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「マインド・コントロール」弁護士紀藤正樹先生著 [読書するなり!]


マインド・コントロール (2時間でいまがわかる!)

マインド・コントロール (2時間でいまがわかる!)

  • 作者: 紀藤正樹
  • 出版社/メーカー: アスコム
  • 発売日: 2012/05/28
  • メディア: 新書



 オセロの中島さんの話や、オウム真理教などに関連して、私も関心があったことから、この本を買って読んでみました。

 紀藤先生については、かなり間接的にしか関わりが無かったのですが、この本は、とても大切な視点で貫かれ、かつ、マインド・コントロールの持つ魔力のようなものや、カルト宗教と宗教本来の在り方がいかにかけ離れているかという点について、大変分かりやすく書かれていて、とても勉強になりました。

 
 少しだけ抜粋します。

(同書より抜粋)

 オセロの中島知子さんの話題でもそうですが、「マインド・コントロール」の話が出てくると、「自己責任ではないか」とか「マインド・コントロールにも良いマインド・コントロールと悪いマインド・コントロールがある」といったマインド・コントロールの持つ問題性を矮小化する意見が、必ず出てきます。しかし、これらの意見は、被害実態や事実を直視しない意見です。前者は加害者の問題に目をつぶり被害者だけを鞭打つ理屈、後者はカルトのマインド・コントロールが質的に他のマインド・コントロールと異なる悲劇的な意味があることを看過した意見です。

 人が判断する前提には正しい情報が必要です。情報が不充分だと正しい判断ができません。「インフォームド・コンセント」とは、そういう理論です。「自己責任」という考え方は、充分な情報が提供され、自由な意思決定が満足される環境においてこそ生じるもののはずです。
                                                     (抜粋終わり)

 
 カルトのマインド・コントロールが実際にどのようなものかは、とにかく、この本を読んで頂くのが一番いいと思います。

 そして、上の「自己責任」論に関する紀藤先生の視点は、私も同感です。

 「自己責任」とは便利な言葉で、人を突き放すことを簡単に正当化してくれるように思えます。

 が、「自己責任」を問える条件がその人に整えられていたのか?という前提がよく検討されず、

「俺だったら、そんな馬鹿なことはしないもんね!」

とか

「ひっかかる方が悪いんじゃない」

とかいう気分で、「自己責任」論を言いやすい雰囲気があります。


 しかし、法的な見方、つまり「社会のルール」としての見方は決してそうあるべきではないのです。
 「自己責任」を問えるだけの十分な情報がない状態であったなら、形式的には、例えばカルト宗教に入るのも怪しい勧誘に引っ掛かるのも「自分で選んだ」ように見えても、その人の落ち度を強調して、その人を救済しないなどということは許されないのです。

 実は、悪徳商法の被害でもカルト宗教の被害でも、まず、出発点としては、既に、被害者は「酷い目に遭っている」のです。
 その後法的に救済されようがされまいが、そもそも、一旦「酷い目にあってしまった」こと自体が不幸です。

 その不幸は、残念ながら、事実としては、「(他の要素がからむにせよ、他人の悪意がからむにせよ)自分の行動の結果そういう不幸な結果に至った」ことが多いでしょう。
 いうならば、「自己責任」論のいうところの「自己責任」は、一旦「酷い目に遭った」時点で、自分が受け止めざるを得なくなっているのです。
 それで十分に、自己「責任」を負わされている、状態になっているのです。

 
 そこから後は、法的なものの見方、「社会のルール」としての見方になります。

・ 本当に悪いのは誰か。

・ 自己防衛という意味では「落ち度」があったとしても、被害者は何か悪いことをしたのか。

というものの見方になります。
 

 例えば、

 深夜ミニスカートをはいて路上を1人で歩いて帰宅中の若い女性が、通りがかった見ず知らずの男性から暴行され性的被害にあった

という事例があったとしましょう。

 「自己責任」でしょうか?

・ 自己防衛という意味では、そういう目に遭わないために、「深夜に一人歩きをしてはいけない」と、女性の親父さんは女性に説教をするかもしれません。「服装にも気をつけよ」とも。そして、その説教はある程度もっともかもしれません。

・ しかし、法的に見れば、犯人である男性が100%悪いことは間違いありません。
 深夜に一人歩きすることも、ミニスカートをはくことも、何ら違法でもないし、他人に迷惑を掛けることでもないからです。

・ だから、この犯罪について、女性がミニスカートをはいてようが、一人歩きをしていようが、悪性は少しも減りません。
  民事事件として、女性が犯罪をした男性に対し損害賠償請求をしたとき、たとえば「過失相殺」などと言って、女性がミニスカートであったことや深夜一人歩きしたことを捉えて損害賠償額が減らされる、などということはあってはなりません。
 そのことについて、過去にも「違法か否か、曖昧に出来ない一線」というタイトルで記事を書きました。http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2008-03-19
  

