国語が子どもをダメにする (中公新書ラクレ)

  • 作者: 福嶋 隆史
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2012/08/09
  • メディア: 新書



 今年も最後になりました。
 今年一年、色んな方にお世話になりました。ありがとうございました。

 法律問題などと直接関係がないのですが、最近読んだ本の中で、この本が印象に残ったので、ご紹介します。

 私は弁護士になる前、関西のとある有名進学塾で国語の講師のアルバイトをしていました。

 自分なりに工夫して指導したつもりですが、真面目に考えれば考えるほど、置かれた状況の限界にぶち当たりました。

・ テスト問題を題材としたテキストで、文章の流れを黒板で図解する+何問かの設問を解く、というような授業がモデルとされているが、これで生徒の力を伸ばせるのか?

・ そもそも日本語を構成する力を自分で培う機会がないのではないか。それなくして、文章の正確な読み取りをするのも難しいのではないのか?(特に、小学3年や4年の低学年で、テスト問題を題材としたテキストで、普通に読解の一斉授業をして、一体どれだけのことが身につくのだろう?)

など色々。

 自分なりに、塾指定テキスト等のやり方をはみ出して、勝手に、記述指導のようなことを試みたこともあるのですが、毎週ある学習範囲を確認する「テスト」の点数に直結しないため、多くの保護者にも余り歓迎されませんでした。
 実際、成績によってクラスが変わり講師も変わってしまうため、私だけが独自の工夫をしても、かえって混乱を来すだけの状態でしたので、勝手にやった記述指導も長く続きませんでした。

 私自身は、落第した中学受験でも、合格した高校受験、大学受験でも、どれをとっても国語で苦労したことは一度もありませんでした。
 中学入試の国語の読解問題をはじめて見たのは小6の秋ですが、はじめから大体の設問には答えることが出来ました。
 これは自慢でも何でもなく、田舎育ちで、塾も周りになかったために、入試問題を解くという機会がなかったがために、別の形で、(時間も余るほどある中でじっくり)日本語の読み書きの力をつけていたから、そして結果的にはそれが良かった、ということだったと思っています。
 新聞の熟読したり、コタツに入って国語辞典、漢和辞典を眺め回したり、(テレビは1日1時間ルールというのがあったので結果的に)たくさん本を読んだりしました。
 田舎の学校でした。特に、小学1,2年はクラス10人の少人数でした。先生は、生徒の「書き」についても、相当丁寧に見てくれたと思います(その余裕があったということでしょう)。
 3年以降でも、家で「書きもの」をする時間も機会もたくさんありました。
 今思うと、今の都会の子より、日本語を使う力を培うという意味では恵まれていました。

 ですので、私が塾講師時代抱えていた矛盾は、自分が国語力を身につけてきたプロセス、大事だなと思う要素、と、塾での指導形態の違いでした。
 言ってしまえば受験の国語についても、「国語の入試問題に触れないで違うことをじっくりやるほうが、結局は早道なのでは」という思いです。
 まあそんなもやもやをかかえたまま大学卒業と同時に司法修習生になり、国語講師はそこでやめました。

 そういう経緯があるので、この本が書店にあったとき目に止まったわけです。

 かなり辛口な本ですが、著者の福嶋さんの言われること、私なりに理解したところを粗くまとめると、

・ 文の型を使いこなす基礎トレーニングを子どもがきっちりやる機会こそ大切だということ

・ 入試の国語問題には、読み書きの能力を正確に測ることとの関係で、意味が余りない、あるいは、邪魔になる設問が多いということ(たとえば脱文挿入や抜き出し問題などに多い)

・ 「国語力」というが、基礎となるのは、論理的思考力そのものであること

など、その通りだなあと思いました。
 読んでみると、私が国語講師時代に感じていたこととかなり一致するようにも感じました。  

 そして、日本の国語教育を変えたい、という熱い思いを語っておられるので、著者の福嶋さんには大いに期待したい、と思いました。
 私としては、これからの子供たちのことを思うと、中高大の国語の試験問題の出題者が、手っ取り早い「ふるいわけ」というのではなく、その出題を通じて(またその試験問題が教材となることも見据えた上で)生徒を伸ばすことを考えた設問を作るべき(これは一種の愛情の問題であるとさえ思う)、その視点で一から自校の出題スタイルを練り直して欲しい、という思いが強いです。

                       村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所