私の司法試験1回目受験記②~短答試験 [司法試験]
私が初めて司法試験を受けた時の話の続き。
①「序章」はこちら http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2017-02-22
平成8年3月下旬、私は5月GW明けにある司法試験の短答式試験の受験を控えていた。
年明けから司法試験予備校LECに通って、猛烈な勢いで勉強を始めていた。
私のコンセプトは次のようなものだった。
何せ、キャリア何年もの歴戦の司法試験受験生たちと比べて圧倒的に知識も経験が足りない。
それに勝つためには、自分で考える「正しい作戦」を徹底するしか勝ち目はない。
私のコンセプトは次の通りで、合格するまでこれを意識し続けた。
(法律の勉強におけるコンセプト)
・ 通常の司法試験受験生と比べて圧倒的に知識が足りない。
・ だから、基礎・基本に忠実に勉強する。
・ 法律の勉強としては、まず「法律の条文そのもの」を一々六法で確認する。
・ 「条文」に書かれている「文言」から考える、という基礎を常に忘れない。
・ 法律の趣旨(その法律が何のためにあるか。法律の心。)から考える。
・ 重要な法律用語の「定義」を、その意味を含めてしっかり覚える。
・ 覚えるべきものは「あやふやさ」を感じなくなるまで、頭にたたき込む。
・ 「覚える」うえで、「腹に落ちる」(納得できる)感覚を大事にする。
・ 「自分の頭で論理的に考える」ことを忘れない。
(知識は足りない。司法試験当日までにも不足状態に違いない。チャンスは「考える力」を活かすことにしかない。)
(受験生活全般におけるコンセプト)
・ とにかく「内なる力」を大切にする。
全ての時間を勉強に費やすわけではない。
大好きな趣味、大切な人との貴重な時間は一切減らさない。
北白川バッティングセンター・祇園祭にはちゃんと行く。
自分のエネルギーの根源がそこにある、と思えるものは勉強以外でも力がもらえる。
だから大切にする。
・ 時間の無駄を最大限省く。
移動中、食事中であっても、勉強に活用して差し支えなければ全て投入する。
歩いていてもイヤホンで「講義テープ」を聴くことが出来る。
・ 勉強をしているとき、なるべく全身全霊で行う。
・ 集中力を高めるため、できるだけ自分を研ぎ澄ました状態にする。
以上のコンセプトを厳格に「自分ルール」としてやり続ければ、1回目の司法試験合格も決してノーチャンスではない、と信じていた。
さて、平成8、9年当時の司法試験の制度を説明しておこう。
出願数・合格数は概算のイメージ。
5月 短答式試験 基本科目(憲法、民法、刑法) 3万人が5000人に
7月 論述式試験 基本科目に加え、商法、訴訟法、選択(他の法律) 5000人が800人に
10月ころ 口述式試験 論述式と同じ科目 800人が700数人に
というスケジュールだ。
当時は、若い合格者を増やすねらいの「特例」があって、合格者のうち、約200人は受験歴3回以内の人の中から選抜される、というルールがあった。これは私にとって追い風だった。
司法試験合格のための最大の山場は7月の論述式にあるわけだが、その「出場権」をかけて、5月の短答式が行われるというわけだ。
1月からようやく系統だった勉強を始めた私には当然、上記はきついスケジュールだ。
だが、5月の短答式をまず突破するということにフォーカスすれば、それ自体は高い確率で可能だと直感した。
上に書いた通り、
憲法、民法、刑法の基本科目に絞られていること(3月時点で、私はそれ以外は勉強しことがなかった)
が合格可能と考える最大の理由だ。
短答式を突破し、その後2か月で未だ見ぬ3科目を何とかして、7月論述に挑む。
最初の侵攻で占領した土地で食料・物資を補充して、戦線を拡大していく、というような綱渡り的なプランだが、当時の私にはそれ以外に手がなかった。
また、
短答式は、過去問の蓄積があり、傾向がはっきりしていること
合格に必要な条文・判例の知識を系統立ててまとめた参考書が刊行されていること
という条件がそろっていた。
この点からも「やりさえすれば合格できる」状態が整っているように見えた。
