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少数者の人権は少数者のためにあらず [弁護士業について]

 蛇足のような説明だが、「少数者の人権(を尊重すること)は少数者のためになるだけではなく、多数者のためになる」というのがタイトルの意味である。
 
 多分私の創作だが、自らの心に刻み続けたい言葉である。

 
 昨日、用があって、神戸元町の大丸周辺を歩いた。

 ルミナリエで、相当な人が出ていた(私の用事はルミナリエとは関係ない)。

 それとともに、県警の雑踏警備がかなり目立つ形で行われていた。警官も、ちゃんと緊張感をもちながら職務をしておられたように見えた。

 雑踏警備を見れば、雑踏事故のことを思う。

 イベントの雑踏事故により命が失われたことがあり、そのとき、被害者の方や弁護団の方が、一生懸命に、将来雑踏事故が起こらないように、ということを訴えられていたことを思い出す。
 
 そのことがあってこそ、今のルミナリエのような手厚い雑踏警備があるのだと思う。

 その時点において、国民多数から見れば、被害者の方は少数。しかし、その少数者の声を聴き、少数者の立場に思いを馳せることは、多数の国民の安心・安全に繋がる。

 自分が今たまたま強者あるいは多数者の側にいるとしても、いつ何時、弱者ないし少数者の立場になるかわからない。
 例えば、今日はピンピンしていても、明日、病気や事故で身体機能が損なわれるかもわからない。
 そんなときでも、そのアンラッキーのダメージが最小になるような社会がいい。

 人ひとりひとりがかけがえのない存在だという前提に立ち、他人の立場を想像する。
 それが私たちのよって立つ法の精神(憲法13条のいう個人の尊厳)である、と思い、日々の仕事を通じてそれに少しでも役立ちたいと思う。

 
 ルミナリエの雑踏警備の方々へ。
 寒い中、職務は大変でしょうが、どうぞ、多数の参加者の生命身体の安全のために、宜しくお願いします。
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ayu15

明石の事故思い出します。後一回で起訴ですよね。

うち個人の主観ではこういう裁判こそ裁判員制度適応してもよさそうな・・・。


「自分が今たまたま強者あるいは多数者の側にいるとしても、いつ何時、弱者ないし少数者の立場になるかわからない」
すごくうちも思います。
先日人権週間で書いたんですが、人権?て人に配慮(特にまな板の上の鯉状態の人に)しないと守れなさそうです。

うちは人にそういう面であたたかいまなざしむけられるようになっていきたいです。自分も人も「存在」できますように。



by ayu15 (2009-12-10 22:01) 

hm

ayuさん コメントありがとうございます。

 全く同感です。
 
 他者の人権を尊重することは、究極的には自分の幸せのため、というそういう意識を多くの人が共有できれば、と思います。
 人権、といわなくても、思いやり、配慮、想像力、でも。
by hm (2009-12-11 10:12) 

mai

記事を拝見して、医療業界でも同じ発想であるべきだなあ〜と改めて思いました。薬の副作用でもすべての人に出現するのではなく、多いものでも一桁パーセントだったりするのですが、それが重症なものである場合、服用する全員について出現の可能性を考えるべきですね。代替薬を開発するとか、非常に慎重に使用するとか・・・。

いまはタミフルのデメリットが気になっています(自分のなかでも(たぶん医学界でも)まだ結論が出ていません)。

「少数者の人権(を尊重すること)は少数者のためになるだけではなく、多数者のためになる」・・・いい言葉です。私も覚えておきますね。
by mai (2009-12-11 10:47) 

shira

 そう、想像力なんですよ。 
「そこで犠牲になったのは、場合によっては私だったのかもしれない。」「死ぬのは彼らでなくても、他の誰かでも、例えば私でもあり得た。」
 事故や災害は犠牲者をいちいち選びません。犠牲者は「誰でもよかった」のです。今、私がこうしてピンピンしてPCをいじくっているのも、単に運良くその「誰か」にならなかったからです。
 つまり、少数者とは、多数者のことであり、全員のことです。
by shira (2009-12-11 21:10) 

RU2FTAB

報道等にも起因するところもあるのでしょうが、一般的には「被害者(遺族)感情」と言うと、感情むき出しのような、「被害者団体」や「支援団体」と言うと何やら圧力団体の如くのような捉えられ方も少なくないと思います。
が、実際はそんな表面的な部分だけのもではなくて、物凄く奥が深いものだと思います。

また、世の中には事故だけじゃなくて、被害者が声を上げ難い(しかも現状では二次被害が避け難い)重大犯罪もあります。

「そういう意識を多くの人が共有できれば、と思います。」
仰る通りですよね。
同化は無理にしても(すべきでない、というところもあると思う)、同意は多数者にもできます。
by RU2FTAB (2009-12-13 01:43) 

hm

maiさん

 ナイス・コメントありがとうございます。
 医療に関して、専門的なことは分かりませんが、仰るとおり、たとえ医療の進歩の一段階とはいえ犠牲になる人がいるとしたら、その人にとっては大変なことですよね。
 

shiraさん

 ありがとうございます。
 仰るとおり、想像力の有無が、考え方の方向性を決定的に決めてしまうことがあるので、子どもの想像力を自然に伸ばす(あるいは邪魔しない)ことにより世の中がよりよくなるのではないか、と思ったりします。


RU2FTAB さん

 仰るとおりだと思います。
 今置かれている立場が弱い人に暖かい眼差しを向けることが、自分の幸せのため(俗っぽくいえば『得』)にもなる、と多くの方に考えていただければ、と思います。
 もし、「あの人たちは『あっちの人』、私は『こっちの人』」という発想を持っている人がいたら、「本当にそうか?」と疑ってみて欲しい、と思います。   そう、RU2FTABさんの言われる広がってゆく「同意」があれば、と思います。
by hm (2009-12-13 13:27) 

ayu15

そういえば以前「鉱山のカナリア」のことどっかで書きました。
障害者とレッテル貼られた人、同性愛その他・・・「道徳云々・秩序云々で叩かれる?人達は鉱山のカナリアかも?

戦前ドイツとか例だそうです。

レミングの群れになればいつか自分達も叩かれる立場に。そうなってからでは遅いです。
まさしく人のためならず。



(ちょうど人権についてかいたので)
by ayu15 (2009-12-13 22:20) 

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