私の司法試験1回目受験記①~序章 [司法試験]
私は、大学4回生のときに司法試験に合格している。
で、実は、私は、司法試験を大学3回生のときにも受けている。
そのときの体験記を今回は書いてみようと思う。
この体験は、私にとっては、本当に大切なことを教えてくれた。
さて、このブログの中で「私の灘中受験記」http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2013-04-30は、多くの方に読んで頂いている人気記事になった。ありがたい限り。
サザンオールスターズに例えれば「いとしのエリー」くらいのヒットである(たとえが大き過ぎる!)。
この灘中受験記と同じく、今回の受験記も不合格体験記である。
「ハチのムサシ」のように敗れた私の姿を想像して笑ってもらうのもよし、その中から何かのヒントらしきものを得てもらえれば望外の喜び、という気持ちで書いてみる記事である。
よく、私は、大学には現役で合格し、在学中に司法試験に合格しているので、「ストレート」「最短距離」といわれ、ときにおまけに「司法試験も一発で合格」と紹介されてしまったりもするが、それは実は間違いで、「司法試験は『二発』で合格」が本当だ。
私が合格したのは平成9年のことなので、今の司法試験制度とは違って、ロースクールはなく、(大学で一定の単位を修めていれば誰でも受験できて)試験を受けて合格するかどうか、という単純な話だった。
そういう制度だっただけあって、倍率は高く、合格率は2~3%という狭き門だった。
結果として4回生で合格したこと自体が幸運である。だが、その前の3回生時の受験はとてもエキサイティングな体験だった。
私は京都大学法学部に入ったとき、心に誓っていたことがあった。
それは、大学生活の中で、机や書物でする勉強ではなく、主に「世の中のこと」「人間のこと」を勉強しようということだった。
「人間のこと」というのは他人のこともそうだが、「自分自身がどんな存在か」ということも含む。後にいう「自分探し」も含めてだった。
幸運にも色んな巡り合わせの結果として「学業成績」そのものは良かったのだが、自分では「それ以外の勉強が圧倒的に足りていない」と思っていた。
そのような「高い向上心」(!?)の結果として、大学1,2回生時は、大学の授業には全く出ることなく、京阪神に幾つもの教室を有する有名進学塾(H学園)の非常勤講師としてアルバイトに精を出し、それで得た収入でひたすらに「社会勉強」に励むこととなった。
20歳くらいの若者が、色んなところに顔を出し、色んな職業・色んな立場のおっちゃん(おじいちゃん)と話をして、自分が体験したことのない話や、そのおっちゃんの哲学を聴く。
このようなインタビューの対象はもちろん「おっちゃん」に限ったものではなく、老若男女問わず、色んな機会をとらえて、人生についてのとてもためになる話を聴かせてもらったのだ。
また、人間関係というものについても、色んな勉強をさせてもらった。
大学1,2回生となると、きっと私だけではなくみんなそうだろう。「人のすがた」というのに本当に色んな面があることを体験させてもらった。痛い目、危ない目にも少なからず遭った。
こうした「向学心」溢れる大学生活を約1年半送った。
「自分探し」という意味では、まず、とことん自分がしたいことをやって、やりたくないことは一切やらないようにしたらどうなるか?という課題に挑んでいた。
その結果、昼夜は逆転し、習慣によって自分のマインドが何色にでも変わってしまうことも体感した。
人は、心掛け一つで、こうも勤勉にも怠惰にもなれる、などなど…
そうして、2回生の秋深まるころ、私は思った。
机や書物をはなれた勉強や「自分探し」について、「今できる」範囲での勉強は大体尽きつつあるのではないか、と。
というのは、1回生のはじめは、どこに顔を出しても全てが新鮮だった。
たぶん、初対面の「どこにでも居るようなおっちゃん」のいつ終わるとも知れない長話だったとしても、すごく興味を持って聴くことができた。
もちろん、同じ学生でも、H学園アルバイトの先輩などとの付き合いは刺激的だった。
だが、2回生夏ころからは、そういうことの新鮮味が薄れてきたように感じた。
もちろん「社会勉強」は一生続く。
だが、自分が「学生」の立場でできる「社会勉強」には限りがあるのではないか、そして、その限界に近づいてしまったのではないか、と。
そして、「自分」についても…
結局、大学入学時までの学業成績の良さそれ自体はもちろん何の役にも立たず、その成績の良さを培った「学力」が支えているにしても、その「学力」の基本となっている自分の「論理的な思考力」や「言葉を使う力」を次なる形にしていかなければ将来はないのではないか、と。
