コロナで変わったこと~その3 人と会う、会わない、オンライン [時事ニュースから]
コロナで変わったことを忘れないうちに書き留める、その続きです。
3 人と会う、会わない、オンライン
人とリアルで会う機会が減った。
4月、5月はもちろんのこと、今に至っても、会合や飲み会の機会は激減した。
ビジネスにしても、交友関係にしても、どうやって可能性を広げればよいのだろうか。
私は、この4月に事務所を移籍した。
より、企業法務に力を入れて、自分の仕事の幅を拡大する、その拡大スピードを段違いに上げるためだ。
コロナ前のイメージは、この4月からはますます人との交流に力を入れ、事務所にとって、自分にとってのビジネス上のチャンスを拡大したいと思っていた。
「こんな勉強会があるけど、どうする?」
「○○社の▲▲さんとご飯に行く機会があるけど、君も来る?」
「□□さんといって、今とても面白い取り組みをしている人がいるけれども、会ってみる?」
こんなメッセージが来たら、私の行動基準は常に、
「より可能性の広がる選択をする」
だ。
だから、時間と体力の許す限り人には会う。
また、私の人脈の中で、繋がったら面白い人同士に出会いの機会を作る、これも心掛けてきた。
「会う」のは第一歩。
まず会わないとはじまらない!
確かに、初対面は、いくらか精神的負担がある。
「人見知り」は誰にでもある。
気心知れた人だけで暮らすほうが楽だし、その心持ちそのものが悪いわけではない。
だが、ビジネスを拡大したり、人生を楽しむチャンスを増やしたいなら、「がんばって」「会う」ほうがいい。
さて、そうだったはずが、コロナが来て。
人に会うことがすごく難しくなってしまった。
4,5月。
どう考えても、zoomなどオンラインに活路を見出すしかない、と思った。
私はそれまでは、空気を共有することに意味があると思っていたので、Skypeなども滅多に使わなかった。
しかし、リアルに会えなくなった社会では、zoomやMessengerやSkypeなどで人と「会う」しかない。
それでも顔を見て話せるだけありがたい、と思った。
私の所属する神戸モーニングロータリークラブは毎週1回の例会を行っていたが、3月ころからコロナの影響で例会をすべて休会にしていた。
しかし、いつまでもそのままでは灯が消えてしまう。
幹事だった私は、zoom例会の形でミーティングを再興した。
最初は参加者も少なかったが、それでも馴染みのメンバーの顔をみて少しずつでも話しできたとき、感慨深かったのを覚えている。
zoomミーティングもあるだけありがたい。
ただ。
でもやはり、人と直に会ったときの心の充足感にはどうしても遠かった。
なんか寂しい、そんな気持ちはずっとしていた。
そんな中、私の近所の喫茶店で「読書会」がリアルで再開された。
コロナ、緊急宣言になってからはじめてのリアル会合参加だった。
参加者が本を持ち寄り、数分ずつ、好きな本を紹介するイベントだ。
小規模だが、老若男女問わずの集まりだ。
私はその「読書会」に2回目の参加で、そのときは懇意にしている人も少なかったのだが、それでも、この会合に出たとき、何とも言えずうれしかった。
「人に直に会う」というのは、こんなにも心温まるものなのか、と。
コロナ感染拡大防止。
人と人とが密にならないように。
私は、人と人は密でこそ、と思って暮らしてきたから、やっぱり居心地が悪い世の中。
そして、たとえば、甲子園球場など観客が入れるようになってからがまた異様な光景。
家族で応援に行っている人も、席を離して座らなければならない。
飲食店もそう。
「いったい誰と誰との間の感染を防止したいのか?」と不思議に思った。
案の定、「ここは空けて」という札は9月ころから「柔軟に」移動させられることが多くなった。
オンラインミーティング。
講演などは、聴衆にとっては全く不都合がない。もともとこれで良かったのでは、と思えるくらい。
パワーポイント、資料も見やすい。
ただ、講師の立場では、聴衆の反応が分からず不安になる。ギャグが受けたか、スベッたかもわからない。
しかし、オンライン飲み会は正直言ってかなり物足りない。
飲み会、懇親会は何をする場だろう?
