っていなければ、まず、人のためになる仕事はできません。)
 
 訴訟に大勢の法律家が集まって…を発想の基礎にした場合は、もっともっと弁護士がいなくてはならない、という発想に行くかも知れませんが、それで人々は幸せになりません。
 この発想で居る限り、「もっともっと」と数が増えた弁護士の中には、経営上「もっともっと訴訟をしなければならない」と考える者が現れ、依頼者の人生トータルでの幸せを度外視して、無用の紛争をしかけたり、長引かせたりする者が出てくるのです。

 これは、私としてはいやです。

 日々豊かな感性を大切にし、人への愛に基礎をおき、創意工夫を大切にしてゆけば、「今までの常識」で思うよりも、ずっと少ない人数の人間(法律家)が、ずっと少ない時間や労力で、出会う人を幸せにしてゆけるはずです。

 要は、創意工夫。

 人にとって負荷が小さく、かつ、かゆいところに手が届く司法(弁護士)が未来の目指すべき方向でしょう。