だが、1年半くらい、もはや自分の学業のためにペンを握ったことすらない(ペンを握るのは塾のバイトで、生徒のテストの採点をするためくらいだった)。
なまりになまっている…
大学に余りに出ないので親との関係も悪くなり、「仕送り」もこっちから断ってしまったしな…
私は「何か」で「自分を目覚めさせる」ことが必要だと思った。
それが、「司法試験」だった。
その時代「司法試験」は日本で一番難しい国家試験といわれていた。
正直言って法律家になるということにイメージは湧かなかった。
だが、「一番難しい」に挑戦することで「自分を目覚めさせる」ことができるのではないか、と思った。
過去にさかのぼれば、私の場合、まさに「灘中受験」がその経験だった。
あれをもう一度やるしかない、そういう気持ちだった。
まず、司法試験の科目(憲法、民法、刑法など)のテキストと、司法試験の過去問集を買ってきた。
そして、自分なりにテキストを読んで、過去問を解けるかみてみた。
だが、このやりかたでは、択一式(マークシート式)の問題でも正解率はなかなか上がらないし、論文式の問題は合格しそうな答案が書ける状態になるための道筋のイメージが湧かなかった。
それでも、2回生の晩秋~12月くらいの2ヶ月くらいは、自分なりにやり続けた。
法律科目の本(基本書と呼ばれる。「民法1」とか単純なタイトルの本)は、専門用語が説明なしで出てきたりして理解が困難だ。
理解困難だが、「理解できないのは根性が足りないせい」と思って、とにかくも読めるだけ読もうとした。
だが、2ヶ月続けても、実際の司法試験の問題が解けるようになったか、といえば、程遠かった。
私の親友の司法試験受験生(のちに弁護士)と話して、色々聴いてみると、
「法律書は初めて勉強する人が分かるように書いているものではない。
だから、初めて勉強する人に分かるように解説している司法試験予備校の『講座』をまず受けて、法律の全体像をつかまないと分からない。
LEC(という予備校)の伊藤真という人の授業が圧倒的に分かりやすい。
全体像がつかめたら、法律書(基本書)の意味も分かる。」
という有益な情報を得た。
この親友とのトークをきっかけに、私は、「司法試験予備校なんかに頼らない」という偏屈なプライドを捨て、司法試験予備校の講座を申し込んだ。
看板講師「伊藤真」がいるというLECに。
そして、2回生の冬、年明けにLECの入門講座を受講することになった。
ここで気づいたことが2つ。
その1。人気講師の「伊藤真」氏は既にLECを退職して、自分の塾を立ち上げていた。
その2。入門講座そのもののスピードが週1,2回だったか、本気でやろうと思っている私にとっては余りにスローだった。
その1の問題はどうしようもない。
その2の問題は解決しなければならない。
予備校のスローペースにスポイルされてしまっては、私が「私を目覚めさせる」ことはできない。
そこで、私は欠席者用の「補講用カセットテープ」を借り出すことで全授業を最速のスピードで受けることに決めた。
また、カセットテープレコーダーで再生する際に「倍速」等にして、さらに時間短縮に努めた。
やったことのある人は分かると思うが、授業テープなど、人のしゃべり声は「倍速」にしても十分に聴くことが出来る。
時は金、否、時は命だ。
「伊藤真」ではない講師の声を「倍速」にした「ハイトーンボイス」(テープを早回しすると声がとても高くアニメ声のようになった)で聴いて、LECの入門講座、憲法、民法、刑法を、私が考えられる限り早くマスターしていった。
だが、この頃考えていたのは、あくまで「在学中合格」だった。
要するに「4回生で合格」すればいいということだ。
しかし、2回生の終わり頃に、まじめに、本気で勉強を始めてしまった私としては、合格目標が4回生となると先が長すぎるように感じた。
1年何ヶ月以上も、本気で、全力の集中力で勉強する、ということはキツい。
そうしたとき、LECに「司法試験出願書類」が置かれているのを目にした。
入門講座を受講しだして2ヶ月程度たった頃だったと思う。
自分の実力は到底「司法試験レベル」ではない、はずだが、私の心は動いた。
「今年(3回時)受ける、というのはどうだろうか?」と。
常識的には困難な準備期間で難関試験に挑戦して合格する、ということに挑みたかった。
これは「再チャレンジ」「リベンジ」の意味があった。
そうやはり思い出すのは「灘中受験」だ。
あの時は敗れたが、今度、私が本気でやったら、一瞬たりとも気を抜かずにやったらどうだろう。
