検察審査会が出す結論は、本当に市民の声なのだろうか。

 たとえば、小沢センセイの話や、鳩山元首相関連、その他、ニュースを騒がせた事件。
 
 結論の当否を言うのではない。

 審査会メンバーの「意気込み」みたいなものがニュース上にはあらわれるが、これは、本当の市民の本音なのだろうか。

 私は、このテーマに限らず、直に聴く市民の本当の本音というのと、マスコミで言われる「市民の声」というのに、相当な開きを感じることがよくある。もちろん、私が「直に聴く」層が限られているのであるから、偏っている可能性も否定できない。

 しかし、私が想像するに、審査会のメンバーになったとき、個人が「審査会の空気」みたいなものに支配される側面があるのではないかと思う。
 本心で戦争に行きたいわけではなかったのに、決起集会のようなものに行ったら、いつのまにか志願兵になってしまった、というように。
 「政治とカネの問題を徹底的に糾す」という、それ自体は良さそうなお題目の中で、「疑わしきは罰せず」という大原則や、はたまた、後に無罪判決を得たとしても刑事裁判にかけられること自体、かけられた人にとっては計り知れない損害があることへの配慮が後回しになるおそれがないか、という部分が気になる。
 そもそも、「政治とカネの問題」を正常化したほうがよい、というあたりは、大体の共通認識であっても、「徹底的に糾す」という程に元々自分は張り切っていたわけではないのに、何となくそういうノリになってしまった、という検察審査会メンバーもいるのかもしれない、と思う。