私は、去年から、30過ぎの手習いで、囲碁をはじめました。

 やりはじめて約1年半、週1回、先生に指導碁をしてもらったりしながら、ようやく初対面の人とも、初段を名乗って打って遜色ないくらいになれた感じです。
 
 ところが、しかし、ちょっと街の碁会所に出かけても、そこに居る人たちの多くは、高段者(4段とか5段とか、それ以上とか)なので、恐れ入ります。

 囲碁の内容に関わることは、書き出すときりがないし、囲碁をしない人には分からない話になってしまうのでちょっと横に置きます。

 とりあえず、やって良かったな、というのは、何より

老若男女問わず色んな人と関われる

特に年齢差のある人でも、親しみを感じられるようになる 


ということです。

 囲碁そのものをいくら勉強しても、それ自体は、私の仕事そのものの足しには直接にはならず、むしろ、余り熱心過ぎると「囲碁にうつつを抜かしている」ということになろうかと思います。
 
 が、全く別の意味で、仕事に役に立っています。

 それは、特に、年齢差がある、つまり、私より相当高齢の方の相談や依頼を受けて話をするときに、その相手のことを親しい存在として見ることが自然に出来るようになった、ということです。

 私にとって、仕事以外で、触れあうのは、

碁をこよなく愛するおじいちゃん

のような人が増えました。

 その御陰で、仕事でであう相談者の方を見ても、

「碁が好きなおじいちゃん」みたいな感じの人

このおじいちゃん(おばあちゃん)も、もしかしたら、碁が好きな人かも知れないな

という感じで、自然と親しみを感じることが多くなりました。

 これまでは、私は、「親身に話を聞かねばならない」という職業倫理のようなものを意識していたと思うのですが、そういうことを意識せずとも、「できるだけ親身になろう」という気持ちに自然になりやすくなったということは、仕事する上でも実に楽なことなのです。

 世代など関係なく人と接すると言っても、やっぱり、自分が日頃接する機会の多い年代の人については共感しやすく、そうでなければ難しいところは誰でもあると思います。
 性別だって、それで、つきあいの幅が分かれてしまうところもあるでしょう。

 ところが、そういう垣根をある程度取っ払ってくれたツールが、私にとっての囲碁。

 高齢の方だけでなく、10年ほどまえからは、アニメ「ヒカルの碁」の影響もあり、碁を打つ子どもが相当増えています。
 今20歳前後の若い方は、「第1次ヒカル世代」で、たくさん碁を打たれる人がいます。
 なので、そういう若い人ともふれあえます。

 今年は、

小学生の女の子にコテンパンにやっつけられたことが何度もあり(こっちがハンデをもらってもコテンパンですから。リベンジするのが来年の目標)、

高段者のおじいさんに「なかなか良い碁を打たれるようになりましたな。」と褒められたこともまれにあり(ハンデなしで打てるようになるのが来年の目標)、

週1回教わる師匠にはいつも丁寧に指導して頂いて(師匠の指導の懇切さに、私は自分の仕事での在り方を顧みること多々あり)、
色んなものを得た感じがあります。

 老若男女楽しめる囲碁は、人との距離を近づけるツールとして、オススメです。

 人に優しくしよう!と意気込むのではなく、「優しくなれる」ということに繋がる財産、とでもいうのでしょうか。そんなものが得られる気がします。

 とはいえ、対局中は、一杯「いじわる」を応酬しあうのですが。それで、私はすぐ顔に出る(「なんてことをしやがる」という顔など)のが悪い癖であったりするのですが。
 それも、盤を挟んだ人間模様、という味わい、ということで・・・。