この世に絶対不可能ということなどあるだろうか?と。
「出願書類」をもらって帰ったとき、私の心は決まっていた。
そして、必要書類を整えて、3回生時の司法試験の出願を行ったのだが、実はそこで問題が発覚した。
受験資格に必要な大学の単位が、書類提出時点では足りていなかった。
通常なら、1回生で取得できる単位なのだが、何と言っても、大学の単位に完全に背を向けていた私は足りていなかった。
「2回生の後期の試験の結果で必要単位数が取得できれば」という条件付きでの出願だった。
この単位問題への対応も大変だった。
今年も全然授業に出なかった「英語」「ドイツ語」の授業に出て、見ず知らずの1回生に声をかけて、プリントやノートを借り出す必要があった。
こんなとき、わずか1歳くらいしか違わないはずの1回生も、自分にとってはすごく「若者」に見えた。
「不審な上回生」と思われながら、なんとか借り出して、「英語」「ドイツ語」の試験勉強をやって、どうにか単位を取得した。
大学に入って、とことん自分を追い詰めてみる、というのも一つの課題にして実践したのだが、「追い詰められた」状態の体験はこんな場面でもなかなか苦しかった。
さて、LECの「入門講座」で、基本科目である憲法、民法、刑法の基本については3月くらいに勉強を終えた。
ただ速く「回した」だけではなく、テキストに書かれた内容は完璧に頭に入れるようにした。
さて、最初の関門は
5月GW明け、母の日あたりにある 短答試験
だ。「択一」とも呼ばれる、マークシート式。
ここで、出願者約3万人が約5000人に絞られる。
科目は、基本科目と呼ばれる「憲法」「民法」「刑法」の3科目。
各20問合計60問で、だいたい45~47問正解すれば合格だった、と思う。
まずは、何としても「予選突破」しなければならない。
その為には何をするか?
3月末くらいから(塾のバイトなどに必要な時間のほか)毎日時間がある限り、「短答試験」の過去問(ウン十年分)をひたすらに解きまくることにした。
私の「予選」(短答試験)まであと約50日。
続く ↓
http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2017-02-23
神戸シーサイド法律事務所 弁護士 村上英樹
で、実は、私は、司法試験を大学3回生のときにも受けている。
そのときの体験記を今回は書いてみようと思う。
この体験は、私にとっては、本当に大切なことを教えてくれた。
さて、このブログの中で「私の灘中受験記」http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2013-04-30は、多くの方に読んで頂いている人気記事になった。ありがたい限り。
サザンオールスターズに例えれば「いとしのエリー」くらいのヒットである(たとえが大き過ぎる!)。
この灘中受験記と同じく、今回の受験記も不合格体験記である。
「ハチのムサシ」のように敗れた私の姿を想像して笑ってもらうのもよし、その中から何かのヒントらしきものを得てもらえれば望外の喜び、という気持ちで書いてみる記事である。
よく、私は、大学には現役で合格し、在学中に司法試験に合格しているので、「ストレート」「最短距離」といわれ、ときにおまけに「司法試験も一発で合格」と紹介されてしまったりもするが、それは実は間違いで、「司法試験は『二発』で合格」が本当だ。
私が合格したのは平成9年のことなので、今の司法試験制度とは違って、ロースクールはなく、(大学で一定の単位を修めていれば誰でも受験できて)試験を受けて合格するかどうか、という単純な話だった。
そういう制度だっただけあって、倍率は高く、合格率は2~3%という狭き門だった。
結果として4回生で合格したこと自体が幸運である。だが、その前の3回生時の受験はとてもエキサイティングな体験だった。
私は京都大学法学部に入ったとき、心に誓っていたことがあった。
それは、大学生活の中で、机や書物でする勉強ではなく、主に「世の中のこと」「人間のこと」を勉強しようということだった。
「人間のこと」というのは他人のこともそうだが、「自分自身がどんな存在か」ということも含む。後にいう「自分探し」も含めてだった。
幸運にも色んな巡り合わせの結果として「学業成績」そのものは良かったのだが、自分では「それ以外の勉強が圧倒的に足りていない」と思っていた。
そのような「高い向上心」(!?)の結果として、大学1,2回生時は、大学の授業には全く出ることなく、京阪神に幾つもの教室を有する有名進学塾(H学園)の非常勤講師としてアルバイトに精を出し、それで得た収入でひたすらに「社会勉強」に励むこととなった。