お酒も飲んで、おいしいもの食べて、リラックスして本音を話す場。
たわいもないトークもしつつ、リラックスしているからこそ本質的な話がでて、そこから可能性が広がるかもしれない場。
合コンでなくても、自分がしゃべりたい相手の隣を確保して、人間関係にビジネスに、「好きな人」と「密」に話せるチャンスの場。
これが本来だったはずだ。フリーに移動できるスペースならこれができる。
ただ酒を飲んで酔っ払うのではない。活きた時間にする。ちゃんと「意味のある名刺交換」をするために目的意識をもって動くのだ。
だが、zoom飲み会は今のところほとんど、上記のような「飲み会」の歩き方を許してくれない。
みんなが一人一人話したとして、それは「御歓談」ではなくて、一人一人の「挨拶」だ。
全体に向けて言う「挨拶」しかできない。
隣の人と「密」に話し込むことはできない。
全体に向けていうような話じゃない、という他愛もないトークもできない。
そんなわけで、zoom飲み会は物足りなかった。
でも!「ない」「ない」言っていては始まらないので、zoomの背景に名刺のQRコードを置いてオンライン名刺交換などをしてみたりもした。
4~6月、zoom会議はあるだけよかったけれど、やっぱり人と会いたい気持ちが強かった。
10月からはリアルの会合、飲み会も増えた。今思うと、第2波と第3波の狭間。
このころ出会った人との名刺交換。
「あ、zoomでお目にかかりましたが、リアルでは初めてですね」
これは、zoomがあって良かったなあ、と思った。
私は、やっぱり、直接会えるなら直接会うということが圧倒的に人と人とのふれあいとして本物だと思う。それを改めて感じたくらい。
ただ、たとえば東京の人とか、外国の人とか、zoomなどを使えばこんなに身近に話せるのだ、というのも感じた。自宅療養中などでも、顔を見て話せる、これはいい。
もともとある程度信頼関係のある者同士ならば、zoomなど駆使して、時間を有効に会談できる。
つまり、「複線」があるということだ。
リアルに会うのに支障がなければそれが一番、でも、毎回そうでなくてもよい、便利にオンラインも使って、時間の使い方、時間の価値を最大化できる。
うまくやれば、コロナ以前より、同じ時間でたくさんのひとに会えて、可能性を何倍にも広げることができる。
私は、「実際に会う」機会を改めて貴重なものと実感し、その貴重な機会をこれまでよりもっと大事にしよう、当たり前のものではないのだから、と強く思っている。
もっともっと思慮ある実りのある会話をし、もっともっと自然に人と会える喜びを表情いっぱいに伝え、もっともっと共有する空気を暖めて絆を深める。
人とリアルに会う機会を、こんな風に新鮮に感じ続けていたい。
もっとも、そのときでも「マスク」はもどかしいが。少なくとも、「心のマスク」は外して、人と接したい。
さて、コロナで変わった「人と会う」ことについて書きました。
一言でいえば、会えるとは貴重なことだ、に尽きます。
次は、仕事・職場・テレワークなどについて書いてみたいと思います。
3 人と会う、会わない、オンライン
人とリアルで会う機会が減った。
4月、5月はもちろんのこと、今に至っても、会合や飲み会の機会は激減した。
ビジネスにしても、交友関係にしても、どうやって可能性を広げればよいのだろうか。
私は、この4月に事務所を移籍した。
より、企業法務に力を入れて、自分の仕事の幅を拡大する、その拡大スピードを段違いに上げるためだ。
コロナ前のイメージは、この4月からはますます人との交流に力を入れ、事務所にとって、自分にとってのビジネス上のチャンスを拡大したいと思っていた。
「こんな勉強会があるけど、どうする?」
「○○社の▲▲さんとご飯に行く機会があるけど、君も来る?」
「□□さんといって、今とても面白い取り組みをしている人がいるけれども、会ってみる?」
こんなメッセージが来たら、私の行動基準は常に、
「より可能性の広がる選択をする」
だ。
だから、時間と体力の許す限り人には会う。
また、私の人脈の中で、繋がったら面白い人同士に出会いの機会を作る、これも心掛けてきた。
「会う」のは第一歩。
まず会わないとはじまらない!