20~30年分の過去問をまとめた本と、短答試験用の参考書、「試験用六法」を使って勉強するスケジュールを立てた。
5月までに、数十年分の過去問を2回ずつ解く(解きながら、あやふやなところを復習する)。そのために、「割り算」をして、一日、過去問は○ページ程度という目安を立てた。
実際は気合が乗りまくっていたので、ほとんどの日はその目安を上回るペースで勉強できたが、バイトの日、飲み会の日などもあったので、結局平均的には予定のペース程度で進むことになった。
また、司法試験予備校が短答式試験の「テストゼミ」「模擬試験」を行っていた。
入門講座を受けたLECよりも、私の家から近くにあった「辰巳法律研究所」という予備校のそれを受けた。
テストゼミは週1回くらい、先輩受験生との点数の比較ができた。
3月末あたりは上位と点数の差が目立ったが、4月に入るとどんどん追いついていくことが実感できた。
4月の末ころには本番同様のスタイルで「模擬試験」が行われた。
このころには過去問集を一通りは勉強し終わっていた。
ただし、基本科目とはいえ憲法、民法、刑法の全体は広い。民法などは法律の条文だけで1000以上ある。
一通り勉強したからといって頭に完璧に入るひとはまずいない。
この時点では、「知識」面はまだまだあやふやだった。
しかし、もうこのときになれば、法律の「理屈」を考えて解く問題はほとんどがバッチリ解ける自信がついていた。
そんな状態で、「直前模試」の結果は、合格ラインすれすれ、というくらいだったと思う。
予定どおり、
捉えたかな
という感じだった。
5月に入ると試験まであと10日くらい。
自分がまだ弱い「細かい知識」について、突貫工事でも何でも、ちょっとでも間に合わせるしかない、ということで最後の追い込みをした。
試験の前日には、当時夜型生活だったせいと、興奮して眠れないので、自転車を走らせ京大近くの北白川バッティングセンターに行った。
古いピッチングマシンが投げてくる緩急自在のボールを100球近く打ち込んで、無理やり肉体疲労を作って寝た。
5月のGW明け、京大の校舎で短答式試験は行われた。
京都は冬は寒く、夏は暑い。
初夏からも、5月でもかなり暑い。
短答試験の日も、すごく晴れ渡った暑い日だったと思う。
私は、「肌水」みたいな感じの霧吹き式のものを携帯し、試験に臨んだ。
暑くなったら、熱くなったら、顔に吹き付ける用に。
試験問題は、例年と比べて、「憲法」は難しかったように感じたが、自分としては全体に予定通りの感じでできたと思った。
まあ、第1関門「短答式」に向けてやれることはやり切ったし、結果は神のみぞ、という感じだった。
短答式の合格発表は2,3週間先だったと思う。
短答式のための猛勉強を終えたばかりの時期、短答式の「合格」が出るまでの気持ちの維持はなかなか難しい。
多くの受験生は少しここでペースダウンすると思う。
私も例外ではなく、短答前のような勢いをそのまま維持することはできなかった。
そういうときはそのときの「気持ち」に合ったメニューというのを考えるほうがよい。
なので、次なる関門(7月論述式)に向けて、「助走」として、
「商法」の簡単なテキスト
を日々読み進めておくことにした。
これは、私が試験勉強などをするときの気合の入った勉強スタイルではない。
一般的な、穏やかな感じの学生が喫茶店で物静かに勉強する感じだった。
でも、短答式「合格」が出たときに再び猛ダッシュをかけられるように。助走だ。
5月末頃だったと思う。
短答式合格発表。
京都地方検察庁前の掲示スペースに、合格者氏名が掲示される。
合格、だ。
とてもテンションが上がった。
短答式だけでも5倍以上の倍率だから、合格はやはりうれしい。
「挑戦権」を得た。
いよいよ、本格的に、天王山、7月論述試験だ。
挑めること、それがうれしい。
こんなうれしいことはない。
あと2か月弱。
第2ステージがはじまる。
続く ↓
http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2017-02-26
神戸シーサイド法律事務所 弁護士 村上英樹