 カルト宗教などによる「マインド・コントロール」の問題についても、例えば、「本人の心の隙」があるからこそマインド・コントロールのつけいる隙があるわけですが、「心の隙」があることが「自己責任」を問われなければならないようなことでしょうか?私はそうは思いません。
 そもそも「心の隙」がないひとなどいないでしょうし、割と「素直で真面目な人」がかえって引っ掛かりやすいというところもあるのですが、そういう性格は社会的に褒められこそすれ非難されるようなことではないからです。
 いずれにせよ、そういう性格の違いについては、一般的な「個性の幅」の中の話であって、そういう領域では被害に遭ったときに、「自己責任」論を言われるべきではありません。その人が悪い、わけではないのですから。



 以上のようなことで、著者の紀藤先生の法的なものの見方、その見方からのマインド・コントロール問題への分析、対処、現代社会への提言という内容のこの本はとても良い内容で、皆様にお勧めできるものだと思いました。

 あと、私は以前記事で、人身保護請求について書いた(http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2012-02-09)のですが、例えば、カルト宗教問題の解決方法などとしては、無理矢理カルトから引き離すと、引き離した親などへの憎悪が募ったりしてうまくいかないという問題があるらしく、「人身保護請求は1990年代以降、カルトの解決手法としては使われなくなりました」(同書より抜粋)とのことでした。
 このあたり、私も不勉強でよく知りませんでしたが、勉強になりました。

                           村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所
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shira

 まな板の上に包丁とおかしら付きの生の鯛がのっていて、「この鯛を好きなように調理して下さい」と言われて、すぐに刺身を作ろうと思った人はマインドコントロールに陥ることのできる人です。
 これは私が高校生にマインドコントロールについて話す時に使う喩え話しです。鯛は塩焼きでも煮付けでもすり身でも干物でも塩竈でも調理できるのですけど、生の鯛丸々一尾+まな板+包丁というお膳立てをされると、もう加熱調理やその他のことは思い浮かばない。これがマインドコントロールなんです。だから「自分だっていつ陥るかわからない」という謙虚な気持ちが必要なんです。
 そう言えば催眠術のプロによると「催眠術なんか信じない、私は絶対かからない」と言っている人が一番かけやすいのだそうです。
 
by shira (2012-06-13 21:40) 

心如

 ひどく酔っ払っている人ほど、自分は大丈夫だと思うとか… だから、警察官ですら飲酒運転をしてしまう事例があるようです。騙されまいとするほど騙される。騙されているかも知れないと思えば、反対に騙され難い。人間というのは不思議な生き物です。
 他人を騙して己の利益を得ようとする人間は幾らでもいます。社会的な地位が高いから、崇高な精神の持ち主であるという保証はないのです。
 宗教団体の教祖が、寄付金集めのために、信者をマインドコントロールするのは、あって当然と考えるのが自然だと私は思います。
by 心如 (2012-06-13 22:44) 

hm

shiraさん
 
 ナイス・コメントありがとうございます。
 
 分かりやすいたとえですね。

 私たちも、「試験問題作成者が求める答え」を制限時間以内にテキパキと出す、ということによって、大学に入学し、資格も得てきているわけですから、マインド・コントロールに陥る素質は十分なわけですね。
 気をつけます。

心如さん

 ナイス・コメントありがとうございます。
 最後の2行、私もそう思います。構造的に見て、あって当然、と思えますね。
by hm (2012-06-14 11:05) 

ayu15

いい内容なのにいいコメントできなくてすみません。
マインドコントロールは漠然と直感でとても危険だと思ってます。

マインドコントロールまでいかなくても他者のアイデンティティ(帰属意識など)人格などの否定は論拠あってもしてはならないとおもうんです。
そういう空気感じるので日記によく書きますが・・。


自己責任論はどういう時どういう人におきるのかその「法則」がみえないんです。
どちらが叩かれ「わがまま」のレッテル貼られるのか?
悪者にされるのかよくわからないんです。



自己責任といえば
追加したいです。
1選択の自由
(契約に不満でも他に選択がないのは・・)
2対等
3十分な機会
4責任負える程度
(極端例、原発事故は誰も責任終える能力がない)
5 自己決定権!
(これ重要・道徳右翼宗教右翼的考えで他者の重要な自己決定に干渉しつつそれなのに「自己責任」求められても・・。



by ayu15 (2012-06-18 22:12) 

hm

maiさん,ナイスありがとうございます。

by hm (2012-06-20 19:38) 

hm

あゆさん、ナイス、コメントありがとうございます。
自己責任の前提、その通りですね。それを忘れての「自己責任」論は、単なる攻撃になりかねないですね。
by hm (2012-06-20 19:41) 

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