20歳くらいの若者が、色んなところに顔を出し、色んな職業・色んな立場のおっちゃん(おじいちゃん)と話をして、自分が体験したことのない話や、そのおっちゃんの哲学を聴く。
このようなインタビューの対象はもちろん「おっちゃん」に限ったものではなく、老若男女問わず、色んな機会をとらえて、人生についてのとてもためになる話を聴かせてもらったのだ。
また、人間関係というものについても、色んな勉強をさせてもらった。
大学1,2回生となると、きっと私だけではなくみんなそうだろう。「人のすがた」というのに本当に色んな面があることを体験させてもらった。痛い目、危ない目にも少なからず遭った。
こうした「向学心」溢れる大学生活を約1年半送った。
「自分探し」という意味では、まず、とことん自分がしたいことをやって、やりたくないことは一切やらないようにしたらどうなるか?という課題に挑んでいた。
その結果、昼夜は逆転し、習慣によって自分のマインドが何色にでも変わってしまうことも体感した。
人は、心掛け一つで、こうも勤勉にも怠惰にもなれる、などなど…
そうして、2回生の秋深まるころ、私は思った。
机や書物をはなれた勉強や「自分探し」について、「今できる」範囲での勉強は大体尽きつつあるのではないか、と。
というのは、1回生のはじめは、どこに顔を出しても全てが新鮮だった。
たぶん、初対面の「どこにでも居るようなおっちゃん」のいつ終わるとも知れない長話だったとしても、すごく興味を持って聴くことができた。
もちろん、同じ学生でも、H学園アルバイトの先輩などとの付き合いは刺激的だった。
だが、2回生夏ころからは、そういうことの新鮮味が薄れてきたように感じた。
もちろん「社会勉強」は一生続く。
だが、自分が「学生」の立場でできる「社会勉強」には限りがあるのではないか、そして、その限界に近づいてしまったのではないか、と。
そして、「自分」についても…
結局、大学入学時までの学業成績の良さそれ自体はもちろん何の役にも立たず、その成績の良さを培った「学力」が支えているにしても、その「学力」の基本となっている自分の「論理的な思考力」や「言葉を使う力」を次なる形にしていかなければ将来はないのではないか、と。
だが、1年半くらい、もはや自分の学業のためにペンを握ったことすらない(ペンを握るのは塾のバイトで、生徒のテストの採点をするためくらいだった)。
なまりになまっている…
大学に余りに出ないので親との関係も悪くなり、「仕送り」もこっちから断ってしまったしな…
私は「何か」で「自分を目覚めさせる」ことが必要だと思った。
それが、「司法試験」だった。
その時代「司法試験」は日本で一番難しい国家試験といわれていた。
正直言って法律家になるということにイメージは湧かなかった。
だが、「一番難しい」に挑戦することで「自分を目覚めさせる」ことができるのではないか、と思った。
過去にさかのぼれば、私の場合、まさに「灘中受験」がその経験だった。
あれをもう一度やるしかない、そういう気持ちだった。
まず、司法試験の科目(憲法、民法、刑法など)のテキストと、司法試験の過去問集を買ってきた。
そして、自分なりにテキストを読んで、過去問を解けるかみてみた。
だが、このやりかたでは、択一式(マークシート式)の問題でも正解率はなかなか上がらないし、論文式の問題は合格しそうな答案が書ける状態になるための道筋のイメージが湧かなかった。
それでも、2回生の晩秋~12月くらいの2ヶ月くらいは、自分なりにやり続けた。
法律科目の本(基本書と呼ばれる。「民法1」とか単純なタイトルの本)は、専門用語が説明なしで出てきたりして理解が困難だ。
理解困難だが、「理解できないのは根性が足りないせい」と思って、とにかくも読めるだけ読もうとした。
だが、2ヶ月続けても、実際の司法試験の問題が解けるようになったか、といえば、程遠かった。
私の親友の司法試験受験生(のちに弁護士)と話して、色々聴いてみると、
「法律書は初めて勉強する人が分かるように書いているものではない。
だから、初めて勉強する人に分かるように解説している司法試験予備校の『講座』をまず受けて、法律の全体像をつかまないと分からない。
LEC(という予備校)の伊藤真という人の授業が圧倒的に分かりやすい。
全体像がつかめたら、法律書(基本書)の意味も分かる。」
という有益な情報を得た。
この親友とのトークをきっかけに、私は、「司法試験予備校なんかに頼らない」という偏屈なプライドを捨て、司法試験予備校の講座を申し込んだ。