①「序章」はこちら http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2017-02-22
平成8年3月下旬、私は5月GW明けにある司法試験の短答式試験の受験を控えていた。
年明けから司法試験予備校LECに通って、猛烈な勢いで勉強を始めていた。
私のコンセプトは次のようなものだった。
何せ、キャリア何年もの歴戦の司法試験受験生たちと比べて圧倒的に知識も経験が足りない。
それに勝つためには、自分で考える「正しい作戦」を徹底するしか勝ち目はない。
私のコンセプトは次の通りで、合格するまでこれを意識し続けた。
(法律の勉強におけるコンセプト)
・ 通常の司法試験受験生と比べて圧倒的に知識が足りない。
・ だから、基礎・基本に忠実に勉強する。
・ 法律の勉強としては、まず「法律の条文そのもの」を一々六法で確認する。
・ 「条文」に書かれている「文言」から考える、という基礎を常に忘れない。
・ 法律の趣旨(その法律が何のためにあるか。法律の心。)から考える。
・ 重要な法律用語の「定義」を、その意味を含めてしっかり覚える。
・ 覚えるべきものは「あやふやさ」を感じなくなるまで、頭にたたき込む。
・ 「覚える」うえで、「腹に落ちる」(納得できる)感覚を大事にする。
・ 「自分の頭で論理的に考える」ことを忘れない。
(知識は足りない。司法試験当日までにも不足状態に違いない。チャンスは「考える力」を活かすことにしかない。)
(受験生活全般におけるコンセプト)
・ とにかく「内なる力」を大切にする。
全ての時間を勉強に費やすわけではない。
大好きな趣味、大切な人との貴重な時間は一切減らさない。
北白川バッティングセンター・祇園祭にはちゃんと行く。
自分のエネルギーの根源がそこにある、と思えるものは勉強以外でも力がもらえる。
だから大切にする。
・ 時間の無駄を最大限省く。
移動中、食事中であっても、勉強に活用して差し支えなければ全て投入する。
歩いていてもイヤホンで「講義テープ」を聴くことが出来る。
・ 勉強をしているとき、なるべく全身全霊で行う。
・ 集中力を高めるため、できるだけ自分を研ぎ澄ました状態にする。
以上のコンセプトを厳格に「自分ルール」としてやり続ければ、1回目の司法試験合格も決してノーチャンスではない、と信じていた。
さて、平成8、9年当時の司法試験の制度を説明しておこう。
出願数・合格数は概算のイメージ。
5月 短答式試験 基本科目(憲法、民法、刑法) 3万人が5000人に
7月 論述式試験 基本科目に加え、商法、訴訟法、選択(他の法律) 5000人が800人に
10月ころ 口述式試験 論述式と同じ科目 800人が700数人に
というスケジュールだ。
当時は、若い合格者を増やすねらいの「特例」があって、合格者のうち、約200人は受験歴3回以内の人の中から選抜される、というルールがあった。これは私にとって追い風だった。
司法試験合格のための最大の山場は7月の論述式にあるわけだが、その「出場権」をかけて、5月の短答式が行われるというわけだ。
1月からようやく系統だった勉強を始めた私には当然、上記はきついスケジュールだ。
だが、5月の短答式をまず突破するということにフォーカスすれば、それ自体は高い確率で可能だと直感した。
上に書いた通り、
憲法、民法、刑法の基本科目に絞られていること(3月時点で、私はそれ以外は勉強しことがなかった)
が合格可能と考える最大の理由だ。
短答式を突破し、その後2か月で未だ見ぬ3科目を何とかして、7月論述に挑む。
最初の侵攻で占領した土地で食料・物資を補充して、戦線を拡大していく、というような綱渡り的なプランだが、当時の私にはそれ以外に手がなかった。
また、
短答式は、過去問の蓄積があり、傾向がはっきりしていること
合格に必要な条文・判例の知識を系統立ててまとめた参考書が刊行されていること
という条件がそろっていた。
この点からも「やりさえすれば合格できる」状態が整っているように見えた。
20~30年分の過去問をまとめた本と、短答試験用の参考書、「試験用六法」を使って勉強するスケジュールを立てた。