確かに、初対面は、いくらか精神的負担がある。
「人見知り」は誰にでもある。
気心知れた人だけで暮らすほうが楽だし、その心持ちそのものが悪いわけではない。
だが、ビジネスを拡大したり、人生を楽しむチャンスを増やしたいなら、「がんばって」「会う」ほうがいい。
さて、そうだったはずが、コロナが来て。
人に会うことがすごく難しくなってしまった。
4,5月。
どう考えても、zoomなどオンラインに活路を見出すしかない、と思った。
私はそれまでは、空気を共有することに意味があると思っていたので、Skypeなども滅多に使わなかった。
しかし、リアルに会えなくなった社会では、zoomやMessengerやSkypeなどで人と「会う」しかない。
それでも顔を見て話せるだけありがたい、と思った。
私の所属する神戸モーニングロータリークラブは毎週1回の例会を行っていたが、3月ころからコロナの影響で例会をすべて休会にしていた。
しかし、いつまでもそのままでは灯が消えてしまう。
幹事だった私は、zoom例会の形でミーティングを再興した。
最初は参加者も少なかったが、それでも馴染みのメンバーの顔をみて少しずつでも話しできたとき、感慨深かったのを覚えている。
zoomミーティングもあるだけありがたい。
ただ。
でもやはり、人と直に会ったときの心の充足感にはどうしても遠かった。
なんか寂しい、そんな気持ちはずっとしていた。
そんな中、私の近所の喫茶店で「読書会」がリアルで再開された。
コロナ、緊急宣言になってからはじめてのリアル会合参加だった。
参加者が本を持ち寄り、数分ずつ、好きな本を紹介するイベントだ。
小規模だが、老若男女問わずの集まりだ。
私はその「読書会」に2回目の参加で、そのときは懇意にしている人も少なかったのだが、それでも、この会合に出たとき、何とも言えずうれしかった。
「人に直に会う」というのは、こんなにも心温まるものなのか、と。
コロナ感染拡大防止。
人と人とが密にならないように。
私は、人と人は密でこそ、と思って暮らしてきたから、やっぱり居心地が悪い世の中。
そして、たとえば、甲子園球場など観客が入れるようになってからがまた異様な光景。
家族で応援に行っている人も、席を離して座らなければならない。
飲食店もそう。
「いったい誰と誰との間の感染を防止したいのか?」と不思議に思った。
案の定、「ここは空けて」という札は9月ころから「柔軟に」移動させられることが多くなった。
オンラインミーティング。
講演などは、聴衆にとっては全く不都合がない。もともとこれで良かったのでは、と思えるくらい。
パワーポイント、資料も見やすい。
ただ、講師の立場では、聴衆の反応が分からず不安になる。ギャグが受けたか、スベッたかもわからない。
しかし、オンライン飲み会は正直言ってかなり物足りない。
飲み会、懇親会は何をする場だろう?
お酒も飲んで、おいしいもの食べて、リラックスして本音を話す場。
たわいもないトークもしつつ、リラックスしているからこそ本質的な話がでて、そこから可能性が広がるかもしれない場。
合コンでなくても、自分がしゃべりたい相手の隣を確保して、人間関係にビジネスに、「好きな人」と「密」に話せるチャンスの場。
これが本来だったはずだ。フリーに移動できるスペースならこれができる。
ただ酒を飲んで酔っ払うのではない。活きた時間にする。ちゃんと「意味のある名刺交換」をするために目的意識をもって動くのだ。
だが、zoom飲み会は今のところほとんど、上記のような「飲み会」の歩き方を許してくれない。
みんなが一人一人話したとして、それは「御歓談」ではなくて、一人一人の「挨拶」だ。
全体に向けて言う「挨拶」しかできない。
隣の人と「密」に話し込むことはできない。
全体に向けていうような話じゃない、という他愛もないトークもできない。
そんなわけで、zoom飲み会は物足りなかった。
でも!「ない」「ない」言っていては始まらないので、zoomの背景に名刺のQRコードを置いてオンライン名刺交換などをしてみたりもした。
4~6月、zoom会議はあるだけよかったけれど、やっぱり人と会いたい気持ちが強かった。
10月からはリアルの会合、飲み会も増えた。今思うと、第2波と第3波の狭間。
このころ出会った人との名刺交換。
「あ、zoomでお目にかかりましたが、リアルでは初めてですね」
これは、zoomがあって良かったなあ、と思った。
私は、やっぱり、直接会えるなら直接会うということが圧倒的に人と人とのふれあいとして本物だと思う。それを改めて感じたくらい。
ただ、たとえば東京の人とか、外国の人とか、zoomなどを使えばこんなに身近に話せるのだ、というのも感じた。自宅療養中などでも、顔を見て話せる、これはいい。
もともとある程度信頼関係のある者同士ならば、zoomなど駆使して、時間を有効に会談できる。
つまり、「複線」があるということだ。
リアルに会うのに支障がなければそれが一番、でも、毎回そうでなくてもよい、便利にオンラインも使って、時間の使い方、時間の価値を最大化できる。
うまくやれば、コロナ以前より、同じ時間でたくさんのひとに会えて、可能性を何倍にも広げることができる。
私は、「実際に会う」機会を改めて貴重なものと実感し、その貴重な機会をこれまでよりもっと大事にしよう、当たり前のものではないのだから、と強く思っている。
もっともっと思慮ある実りのある会話をし、もっともっと自然に人と会える喜びを表情いっぱいに伝え、もっともっと共有する空気を暖めて絆を深める。
人とリアルに会う機会を、こんな風に新鮮に感じ続けていたい。
もっとも、そのときでも「マスク」はもどかしいが。少なくとも、「心のマスク」は外して、人と接したい。
さて、コロナで変わった「人と会う」ことについて書きました。
一言でいえば、会えるとは貴重なことだ、に尽きます。
次は、仕事・職場・テレワークなどについて書いてみたいと思います。
2020-12-05 23:24
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