看板講師「伊藤真」がいるというLECに。
そして、2回生の冬、年明けにLECの入門講座を受講することになった。
ここで気づいたことが2つ。
その1。人気講師の「伊藤真」氏は既にLECを退職して、自分の塾を立ち上げていた。
その2。入門講座そのもののスピードが週1,2回だったか、本気でやろうと思っている私にとっては余りにスローだった。
その1の問題はどうしようもない。
その2の問題は解決しなければならない。
予備校のスローペースにスポイルされてしまっては、私が「私を目覚めさせる」ことはできない。
そこで、私は欠席者用の「補講用カセットテープ」を借り出すことで全授業を最速のスピードで受けることに決めた。
また、カセットテープレコーダーで再生する際に「倍速」等にして、さらに時間短縮に努めた。
やったことのある人は分かると思うが、授業テープなど、人のしゃべり声は「倍速」にしても十分に聴くことが出来る。
時は金、否、時は命だ。
「伊藤真」ではない講師の声を「倍速」にした「ハイトーンボイス」(テープを早回しすると声がとても高くアニメ声のようになった)で聴いて、LECの入門講座、憲法、民法、刑法を、私が考えられる限り早くマスターしていった。
だが、この頃考えていたのは、あくまで「在学中合格」だった。
要するに「4回生で合格」すればいいということだ。
しかし、2回生の終わり頃に、まじめに、本気で勉強を始めてしまった私としては、合格目標が4回生となると先が長すぎるように感じた。
1年何ヶ月以上も、本気で、全力の集中力で勉強する、ということはキツい。
そうしたとき、LECに「司法試験出願書類」が置かれているのを目にした。
入門講座を受講しだして2ヶ月程度たった頃だったと思う。
自分の実力は到底「司法試験レベル」ではない、はずだが、私の心は動いた。
「今年(3回時)受ける、というのはどうだろうか?」と。
常識的には困難な準備期間で難関試験に挑戦して合格する、ということに挑みたかった。
これは「再チャレンジ」「リベンジ」の意味があった。
そうやはり思い出すのは「灘中受験」だ。
あの時は敗れたが、今度、私が本気でやったら、一瞬たりとも気を抜かずにやったらどうだろう。
この世に絶対不可能ということなどあるだろうか?と。
「出願書類」をもらって帰ったとき、私の心は決まっていた。
そして、必要書類を整えて、3回生時の司法試験の出願を行ったのだが、実はそこで問題が発覚した。
受験資格に必要な大学の単位が、書類提出時点では足りていなかった。
通常なら、1回生で取得できる単位なのだが、何と言っても、大学の単位に完全に背を向けていた私は足りていなかった。
「2回生の後期の試験の結果で必要単位数が取得できれば」という条件付きでの出願だった。
この単位問題への対応も大変だった。
今年も全然授業に出なかった「英語」「ドイツ語」の授業に出て、見ず知らずの1回生に声をかけて、プリントやノートを借り出す必要があった。
こんなとき、わずか1歳くらいしか違わないはずの1回生も、自分にとってはすごく「若者」に見えた。
「不審な上回生」と思われながら、なんとか借り出して、「英語」「ドイツ語」の試験勉強をやって、どうにか単位を取得した。
大学に入って、とことん自分を追い詰めてみる、というのも一つの課題にして実践したのだが、「追い詰められた」状態の体験はこんな場面でもなかなか苦しかった。
さて、LECの「入門講座」で、基本科目である憲法、民法、刑法の基本については3月くらいに勉強を終えた。
ただ速く「回した」だけではなく、テキストに書かれた内容は完璧に頭に入れるようにした。
さて、最初の関門は
5月GW明け、母の日あたりにある 短答試験
だ。「択一」とも呼ばれる、マークシート式。
ここで、出願者約3万人が約5000人に絞られる。
科目は、基本科目と呼ばれる「憲法」「民法」「刑法」の3科目。
各20問合計60問で、だいたい45~47問正解すれば合格だった、と思う。
まずは、何としても「予選突破」しなければならない。
その為には何をするか?
3月末くらいから(塾のバイトなどに必要な時間のほか)毎日時間がある限り、「短答試験」の過去問(ウン十年分)をひたすらに解きまくることにした。
私の「予選」(短答試験)まであと約50日。
続く ↓
http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2017-02-23
神戸シーサイド法律事務所 弁護士 村上英樹
2017-02-22 19:35
nice!(4)
コメント(0)
トラックバック(4)
コメント 0