5月までに、数十年分の過去問を2回ずつ解く(解きながら、あやふやなところを復習する)。そのために、「割り算」をして、一日、過去問は○ページ程度という目安を立てた。
実際は気合が乗りまくっていたので、ほとんどの日はその目安を上回るペースで勉強できたが、バイトの日、飲み会の日などもあったので、結局平均的には予定のペース程度で進むことになった。
また、司法試験予備校が短答式試験の「テストゼミ」「模擬試験」を行っていた。
入門講座を受けたLECよりも、私の家から近くにあった「辰巳法律研究所」という予備校のそれを受けた。
テストゼミは週1回くらい、先輩受験生との点数の比較ができた。
3月末あたりは上位と点数の差が目立ったが、4月に入るとどんどん追いついていくことが実感できた。
4月の末ころには本番同様のスタイルで「模擬試験」が行われた。
このころには過去問集を一通りは勉強し終わっていた。
ただし、基本科目とはいえ憲法、民法、刑法の全体は広い。民法などは法律の条文だけで1000以上ある。
一通り勉強したからといって頭に完璧に入るひとはまずいない。
この時点では、「知識」面はまだまだあやふやだった。
しかし、もうこのときになれば、法律の「理屈」を考えて解く問題はほとんどがバッチリ解ける自信がついていた。
そんな状態で、「直前模試」の結果は、合格ラインすれすれ、というくらいだったと思う。
予定どおり、
捉えたかな
という感じだった。
5月に入ると試験まであと10日くらい。
自分がまだ弱い「細かい知識」について、突貫工事でも何でも、ちょっとでも間に合わせるしかない、ということで最後の追い込みをした。
試験の前日には、当時夜型生活だったせいと、興奮して眠れないので、自転車を走らせ京大近くの北白川バッティングセンターに行った。
古いピッチングマシンが投げてくる緩急自在のボールを100球近く打ち込んで、無理やり肉体疲労を作って寝た。
5月のGW明け、京大の校舎で短答式試験は行われた。
京都は冬は寒く、夏は暑い。
初夏からも、5月でもかなり暑い。
短答試験の日も、すごく晴れ渡った暑い日だったと思う。
私は、「肌水」みたいな感じの霧吹き式のものを携帯し、試験に臨んだ。
暑くなったら、熱くなったら、顔に吹き付ける用に。
試験問題は、例年と比べて、「憲法」は難しかったように感じたが、自分としては全体に予定通りの感じでできたと思った。
まあ、第1関門「短答式」に向けてやれることはやり切ったし、結果は神のみぞ、という感じだった。
短答式の合格発表は2,3週間先だったと思う。
短答式のための猛勉強を終えたばかりの時期、短答式の「合格」が出るまでの気持ちの維持はなかなか難しい。
多くの受験生は少しここでペースダウンすると思う。
私も例外ではなく、短答前のような勢いをそのまま維持することはできなかった。
そういうときはそのときの「気持ち」に合ったメニューというのを考えるほうがよい。
なので、次なる関門(7月論述式)に向けて、「助走」として、
「商法」の簡単なテキスト
を日々読み進めておくことにした。
これは、私が試験勉強などをするときの気合の入った勉強スタイルではない。
一般的な、穏やかな感じの学生が喫茶店で物静かに勉強する感じだった。
でも、短答式「合格」が出たときに再び猛ダッシュをかけられるように。助走だ。
5月末頃だったと思う。
短答式合格発表。
京都地方検察庁前の掲示スペースに、合格者氏名が掲示される。
合格、だ。
とてもテンションが上がった。
短答式だけでも5倍以上の倍率だから、合格はやはりうれしい。
「挑戦権」を得た。
いよいよ、本格的に、天王山、7月論述試験だ。
挑めること、それがうれしい。
こんなうれしいことはない。
あと2か月弱。
第2ステージがはじまる。
続く ↓
http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2017-02-26
神戸シーサイド法律事務所 弁護士 村上英樹
2017-02-26 11:33
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