私は「神道は好きだが明治期以降の国家神道が余り好きではない」という感覚の持ち主なのですが、ただ、私と違った感覚の方々が靖国にお参りしておられる姿を見れば、やっぱりそういう人たちの思いとか考えとかを想像することは必要なことだと思うし、ドキュメンタリー映像を見れば、それをも幾分なりとも想像できそうに思えました。
靖国にお参りする人の中にもやっぱり色んな人がいて、
・ 本当に「大東亜戦争」が侵略戦争などではなく、正しい戦争であった、ということを今でも訴えたい人
もいれば、
・ 戦争に突き進んだことは間違っていたと思いつつ、戦争で亡くなった家族は、靖国に眠ると信じて亡くなったのだから、その人のことを思って靖国にお参りするという人
もいれば、
・ 純粋に、戦争で命を落とした人を悼み、二度と戦争をしないことを誓いに来る人
もいました。
つまり、靖国神社にお参りする人=軍国主義万歳、なわけはないし、そのこともちゃんと伝わる内容でした。
また、小泉首相の参拝が問題になったとき等には、
・ 「小泉首相を支持する」プラカードを揚げ、星条旗を掲げるアメリカ人(最終的には、一部の人に罵声をあびせかけられるなどし、警察の指導もあって退場)
・ 小泉首相の参拝反対を叫ぶ人たち
・ 「参拝する会」等の式典の君が代斉唱時に式場に、入っていって抗議した若者(その後、その若者を追い回し「中国人は中国へ帰れ」等叫び続ける中年男性も登場)
の姿もありました。
刀匠のおじいさんについても、刀匠のおじいさんがこういう風な出演を認めていなかったとか色々のことが今問題にされています。
映画を観た私の感想では、「靖国刀」の刀匠のおじいさんは、まさに職人らしい実直さを感じさせる印象だったし、また、靖国についての感想も「私は小泉首相と同じで、戦没者を悼み二度と戦争をしないことを思って参拝するのは良いと思う」というものであって、その方の立場を考えれば極めて率直と思われる言葉を述べられているのであって、この映画の映像からその方の名誉が害されるようなことは全くないと感じました。
刀匠のおじいさんが、「軍国主義」を体現している姿でもなければ、「反日」に協力している姿でもなかった、と思いました。
ドキュメンタリーとして内容のあるものであって、映像そのものは、色んなことを考えるきっかけになるし、貴重なものであると感じました。
もちろんドキュメンタリーには撮る者、編集する者の視点は大いに反映されます。
この映画については、
・ 靖国の資料館「遊就館」の伝える歴史観(侵略戦争ではなかった等)について、監督の批判的な目があることを感じました。
・ また、靖国でなされた出征に関する催事の映像から、中国人を日本人が刀で切る写真や原爆のきのこ雲の写真などが流れるところでは、靖国神社が日本の戦争推進の役割を果たし、中国人が侵略の被害に遭ったことを、映像を通じて読み取って欲しいメッセージを感じました。
これらの点が「反日」という人が言う点なのですが、写真がホンモノか偽物かの議論は別として(これは科学的に検証する方法がもしあるなら検証すればよいでしょう)、私はこれを「反日」と思わないのです。
欧米列強の力に対抗する意味で「自衛」という意識が当時の日本にあったとしても、対欧米の関係ではなく、日本対中国を見れば侵略に違いないし、開国してせっかく科学水準を上げてきたのに、それが「一つの考え方しか許されない」社会になった結果、せっかく育ってきた科学的思考・合理的思考が国の舵取りにおいて機能できなくなってしまった結果突き進んだのが戦争(敗戦)だったと思うし、そのことの歴史をふまえた上で、日本人が他国民と共存し豊かに生きてゆく知恵をしぼれるならば、それは日本にとって利益になることだと思うからです。
また、中国人監督が、靖国神社を見てこういう風な視点を持っている、メッセージを発しているということを知ることに何の損があるのでしょうか。
でもこういう映画を「反日」と思う人がいるのだし、そういう思いを持つのはその人の思想であって、それはそれでよいとおもいます。
また、この監督の視点に異論が在ればそれを表現することも大いに自由ですし、また、違った視点で「靖国」を撮りたい人がいればそれも発表されればいいでしょう。
政治的な問題に関係する表現を含む映画というのは「濃い~」モノです。「濃い~」から面白いのです。
人によって、好き嫌いは在るに違いないとおもいます。
それでいいんだろうと思います。
しかし、文化庁も当初助成金を出すことにしたときは、政治的メッセージのある「問題作」ではあるが、その立場・信条のようなものによって助成金を出さないのはおかしいし、ドキュメンタリーとしてしっかりした内容があると思うから助成金を出した、というものだったとおもいます。
国会議員が文化庁の助成金支出を問題にしたというのですが、「自分の気に入らない政治的メッセージがある」という趣旨で問題にするのはおかしいと思います。
私はこの映画が「日本政府にとって都合が悪い」モノでもないとおもいますが、仮に政府にとって都合の悪いものであってもなくても、そういうこととは別に、表現の世界が豊かになるようにという趣旨のお金は思想信条問わず出されるべきものであるし、文化庁も当初そう思っていたのだとおもいます。
むしろ、たとえば、映画会社と役人が癒着しておかしなことがなされている、というような場合があれば、そういうときこそ問題にされるべきで、映画「靖国」は一部の人から「反日」と言われるほどの映画ですからここには映画と役人の「癒着」などなくむしろ「緊張関係」が保たれていると思われるのですから、今回の一部国会議員の動きはおかしなものと言わざるを得ないと私は思います。
映画上映に続いて、行われたシンポジウムは、「表現の自由」についてでした。
確かに今回の騒動も、別に政府が行政処分等によって上映中止をさせたわけではありません。私は上映中止を意図したのではない、と稲田議員はいいますが、それは確かにそのとおりでしょう。
しかし、今怖いのは「表現の自由の『萎縮』」であるし、「空気を読んで」上映中止する、表現行為を控える、などのようなことです。プリンスホテルの日教組集会の件もしかり、だと言われていますが、私もそう思います。
「表現行為」には時に勇気が要るのはそのとおりです。
ですが、表現の自由の価値は、国家の自然治癒力(以前日記に書きました。http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2006-11-30)に関わることなのであって、その自由に出来る環境を守らなければならないと思います。 個人的には、靖国参拝を率先する人でありつつ、作家である石原慎太郎氏にこそ、「みんなで意識的に表現の自由を守らなければ国が滅ぶ」のメッセージを今こそ出して欲しい、と思っています。
無理でしょうか?
ともあれ、日本弁護士連合会が、この騒ぎの中でこのような試写会を独自に開催し、「表現の自由」をバックアップする活動をしたことについて、良かったと思います。
日弁連はこのような力と気概を持ち続けなければなりません。
今の「司法改革」の流れは、弁護士一人一人の存在にかなり厳しいものになってきますが、その中で、守るべきものを守り、今回のように、ズルズルいきそうな社会の流れが在れば積極的に竿を差す気概のある弁護士が生き続けねばならないと思いました。