今年、タカラヅカ歌劇の演目で、「銀河英雄伝説」がありそれを観に行ったのがきっかけで、アニメの銀河英雄伝説DVDをTSUTAYAで借りて少しずつ観ています。(今夜も、できれば、銀河の歴史を1ページめくりたい、と思っています。)
アニメは1988年~リリースされたもののようで、主題歌などに、時代を感じさせるものがあるのですが、内容は見応えがあります。
原作は小説。
宇宙戦争をテーマにしたものなのですが、一方の勢力、自由惑星同盟側の主人公ヤン・ウエンリーを通して、作者の思いが色々語られます。
例えば、
独裁者は出現させる側により多くの責任がある。積極的に支持しなくても、黙って見ていれば同罪だ。
という台詞が出てきます。
ですが、独裁に対置する「民主主義」についても、単純に「民主主義」万歳!!と言えない状況に陥りがちだ、という視点も出てきます。
現に、体面上は民主主義にのっとっているかのような体裁は整えるが、実は、権益を守ろうとするだけの自由惑星同盟国防委員長ヨブ・トリューニヒトなどという人物がおり、自由と民主主義を体現する勢力である「自由作成同盟」の民主主義は腐りきっている、というのがアニメの時代背景。
一方の側、「銀河帝国」は、その名の通り、帝政であるが、若きリーダーであるラインハルトが事実上の独裁体制を敷くと、これが案外、それまで社会を牛耳っていた貴族の既得権益等を一掃し、とりあえずは、公正と正義をある程度実現し、市民も歓迎する状態を招く。
自由惑星同盟の名将といわれるヤン・ウエンリーは本当は戦争など大嫌いなのだが、行きがかり上軍人という立場に縛り付けられ続けている。
そんな中、民主主義の担い手のはずの自由惑星同盟政府から、理不尽な要求ばかりを突きつけられ、また、政府が市民のためと思えないことばかりすることから、
「こんなことならいっそ良い独裁なら、独裁のほうが…」「おっと、いかんいかん、今俺は危険なことを考えていた」みたいな自問自答をしたり、独り言を言ったりする。
このヤンの「つぶやき」が、おそらく色んな時代、社会を超えて、何度も顔を出すだろう問いを含んでいるので、なかなか深みのある作品として鑑賞できる。
戦争作品ですが、反戦色は強く、ヤンの台詞に、
「軍隊は道具にすぎない。それも、ないほうがいい道具だ。そのことをおぼえていて、その上でなるべく無害な道具になれるといいね」
というものがあります。また、ヤンは、
軍隊は暴力装置だ
といい(これ自体は、マックス・ウエーバーが言っていることの引用でしょうが)、この暴力の向かう先が民衆であった例が歴史上多いことへの警戒を説きます。
また、国家の都合よりも個人の尊重が先にある、というヤンの考え方は何度も吐露されます。
今の世の中、「民主主義」が一見どうしようもない事態に至っているように見えるけど、でもだからといって、「一気にズバッと解決してくれそうな」安易な対処法に頼るのは危険が一杯だよ、大きな犠牲を払わなければ後戻りできないかもしれないよ。
ちょっとずつでも民主主義を機能するように、地味に見えても、地道にやっていくのが本当の道ではないか。(とはいえ、これも上手くいかないのが現実なのだが、これこそが「よりましな」方法ではないか。)
という作者のメッセージが聴こえる感じの作品です。
そうだね、その通りだ。
でも、 「独裁」を防ぐためには、 「民主主義」を守れ! と叫んだりしているだけではきっとダメなんだろう。
例えば、現に、人々の暮らしが良くならなければ。
そして、一見、民主主義の仕組の中で守られている「不正義」はちゃんと正さなければ。
「独裁者」であっても何でも、正してくれるなら、という期待は分かるもの。そういう期待を私さえ抱きそうになるときがある。
けど、正すプロセスがおかしければ、やっぱりその歪みがある。後々おかしなことになるのだろう。
世の中を変えるにも、守るべき節度の中で、行う必要があるんだろうな。
しかし、それには粘り強さが必要。
この「粘り強さ」が今本当に必要。私自身そんなに「粘り強い」自信はない。「粘り強く」ありたい、と思っているけど。
多くの人とその意識が共有できたらいいのだろう…
というのが、私の感想でした。
村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所)